第95話 母の死の真相と、明かされた密約
――ローゼは亡き母君と同じ種族の魔物に殺されかかったんだ。
ルシアンの台詞にローゼルは言葉を失った。
どうして?
なぜそんな危険な呪術の魔法陣が使われたの?
「あの、偶然ですよね?
そんな馬車に私が乗っていたのって……。
母の時だって……」
そんな偶然が続くものだろうか。
だいたい呪術なんて、魔法が主体のこの国には縁のない術式だ。
ローゼルは首を捻った。
私は単なる貴族令嬢にすぎず、命を狙われるような高位な爵位でもなければ、目を引くような素晴らしい官僚でもない。本当にごくふつうのどこにでもいる女官であり、貴族令嬢だ。
それはお母様だって同じ。
(そりゃあ、確かに、お母様はジル・エグアルムというとんでもない魔法使いを親に持っていて、私より魔力もあって水魔法のスペシャリストだけど、ごく一般的な貴婦人だよ)
ローゼルは混乱する一方、必死で頭を回転させた。
そして、ひとつの疑問にぶち当たった。
「ルシ様。ちなみにどうしてその四角い魔法陣が呪術だと分かったんですか?
あれは禁術で実践はもちろんのこと、研究も禁止されています」
知っている方がおかしい。
知っている、つまり、呪術だと断定できる知識を持っているということ。
「もっともな質問だ。
これはすでに伯爵にもお伝えした国家機密だが――敵国マリュード皇国は呪術と魔法の混合術式で攻撃してくるんだ」
「呪術と魔法の混合……そんなことができるんですか?」
ローゼルはあえぐように尋ねた。
「あの国は元々ここ帝国に滅ぼされたナバロー王国の王族の子孫たちが建国した国であり、いまだに呪術を主として使う大国だ。
滅亡した原因となる魔法を長年研究し、そして、混合術式を生み出した。
それまでの間、いや、今も魔法使いを拉致し、蹂躙し、兵士として育てている」
ルシアンの声は、冷ややかで乾いていた。
ローゼルはゾッとした。
「そんな育成システムまで作ってるんですね」
「ああ、そうだ。
七年前のマリュード皇国との小競り合いを境に、彼らはこの国を蝕もうと躍起だからな。
だからこそ、我が軍部も陛下の許可を得て、極秘に呪術に特化した団を結成している。
それが第3魔法騎士団だ」
第3魔法騎士団。世間では第4魔法騎士団同様、王都警備専門の騎士団と言われている。
それが、まさか対呪術の騎士団だったなんて——
だけど、呪術で攻撃してくるのだから、当然国防のため対策を練る必要はある。
禁止している裏側で、国として研究を推し進めるのは十分頷ける。
「魔法騎士団以外にも陛下からの御許しを得て呪術を研究している王宮魔術師や魔法使いもいる。
例えば、クロフォード・ノーエランドやエレナ・ヴァービナスも」
ルシアンはさらりと言った。
「エレナも!?」
ローゼルはびっくりした。
エレナはそんなこと一言も言ってなかった。
「はは、驚くことじゃないよ」
「だって、禁術ですよ。
しかも、一番おっかないと言われている呪術!」
つい声が大きくなる。
「クロフォードは王宮魔術師というのもあるが、ヴァービナス女官は魔法の才能に溢れすぎて、マリュード皇国の連中に目を付けられているんだ」
「え?」
「すでに数々の攻撃を受けていた。
彼女自身の護身、対抗措置として呪術研究員にしてもらうよう俺たち魔法騎士団が掛け合ったんだ」
まるで鈍器で頭を殴られたような衝撃がローゼルを襲った。
いつも柔らかに笑っている親友の顔が浮かぶ。
人見知りを極めすぎて、入省当時からずっと初対面の人にはおどおどしているくせに、魔法に関してはマニア丸出しの知識量、やけに熱く饒舌に語る。
そんなギャップのある美人で自慢の親友。
そんな彼女の笑顔の裏で、命を狙われていたなんて——。
ローゼルは親友の知らない姿に愕然とした。
「ローゼル、ジル・エグアルム卿――おじい様もそうだよ」
父が口を挟んだ。
「おじい様までも?」
そう聞いてローゼルはうなだれた。
自分が知らないだけで、周りは呪術という危険な術式を日々研究し、そしてエレナに至っては命を狙われ、身を守るためにその一員となっていた。
ローゼルは、自分の頭の中がお花畑であることに打ちのめされた。
自分の無知、呑気さ。
平和ボケした恥ずかしさと情けなさの入り混じった複雑な感情。
それらがすべて胸に渦を巻いた。
「今回ローゼルの時に発見した魔物を呼び寄せる呪術の魔法陣については、第3騎士副団長が目撃している。副団長に至っては事細かに魔法陣を憶えていたよ」
「第3の副団長というと、テラリス・フォージク卿ですか?
インテリ騎士代表みたいなあの方……」
ローゼルの頭の中にテラリスの姿が思い浮かんだ。
長い金色の髪をゆったりと一つにまとめた眼鏡をかけた秀才騎士。
「そう、そいつだ。
インテリ騎士。
いい例えだな」
ルシアンは少し口角を上げる。
「そのテラリスは騎士の中でも多彩な魔法、特に魔法陣に造詣が深くてね。
王宮魔術師並みの魔力を持っている奴だ。
あ、そうそう。
少し話は脱線するが、ローゼルが皇族会議のときに、敵が仕掛けた隠匿魔術を解いただろ?」
「ええ、まあ」
ローゼルは当時のことを思い出した。
皇族会議で目撃した天井に張り巡らされていた巨大な魔法陣。
表面にあった隠匿魔法はなんとかなったけど、その奥に隠されていた火属性の魔法陣にはローゼルの魔力では刃が立たなかった。
あれはとても難易度の高い魔術式で形成されていて、破壊できるのは上級以上の魔法が操れないとできない代物だ。
「そのローゼが解けなかった魔法陣をテラリスが解除して破壊したんだよ」
「え、すごい!」
ローゼルは思わず声を上げた。
「そう、そんな奴が魔法陣を確認している。
それから客車本体には時限爆発ならぬ時限火災魔法と火薬が仕掛けられていたことも確認されている」
「え? 火薬?
ちょっと待ってください。
それってこの国に持ち込み禁止物のひとつなんじゃあ……」
「その通り。
違法の火薬を使った爆弾と、魔物を呼び寄せる呪術の魔法陣。
それがローゼの乗っていた馬車に積まれていたんだよ」
一瞬、ローゼルは凍りついた。
知らず知らずのうちに、呪術の攻撃を受けているだけでなく、火薬だなんて、ますます穏やかじゃない。
(私、とんでもない馬車に乗っていたのね……)
「だからこそ、ローゼルが無事でよかったとホッとしたんだよ」
父は表情を和らげ、ティーカップに手を伸ばす。
「思い出すだけでもゾッとするよ。
あの時、ローゼルに、もしものことがあったらと思うと」
「私って、つくづく悪運いいのね」
衝撃の事実が幾重にも重なり、ローゼルは展開に頭がついていけない。
「そういうわけで――マリアーナたちが亡くなった原因に呪術が絡んでいるんだ」
父が呟き、お茶を飲んだ。
「ふうん、それでウルーム伯爵が『禁術に手を染めた一門』という前提で事故処理にみせかけようとしたのね……」
だからって、ちょっとこじつけっぽい気がする。
なぜそんなモノが仕込まれていたのか、そういった真相も解明されていないうちから、「イースティリア家が禁術に手を染めた」と決めつけるのは、乱暴ではないか。
とはいえ、禁術——母の死に呪術が絡んでいる。
自分の妻もその呪術のせいで魔物に食われたと知ったら、ウルーム伯爵も気が動転して、そう感じてしまったのかもしれない。
重たい沈黙が降りた。
やがて父が視線を上げて、静かに続ける。
「そう、その事件のことをキッカケにナージュ・ウルーム伯爵には随分と責め立てられたよ。
そこに例の御仁までお出ましだったから、本当に気が滅入ったね」
父は奇妙な笑みを浮かべた。
「当時の私はマリアーナを失った直後だったからね、途方もない虚無感とかあって――まともな精神じゃなかったんだと思う。
そんな中、あの二人に窓もないような暗い部屋に閉じ込められてね……」
暗い部屋に閉じ込める?
「本当に参ったよ。
甘ったるいお香を焚かれ、その中で延々と何時間も罵倒され続けた」
父は大きなため息をつく。
冷静を装っているようだが、その指は小さく震え、心なしか顔が青ざめていた。
「それで?
その時、暴力は受けていない?」
ローゼルは先が気になって話を促した。
人は口で勝てないと思ったら、手が出る。
レオーネもそうだった。
ウルーム伯爵自身はローゼルには優しいけれど、レオーネの父親であることには間違いない。
レオーネのすぐに手が出る性格は、父親譲りなのかもしれない——
「大丈夫。暴行は受けていないよ。
罵られただけだよ」
父はきまりが悪そうな顔をした。
「そう、それならいいけど」
「——そうだね、今思えば、一種のトランス状態だったと思う」
「トランス状態……。
つまり、精神干渉魔法?」
尋ねるローゼルに、父は首を振って、ティーカップを置く。
「いや、違う。
魔法なら免疫があるし、対策も打てたと思う。
けど、あれを吸うと、頭がぼんやりして、思考が鈍ったんだ。
ただのお香だと思ったが、違う。
異常なほど強烈で、思考回路を崩壊させる催眠効果のある危険なものだ」
ぼんやりと呟く父だが、その目には恐れの色が覗いていた。
「甘ったるいお香……」
それまで黙っていたルシアンが、ぼそっと呟いた。
「思い当たる節でも?」
ハッとして、父が訊き返した。
「まあ、はい。
最近その甘ったるいお香に遭遇したことがあったな、と思いまして」
ルシアンは困った顔をした。
どうやらこの場では答えにくいみたいで、奥歯に物が挟まったような口調だ。
「そうですか――。
あの空間、お香の匂いがなければ、さすがの私もあんな無茶な契約を交わさなかったでしょう」
ローゼルは、ぴくりと反応した。
無茶な契約。
催眠。
魔法なしで人を操る作用があるという甘い匂いのお香。
ひょっとしてそれのせいで――
鼓動が加速して、体が震えてくるのを感じた。
いつの間にか、父から笑みが消えていた。
ローゼルは背中がひんやりとした。
「そうだよ。
ローゼルが察しているとおり、私は禁術を使ったことを二人が黙っている見返りとして、条件を三つ飲んだ。
シャルルとの婚姻とデジール、お腹の子の認知。
そして、ローゼルとレオーネとの婚約だ」
ローゼルはぎくっとした。
(やっぱりね、私の婚約はこの時に決まったんだ)
弱々しい目でローゼルは父を見た。
けれど、もう一つの条件。
部屋の温度が一気に下がった気がした。
「デジールの父親はその御仁なの?」
ローゼルは穏やかな声音で、だが、遠回しな言い方は許さないとばかりに詰め寄った。
父はゆっくりと視線をローゼルに、それからルシアンに投げた。
「いや。それはあり得ない」
ローゼルは瞬間的に安堵した。
けれど、その安堵はあっさり打ち砕かれ、父の目には、絶望に似た暗い影が宿っていることに気づく。
「デジールが魔法を使えないのは、彼の父親の影響と考えられる。
術師の子だ、と御仁はおっしゃっていたから」
父の声は震えていた。
術師。魔法使いではなくて――。
ウルーム伯爵でもない、その御仁でもない。
どんな術を使う術師なのだろうか。
「ちなみに、その御仁からデジール子息の教育に口を挟まれたりしないですか?」
ルシアンが尋ねた。
「ええ、ありません。
なにせシャルルを——というよりもお腹の子をイースティリア家に迎え入れるにあたって契約を結びましたから。
『我がイースティリア家に今後一切関わらない』と」
ゆったりと父は答えた。
ルシアンが意外そうな顔をした。
「ほう。その約束を御仁はずっと守っているのですか?」
「そうなんです。
私も簡単に彼らの要求を飲みたくなくて——。
せめてもの抵抗で無茶な条件を突きつけたんです。
ですが、本当にそれ以来、直接干渉してくることがなかったんですよ。
だからこそ、ずっとシャルルの横暴さにもナージュの自由な振舞いもすべて我慢していたんです」
「なるほど、伯爵は実に我慢強いお方だ」
「いえいえ、とんでもない。
私が、臆病者なだけです」
父は苦笑した。
その声はひどく投げやりで、それでいて自分を追い詰めるような冷ややかな響きがあった。
「初めからウルーム伯爵の後妻にすれば良かったのに」
ローゼルは口を尖らせた。
そうすれば、シャルルは大好きなウルーム伯爵の夫人になれたし、私自身も彼女の暴力に怯える必要はなかったのに。
父とルシアンは意外そうな表情で、ローゼルを見た。
「そうだね。
初めからそうすれば、すべて丸く収まったかもしれない」
くすっと小さく父は笑った。
「でしょ?
そうすれば、みんながハッピーだったわけよね」
ローゼルはわざと明るい声を出した。
ほんのりと父の血色が良くなる。
口元に、ちょっぴり笑みすら浮かぶ。
「今思えば、うん。それが一番良かったんだろう。
だが、御仁は『イースティリア家でなければならない』と言い切って首を縦に振らなかったんだ」
「ほう……」
ルシアンは自分の顎に手を当てる。
「そういうことですか」
「ええ」
父とルシアンが静かに目配せをし合った。
まただ。ローゼルが知らない間に父とルシアンの間に、何か密約のようなものを交わした濃い空気が流れる。
ローゼルは、なんだか一人取り残されてしまったような疎外感を味わって、少し不貞腐れた。
「ローゼルには辛い思いばかりをさせて悪かったね」
不意に漏れ出た父の言葉。
深い悔恨。
言葉の端々に過去への痛みがある。
「弁解じゃないけどね——それでもレオーネとの婚約は、ローゼルのためになると思ったんだ。
なにせ、ウルーム伯爵はうちより格上の貴族だし、知らぬ間柄。
だからこそ婚姻後、ローゼルが邪険に扱われることもないと信じていたんだ。
私は、まんまと彼らのでっち上げに愚かにも嵌められてしまった」
父は淡々と酷薄に独白のように呟く。
ローゼルは息が詰まって、静かに首を振った。
(ウルーム伯爵がどうしてお父様に強気だったのか、なんとなく理解できた)
きっと、ウルーム伯爵は父を恨んでいた。
仲が良さそうに見えて、使ってもいない呪術を盾に実際はずっと父を責めたてていたから。
意図的に父に罪悪感を抱かせようと。
傷口に塩を擦り込むように。
だからだろうか、その御仁の正体が分かった気がした。
ローゼルは答え合わせをするように、質問をぶつける。
「ねえ、お父様。その御仁ってグロウディーナ公爵よね?」




