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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第94話 隠された血筋と、母と同じ死の予兆

 ――デジールって本当はウルーム伯爵の子なんじゃないの?


 ローゼルの意を決した質問に父は首を振った。


「いいや、違うよ。

 なぜそう思ったのかな?」


 父は傷ついた顔を浮かべるだろう、とローゼルはそう思っていた。

 けれど、全然違った。


 柔らかく微笑み直す父。


 だが、その目は探りをいれている。

 一瞬、腹の探り合いのような空気が流れた。


「その質問に答える前に……。

 お義母様とウルーム伯爵が恋人同士ってことには気付いていたの?」


 ローゼルは尋ねた。


「ああ。知っていたよ、とっくの昔にね」


 父は平然として、優雅にお茶を飲み始めた。


「とっくの昔……って」


 ローゼルはますます驚いた。

 父は艶然と口元に笑みを浮かべる。


「二人が私に隠れて逢瀬を重ねていることも勿論、把握済みだ。

 二人は私が知らないと思って嘲笑っていたようだけどね」


 ローゼルは目を見開いた。


 二人が父を裏切っていた事実。

 それは父にとって些細なことであり、目くじらを立てる必要もない。そんな態度だった。


 どこかほっとしたような、それでいてなんだか奇妙な気がした。


 確かに思い起こせば、父とシャルルが揃って出掛けることは数えるほどしかなかった。


 父は借金返済のため、領地に引きこもってしまっていたし、シャルルも何かにつけてウルーム伯爵の味方をし、父を罵倒していた。


(ちぐはぐな夫婦だなとは思っていたけど、すでに破綻したのね)


 だけど、どうしてそのことを知っていたのに父は放置しておいたのだろうか。


 悔しくなかったのかしら。

 自分の妻と、学友のウルーム伯爵が父を裏切っているんだよ?


 ローゼルの中で怒りに似た疑問がくすぶる。


「まあ、ローゼルがそう疑うのも頷けるよ」


 父はゆっくりとカップをソーサーに下ろした。


 磁器と磁器がぶつかり合う乾いた響き。

 凍りつく賓客室の空気を切り裂く。


「我が家は代々必ず魔法使いが生まれている家系。

 ふつう魔法が使えなくても、微弱な魔力はあるはず。

 それなのに、デジールには全然ないからね」


 父の声はひどく醒めていた。


「うん。それどころか、瞳はお義母様とも違う。

 ウルーム伯爵と同じ瞳だよ」


「ああ、金色の虹彩だね」


 父は他人事のように呟いた。

 ローゼルはまるで砂を齧ったような嫌な感触がした。


「それでも、デジールは私の腹違いの弟なの?」


 父は自嘲するように笑った。


「そもそもシャルルと私は白い結婚だ。

 私は彼女に指一本触れていないよ」


「え?」


 ローゼルの心臓が跳ねた。

 血の気が引いて、指先が震える。


 それじゃあ、デジールは誰の子なの?


 頭が真っ白になって、ローゼルは思わずルシアンと顔を見合わせた。


 ルシアンは訝しげに一瞬だけ眉をひそめた。


「それは、つまり、伯爵はどこの馬の骨か分からない子をイースティリア家の子として、これからも育てていくおつもりなんですか?」


 静かで落ち着いた口調。

 ルシアンは表情に大きく出すことはなかったが、その目は父の真意を知りたがっていた。


「ええ。それがある御仁との約束なので」


 父は頷いた。


「御仁?」


 間の抜けた声が、ローゼルの口から漏れる。

 ルシアンは腕を組み、複雑な表情を浮かべた。


 二人は静かに父の次の言葉を待った。


「先(・)程(・)の話もあります」


 父は掠れた声で呟く。


「クレインバール卿もローゼルもなぜ私がシャルルと再婚をしたのか、気になっているでしょ?」


 ねっとりと視線をルシアンに父は向けた。


 ローゼルは首を傾げた。


(先程の話? 

 何のことだろう)


 それも気になったけれど、今は父の先の話が聞きたい。

 ここで話の腰を折るのは悪手な気がする。


「ええ、実に興味深いですね。

 是非とも教えてください」


 ルシアンがぐっと身を乗り出した。


「——では、お話いたします。

 ですが、クレインバール卿」


 父の真っすぐな目が、ルシアンを貫くように見た。

 嘘も誤魔化しも通用しない、そう言っているような強い眼差し。


 まるで、ルシアンを見定めるかのようだ。


「イースティリア家には、恥ずかしながら、こういった秘密がいっぱいあるんです。

 ローゼルを娶《めと》るということは、我が家のこういう複雑な事情をご理解いただき、今後巻き込まれることも重々ご承知願いたいということです」


 一瞬、ルシアンは虚を突かれたような顔をした。

 だが、次には悠然とした笑みを浮かべた。


「今更ですよ、伯爵」


 父とルシアンの間に、また共犯めいた視線が取り交わされた。


 やけに親密な雰囲気。


(え? お父様とルシ様、いつの間にそんなに仲良くなったの?)


 ローゼルは目を瞬いた。


 二人は仕事柄全く縁のない職業だ。

 なおかつ、イースティリア家は武官とも無関係な学者肌の貴族。

 接点はないはずだ。

 

 あったとしても、それはルシアンが父にローゼルとの婚姻について挨拶に行ったぐらい。


 そもそもローゼルから見て父は寡黙で芯の通った人だ。

 けれど、その分、猜疑心も強い。

 その父が明らかに寛いだ表情を浮かべていた。


「分かりました」


 やがて、納得したように父が静かに頷いた。

 父を取り巻く空気が弛緩した。

 

「では、まず最初に――」


 父が静かに話し出した。

 ローゼルは真剣な眼差しで父を見つめた。


「クレインバール卿はすでにご存知かもしれませんが、シャルル・イースティリアの生家――セインレイム准男爵家。

 あそこは亡国ナバロー王国の貴族の末裔です」


「え?」


 ローゼルは息を呑んだ。

 ルシアンを見上げると、その横顔は無表情で何も読み取ることができなかった。


 ルシアンは父の言う通り、すでにその事実を知っていたのだろう。


(私、全然知らなかった……)


 衝撃を受けつつ、ローゼルはそういうことを自分だけが知らないのを恥ずかしく思い、苦い気持ちを噛み締めた。

 同時に沸き起こる冷たいざわめきに不安を覚え始めた。

 

 父は続ける。その声はひどく乾き切っている。


「しかも、ただの亡国貴族ではありません。

 祭事で使う魔道具の神官の血統で敬虔なるアミラス教信者」


「アミラス教って、邪教って言われてる? あの?」


 ローゼルは確認するように尋ねた。


「そうだよ。この国ではすでに廃教とされている宗教だ。

 そんな胡乱な家系と、なぜ帝国建国からずっと皇族に忠誠を誓っていたイースティリア家が婚姻関係になったのか。

 陛下を始め、何人もの上流貴族に尋ねられたよ。

 その都度、うまく誤魔化したけれど」


 苦笑を浮かべながら、父はそこで言葉を切った。


「そこは、誤魔化した、というより、揉み消した、の間違いでは?」


 ルシアンが静かに口を挟んだ。

 そこには皮肉が含まれていて、父はますます困ったように笑った。


 束の間、重苦しい静寂が流れた。


「——本当のところは図られたんです」


 父が苦々しく呟く。


「それも今にして思えば……、だけどね」


 小さく肩をすくめ、父はルシアンに向けてにっこりと清々しく笑った。


「だけど、なに?」


 ローゼルは前のめりになって、話を促した。


「最近、ようやくいろんなことが鮮明に分析できるようになりました。

 まるで呪縛から解き放たれたような、そんな感じです」


 そう父は言うと、張り詰めていた肩の力を抜いた。

 安堵と、そして悔恨、諦めが入り混じった複雑な表情。


(ん? どういう意味?)


 ローゼルは父の言葉の意味が推し量りきれず、首を捻った。


「ローゼル。

 マリアーナとフリージア・ウルーム夫人が王都へ向かう途中に魔物に襲われた話は憶えているよね?」


 突然父が話題を変えたので、ローゼルは戸惑った。


 マリアーナはローゼルの生みの母親。

 フリージア・ウルーム夫人は婚約者レオーネの母親だ。


 二人は仲がよく、暇さえあれば連絡を取り合って、あどけない少女のようにはしゃいで、お茶会を開催していたし、お出かけだってよくしていた。


 そんな二人を突如魔物が襲来し、二人は命を落とした。


「う、うん……。

 でも、事故って公表してあるって」


 ちらっとローゼルはルシアンを見た。


 なにせ、虚偽報告を国にするのは処罰の対象だ。魔物に襲われた話は身内だけの内緒話だった。


 だが、実際、魔物に襲われることは珍しくないし、被害に遭うのは日常茶飯事のこと。


 そのくせ父は、兄と私に「母が魔物に襲われたことを外では話してはいけないよ」と口を酸っぱくして繰り返し言い聞かせていたのを覚えている。


 私たち兄妹は、それがとてつもない秘密だと必死で思い込んだ。

 父の言葉を守って、努めて穏やかに、余計なことは口に出さないよう地味にしていた。


 ふと、窓から差し込む陽の光が陰った。外の木の葉が風に揺られ、ざわめく。


 父は静かに続けた。


「事故として国に提出したのは、イースティリア家が、禁術に手を染めた一門だと断罪されてしまうのを避けたかったからだ」


 禁術。


 ローゼルは、底知れぬ不気味なものを感じた。

 禁術の研究は禁忌、研究すれば一族郎党極刑に処される。


 ざわっと窓の外で風が吹き抜ける音がした。


 ローゼルはびくっとして、無意識にルシアンの服の袖を思わず握った。


「国への虚偽報告をして真実を隠匿しなくては、そうしなければ、一族郎党処罰される。

 そう信じ込まされていたんだよ、ずっとね」


 ゾッとするほど父の声はひんやりとしていた。


 信じ込まされていた——自嘲を込めた口調。

 ずっと一人で秘めていた呪縛。


 そんな父の顔がローゼルには歪んで見えた。


 ルシアンがそっとローゼルの手を握った。

 ローゼルは、弾けるようにルシアンを見た。


 それでもルシアンは父から目を離さなかった。

 じっと目を凝らし、静かに耳を傾ける。


 まさに数々の修羅場をくぐり抜けた総魔法騎士団長の顔だった。

 ここにローゼルを抱き締めた優しいルシアンはいない。


 ローゼルは姿勢を正し、再度覚悟を決めて父の話を静かに聞く。


「ナージュ・ウルームはね、自身の妻フリージアもイースティリア家に加担して禁術に手を染めている前提で話を進めてきたんだ」


「え?」


「『このままでは両家共に処罰されてしまう』と事故として処理するよう、とある御仁に依頼していた」


 御仁――。

 ローゼルは釈然としないものを感じながら、その単語を反芻した。

 

 父が御仁と呼ぶからには、相手は上位貴族なのだろう。

 ウルーム伯爵に手を貸す御仁。

 そんなの、一人しか思い浮かばない。


 先日ウルーム伯爵の逃亡を許す元凶となったあの人。


 だけど、なぜあの人がそんなことに手を貸すの? 


 嫌な予感がする。

 ローゼルは、身体が震えてくるのを感じた。


(というよりも、この話自体、何かがおかしいよね……)


 ローゼルはいつの間にか怒りに似た感情が込み上げてきていた。


 なぜ禁術を使ってもいない父を、ウルーム伯爵は禁術だと決めつけたのか。

 いったいどうやったらそんな結論に陥るのか。

 根拠は?


 あまりにも支離滅裂ではないか。


「お父様、教えて。

 なんで魔物に襲われるとイースティリア家が禁術に手を染めた一門だなんて言われないといけないの?」


 たちまち責める口調に変わった。


 父の顔がふいに悲しげに曇って、その目には後悔と苦痛が滲む。

 

 どうしてそんな顔をするの?

 まるで父が傷ついたような、そんな苦しげな顔。


 ローゼルは胸がぐっと詰まった。


「事故当日。亡くなった二人は我がイースティリア家の馬車で王都に向かっただろ? 

 ローゼルはその辺を憶えてる?」


 淡々とした父の声に、ローゼルは慌てた。


「うん。ウルーム夫人が領地からわざわざうちの領地まで来て、それから二人で王都で大人気のオペラを観に行くためって言っていたよ」


 華やかな王都。

 見たことがないような流行りの舶来ものやオルゴール、本に人形など、高級で綺麗なものがいっぱいある。


 幼いローゼルには夢のような世界だった。


「そうだったね。

 あの時、ローゼルは王都で流行っているご本とオルゴールをおねだりしていた覚えがあるよ」


 懐かしそうに呟く父の口元に柔らかな笑みがうっすら浮かんだ。

 その表情に、ローゼルは息苦しさを覚えた。


 僅かに間があった。


「そう、まさにあの時、ユーモネア領地を通る王都に続く街道で、二人は魔物に襲われたんだ——」


 父は感情を押し殺した口調で言い放った。


「……っ!」


 思わずローゼルは身体を縮めた。

 どこかで聞いたことのある状況だ。


 王都とユーモネア領地を通る大街道。 あそこは昔から主要道路のひとつとして使われている。

 つい最近ローゼルもゴルマン伯爵領地に出向くために、その街道を通った。


 初めての一人出張。胸がワクワクしていた。

 

 久々に会うエヴァン・ゴルマン伯爵との再会は、少々気乗りしなかったけれど、それでも出張を任された。

 私もこれで一人前だって認められたも同然。


 そんな時だった。

 街道を走るその途中で出くわした魔物の群れ。



 それ、私と同じ状況だ――。



 ローゼルは絶句した。

 父は両指を組み、ゆっくり話し出す。


「結局、フリージア夫人は魔物に食われ、マリアーナは遺体すら残っていない。

 どれだけ探しても骨一本見つかっていない」


「……うん。

 だから、お母様の墓地には遺体が入っていない棺が埋められているのよね」


「そうなんだ」


 頷いた父が、一瞬だけルシアンに視線を送った。

 歯切れの悪い空気。


 ローゼルは二人が交わす視線に戸惑った。

 これから何かが起きる、自分の世界が変わるような強烈な何か——


 今度はルシアンが言葉を慎重に紡ぎ出すように話す。


「実は、先日ローゼルが魔物に襲われたことについてなんだが」


 ルシアンがローゼルに身体を向けた。

 声音こそ柔らかいのに、その眼光は少しの妥協も許さない研ぎ澄まされた刃のようだ。


 まるで初めて正面から顔を合わせた皇族会議の時と同じ顔つきだった。


 軍部上層部としてのルシアン・クレインバール。

 あの時も緊張と不安で胸が張り裂けそうだったけれど、今はそれ以上に緊張感が漂う。


 鼓動が加速して息が詰まる。


「——ローゼの乗った王宮内務官用の馬車の客車本体《キャビン》の底で、魔物を呼び寄せる呪術の魔法陣が発見されたんだ」


 ローゼルはサッと顔を蒼ざめた。


「呪術とは――魔法とは全く異なった文化から発祥した禁術。

 それは知っているかな?」


 ルシアンは咄嗟にローゼルが不安を抱えているのを察したのか、柔らかな表情を浮かべた。


「はい。

 亡ナバロー王国が呪術大国で、特に危険術式として厳格に禁止されていて、陛下も帝国民のほとんどが『野蛮で気味悪いもの』と忌み嫌っているって」


「そう。

 そんな物騒な術式の魔法陣がローゼの乗った馬車に仕込まれ、

 そして——

 ローゼルの母マリアーナ夫人の乗っていた馬車にもあったらしいんだ」


「え……」


 ローゼルはゾッとした。

 全身が波打つようにどくどくと音をたて始めた。


「つまり、ローゼは亡き母君と同じ種族の魔物に殺されかかったんだ」

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