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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第93話 なごやかなお茶会と、突きつけられた疑惑

 ローゼルの目の前に、侍女たちがお茶とお茶請け菓子を用意する。

 大好きなチョコレートケーキもレモンクリームタルトもあって、ローゼルは心が躍った。


 その隣にはルシアンが自然な動作で腰掛け、対面にある寝椅子には父が座った。


「伯爵。とりあえず甘い物でも召し上がって、ゆっくりお寛ぎください」


 ルシアンがにっこりと笑った。


「ええ、ありがとうございます」


 父は静かに頷いて、ティーカップを手に取る。


「いい匂いだ。

 これは東部のアッサムティーですね」


「そうです。

 今年の新茶だそうです」


 にこやかな会話。


 けれど、なんだろう。

 少し様子が変だ。


 父に元気がないと言えばいいのか、何かに思い悩んでいる、そんな言葉がぴったりだ。


「ローゼ、好きなケーキ。

 食べたいだけ食べてもいいよ」


 こそっとルシアンが囁いて、ローゼルは思わず頬が緩んだ。


 どうやら、ローゼルがケーキに目を奪われていたのは、とっくに彼にはお見通しだったようだ。

 恥ずかしいと思うけれど、自分のことを理解してくれていると思うと、はしゃぎたくなるほど嬉しくなる。


 そんな子供っぽい自分に嫌気がさすのに、ルシアンはむしろ面白がっている節がある。


「すっかり手懐けましたね、うちのじゃじゃ馬娘を」


 父が小さく笑った。


「いやいや、まだまだ。

 彼女はいろいろ引き出しを持っていて予想外のことを毎回してくれます」


「予想外って……」


 ローゼルがおどおどした表情でルシアンの顔を覗き見た。


 ひょっとして昨晩の武装魔法を使ったことを父に打ち明けてしまうんじゃないかしら。

 あれは内緒だって言ったのに。


「なあ、ローゼ。

 昨晩のこと、話していい?」


 案の定、ルシアンは悪戯っ子みたいな目をローゼルに向けた。


「だめです。

 父から兄に伝わって兄に怒られます」


 ローゼルは声をひそめた。


「そうか。

 それじゃあ、二人だけの秘密で」


 ルシアンは人差し指を唇に当てた。


「はい、秘密です」


 ローゼルが神妙に頷く仕草に、ルシアンは楽しそうにくっくっと肩を揺らして笑った。

 父がお茶を飲みながらチラッとこちらに視線を投げた。


「アルバートに秘密にしておいて欲しいこと。

 さてはローゼル、お前は武装魔法を使ったね?」


 穏やかな口調なのに、父の眼光は鋭い。

 ローゼルは分かりやすくぎくりと反応してしまった。


「やっぱり」


 父は額を押さえ、やれやれと首を振った。


「だって、大勢で一人の女の子を苛めていたんだもの。

 なんだか許せなくて……」


 ローゼルは、口をすぼめた。


「だからってローゼルはそういうことをしてはいけないんだよ。

 あれはいざとなったときの護身用で身に着けたものだからね」


「あれが護身用ねえ。

 イースティリア家は本当に段違いだ。

 レベル高すぎです」


 ルシアンがまじまじとローゼルと父を交互に見た。


「レベルが高いなんて、そんな」


 父が乾いた笑いを浮かべる。


「クレインバール卿もローゼルのあれ、ご覧になれたとき、さぞかし驚かれたでしょう?」


「ええ、すごく。

 奇想天外すぎて、うん、ますます手放したくなくなりました。

 なんとしてでも俺の伴侶にしたいと改めて思いましたね」


 手放したくなくなりました。俺の伴侶にしたい。

 その言葉がローゼルの頭の中で何度も反芻され、鐘のように明るく響く。


「ね? ローゼ」


 含みのあるルシアンの視線に、ローゼルはくすぐったい気持ちになった。


「そう言ってくれるのはクレインバール卿だからですよ。

 たいていの貴族には到底受け入れられるものではありません」


 父は完全に呆れてる顔だ。


「まあ、そうでしょうね。

 令嬢が男をボコる、いや、殴るなんて……誰も想像できませんからね」


 まだ肩を揺らしながらルシアンは笑った。


(もう、笑い過ぎです)


 ローゼルは恥ずかしさを隠すように、ケーキをお皿に盛って、口に運ぶ。

 レモンクリームの絶妙な甘さ。


「伯爵、一応俺からも釘は刺しましたよ。

 あれは相手が至近距離にいるときしか使えないもので大変危険。

 ね、ローゼ?」


 愉快そうに笑い続けるルシアンに対し、ローゼルはとにかく居心地悪そうに身を小さくして上目遣いで睨む。


「はい。もう滅多に使いません」


 フォークを置いて、ローゼルはお茶を飲む。


「滅多に……。

 またお前はそうやって適当にはぐらかして……」


 父がこめかみを押さえた。


「いいじゃない。

 ルシ様もあの場にはいたんだし」


「それは結果論に過ぎないよ。

 頼むから、自分の身体をもう少し顧みてくれないか? 

 ただでさえ、容態は深刻化していたんだから」


「それこそ、あの時点でしょ? 魔物に襲われた時。あれから時間は経過してますし、ちゃんと処方箋も飲んでいます。それに、前よりも食欲だって。ほら」


 ローゼルはケーキをぺろんと平らげた。

 そのお皿を見て、ルシアンはぷっと吹き出し、父は呆れ返る。


「それは、ローゼルが甘いものが好きだからだろ? 

 好きな物は際限なく食べられる、ローゼルの得意分野だ」


「みんな、同じでしょ? 

 私だけじゃないですって。

 大丈夫、順調に回復していますよ」


 ローゼルは手を上下にひらひらさせて、ティーカップに手を伸ばした。


「……まあ、以前よりは確かに顔色が良いけど」


 それでも父はごにょごにょ苦言を呈し続ける。

 ローゼルはそれを右から左へと聞き流した。

 

(もう、大袈裟なんだから。

 薬を飲んでいれば至って健康体だよ)


 深い赤褐色の液体。

 甘やかなモルティ香。


「それで、お父様が今日ここにいらしたのは、私のお迎え?」


 ローゼルは父の顔色を窺うように尋ねた。


「それなんだけどね」


 今度は父がちらっとルシアンを見た。

 二人の間に共犯めいた視線が取り交わされる。


 持ち上げて一口含み、ゆっくりと視線を戻す。


「ローゼは、しばらくここで住むことになったよ」


 にっこりとルシアンがローゼルに笑いかけた。


「え?」


 父はティーカップをソーサーに置いた。カチリと無機質な音が響く。


「シャルルは当分の間、王都内の療養所に入ってもらうことに決めた」


「療養所に……」


 ローゼルは鸚鵡(おうむ)返しのように呟いた。


「そう。ローゼルも昨日目撃しただろうが——あれからも、ひどい荒れようでね。

 彼女を取り押さえたバルセシャンはじめ、男性使用人が怪我をしてしまったんだ。

 あそこまでいくと、もう我々では手が付けられない」


 父は深いため息をつく。


「シャルルが療養所へ行くまでの期間、安全性を考慮し、ローゼルはこのままクレインバール卿のご意向に甘えて、こちらで居候させてもらうことになったよ」


「なるほど」


 ローゼルは合点がいったと手を叩いた。


 だからルシアンが「この続きは夜にしような」とか、ケイトが「明日も」と言っていたわけか。

 すでに父とルシアンの間でそういう話になっていたのか。


「そういうことだ。

 ここからの方が王城からも近いし、出仕しやすい。

 継母のいる実家より、精神的ストレスもこちらの方が格段に低くなる、ローゼの身体にはそれがいい。

 そう結論づけたんだ」


 ルシアンは満足そうにそう言って、ティーカップに口をつけた。


「確かに……馬車に乗る時間が激減するので、それはありがたいです」


 クレインバール邸は王都の中心の、それも王城のすぐそばにある。


 その点、イースティリア邸は長年子爵位だったからか、王都でも郊外。

 辺鄙とはいかないが、中心街に比べれば、かなり道も舗装されていない。


 馬車に乗るだけでも、かなり腰に負担がかかったりする。


「あとは、婚約破棄がいつできるのか——。

 早々にできれば、このままクレインバール卿と生活を共に続けて貰うだろうし、ローゼルがシャルルのいなくなった実家が良ければ一度、戻ってきてもいい。

 とにかく、今は身体を労って欲しいんだよ」


 力強く言う父に、ローゼルはその気迫に驚き、静かに頷いた。


(どうしたんだろう。

 お父様がやけに私の体調を気にしている。

 急性魔力欠乏症で倒れて以来、今まで放任主義だったのが、いきなり過保護になったというか……)

 

 違和感を覚えつつ、その一方で、じわじわと包囲網に囲まれているような、ルシアンとの婚姻が本格化しているような、そんな気がしてきた。


(まあ、私の純潔を奪った時点で、ルシ様は「責任を取る」と豪語してくれたわけだし、ルシ様としてもこのまま同棲、婚姻でも問題ないんだよね、きっと)


 不思議な感じがした。


 数ヶ月前は、レオーネとの婚約、シャルルの家庭内暴力。晴らすことのできない、暗澹《あんたん》たる鬱憤《うっぷん》を抱え、これは逃れられないものだとばかり諦めていた。


 私は望んではいけない。

 何も望まない——。


 それが今、こうして父の理解も得られ、ずっと淡い恋心を抱いていた殿方と一緒にいる。


 順風満帆。


 どうしてかな。

 それなのに、胸の奥ではちぐはぐな感じがしてならない。



 自分の知らない何かが、どこかに向けてゆっくりと進行しているような——



 ローゼルはお茶を一口飲み、ふと思い出したように顔を上げた。


「そういえば、お父様。

 ……あの子、デジールはどんな様子? 

 義母様の急変で怯えてませんか?」


 十歳になったばかりの腹違いの弟。


 シャルルとの間にはわだかまりがあるものの、デジールはなんだかんだローゼルに懐いていた。

 彼はローゼルの作るクリモナのクッキーが大好きで、母親とその侍女たちの目を盗んで、よく食べにきていた。


「気になる?」


 父が尋ねた。

 その口調はまるでローゼルを試すかのようにも聞こえた。


「……そりゃあ、弟だし、それに、あの子、お義母様べったりの生活から、距離を置くようになってからはすごく溌剌《はつらつ》としているの。

 剣術も自分からやりたいって始めたんだよ」


「ああ、そうだったね」


ふと、父の目が遠くなって、続ける。


「――あの子は場の空気を読むのが子どもながらに上手い子だ。

 今まではシャルルの顔色を窺って言い出せなかったんだろうね。

 友達が皆、家の役割を果たし始める中で、デジールだけが宙ぶらりんで何もしていない。

 心許なかったみたいなのは確かだ」


 貴族の子息は十歳を迎えると、それぞれの家の将来に沿った教育が始まる。


 嫡男は領地経営や帝王学を学び、武官の子は剣術や馬術に励み、魔術師の家系の子は師匠に付き従い修行へと旅立つ。


 シャルルはそうした武官や魔術の家を陰で「野蛮だ」と嘲っていたが、デジールにとっては友人たちが次々と自分の道を歩み始め、置き去りにされたような寂しさを覚えたに違いない。


「シャルルから離れた結果、デジールは自分から学ぶようになったんだ。

 そもそも、友人たちのような教育を受けられないことに、デジール自身が違和感に気づいたんだろう」


 父はどちらかといえば、情に深い性格だ。

 それなのに、デジールにはひどく冷ややかで、距離を取っている印象があって、ローゼルはずっと引っ掛かっていた。


 だけど、今の台詞《せりふ》から、父はデジールとようやく向かい合ったんだろう。

 

 ローゼルは安堵する。


 とはいえ、あの閉ざされた母子の関係性を考えると、まだまだ母親が恋しい年頃なはずだ。

 それに、ローゼル自身も同じ年齢で、母を亡くしたから――。


「お義母様が遠い施設にいくことは嫌がってなかった?」


「嫌がってはいないよ。

 むしろ、タイミング的にも何かを新しく始めるにはちょうど良かったのかな。

 あの子にも聞いたんだ。『君の母親は別の場所で静養するよ』って。

 あの子は『それで母上が元気になるなら』と承知してくれた」


「そっかあ。デジールの中で、何かが成長しようとしているんだね」


 ほっとするローゼルに、父は柔らかく微笑んだ。


 しかし、デジールについては、ローゼルの中でずっと奥で引っ掛かっていたことが胸を掠める。


 父はシャルルと、学友でもある共同事業者のウルーム伯爵の裏切りに気づいているのかしら——。


 二人から漂う同じ香水。

 交じり合う二人の魔力。


 それは、あの二人がベッドの上で息を弾ませて互いの肉を貪り合う爛《ただ》れた間柄であることを証明している。


 確証はない。物的証拠もないから正しいとも限らない。それを口に出すのは憚られる。

 だって、父が傷ついてしまうかもしれないから――。


 口は禍のもと。


 ローゼルの表情が固まる。


「どうした?」


 ルシアンはローゼルが何かを言いたそうにしているのに、さっと気づいた。


(もう、この人は何でこういうところに気づいちゃうのかな?)


 ローゼルが歯がゆく思っていると、父も不思議そうにこちらを見ている。

 ローゼルは顔を曇らせたまま、ティーカップをテーブルに置いた。


 少し間を置いてから、そっと父の顔を見た。


 そこで初めて気がつく。

 愕然とする。


 随分と父も歳を取った——。


 白髪交じりの髪、目尻の皴《しわ》。

 昔は大きくて、何度もローゼルを抱きかかえてくれた逞しい腕が細くなっている。


 そんな父を目の前にすると、ぐっと胸が苦しくなった。

 言葉が喉に張り付いてなかなか出てこない。


「いいんだよ、ローゼル。

 気になることがあれば、この際、ハッキリさせてしまおう」


 父がやんわり微笑んだ。


 見抜かれている。


 きっと父は二人の関係性に感づいている。

 

(そうだよね。

 お父様は学者肌で、生来の気の良さからおっとりとして見えるけど、実際は高名なる皇帝陛下のお気に入りの臣下の一人だもんね)


 事実、事業に失敗したけれど、商才はあり、いくつもの事業はどれも成功を収めている。

 腹黒い狐や狸ばかりの年寄り貴族をたらしこむのも上手い。


 順調に借金は減っている。


 そんな父が、正妻の母が亡くなってすぐに迎え入れた後妻の変化に鈍感だろうか。


 ローゼルは意を決して、言葉を選びながら紡ぎ出す。


「あのね、お父様。

 非常に言いにくいんだけど、私、お義母様のことでお父様に言っておかないといけないことがあって……」


「なんだい?」


 父は微笑む。


 ゾクッと背筋が凍った。

 ローゼルには歪んだ笑みに見えたからだ。


 なぜだろう、優しい父の笑顔が不気味に映ってしかたがない。


 ふいに、笑顔のその先で、瞳の奥が暗い澱《おり》のようなものが見えた気がして、ローゼルの喉がきゅっと引き攣《つ》った。


 気まずい沈黙。


 ローゼルは唇を舐めた。


「――デジールって本当はウルーム伯爵の子なんじゃないの?」 


 ようやくそんな声が出た。

 父の動きがぴたりと止まった。


 ローゼルは自分の口から出た言葉の重さに、いまさら足元からすうっと血の気が引いていくのを感じた。

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