第92話 彼色のドレスと、父を蝕む後悔
「す、すごい」
ローゼルは目をぱちくりさせた。
ドレスが何着も用意されている。
しかも、驚くほどどれもこれもまるで採寸したかのようにぴったり。
「え、全部可愛い。
どうしよう、どれもこれも好きなんだけど」
困惑するローゼルに、ケイトがクスクスと笑う。
「先に種明かしをしますと、実は旦那様。
先日モード・ドゥ・ベルローズの洋服店で人気デザイナーのマダムにお嬢様好みで、かつ、ご自身の色を必ず入れたドレスを依頼したんですよ」
「え、モード・ドゥ・ベルローズって……」
この前、ナイトマーケットデートに行く前に待ち合わせをしたお店だ。
確かにあの時、いろいろ好みのドレスをあれこれ聞かれたけど。
あれからそんなに日数も経っていないのに、こんなにたくさんのドレスを――。
唖然としつつ、ローゼルは、改めて目の前に広がるたくさんのドレスの山を見た。
ケイトの言うとおりだ。
刺繍やレース、もちろん主体のメインカラーとしても、どこかしらルシアンの瞳の色や髪色が織り込んである。
(嬉しいけど……)
あんな突発的な初夜で、翌朝にこれほどまでの上質なドレスを何着も揃えられていると、歓喜を通り越してだんだん不安になる。
正直、用意周到過ぎて逆に怖い。
そもそもイースティリア家にいる時とは全然待遇が違う。
実家では少ない衣類で、いかにバリエーション多く、少しでもおしゃれに見えるように着るか、そこに重きを置いていた。
「どうでしょう?
お気に召すものはありますでしょうか?
また改めて旦那様がご用意するかと思いますが」
ローゼルは腕を組んで、数々のドレスを睨みつけるように見た。
どういう経緯でルシアンが用意したのかはこの際、気にしないでおこう。
ドレスに罪はない。
デザインのほとんどは、この前の王城の夜会で見た上級貴族の令嬢たちが着ていたような流行りのドレスばかり。
ローゼルが「素敵だな」とちょっぴり羨んでいたものだ。
困った、どれもこれも全部、ローゼル好みだ。
(ルシ様はどこまで私のリサーチをしたのかしら。
あぁ、どれも可愛い……。
選べないよぉ)
心弾むはずなのに、内心、複雑だった。
実際、私が着ても似合うのかな。
今まで着たドレスとは全然違う。
華やかで上品。
布も最高級品で、仕立ても天下一品級。
まさに場違い。
突如、言いようのない不安が立ち込めた。
湧き出た不安は、どんどんインクの染みのように広がる。
ローゼルはドレスを眺めるように衣装部屋を歩く。
そのローゼルの傍らでケイトが何を選ぶのか、今か今かと目を輝かせて待っている。
期待に膨らんだ視線。
落ち着かない。
その時、ローゼルはふと目が吸い寄せられた。
数あるドレスの中で、今まで着たことがないような色合いの淡いブルーのドレス。
恐る恐る手を伸ばして、手に取る。
瑠璃色の花柄の繊細な刺繍。
なんて細やかで美しい模様なのだろうか。
ついうっとり見つめてしまう。
(実はこういうの、本当はずっと前から着てみたかったんだよね)
――なに色気づいてるんだ、もう少しシンプルなものを選んで着ろ。
ただでさえ、地味顔なんだ、淡い色なんて余計惨めにさせるだけだ。
みっともない。
不意にレオーネの声が頭の中で鳴り響いて、びくっと身体を強張らせた。
そうだった。
レオーネは私に何も贈り物をしないくせに、いちいち服装にもうるさかった。
少々派手なアクセサリーを身に着ければ「成金趣味」と罵り、少し露出の高いドレスを着たら、「売女め、羞恥心がないのか」と痛烈に批判する。
化粧が濃かったりすれば、ことさら気に入らないとばかりに、軽蔑の色を滲ませる。
(せめて婚約者の前ではお洒落して着飾りたかっただけなのになぁ)
ただ、私は婚約者のレオーネに、嘘でもいい。
「綺麗だよ。可愛い」
そう言って欲しかったのに。
そんな乙女心は彼の前では無意味だ。
背中にどんよりとした黒い痛みが駆け抜け、心の中がモヤモヤする。
嫌な感情が、古い棘が、ローゼルの胸を突き刺す。
「まあ、可憐なドレスですね。
それに、この刺繍部分が旦那様の瞳のお色ですね。
お嬢様の栗色の髪色と合います」
明るい声でケイトがそっと覗き込んだ。
キラキラした瞳。皮肉も嫌味もない率直な言葉。
ローゼルは苦笑を浮かべる。
「そう? 私に似合うかな?」
「はい。もちろんです」
ケイトは笑顔で即答した。
「……じゃあ、これにする」
ローゼルは頷いた。
「承知しました」
ケイトはドレスをローゼルから受け取ると、その裾を彼女の身体に当てがうようにし、少し身を引いて顔とドレスを交互に見る。
「このドレスでしたらこの刺繍を活かして、小ぶりなものを使った方がお嬢様の美しさが引き立ちそうですけど、アクセサリーとかはどういうのが良いとか、お好みはありますか?」
「う〜ん、その辺もケイトに任せていい?
ルシ様好みにしてくれると嬉しいんだけど」
「もちろんです!
お任せください」
鼻息荒くケイトが返事をして、ローゼルは小さく笑った。
正直、レオーネの顔色窺いながら今まですべてを選んでいたから、何が自分に似合うのかが分からなかったりする。結局お気に入りのドレスもアクセサリーも継母シャルルに奪われてしまったし。
私がこんなふうに大事に扱われる価値があるのかしら。
「では、お化粧を始めさせていただきます」
ローゼルが鏡の前に座ると、ケイトが改まった声で一礼する。
「よろしく」
「承知しました」
両手に櫛やブラシを持ち、ケイトが巧みな仕草でどんどんと身支度を整えていく。
その中で、ローゼルはケイトが贅沢に使う化粧水瓶を見て息を呑んだ。
「これ、今話題の化粧水」
ローゼルが家にお金を入れた後の残ったお給金だけではとてもじゃないが手に入れられない金額のものだ。
「あっ、申し訳ございません。
ありあわせで用意した化粧品で。
お嬢様お気に入りのブランドものとかがございましたでしょうか?」
ローゼルの戸惑いをケイトは、気に入らないと拒否していると受け取ったようだ。
申し訳なさそうにしゅんと肩を落とす。
「ううん、全然。
気にしないで」
「えっと、本日中にはお嬢様にお似合いのお色を取り寄せます。
次回はお嬢様がさらに可愛くなるお化粧をいたしますね。
欲しい化粧ブランドはありましたか?」
ケイトはさらりと尋ねて来るが、ローゼルは正直そういうものに疎い。
というか、買えないことを分かっていたので、あえて見てないし、知ろうともしなかった。
なんとなくローゼルは視線が泳ぐ。
「特にないかなぁ。
ケイトが選んでくれる?」
「あっ、はい。
では、お嬢様の柔肌に合うものを僭越ながらこのケイトが選ばせていただきます」
ケイトはテキパキとローゼルに化粧をしていく。
どんどん変わっていく自分。
変なの。
自宅では化粧はいつも自分でしていたから、他人にしてもらうことに違和感を覚える。
髪の毛だって、パトリシアに軽く梳いてもらうものの、櫛があまりよくないのか、いつもぼさっとする。口紅だって安価で質の悪いものだとすぐ荒れてしまう。
だから、口紅だけは奮発して購入、仕事の時は適当にリボンで結びあげた。
夜会とか人前に出るときだけ、なけなしのお金で買った高級ヘアオイルで整えていた。
優しいケイトの手つき。
肌に触れてもザラザラしない高品質の化粧筆。
リップケアも、とてもみずみずしくてピリッとこない。
(あぁ、まるでお姫様になった気分だよ)
「さぁ、お嬢様、こんな感じですが、いかがでしょうか?」
ドレッサーの鏡に映る自分にローゼルは驚いた。
そこには、激務に追われていた数日前とは別人のような、血色の良い、美しく健康的な自分が映っていた。
(……嘘。これが、私?)
たちまち昏く立ち込めた黒いモヤモヤが霧散した。
戸惑うローゼルの背後で、ケイトが嬉しそうな声を上げる。
「お嬢様、旦那様がご覧になったら、きっと息をお呑みになりますわ」
その言葉に、胸の奥がキュッと甘く鳴った。
ルシアンの笑顔が脳裏を掠め、口元が緩む。
冷えていた胸の奥にじんわりと温かい灯がともった。
(あぁ、本当悔しいなぁ。
私、なんだかんだあの人のこと、好きなんだよね)
ルシアンとレオーネとは、全然違う。
私は、彼に大事にされている。そう実感できるほど、彼の愛情は深い。
胸の奥が急に詰まって、目頭が熱くなった。
(用意周到すぎて少々びっくりしたけど、裏を返せばそれだけ彼が本気で私を迎え入れようとしているということだよね)
あの人の心の真ん中の一番大切な場所に私もいられるようになろう。
彼色に染まりたい——
「ありがとう、ケイト。
私、別人みたいだよ」
ローゼルはケイトの方へ振り向いた。
「お嬢様は元がいいんですよ。
あたしもつい楽しくなっちゃいました」
大人びていたケイトが年相応の女の子のように、はしゃいだ声を上げた。
「では、明日はお嬢様の肌質にあったお色でお化粧いたしますね。楽しみです」
明日? ローゼルは首を捻った。
さっきルシアンも「夜に」とか言っていたけど。
「あと、ヘアオイルと香水も取り寄せますね、お嬢様はフローラル系の香りがいいですか?
それともローズの香りがいいですか?
あと東方の花で有名なジャスミンという香りもありますよ。
もしくは行商人を呼んで直接匂いを確認いただいてからでも構いませんし」
ケイトは楽しそうに畳みかけるように話す。
その手元には、贅沢なオイルや香りの瓶。
これらはすべて、ルシアンがローゼルのために用意させたもの——
「え、っと、行商人まではいいよ。
でも、なんとなく、フローラルがいいかな」
この調子だと、令嬢のローゼルよりも侍女のケイトの方が王都の最新の流行りのものを知っていそうだ。
「承知しました。お時間が合いましたら、是非ともドレスも宝石も化粧品もすべて厳選していきましょう」
ケイトの声は弾んですごく楽しそうだった。
「では、お嬢様、行きましょう。
楽しみですね。
お嬢様がますます可愛くなって旦那様、さらに惚れこんじゃいますよ」
ケイトはウキウキし出す。
「そうかな?」
「ええ、絶対にそうですよ」
天真爛漫な笑顔を浮かべるケイトにつられて、ローゼルもなんだか楽しくなってきた。
こんなふうに笑いながら家で年齢の近い女の子と安心して会話できるなんて、なんか新鮮だ。
そっか。この子は継母に雇われていた侍女たちのように屈折した感情を向けてこない。
ちゃんと誠実に私に対応してくれるんだ。
ローゼルはケイトに案内されるまま、部屋を出て広い廊下を歩く。
臙脂色の絨毯に琥珀色の豪華シャンデリア。
掃除の行き届いた空間。
すれ違う使用人たちが廊下の端に寄って、ローゼルにお辞儀をした。
ローゼルに向ける視線はケイトと同じように優しくて、温かい。
ただ廊下を歩いただけでクスクス意地悪く笑われたり、陰口を叩いたりするような侍女なんて当然いない。
継母シャルルが採用した侍女たちとは全然違いすぎて、なんだかくすぐったい。
いやいや、今までぞんざいに扱われたことに慣れ過ぎたせいか、私の正常な感覚が狂っている。
早々に慣れていかなければ。
***
ローゼルがケイトに身支度を整えられている頃――
メイット・イースティリアは案内されるがまま、クレインバール卿の屋敷の賓客室に入った。
落ち着いた調度品が並ぶ賓客室。我が家はもちろん、かつて訪れたウルーム伯爵邸の客間すら凌駕する贅沢な空間だ。
格の違い。まざまざと見せつけられる。
「伯爵」
この屋敷の主であるルシアン・クレインバールが入って来た。
きちんとしたグレイのスーツに着替え、髪を綺麗に撫でつけ、軍服の時とはまた違う威厳と気品を感じる。
「ごきげんよう、軍師閣下。
この度はうちの娘が大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「いいえ。
ローゼル嬢と王都で会えたのは、まさに僥倖。
お気になさらず」
ルシアンはにっこり笑って、メイットに応接席に座るよう勧めた。
「僥倖だなんて、大袈裟ですよ」
メイットは苦笑した。
「いえいえ、本気ですよ。
俺にはそれだけ彼女の存在が、大事で大切なんですよ」
ルシアンはどこか誇らしげで、満たされた顔をしていた
だが、椅子に腰掛けるなり、すっとルシアンがメイットの目を覗き込んだ気がして、ひんやりした。
「それで、早速ではありますが、ローゼル嬢が来る前に伯爵にお耳に入れておきたいことがあります」
その改まった声に、メイットはなぜだかぎくりとした。
何だろう、この感覚は。
ローゼルが来る前に――。
説明のつかない不安が背中にこびりつく。
彼が今から話そうとしている内容。
嫌な予感がする。
「どういったことでしょうか?」
メイットは冷静さを保とうとして、穏やかな笑みを浮かべた。
それから、少しだけ身を乗り出した。
しばらくの間、張り詰めた沈黙が流れた。
メイットは待ち続けた。
無意識のうちに、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ローゼル嬢のお身体について」
ようやく出たルシアンの低い声。
「いえ、正確にはあの病について――」
言い直した。
あの病。メイットは胸に鈍い痛みを覚えた。
ローゼルは、とある難病に罹っている。
それは、この前、魔物に襲われ、急性魔力欠乏症に陥って、初めて発覚した。
すでに何年も前からその病に蝕まれていたが、親譲りの魔力の多さで不足しがちな栄養を無理矢理補っていたという。
ローゼル本人も重々承知で、折しもクレインバール卿の主治医でもある医師から専用の処方箋を手配してもらっている。
その病がどうしたというのか。
部屋の中に重苦しい静寂が漂う。
何が起きようとしているのだろう。
じわじわと冷たい汗が浮かんでくる。
ルシアンが乾いた目でメイットを射抜くように見た。
「ひょっとすると、あの病は意図的に罹るように仕組まれていたかもしれません」
「まさか」
メイットは絶句した。
それからルシアンが淡々とした口調で説明をした。
その間中、メイットは顔がどんどん青ざめていく。
喉がカラカラに乾く。
嘘だ、まさか。なぜこんなことになってしまったのか。
最後には憤りに目の前が真っ赤になった。
しかし、その憤りのほとんどは自分に向けられていた。
なぜ気付かなかったんだろう?
ナージュ・ウルーム伯爵、グロウディーナ公爵。
愛しき亡き妻マリアーナ。
その彼女を襲った魔物と四角い魔法陣――。
ズキっと胸の奥の痛みが激しさを増す。
その時、扉がノックされた。
「取り急ぎ、現時点での報告になります」
ルシアンは抑揚のない声で言い、席を立った。
メイットはうなだれた。
俺は、なんてことをしてしまったんだ――。
扉が開く音がした。ルシアンが開けたのだ。
その時、ルシアンが息を呑んだのが分かった。
メイットは扉に視線を投げた。
ルシアンの後ろ姿から、完全に何かに気を取られている様子が分かる。
何があったのだろうか?
「どうですか? 旦那様」
廊下からは、場違いなほど明るい女性の声が聞こえた。
この家の侍女のようだ。
「そんなにまじまじと見たらお嬢様に穴が開いてしまいますよ」
廊下に控える他の侍女たちからも、くすくすと温かな笑い声が聞こえる。
「いや、えっと……」
ルシアンの戸惑う声。
今までの緊張感あるものとは全然違う。
むしろ、気恥ずかしそうにしていると言った方がいいかもしれない。
「——何かおかしかったでしょうか?」
聞き慣れた若い女性の声、ローゼルだ。
不安そうにルシアンに訊いている。
「——いや、これは想像以上だと思ってね」
ルシアンは照れくさそうに笑った。
「想像以上?」
「そうだ。
想像以上に綺麗だなぁって」
ルシアンは頬を掻く。
メイットから彼の後頭部しか見えないが、あの玲瓏なルシアンが蕩けそうな笑顔を浮かべているのが容易に想像できた。
「そのドレスもすごく似合ってるよ」
ルシアンの甘い声音に廊下側の空気がやけに生暖かくなって、メイットはますます目を逸らせなくなる。
「あ、ありがとうございます。
その、ケイトがお化粧を上手にやってくれたからだと思います」
もじもじするローゼルの声は、とても小さくて含羞があった。
「ほう。ケイト、よくやった。
ようやく本領発揮できたな。
ローゼに似合う化粧品が他にもあれば、ローゼと相談してどんどん取り寄せていいぞ」
ルシアンの嬉しそうな声に、「はい、承知いたしました」と侍女ケイトが元気に答えた。
「伯爵。ローゼル嬢は、本当にお美しいご令嬢だ」
ルシアンが、振り返ってメイットに声を掛けた。
その声には張りがあり、高揚している。
目尻がほのかに赤い。
「え? お父様?」
ローゼルの声が上ずって、そのまま彼女が部屋に入って来た。
メイットがハッとして立ち上がった。
現れた愛娘は、驚くほど美しい変貌を遂げていた。
到底今の自分では用意してあげられなかった仕立てのいい高級品ドレス。見違えるほど血色も良く、ローゼルの可憐な骨格にあった化粧が施されている。
そして、その蜂蜜色の双眸を見るだけで、メイットは胸が高鳴った。
亡き妻マリアーナに似てきた――。
「すごい? 見違えた?」
ローゼルは無邪気にドレス姿を自慢げに父に見せるように一周回った。
幼い頃のローゼルの面影とマリアーナの笑顔が重なる。
メイットははしゃぐローゼルに苦笑を浮かべつつも、心の中では感極まっていた。
「ああ、すごく綺麗にしてもらったんだね」
思わず目尻に涙が浮かぶ。
「うん。すごいでしょ?
あのね、こちらのお屋敷のケイトという侍女がね、私に似合うよう綺麗に化粧してくれたの。
鏡を見た時、私、びっくりしたんだ。
こんなふうにキレイに変身できるんだって」
年相応の令嬢たちのような朗らかな表情を浮かべるローゼルに、メイットは目を細めて、何度も頷いた。
「素敵だよ。
こういう色合いのドレスもローゼルにとても似合ってるね」
キラキラ輝いていて、とても眩しい。
途端にローゼルは、申し訳なさそうな顔をした。
「——それで、その、昨夜は突発的なお泊り、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ。
むしろ、こちらにいてくれて良かったかもしれない」
「ん? どういうこと?」
怪訝そうにローゼルが首を捻った。
「伯爵、お掛け直しください。
今から美味しいお茶をご用意しますので」
有頂天になっているのか、ルシアンが明るく言い放ち、侍女たちが次々とお茶とお菓子を運んできた。
「さっ、ローゼも座ろう」
ルシアンに手を差し出され、ローゼルは頬を薔薇色に染めた。
にっこりと笑うローゼル。
明らかに顔色も良く、なによりも満たされている表情だ。
メイットは、今この笑顔が何よりも辛かった。
己の迂闊さが歳月を越えて心に突き刺さってくる。
どうして俺はずっと気づかなかったのか。
いや、違う。
あえて見ようとしていなかった。
ナージュ・ウルーム伯爵がどれだけ危険な思想を持っていたのか、彼がいかに魔法に憧れ、渇望し、同等の力を手に入れようと画策していたのか。
知っていたはずなのに、避けていた——。
魔法は奇跡の力。
与えられた者にしか発動しない。
けれど、ある手法を使えば、魔法に匹敵する力が手に入る。
それが呪術と錬金術の合算魔術だ――。




