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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第91話 甘やかされる朝と、父の来訪という予感

 お湯の入った壺との清拭用布、真新しい部屋着とガウンを携えて身軽な恰好をしたルシアンが現れた。


 汗やいろいろな液体でベタベタしていた身体。

 どうやら湯殿まで歩けないローゼルの身体を拭いてくれるつもりらしい。


 今更ながら、初めてなのにあんな乱れてしまった昨晩の痴態を思い出しては、一人赤面してしまう。


 ガーゼを持ったルシアンがローゼルの腕に手を伸ばした。


「あの、大丈夫です、一人で拭けますから……」


「いいや、俺が拭く」


「でも」


「身体が落ち着いたら、改めて湯殿に行けばいい」


 有無を言わせない口調で、ルシアンは初夜を終えたローゼルを労わるように身体を清め始めた。


 小恥ずかしくて顔が上げられない。

 だけど、彼に触れられることに、何の抵抗もない。


 むしろ、もっと他のところも触られたいという欲求が顔を覗かせる。

 

 はだけたルシアンのシャツから見える素肌の胸。

 腕を動かすたび筋肉が盛り上がって、彼の輪郭がさらに濃く映る。


 昨晩彼の舌に転がされた首筋、胸元に触れる温かく大きな掌。

 まんべんなく舐められ、弄ばれ、硬い彼の指が、弱く、傷つきやすい体内に入ってきた下腹の奥。


 切ない疼きと、淫靡な喜悦がゾクゾクと蘇る。


 彼に触れられる部分ひとつひとつが熱くなって、もどかしい快感が押し寄せ、変に声が出かかった。


「……あっ……」


 自分のものとは思えない甘い喘ぎ声。


「……感じてるの?」


 低くよく通る声がローゼルの耳を刺激する。


「いいよ。

 声出しても」


 ローゼルは、とんでもない、とばかりに首を振った。

 クスっと小さく笑ったルシアンと目が合った。


 彼の顔が近づいて来て、優しい口づけをされた。

 そのまま啄むような口付けが、ローゼルの髪に、額に、身体のあちこちに降ってくる。


 覚えたての官能的な快楽が漣《さざなみ》のように押し寄せた。


 愛おしげに髪を撫でられ、その一方で身体は清められていく。

 いくら清められても昨日味わった濃厚な甘やかな快楽と刺激は、もう忘れられない。


 自分でも知らない自分の一面。


(どうしよう。

 私の身体、淫乱になっちゃったのかしら)


 いけない甘美の熱がぞくぞくと身体の芯から起こる。


「朝食は身体を拭いたあと、こっちに運ばせるから」


「い、いえいえ、そんな畏れ多い。

 大丈夫です。

 あと三十分もすれば歩けると思います」


 ハッと我に返って、強気で言い返すローゼルにルシアンは複雑そうな顔をした。


「ローゼ、こういうときは盛大に甘えてくれ。

 というか、俺が甘やかしたい」


 ルシアンはローゼルの背中にチュッと音を立ててキスをした。

 

 甘い、甘すぎる……。


 その時、ローゼルは重要なことを思い出した。


「そういえば、ルシ様。お仕事は?」


 ローゼルはお休みだけど、ルシアンは非番じゃないはず。

 突然の総騎士団長兼軍師が不在では、仕事が回らなくなるのではないか!


「ああ、今日は休みにした」


 ローゼルの心配をよそに、ルシアンはさらりと言いのけた。


「え? 休みにした?」


「そうだ。当然だろ? 

 ローゼとの初夜の翌日だ。

 そばにいてローゼの体をいたわりたいんだ」


「でもでも、軍師がそれで許されるんですか? 

 総騎士団長としてのお仕事もあるでしょうし」


「大丈夫。ちゃんと俺の後継者は育っているよ」


「だからって……」


 上官の急遽の不在は、日夜書類仕事で承認書類を持って王城を駆け巡るローゼルにとってはかなり衝撃的かつ、ものすごく迷惑なことだ。


「心配するな」


 ルシアンはローゼルの頭を撫でる。


「急ぎの案件で俺しか判断できないことは、梟便《ふくろうびん》で連絡がくるし、通常業務はアランが代理対応できるようにしてある。

 皇族絡みは近衛騎士たちの間で大半は片付くだろう。

 それに、案外トーマスあたりが事務手続きには明るいしな。

 俺の育てた団長たちは優秀だぞ」


 得意気にルシアンは、ニッと笑った。


「確かに。

 騎士団長たちって、剣術や魔法だけじゃなく、書類仕事も書記官並みにさばくのが早いですもんね。

 軍部の書類が滞っているという話を滅多に聞きません」


「だろ? 

 それにしても嬉しいもんだな。

 ローゼが俺の仕事のことまで心配してくれるなんて」


 ルシアンは頬を緩ませ、軽く唇を重ねた。

 ローゼルがびっくりして目を見開いていると、顔が離れるルシアンから悪戯っ子のような笑みが漏れる。


「さすが、イースティリア女官だ。

 初夜翌朝だというのに他部署のことまで気が回るとは。

 俺の嫁はやはりローゼしかいない」


 ローゼルは、カッと顔が赤くなった。


 もう、またそうやって甘い台詞《せりふ》をサラッと言っちゃうんだから。

 

「あはは、顔を真っ赤にさせて。本当、ローゼは可愛いな」


 声を弾ませたルシアンは、ローゼルの垂れた髪を耳に掛ける。

 その指でつっと顎のラインをなぞる。

 

 ローゼルは心臓が爆発しそうなほどドキドキしていた。


 褒め慣れていないローゼルには、ルシアンの言葉一つ一つが胸にじわじわと染み渡り、自分が彼に愛し慈しまれているのを実感させられる。


 また体温が上昇する。

 さっきから心臓が加速しすぎて、息がうまくできない。



 これは、毒だ。



 毒だと分かっていても、その甘い言葉に仕草に眼差しに——胸が蝕《むしば》まれていく。


「さぁ、メシにしよう」


 それから互いにガウンを羽織って寝室のベッドの上で、軽い食事を摂った。


 葉物野菜とハムを挟んだサンドイッチをもぐもぐ食べていると、ルシアンがにこにこしながら、ローゼルの食べる様子を眺める。


 すでに彼は自分の分は食べ終わっていた。


「何か私の顔についていますか?」


「いや、やっぱり可愛いな、と思って」


 予想外の答えにローゼルは驚き、思わず咳き込んだ。


「おいおい、大丈夫か?」


 ルシアンはローゼルの背中をさすって、水差しから水をグラスに入れてローゼルに渡した。

 ローゼルは胸を押さえながら、水を飲んだ。


「ゆっくり食べればいいんだから」


「ち、違います。

 急に、そんな、か、か、か、か、か可愛いだなんて、そんな連発されたら……」


「可愛いんだから、可愛いと言っただけだ」


 ルシアンがあまりにも真面目な顔で言うから、ローゼルはこそばゆくてどうしていいか逆に分からなくなる。視線を落として、モゾモゾした。


 恥ずかしいけど、嬉しい。

 嬉しいけど、照れくさい。


「ほら、今までそんなにまじまじとローゼを見れなかっただろ? 

 でも、今は俺がローゼを独占できる。

 ローゼがこんなに近くに、俺の隣にいてくれる」


 ルシアンはローゼルの髪をそっと一房つかむ。

 艶めかしさがある流し目。


「ごめん、俺、すごく浮かれてる。

 自分でもヤバいなあと思うくらい浮き足立ってるんだ」


 ローゼルの髪にルシアンは口付けをし、そのままじっとローゼルを見据えた。

 その色気に、情熱的な眼差しにローゼルは、また顔を赤らめた。


「私も……ご一緒出来て嬉しいです」


 もごもご言いながら、ローゼルは必死でサンドイッチを頬ばる。

 もちろん、ルシアンの熱い視線を感じながら。



*



 いつの間にかローゼルはルシアンの腕の中で眠ってしまっていた。

 目を開けると、ルシアンはローゼルの脇で本を読んでいた。


 柔らかな陽の光が窓から降り注ぐ。

 太陽の位置から昼過ぎだと思った。


「起きたか?」


 細められた瑠璃色の瞳が、薄く光っている。

 蕩けるような笑顔で、ルシアンはローゼルの顔を覗き込んでいた。


 ぼんやりとする頭で、ローゼルはコクリと頷いた。


「どう? 体調は?」


「さっき目覚めたときよりはうんと調子がいいです」


 多少下半身に違和感はあるけれど、どうしてだろう。

 今までよりエネルギーに満ち足りた感じがする。


 ローゼルは自分の両手のひらをまじまじと眺めた。


「そうか」


 ルシアンは本をぱったんと閉じた。

 兵法の本。

 軍人らしい本だ。


 ルシアンはローゼルの肩を抱きながら、静かに言う。


「起きた早々で悪い。

 実はローゼの御父上、イースティリア伯爵が王城の帰り、こちらに寄りたいと言っているんだけど、いいかな?」


「え? 父が?」


 ローゼルはぽかんとした。

 何か大切なことを忘れてる気がする。


(あ、しまった!)


 昨夜勢いに身を任せてここにきてしまったが、屋敷に連絡していない。

 さぞかし、みんな、特にパトリシアは心配しているだろう。


 途端にローゼルは、背筋が凍りついた。


(ヤバい、叱られる)


 きっと温厚な父だってさすがに無断外泊にお冠なはずだ。


 あわわ、と慌てだすローゼルに、ルシアンは小さく笑う。


「一応、昨夜のうちにローゼのところの御者……えっと、マチアスだっけ。

 あの老人にここにいることは伝えてあるから。

 叱られることはないと思うぞ」


「あ、あの、ありがとうございます。

 私ったら、全然家のことまで頭が回らなくて……」


 まるでローゼルの心を見透かしたようだ。さらに違う意味でばつが悪くなった。


「まあ、気にするな。

 あれだけ酔っていたんだから当然だ。

 むしろ、こっちで寝泊まりして安心しているかもしれない」


「え?」


 きょとんとするローゼルにルシアンは爽やかににこっと笑った。

 それはもう、嬉しそうに。


「どうする? 

 伯爵を招いても大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


「それじゃあ、俺からも話したいことがあるから、詳しくはイースティリア伯爵がみえてから話すよ」


「はあ」


 ローゼルは気のない生返事をした。


 ルシアンから話したいこと。なんだろう。


 それに、父がクレインバール邸にやってくる——


 ルシアンは父が『娘を迎えに来る』とは言わなかった。

 ということは、何か別の理由があって足を運ぶということだ。


 最近いろんなことがあったから、どんな理由で父が訪れるのか想像もつかない。


 ただ、なんとなく……ウルーム伯爵の失踪のこと、レオーネとの婚約。

 この辺りのような気もするけど——。


「じゃあ、身支度を整えて少し遅い昼食を食べようか」


「やっぱり、もうそんな時間ですか?」


 いつもなら早朝から起きて家のあれこれをやって、シャルルに文句を言われる前に王立図書館に逃げ込むのだが、今日は盛大に寝坊している。


「お昼はとっくに過ぎているから、もうすぐお茶の時間、と言った方が分かりやすいかな。

 まあ、でもいいんじゃないか。

 ローゼはいつも頑張っている子だから。たまにはさ」


 ルシアンはローゼルの後頭部を抱え込むようにしてローゼルのこめかみにキスをした。

 深く口づけられると、昨晩の快感の余韻が残る身体に火が灯った。


 また訪れた、甘い雰囲気。


 慣れていないせいか、言いようのない居心地の悪さと、ルシアンに愛されているという事実にローゼルはたじろぐ。


「あまり甘やかさないでください。

 私、こう見えても結構なサボり魔ですよ」


 ローゼルはルシアンの胸を押し返した。


「よく言うよ。

 ローゼがサボり魔なら官僚ほぼ全員仕事してないよ。

 言っただろ? ローゼは働きすぎって。

 こういう時間も大切だ。

 今まで嫌なこともたくさんあったはずだ。

 それなら、なおさら快楽に溺れて忘れるのも一興じゃないか」


 ルシアンは、艶然とした眼差しを向ける。


 快楽に溺れる——

 不意にローゼルの脳裏に昨晩の行為が蘇った。


 あられもなく淫《みだ》らに乱れ、肌と肌を重ね合わせ、嬌声を上げる自分。


 ローゼルは、火が出たように真っ赤に染まる顔を自覚して、躊躇いがちに視線を泳がせて上目遣いでルシアンを見上げた。


(意地悪! 

 こうやって物慣れない私をからかって楽しんでいるのね)

 

 その表情を見たルシアンが悶える。

 

「本当、可愛すぎるだろっ! 

 ああ〜、ダメだ、俺がもたん」


 ルシアンが大きく首を振った。


「え、え?」


 今の何が可愛かったの? ローゼルは戸惑った。


「この続きは夜にしような」


 そう言ったルシアンは、ご機嫌な様子でベッド脇のテーブルに置いてあった呼び鈴を鳴らした。


(ちょっと待って。

 いま、夜って言った? 

 言ったよね?)


 ローゼルがぽかんとしている間に、若い侍女が一人部屋に訪れた。


「ローゼ、ケイトだ」


 ルシアンが侍女をローゼルに紹介した。


「初めまして」


 侍女ケイトはローゼルに優しい声で挨拶をする。

 ローゼルより年上だろうか、それにしては随分と大人びていて落ち着いている。


 自宅でローゼルをお世話するのは、パトリシアとマーサの中堅侍女のみ。

 近い年齢のメイドとお話をするのは久しぶりで、なんだか緊張してしまう。


「は、初めまして」


 つい声が上擦って、ローゼルはカッと身体が火照った。

 ケイトはそんなローゼルに目を見開き、感極まった声を出す。


「まあ、とても可愛いお嬢様で。

 どうぞ、よろしくお願いいたします」


 深々と丁寧にケイトはお辞儀をした。

 

「ローゼの身の回りの世話は、ケイトに任せたから。

 何かあれば、ケイトに言ってくれ」


「あ、はい」


 ルシアンがケイトに目配せをした。

 ケイトは静かに頷くようにお辞儀をする。


「それじゃあ、食堂で」


 ローゼルの頭をぽんぽんと優しく叩いたルシアンは、軽い足取りで部屋を出た。

 二人きりになった部屋で、ローゼルは気まずくなった。


 こういうとき、どうすればいいんだっけ。

 まず、自己紹介?


「えっと、改めまして私はローゼル・イースティリアです」


「はい、存じております。

 よく旦那様からローゼル様のお話をお伺いしておりますので」


「え?」 


 驚いたローゼルはケイトを見た。


「旦那様がここ最近毎日お嬢様に贈り物をしておりましたよね? 

 あの旦那様が女性に贈り物をされるのは滅多にないことです。

 いつかお屋敷に連れてみえるのかと、使用人一同待ち望んでおりました」


「そ、そう……」


 ローゼルは小さく身を縮こまらせた。


 待ち望んでいたとしても、まさか夜中泥酔状態で連れ込むとはさすがに思ってはいないだろう。


 泥酔状態でやってきた令嬢、なんてはしたないんだろう。


 羞恥心で打ちのめされそうだ。

 穴があったら入りたい……。


「お嬢様、旦那様が本来の順序を逸脱したことに恥じる必要はございませんよ」


 柔らかな声音でケイトは続ける。


「旦那様の性格を考慮すれば、このようなパターンもあり得る、とすでに我々使用人は想定済みです。

 むしろ、事が早く進み、一刻でも早くお嬢様のことを『奥様』とお呼びできる日を心待ちにしております」


 奥様……。その響きに、今度は甘酸っぱい照れくささで変な汗が出る。


「は、はははは早いです。

 お、おおおおお……奥さまなんて」


「そんなことございませんよ。

 旦那様がお嬢様を見る目で分かります。

 間違いなく、近々お嬢様とご結婚するつもりなんだって」


 なんだか、くすぐったい。

 私なんかがあの方の伴侶になっていいのかしら。


 けれど、またこんなことを口にしたら、ルシアンの顔が険しくなりそうだ。

 これは黙っておこう。


 ケイトはにこにこ笑う。


「さっ、お嬢様。湯殿へ行きましょう。

 温かなお湯で身体をほぐしてください。

 それが終わったらマッサージを行いますからね」


「え?」


 身体中にルシアンのつけた赤い痕がまだ残っていて、ひどく気恥ずかしいのに。

 むしろ、自分で自分の体を洗うことに慣れているし、いまのこの身体の痕を考えるとそれが一番いい気もする。


 だけど、断るのもよくない。

 彼女の仕事を他家の人間が奪ってはいけない。


 そう思っているうちに、あれよあれよとローゼルはケイトに湯殿に連れて行かれ、そのまま侍女たちに、なされるがまま隅々までマッサージを受ける。


「血行が良くないですわ」

「そもそもリンパの流れも良くないみたいですわね」

「オイルを使う前に全身マッサージが必要だわ。そうすれば隈が目立たなくなるはずです」


 彼女たちは念入りにローゼルの肌艶を観察する。

 その割には、ルシアンがつけた情事の痕には目もくれない。


「さあ、お嬢様、ベッドへ移動しましょう」


 念入りに揉みほぐされる。


 いつも戦闘態勢だったローゼルの強張っていた肩の力が抜けていった。

 血行も良くなってきたのだろうか、心なしか冷え冷えとした身体がぽっぽっと温まってきた気がする。


 初めてのマッサージの気持ちの良さに、ローゼルは眠気に襲われた。


(今日の私、寝すぎよね。

 でも、すごく気持ちがいい。

 これを上流貴族の貴婦人たちは毎日受けているなんて――)


 うつらうつらしているうちに、ローゼルはクレインバール邸の侍女たちに驚くほど磨き上げられていた。


 髪も肌つやつや。

 悩まされていた肩こりも解消。

 足のむくみも全然ない。


 ずっと気になっていた目の下の隈もなくなった。


「さっ、お嬢様。

 旦那様と伯爵様が合流される前に、こちらを」


 部屋を移動してから、ケイトがローゼルの顔を覗き込んだ。

 ローゼルの目の前に広がるのは、まさに驚くべき光景だった。

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