第88話 秘密のワンパンチと、飴玉に潜む黒い正体
ローゼルはルシアンの心配をよそに、つかつか問題の彼らの方へ進む。
彼らに取り囲まれている女性は涙目だった。
ますますローゼルの拳が震える。
「ローゼ!」
ルシアンが名前を何度も呼ぶも、ローゼルは振り返らない。
そのうち彼らの一人がローゼルに気付いて振り向いた。
その瞬間、ローゼルの拳が稲妻のような速さで頬に殴り込んだ。
完全に不意を突かれた男は宙を舞い、地面に転がるように倒れ込んだ。
「はあ!?」
驚いたのは、残った男たちや取り囲まれた女性だけではなかった。
ルシアンも、周囲の群衆たちも目を見張った。
周囲がしんと静まり返った。
「女を馬鹿にする男は許せない」
ローゼルの低い声が路地裏に響いた。
「はあ?
なんだ、お前」
男たちはローゼルを睨みつけ、爪先から頭の先までじろじろと、顎を突き出して見つめる。
「おいおい、お嬢ちゃん。
俺たちは天下の魔法騎士団だ。
俺たちの邪魔をする意味、分かっているのかな?」
男たちは、姿勢を低くしてローゼルを睨みつけて詰め寄った。
それでもローゼルは一歩も引くことなく、逆に男たちをギロリと睨み返す。
「では、お尋ねします」
「あん?」
男たちが一瞬、顔を歪める。
「なぜそんな高尚な方々が、涙目で怯え、こんなにも震えている女性を取り囲んでいるのでしょうか?
貴方がた、下品にも彼女を自分たちの慰め者にしようとしてますよね?」
ローゼルの声は酔っているとは思えないほど、ハッキリしていた。
男たちは一瞬呆気に取られた。だが、次には顔を見合わせて、口角を不気味なほど吊り上げた。
「あ~、そうか。お嬢ちゃんも俺たちと愉しくやりたいのか?
っていうか、ふうん。綺麗な肌だね。
さてはいいところの商人の娘かなぁ?」
ブルーの長髪男がローゼルに手を伸ばした。
「――風精突風」
ルシアンが詠唱を唱え、その手を風の突風で弾いた。
「……痛っ!」
長髪男は弾かれた手を押さえた。
「なんだ、いまの?」
不思議そうに眺め、手を擦る。
「あー、くそっ、萎えるじゃないか!」
もう一人の茶色髪の男が苛立ち、頭を掻きむしった。
「変な正義感振りかざすなよ。
お嬢ちゃんには関係ないことだよ!」
茶色髪の男はローゼルに覆いかぶさった。
ルシアンがその間に飛び込もうとした矢先、ローゼルはすっと避けて一歩下がった。
茶色髪の男は完全に空を切る形となり、勢い余って身体だけが前のめりになった。
そこへローゼルが男の後頭部を肘で強く打ちつけた。
バキっ
凄まじく鈍い衝撃音がして、小さな突風が凪いだ。
「ぐえっ」
男は潰れた蛙のような声を出してそのまま地面に伏せた。
ぴくりとも動かないところを見ると、どうやら気を失ったようだ。
「あの小さい子、女の子か?」
「え、魔法騎士団を殴ったぞ」
「おー! いいぞいいぞ!!」
遠巻きで見守っていた群衆から、たちまち歓喜の声が上がった。
ローゼルはしっかり男を見据え、視線を逸らさない。
一人取り残された形となった赤髪の男は激しく動揺し、顔を歪ませる。
(おいおい、これは面白いことになったぞ)
ルシアンは絶句すると同時に、一種の興奮を覚えた。
あれは武装魔法だ。
俺はローゼを侮っていたのかもしれない。
彼女は俺が思ってる以上にタフな女のようだ。
ゾクゾクと昂ぶる快感がルシアンの背筋を走る。
「んだよ、このアマ」
赤髪の一人の男が、大きく舌打ちをした。
「いいか、お嬢ちゃん。
これは公務執行妨害罪で逮捕ものだぞ。
分かっているのか? 俺たちは魔法騎士団だ。
少し腕に覚えがあるからとしゃしゃり出て来るんじゃねえ」
「そちらこそ何をおっしゃってるんですか?」
「は?」
「公務執行妨害?
違います。
あなた方のその行為そのものは女性に対する脅迫罪に該当します。
強要罪にも当たります。
その辺り、魔法騎士団なのに少々お勉強が足りないのではありませんか?」
ローゼルは自分の頭を指でツンツンと突っついて煽る。
「んだとぉ……」
男は目を三角にして、ぎりぎりと歯軋りをした。
「よろしいですか?」
ローゼルは声高らかに言い放つ。
「騎士道というのは、忠誠・公正・慈愛・武勇・礼節・寛容・奉仕、これらを徳とします。
法律を自分たちの都合のいいように解釈し、何の罪を犯していない女性を取り囲み、自分たちの慰め者にしようとする愚かな行為、騎士道に反しませんか?」
「お~、いいぞいいぞ!」
「もっと言ってやれ!」
群衆たちは、やんややんやとさらに騒ぎ始めた。
「偉そうに。
くそ生意気な女だな」
男はじりじりとローゼルに詰め寄る。
ローゼルも拳を作り、身構えた。
また一戦交える気か……!
その時、ゆらりと、最初ローゼルに一撃を食らわされた長髪の男が立ち上がった。
気づいていないローゼルをそのまま背後から襲いかかろうとしている。
赤髪は勝ち誇るようにニヤリと笑って、何やら詠唱を唱え始めた。
挟み撃ちで攻撃するつもりだな。
女性一人相手になんと卑怯な。
ルシアンは間髪入れずに詠唱し、ローゼルと被害女性に魔障壁を施す。
その間に、自分自身も風魔法の突風で男たちに一直線で飛び掛かった。
その一瞬で腰に携えてあった剣を抜く。
同時にローゼルは背後にいた長髪の男に気がつく。
そして、彼を背負って肩越しに投げ出した。
唐突なことだったので長髪男は咄嗟に受け身が取れず、地面に、どしんと大きな音を立てて倒れ込んだ。
「ヒュ~」
囃し立てるような口笛が、群衆から聞こえた。
長髪は地面に頭を強く石畳に打ち付けたのか、今度こそ白目をむいて失神していた。
投げ出された時、男のポケットから白い包み紙のキャンディーが大量に飛び出し、地面に転がる。
次の瞬間、赤髪の男が発動した火の矢の魔法がローゼルに真っすぐ向かった。
バチン
ルシアンが施した魔障壁が硬質的な音をたてて弾いた。
たちまち、火の矢は霧散し、消火される。
「観念しろ。もう勝負はついているんだ」
低く、よく通る声。
「……っ」
赤髪は息を呑んで、顔を必死で上げる。
彼の首元にルシアンの剣先が当たっている。
少しでも彼が首を動かせば、血が吹き出すだろう。
周囲が不気味なほど静寂に包まれた。
虫の音がやけにくっきりと聞こえて来る。
「ぐ、軍師閣下……」
首筋に剣を当てられた赤髪の男は、引き攣るような声を喉から出した。
「魔法騎士団員のくせに、舐めた真似してんじゃねぇよ」
その鋭い眼光に、全身を強張らせ、ガタガタと歯を震わせ始めた。
涼しい顔をしたルシアンが剣を収めると、男はへなへなとその場に尻もちをつく。
「な、何で軍師閣下がここに……?」
男は怯え切った表情で、恐る恐るルシアンを見上げた。
「抜き打ち巡回だ」
ルシアンは小さく肩をすくめた。
「いいぞ、兄ちゃん!」
「よくぞ、やっつけた!」
拍手喝采。口々に群衆たちが称賛の声を上げた。
「こちらこそ、大変失礼しました。
――私、総魔法騎士団長のルシアン・クレインバールと申します。
この連中が帝国民の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ない」
ルシアンは丁寧にお辞儀した。
しんと静かになって、みんながルシアンに注目した。
「総魔法騎士団長として、皆様にこの場にてお約束いたします。
この無法者たちは始末書なんて甘っちょろいもんじゃなく、軍法会議にかけ重い処罰を課します」
「ぐ、軍法会議!?」
赤髪の男が声を上げた。
「大袈裟なんじゃあ……」
男の顔は青ざめた。
軍法会議は軍の秩序を守るための裁判だ。
抗命罪や敵前逃亡などは即決で死刑に至る場合もあり、一般裁判よりもはるかに厳しい。
「大袈裟なんかじゃありません」
ローゼルが、泣きじゃくる被害女性を宥めるように抱きしめながら、ぴしゃりと言った。
「あなた方がやった行為は『個人の罪』ではなく『軍部全体の崩壊』と見なされる行為に等しいです。
ましてや、上位貴族から軍部上層部に直接、王都治安悪化の苦言が呈された時点で、それ相応の重罪になっています」
「なっ……!」
「そのとおりだ。
いいか、覚悟をしておけよ。
死刑もあり得る裁きだからな」
ルシアンが冷ややかに睨みつけると、男は「ヒィっ」と小さく悲鳴を上げた。
そのまま項垂れるように顔を伏せた。
「さすが総騎士団長!」
「これぞ我が国の誇り、魔法騎士団だ」
群衆から改めて拍手が沸き起こった。
「もう大丈夫ですよ、怖かったですよね」
ローゼルはもう一度、ぎゅっと女性を抱きしめる。
「悪い奴らは退治しました。
もう大丈夫」
女性はほっとしたのか、弛緩しきった表情でさらに声を上げて、わんわん泣き出した。
ルシアンはローゼルに苦笑を浮かべた。
(まったく。ハラハラさせられたよ)
男たちのところに進み出たときは肝を冷やしたが、あれだけ強力な武装魔法を披露したのには正直度肝を抜かれた。
一般的に、武装魔法は武官になる者が身に着ける魔法だ。
あれは瞬間的に身体の一部に魔力を宿し、相手に物理攻撃を加える。
ふつうに魔力を込めず殴れば、当然殴った本人も痛いし、怪我を負う場合もある。
だが、魔力の強い者ならやり方とコツさえつかんでしまえば、痛みを伴うことなく最大限の力で相手に傷を負わすことができる。
ローゼルが男たちに食らわした拳と肘、あれこそ典型的な武装魔法だ。
女性は野蛮だからと厭う傾向もあるが、ローゼルの場合、酒に酔っても使えている感じから、自ら進んで身に着けたのだろう。
特にあの背負い投げ。
あれこそ、練習しないとできない。
誰に教わったのだろうか?
まあ、どちらにしろ、あの技は敵と至近距離まで詰めた場合にしか使えない魔法だ。
こっちの心臓がもたないので、今後こういうのは控えてもらおう。
ルシアンは問題の男たちを怜悧に見下ろし、詠唱した。
「――鋼環束魔」
重厚な鎖が空間を走り、男たちを絡め取った。
意識のある赤髪は悔しさを滲ませつつも、恐怖で身体が凍り付いているようだ。
力で人を支配しようとする奴らは、勝てるはずのない相手だと悟ると大人しくなる。
(質が悪い奴らだ。
だが、俺の強さは目の当たりにして自分では敵わないことを知っている)
彼らがルシアンと目を合わせようとしない時点で、圧倒的な力の差は理解しているようだ。
ルシアンは口笛を「ピー、ピッピ」と唄うように吹いた。
独特な音色とリズム。
すると、少し経った頃、真っ白な梟がやってきた。
魔法騎士団団長クラスの伝達係だ。
彼らは大変賢い。
人の顔と名前を憶え、また、人の言葉を理解できずとも、そのまま一言一句違わず鸚鵡のように対象人物に伝達できる。
「トーマス・ケリークロノム、もしくはノーラン・ターラントにここ王都西側の酒場通りに駆けつけるよう伝えてくれ」
梟の眼の横にある耳穴に囁くと、梟が飛び立っていった。
これでいい。
そう思って爪先に何かが当たる。
白い包み紙。
そこに包まれた小さな丸い何か。
ルシアンは拾い上げた。
これは、男たちの制服から落ちた飴玉。
(なんでこんなものを?)
不意に思い出す。
これ、前に見たことがある。
この包み紙に、この感触。
ひょっとして――
包み紙を手に取り、中身を開けて確認した。
甘い匂いがする。
一見、白と緑が混ざり合った何の変哲もない飴玉だ。
だが、この特有な香りは——。
ルシアンは、さらにくんくんと匂いを嗅ぐ。
(やはり……)
甘く煮詰めたミルクの中にある薬草の強い匂い。
この薬草――
ルシアンは全身がびくんと硬直し、これから起きるだろう予兆に背筋が冷たくなった。
捕縛した男たちにゆっくりと視線を落とす。
少々厄介な話になってきたぞ。




