第8話 眩しすぎる公開求愛と、歪んだお茶会計画
「ローゼルちゃん、本当に寂しくないんだね?」
エヴァン・ゴルマンは、どさくさに紛れてローゼルの手を握った。
「はい、全然。お元気で」
ローゼルはさり気なく、その手を後ろに引っ込めて一歩後ろに退いた。
「いやいや、そんなカラ元気に言われても心配になるじゃないか。
あんな浮気男に義理立てする必要ないんだよ」
ぐいっとさらにエヴァンは一歩踏み込んだ。
「どうであれ、貴族の結婚は家との家の約束です。
あんな彼でも私にとって立派な婚約者ですから」
胸の前に両手で制して、ローゼルは鉄壁の笑顔を浮かべた。
エヴァンは今にも泣きそうな顔をし、名残惜しそうにローゼルを熱烈に見つめた。
明らかに何かを求めているんだろう。
けど、一言、社交辞令でも「淋しい」なんて言ったら、とんでもない事態に発展する。
そんな目に見えていること、絶対にやるもんか。
(あぁ、この人、早くどっか行ってくれないかな)
ローゼルは心の底からうんざりした。
――身分高い出自の変な官僚に「愛人になれ」と迫られ、貞操の危機を感じたあの日から早三年。
近衛騎士のエヴァン・ゴルマンに、そのピンチを救ってもらった。
何を思ったのか、その直後、彼からその場で、「まさに好みのタイプ、ど真ん中」。
熱烈な求婚をされた。
婚約者がいるからと断っているけれど、一向に彼は諦めない。
毎日のように公然の面前で求婚劇を続け、一部の官僚たちにはすっかり一種の名物として扱われていた。
(完全にみんな面白がって、毎日傍観していたよね)
懲りることなく、本日もエヴァンは法務省のある執務塔前でローゼルを呼び出して、大声で公開求愛劇を披露していた。
すぐ傍の塔の二階の窓からは、先輩上官たちがこちらを覗き込むようにして、ニヤニヤ笑っている。
(あぁ〜、もう。
これで終わりだと思っていたのにぃ……)
今日で、彼、エヴァン・ゴルマンは魔法騎士団を退団する――。
どうやら急遽家の都合で家を継ぐことになったらしい。
「ローゼルちゃん、本音を言っていいんだよ」
エヴァンはぐずぐずしてその場から全然離れようとしない。
「本音も何も。
素敵な領主様になってきてくださいね。
この王都の地よりゴルマン卿の健闘をお祈りしております」
ローゼルはにこにこと笑顔で切り返した。
けれど、全然その場から立ち去ろうとしないエヴァンに、イライラは募るばかり。
そこへ軍服を着た男が現れ、エヴァンを指差した。
「あー! いたっ」
あれは、美麗騎士と有名な第2騎士副団長のマッシュ・モラレスだ。
「お前、こんなところで何道草食ってんだよ」
怒り肩のマッシュが、どしどしとエヴァンたちに近づく。
「あ? 俺がどこで何をしようが勝手だろう?」
エヴァンの顔が露骨に歪んだ。
声も低くなる。
「あのさぁ、お前、立場ってもんを弁えろよ。
今から軍部挙げてのお前のためだけの送別会だ。
主役不在とは何事だ。
ただでさえ、俺、あの呪具の件で忙しいっていうのに」
マッシュが、エヴァンの元まで来た時、彼はローゼルを見下ろした。
逆に小柄なローゼルは、きょとんとした表情でマッシュを見上げた。
(うん、彼もクレインバール卿に並ぶ、凄まじい美麗な顔立ちだわ)
まさに美形騎士。
その場にいるだけで存在感が圧倒的で、すごくキラキラしている。
令嬢たちが色めき立つ理由がよく分かる。
「これはこれは。ごきげんよう」
明らかに余所行きの笑顔をマッシュは浮かべた。
「ごきげんよう。モラレス卿」
「申し訳ございません、イースティリア女官。
これは、すぐに持ち帰りますので」
マッシュがエヴァンを指さした。
「かしこまりました。
私もそろそろお仕事に戻りたかったので、非常に助かります」
「えー!
ローゼルちゃん、ひどいよぉ」
「うるせぇ」
再び泣きべそをかくエヴァンにマッシュが一喝した。
「ゴルマン卿。改めまして」
ローゼルが真っ直ぐエヴァンを見据えると、エヴァンの顔つきがぐっと引き締まった。
「あなた様の次期伯爵としてのご活躍をお祈り申し上げます」
笑顔を貼り付かせたままローゼルは、深々とお辞儀をした。
「そんなぁ」
さらに眉を下げるエヴァンは、ローゼルに近づく。
「もう一度考え直してくれよ。
是非とも俺の妻として一緒に領地に行こうよ!」
「うるさい。黙れ」
マッシュは、エヴァンの泣き言を無視して首元をチョップした。
一瞬、エヴァンが白目を剥いて、失神する。
その隙にマッシュは、エヴァンの首根っこを掴んだ。
「それでは失礼」
マッシュは、丁寧にローゼルにお辞儀をした。
ローゼルは、大きな目をぱちくりさせながら、軽く会釈した。
マッシュは容赦なくエヴァンを引きずるようにして、踵を返した。
その数秒後。
「ローゼルちゃぁぁぁぁん! 愛してるよぉぉぉぉ!」
あっという間に目を覚ましたエヴァンの熱烈な叫び声が聞こえた。
思わず、ローゼルは耳を塞いだ。
「いつかちゃんと我が領地に招待するからねぇぇぇぇぇ!」
(何も聞こえない、私は何も聞こえない……)
だんだんとエヴァンの情けない叫び声が小さくなっていく。やがて、その声すら消えていった。
ようやく行ったか……。
ローゼルは安堵すると同時に、解放感を感じた。
彼は悪い人じゃない。
エヴァンはすごくいい人だ。
あのルシアンが弟子として育てた騎士だから、それは間違いない。
けど、彼は真っすぐ過ぎる。
(あの人の、瞳は私には眩しすぎる)
あの輝きに釣り合う女性がきっといつか現れるはず。
ローゼルは、軽い足取りで法務省にある執務塔へ戻った。
***
「ねえ、お父様。あの子爵令嬢なんとかしてよ」
ナディアは王城から帰宅するなり、公爵邸の父の執務部屋に押しかけ、幼子のようにねだった。
先日第2皇女とのお茶会に便乗して、生意気な子爵令嬢に二度とルシアン・クレインバールに近づかないようぴしゃりと叱りつけてやるつもりでいた。なのに――。
なんなのよ、あの態度。
全然悪びれた様子もない。
澄ました顔がやけに鼻につく。
全然イライラが収まらない。
ナディアは、収まらぬ怒気を爆発させて、執務席で仕事を続ける父親の服を引っ張る。
「あの子ね、子爵令嬢のくせに、この前の夜会、クレインバール卿と踊っていたのよ。
一体どんな色目を使ったのかしら。
本当腹立たしいわ」
ナディアは爪を噛んだ。
「まあまあ。落ち着きなさい。
爪を噛む癖もはしたないからやめるんだ」
父親は持っていたペンを下ろして、顔を真っ赤にさせて怒り狂っている娘を宥めた。
「でも……!」
頬を膨らませる娘に、父は苦笑した。
「伯爵令嬢ならまだしも、子爵令嬢では次期辺境伯の正妻にはなれまい。
よくても妾だ。
格下に目くじらを立てる必要はない」
「けど、ムカつくんだもん!」
ナディアは頬を膨らませ、まだ怒っているアピールをした。
「そうだなあ、近いうち彼をディナーに誘っておこう。
軍部次官から声をかけるよう手配しておくよ」
「えっ、本当⁉」
怒りは一転、ナディアの瞳が輝き、華やかな笑みが咲いた。
「ああ。さすがに上官からのお誘いなら断れまい」
含み笑いを浮かべる父親にナディアは「大好き」と抱き着いた。
「だけど、お父様。
あの子が二度と図に乗らないようにしておきたいんだけど、何かいい案はない?」
「そうだねえ」
父親は顎を撫でてしばし逡巡する。
「相手は子爵令嬢なのだろ?
もし、その令嬢が引き下がらないようなら我が家の侍女にすればいいんじゃないのか?
そのときに公爵家侍女としてのマナーも礼儀もちゃんと躾け直せばいい」
含みのあるその笑みに、ナディアの口角もにやっと上がった。
「さすがお父様ね」
そのとき、古参の侍女が親子の話が終わっただろうタイミングを見計らい、ナディアに部屋を出るよう促した。
「ほら、お嬢様、そろそろ就寝の時間です」
「はーい」
父親の執務中に屋敷内の執務部屋を無断で訪れるのは、公爵家として本来はご法度だ。
それだけこの部屋には、国家機密はもちろん、手を触れてはいけない品々が置いてあるからだ。
だが、この末娘に何度それを言っても耳を貸さない。
父親は思う。
この子が目の敵にしている子爵家をあらかじめ囲んでおこう。
もし、この子が目に余る行動を起こしても、何事もなかったようにしておきたい。
こんなどうしようもない我儘娘でも公爵家の役に立つことはある。
「ナディア、ちなみにその令嬢の名を聞いておこうか」
部屋を出て行こうとする、ナディアの足が止まった。
「ローゼル・イースティリアよ」
「イースティリア?」
父親の顔が僅かに曇った。
だが、ナディアは気付かない。
「そうよ。しかも、クレインバール卿が前からあの子に懸想していたっていう噂まで流れてるのよ」
「イースティリア家は無理だ。
あそこには触れられない」
父親の声が低く響き、眉間に深い皺が寄った。
「何でよ」
ナディアはむすっとして、さっきより怒気を含ませる。
「イースティリア子爵の娘は帝国公務員だ。
特別職で法律に守られている。
しかも、その法を握っているのはライアナース一門。
公爵家といえど簡単に手出しはできん」
「なによそれ、そんな法律、お父様の力で変えちゃってよ」
ナディアはむすっと唇を尖らせた。
「無理を言うな。
イースティリア女官の直上司がそのライアナースだ。
手出しはできん」
中立的な立ち位置にいるライアナース一門を敵には回せない。
「だがな、ナディア。よく考えてみろ。
帝国公務員とはいえ子爵令嬢、たかがしれている。
彼女には婚約相手もちゃんといる。
公爵家令嬢がぎゃんぎゃん騒ぎ立てる方が逆に外聞悪いぞ」
「そう?」
ナディアは不満そうに頬を膨らませた。
「いいじゃないか、お前は今度クレインバール卿と食事できて、その食事後も彼を部屋に招くなりして独占すればいい。
なんなら、東方より取り寄せた媚薬と称するお香でも手配しておくぞ」
ナディアは一瞬考えてから、にんまり微笑んだ。
(ふふ、そうね。子爵家ごときが我が公爵家に敵うわけがないもの)
「媚薬なんていらないと思うけど、そうね、お父様、一応用意しておいてくれる?」
ナディアは小さく微笑む。
「ああ」
「ありがとう、お父様」
ナディアは小躍りしながら父の部屋を出た。
今度こそ、愛しのクレインバール卿に会える。
彼が微笑みながら手を取ってくれる姿を思い浮かべただけで胸が高鳴る。
夕刻の庭園を歩き、満開のバラの香りに包まれながら寄り添う。
木陰のガゼボで最高級のお茶を飲みながら愛を語り、そして夜はそのまま……。
うふふ、楽しい夜が過ごせそう。




