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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第75話 雨音の幕、呪術的錬金術の胎動

 イースティリア子爵邸に向かって馬車がゆっくりと走り出した。

 ローゼルの隣には、定位置となったルシアンが座る。


「大丈夫か?」


 ルシアンがローゼルの顔を覗き見た。


「はい、大丈夫です」


 ローゼルは、元気そうに見える笑顔を浮かべた。


 今日は慌ただしかったし、本当のところは疲労困憊だ。

 くらくら眩暈がするくらい刺激的な一日だった。


 けど、ここで弱音を見せたらルシアンに余計な心配をかけてしまう。

 それはローゼルが望むところじゃない。


 突如、ルシアンがローゼルの鼻を摘んだ。


「ふがっ!」


「嘘つけ。顔が真っ青だぞ」


「そんなことは……!」


 ローゼルは飛び上がるようにびっくりして、言い返そうとした。

 けれど、ルシアンの双眸が寂しげに揺れたのが目に飛び込んできて、ローゼルは言葉を失った。


「頼むから、俺の前では無理しないでくれ」


 切実な彼の声にローゼルの胸が鈍く疼いた。


「ローゼは俺に甘えていいんだからな」


 ふいにルシアンの顔が近くなった。

 どきっとした。


「リボンの防御魔法が発動した時、本当に心臓が止まりそうだった――。

 すごく、心配したんだぞ」


 ルシアンがローゼルの鼻から手を離して、そのまま頬を撫でるように触った。

 温かくて大きな手。


 胸がきゅんとして、ちらりとルシアンを見上げた。


 夜の心許ない薄暗い魔法灯が照らす客車の中、雨音がやけに鮮明に聞こえる。

 胸の鼓動をさらに煽った。


 互いの瞳に互いの姿が映り込んだ。

 ローゼルは、震える手でルシアンの袖をぎゅっと掴んだ。


 あまりにも切ないルシアンの表情にローゼルは、愛おしさが猛烈に込み上げた。


「甘えていいんですか?」


「いいよ」


 唇が触れ合いそうな至近距離。

 柑橘系の匂いが強くなる。

 体の芯が熱く期待をする。


 ローゼルの瞼は自然と閉じられ、ルシアンが顔を傾けて唇を重ねた。

 柔らかな感触。


 これまでの彼のキスも、すべて好意あってのもの。

 胸が甘く高鳴って、甘い心地が身体に満ちていく。

 

 やがて触れ合うだけのキスから啄むようなものに、そして深いものに変わった。


 触れ合った唇を割り開いて、彼の熱い舌が差し込まれたのだ。

 次第にぞくぞくと頭の奥が痺れ始め、蕩け合う愉悦に溺れた。


「んん……」


 つい、ローゼルから声が出る。


 自分でも驚くほどの艷やかで色っぽい声にローゼルは驚いた。

 その声に反応するように、ルシアンの手がローゼルの華奢な腰に回って、より強く引き寄せられた。


 ローゼルの後頭部を押さえ、官能的なキスは続く。


 呑まれていく。

 与えられる快感。

 

 ローゼルもルシアンに応えるように、支える腕に体を預けた。


 雨音は客車の窓を絶え間なく叩き続け、まるで二人を外界から隔てる幕のようだった。


 どれくらい口づけを交わしていたのか、その感覚すら分からない。

 ただただ、互いの吐息を雨音が静かに覆い隠している。


 ようやくルシアンが顔を離した頃には、ローゼルは何度も交わされる濃い口付けに息が上がっていた。


 ぐったりと力が抜ける。


「そんな顔、他の男に見せるなよ」


 上気するローゼルに、ルシアンは複雑そうな面差しと熱を帯びた眼差しを注いだ。

 

 そんな顔――。

 どんな顔なのだろうか?


 よく分からないけど、たぶん、ルシアン以外見せることはないと思う。


 優しくローゼルの髪を撫でる大きな手は居心地がいい。


「ルシ様だけです」


 ローゼルはぎゅっとルシアンに抱きついた。

 ルシアンは目を一瞬見開くと、嬉しそうにその手を包み込むように握った。 


 いつの間にかローゼルの先程までの虚ろな胸の痛み、恐怖心は消えていた。



***



 ――ローゼルが王城でルシアンたちの事情聴取を受けている頃。

 ユーモネア領地の大街道から外れた森には、第3魔法騎士団が歩き進めていた。



 夕方までは晴れていたのに、低気圧が近づいて来た。

 やがてパラパラと雨が降り注ぐ。


 そのうちゴオゴオという荒々しい風の音が、上空を通過するのが聞こえてくる。


 いつの間にか森は、雨に覆われて、深い闇を湛えていた。


「これは参ったねぇ」


 第3魔法騎士団長トーマス・ケリークロノムが肩の雨を水魔法の防水で払いながら、吹きさらしの洞窟に向かう。


 木々の葉を叩く雨音が絶え間なく響く。

 洞窟の入口は黒い口をぽっかり開けて、こちらの来訪を不気味に待ち望んでいるようだった。


「ここだよな」


 トーマスが地図を見ながら呟いた。


「はい、ここです」


 付き添いの騎士が静かに返事をした。


「さて、この雨だし、早速入ろうか」


 トーマスを先頭にぞろぞろと他の第3魔法騎士団員たちは洞窟に入る。

 バラバラと統制された足音が洞窟内に響く。



   「闇を裂き、道を示せ

   ――灯光ルーメン・ライト



 掌に淡い光が宿り、やがて球状の輝きがふわりと浮かび上がった。

 その光が洞窟を照らし、苔むした岩肌を浮かび上がらせる。


 トーマスは遠くを照らした。


「ふうん、思ったよりも広いな。奥も深いし」


「そうですね」


 声は、わーんと洞窟に反響する。

 奥からは冷たい風が吹き出し、湿った土に混じった鉄錆に似た死臭がした。


 しんとして、異様な緊張感を漂わせる。


 その時、洞窟の奥まったところから、ぼんやりとした光がこちらに向かって来た。

 段々と大きくなる光。


 経験の浅い騎士たちは、洞窟内の不気味さも相まって反射的に身構えた。


「大丈夫、あれは味方の光だ」


 トーマスがそう言ってなだめた。

 やがて向かってくる影の輪郭がはっきりとしてくる。

 

 出迎えたのは、黒いローブを被った魔法省特別補佐官エレナ・ヴァービナスだ。

 手元には光る魔法の球。

 そして、彼女の頭の上には黒リスが尻尾を振っている。


「な? ほら、ヴァービナス女官だ」


 トーマスが得意げに言うと、身構えていた若い騎士たちは、ほっとして緊張を解く。


「ごきげんよう、ケリークロノム卿。

 足元の悪い中、ご足労いただき、ありがとうございます」


 彼女は丁寧にお辞儀をした。


「いや、全然大丈夫。

 雨は想定外だったけどね」


 トーマスは肩をすくめた。


「皆さんもお疲れ様です」


 エレナはその後ろに面々にも挨拶をすると、騎士たちは敬礼した。


「クロフォードは?」


 トーマスが尋ねた。


「はい。さらに奥で皆さんを待ってます。

 では、早速ですが、こちらへ」


 今度はエレナの先導で騎士たちは奥へ進み始めた。


 ぴちゃん、ぴちゃん。


 洞窟のどこかで水が落ちている滴の音がした。

 徐々に生臭く強烈な腐敗臭が強くなっていく。


「なんだ、この臭い」


 騎士たちはコソコソと囁きながら、一様に顔をしかめた。


 やがて、少し開けたところへ出た。


「地図に記載されていた転移魔法の魔法陣って、ここにあるの?」


 トーマスはきょろきょろ洞窟内を見回した。


「いえ、あれは森の中です」


 エレナは首を振った。


「ここは遺体保管庫だよ」


 洞窟のさらに奥から、冷ややかな声がした。

 騎士たちは、突然聞こえた声にびくっとした。


 そのうち、王宮魔術師クロフォード・ノーエランドが闇の中から現れた。


「うわぁ、びっくりするなぁ。

 お前、闇に溶け込み過ぎだって」


 大袈裟にトーマスは驚くも、クロフォードは真顔だ。


「っていうか、トーマス。

 マジでここはヤバいぜ。

 今、結界張ったからそんなに感じないだろうけど、この先さらに腐乱臭がひどい、ひどい」


「腐乱臭?」


 トーマスは眉をひそめた。


「道理でさっきから臭うわけだ」


「ここよりひどいってどれだけ臭いんだよ」


 騎士たちがざわめいた。


 トーマスは首を傾げ、改めてくんくんと周囲の匂いを嗅ぐ。


「悪りぃ。

 最近、変なもんばかり遭遇するから嗅覚が俺、馬鹿になっちゃったみたいでさ。

 あんまり分からないや」


 トーマスは気まずそうに頬を掻いた。


「変なもんって、全部呪術絡みの危険物だろ?」


 クロフォードは苦笑を浮かべた。


「そっ、それ。

 で、その匂いの元はここに保管されている遺体から?」


「ああ。以前エヴァン・ゴルマン伯爵の領地で成人男性の遺体が数多く行方不明になっただろ? 

 たぶん、ここはその盗んだ遺体の保管庫として使われていた感じだ。

 氷魔法を使っていた痕跡が残っているんだ」


 クロフォードは洞窟の奥を指差した。


「へえ。でも腐乱臭がするってことは、その氷魔法が解けて遺体は腐り始めたってことか。

 保管するのをやめたのかな」


 トーマスはクロフォードが指差す方向に視線を投げた。


「それはないな。遺体の保管量が半端ない。

 たぶん、あれだ。

 イースティリア女官が魔物に襲われて以降、魔法騎士団やゴルマン伯爵の使いの者が入れ替わり立ち代わり、調査のためにこの周辺を訪れていただろ?」


「そうだったな。

 魔物出没ゾーンってことで、街道も封鎖したし」


「そっ。ここに遺体を保管していた人物にとって、ここに立ち入ることが難しくなったんだ。

 んで、森の中の転移魔法陣を使って頻繁に遺体を運び出せなかったから、ここにたんまり残っているんだろうな」


 騎士たちの間から副団長のテラリス・フォージクがかき分けるように出てくる。


「遺体を運び出す……。

 やはり、あの新種の魔物の群れは、それらの遺体を使って製造した人造魔物ってことですか?」


「ああ。そうじゃないかな。

 他の地域でも同じ魔物が目撃されている話とか総合すると、見た目は材料の遺体次第ってところはあるけど、みんな、動き方や襲い方。そういう特徴がワンパターンっていうか。

 個性がない量産品魔物って感じがした」


 クロフォードは肩をすくめた。


「ワンパターンね……。

 あらかじめ行動をインプットされている感じ?」


 トーマスが尋ねた。


「うん。それっぽい。

 今日、イースティリア女官に確認したところ、継ぎ接ぎからはおぞましい気配がして、とにかく強かったって。

 グールもどきはグールっぽくない、むしろゾンビに近いって言っていたし水の攻撃魔法で簡単に倒せたって言っていたぜ」


「なるほど。

 こちらの分析では——と言っても、イースティリア女官を襲った魔物のサンプルしかありませんが、ルシアン様が燃やした継ぎ接ぎの魔物の残穢ざんえは、とても複雑なものでした。

 何度か分析魔法を掛けてみたところ、何人もの魔力が混ざりあった結果が出ましたよ」


「へえ。混ざり合う……。

 じゃあ、グールもどきは?」


「グールもどきは特に魔力を感じませんでした」


「恐らくあれですね」


 エレナが口を挟む。


「盗難した遺体を転移魔法でどこか研究施設に運び、そこで魔力保持者は継ぎ接ぎ魔物として、不保持者はグールもどき魔物として改造した。

 それから、さらに転移魔法で運び、四角い例の魔法陣を張ってある馬車を狙った。

 そんなところでしょうか」


「同感。状況からしてそれだな」


 トーマスが大きく頷いた。


「四角い魔法陣……。

 あれは呪術で間違いないんだよな?」


 クロフォードがテラリスに確認する。


「ええ。最初にご報告したとおりです」


 テラリスは銀フレームの眼鏡をくいっと押し上げながら答えた。


「人造魔物は魔法の術式ではなく、むしろその呪術の魔法陣を念頭に置くと、ヴァービナス女官のいう研究施設――恐らくそこは呪術が深く絡んだ施設ですね。

 あの魔物を製造する技術は、十中八九、呪術を混合させた錬金術としか考えられません」


 テラリスが眉をひそめた。


 全員、ハッと息を呑んだ。


「呪術を混合させた錬金術ねぇ」


 トーマスは低く呟く。


「まったく呪術を帯びた錬金術なんて、おっかない相手だよ」


 やれやれと首を振りながらトーマスが言い、その場にいる者は皆、一人の人物が脳裏を横切っていた。


 魔物を製造できるほどの錬金術の腕前を持ち、呪術に絡む反社会的組織と繋がりが深いとされる錬金術師。


 現在逃亡中の貴族の男――。


「とりあえず、腐乱遺体とユーモネア領地で盗難に遭った遺体が同一かどうか、明日確認だな」


 仕切り直すようにトーマスが全員の顔を見回した。


 ますます雨は激しさを増す。


 雨音と近くの川の轟音が重なり、洞窟に響き渡る。


 夜の冷気が骨の奥に沁み込む中、不気味さだけが際立っていた。

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