第72話 甘い茶菓子と、繋がっていく疑惑(前編)
「――実は、イースティリア女官を襲った官僚。
以前から王城を騒がせていた連続強姦魔だったんですよ」
ドレイクの乾いた声が響いた。
強姦――。
なんて恐ろしい言葉なんだろう。
ローゼルのスカートを握る指先が震えた。
「あの人、私以外の女官も襲っていたんですか?」
「はい。被害届が出ている分だけですでに三件の事件が起きています」
ドレイクは頷いた。
ローゼルは大きな瞳をさらに大きく見開いて驚いた。
「……だから、あの人を見てクレインバール卿もモラレス卿も『身体的特徴も一致している』っておっしゃったんですね」
ティーカップに手を置きながら、ルシアンが淡々と言う。
「そういうことだ。
——残念ながら被害者は全員強姦されており、酷い暴力を受け、心身とも衰弱している。
しかも、ショックのあまり、被害者の女官たちは辞職願を提出している状況だ。
優秀な女官だったらしいから、直属の上官たちはひどく残念がっていたよ」
「むしろ、皆さん、怒り心頭でしたね」
同意するようにドレイクが言った。
「犯人はイースティリア女官同様、夜遅くまで残業していた女官を狙っていたようなんです。
被害者によると、犯行中、勤勉に働く女性を見下す数々の発言が見受けられたとか」
「女性蔑視ですか?」
「でしょうね。
女性に対して歪んだ優越感やコンプレックスを抱いているのは間違いありません」
「あの、さっき、『被害届が出ている分だけですでに三件』と仰ってましたが、他にも被害者がいるんですか?」
ローゼルは引っ掛かっていることを尋ねた。
「ええ、そうです」
ため息のように低く、ドレイクは話し始める。
「このご時世、女性が性被害に遭ったことを口に出すのは憚れる傾向が強い。
それをいいことに、犯人は犯行を重ねたのでしょう。
少なくとも噂をこちらで見聞きした限りでも、王城内でも十件近くあります」
「女性が名乗り出ないのを見越して犯行って……」
ローゼルは怒りと苛立ちを覚えた。
「ええ、今まで何度も犯行を重ねてきたから手口も手慣れている」
「随分と悪質ですね、それって」
「そう、悪質も悪質。
——実は数か月前から不審者情報は数多く寄せられていたんだ」
ルシアンが、冷ややかに口を挟んだ。
「最初の被害届が出された犯行現場は、人気のない刑部省と魔法省の塔の奥、研究施設が立ち並ぶ庭園で起きた。
あそこは特に残業する女官が多い部署だからな」
「ええ、まさに狙い撃ちにした感じはありましたね。
初期は人気の少ない場所を選んでいたようですが、最後の二件は皇族会議直後の混乱に乗じたもの……。
よりによって官僚馬車乗り場の近くなど、人の目がある場所でさえ犯行に及んでいます」
ドレイクが複雑な面持ちで答えた。
「え? 官僚馬車乗り場の近く……」
ローゼルはちらっとルシアンを見た。
先日ルシアンと食事に行った夜。
彼はそこでローゼルを待っていた。
(あれはひょっとして……私が被害に遭わないように待っていてくれたの?)
ルシアンもローゼルの視線に気づくと、含羞ある笑みを浮かべた。
カッとローゼルは顔が赤くなった。
この人はいつもそうだ。
初めてダンスをした夜会でもそうだった。
ルシアンはいつもローゼルをさりげなく危険を遠ざけて守ってくれている。
そう思う一方、ローゼルは血の気が引いて、冷や汗を首まで掻いていることを自覚した。
私は、運が良かった——
(さっきだってルシ様が助けに来てくれなかったら、まさに貞操の危機だった。
しかも、婚約者でもない、好きでもない人に力尽くで奪われ、傷モノになっていた――)
ゾッとした。
「犯人は王城での犯行を重ねるごとに、犯行頻度も短くなり、やり口も大胆になっていきました」
ドレイクの声が響く。
「本来なら軍部が夜間警備を増強し、全部署に注意喚起を呼びかけるべき緊急案件です。
ですが、もはやそれすらの権限も軍部にはない。
総務省にあります」
「総務省に?」
ローゼルは聞き咎めた。
「そう。だが、実際、被害届は軍部に提出されている。
なので、軍部から総務省に話を入れました。
早急に対策をするように、と」
ドレイクの声音は静かだったが、怒りが含まれているような気がした。
「でも、総務省からは何も通達は出ていませんよ」
ローゼルは詰め寄る。
「この際、管轄はどうであれ、こんなに危険な犯人を野放しにしているのに、何も警告されていないのっておかしいです」
女官がこんなにも犠牲になっているのに、誰も注意を促さない。
むくむくとローゼルの中で怒りが湧いてくる。
あんな風に王宮内の図書館で、男から襲われるなんて——。
ひょっとすると王都の路地裏よりも治安が悪いのではないだろうか。
「それに、どうして総務省なんです?
軍部に王城警備の権限がないなんて常識的に考えても異常です」
警護や侵入者を防ぐのが王城警備、衛兵の目的。
人を守る、その時点で所属が軍部であることが相応しい。
それなのに、総務省?
(こんなのおかしいよ)
ルシアンとドレイクが、また奇妙な表情で一瞬視線を交わした。
その疎外感がローゼルをますます不安にさせ、苛立たせる。
「やはり、これを機に総務省から衛兵の命令指揮系統を返却してもらいましょう」
眉をひそめたドレイクが小さな声で言った。
「そうだな。
今回犯人が捕まったからいいものの、模倣犯が増えても困る」
ルシアンが大きくため息をついた。
「模倣犯?
どういうことですか?」
恐ろしい気持ちでローゼルは、ルシアンと目が合った。
「イースティリア女官」
ルシアンが呼んだ。
ローゼルはぴくっと肩を揺らした。
イースティリア女官。「ローゼ」と最近ずっと呼ばれていたけど――。
(ルシ様から改めてそう呼ばれると変な感じがする)
異様なまでに緊張するのと同時に、込み上げる寂寥感。
でも、これは公式な聴取だ。
公私混同をするわけにはいかない。
「単刀直入に聞く。
夜、歩いていて、どう思った?」
ルシアンが尋ねた。
「あんなふうに王城が暗くて、人気がないとは思ってもみなかったです。
皇族会議の準備のときも何度も夜の王城を歩きまわっていましたけど、その時は人の気配がしたし、王城ももう少し明るくて、『怖い』なんて思いませんでした」
「で、今宵は?」
「怖かったです。
王城内は安全と思っていましたが……。
残念です」
ローゼルの語尾は弱くなった。
「残念。
率直で、素直な感想です」
ドレイクがしみじみと呟く。
「イースティリア女官。
これは王城の歪んだ権力闘争が招いた人災と言ってもいいです」
「人災?」
ローゼルは首を捻った。
そういえば、さっきルシアンは前ビアード伯爵——前総務大臣に原因があるといっていた。
そのことなのか。
そう考えると、総務省が王城警備を管轄しているという荒唐無稽な図がなんとなく繋がる。
「現段階、衛兵については総務省管轄であり、我々軍部は手出しできない。第2魔法騎士団員の巡回を増強するので精一杯だ」
ルシアンの低い声がずしりと体に沁み込む。
「いつからですか?
そんなふうに変更したのって」
ローゼルは声を上げていた。
なにせ、王城内ルールなどの変更および修正が確定した際は、必ず法務省に書類を提出することになっている。そういった書類を他部署から預かって、ライアナース大臣に運ぶのはローゼルの役目だ。
だけど、そんな書類、目にした覚えがない。
「この変更はイースティリア女官が総務省に応援人員に行っている間に可決し、皇族会議の後から施行されている事案だ」
「え?」
「——これはもはや順を追って説明させてもらった方が早いですね」
ドレイクが肩をすくめた。
「そうだな。
今回の前ビアード伯爵たちの思惑を覆すにはそれが一番手っ取り早いかもしれない。
中立公正な法務省の面々には詳細が知られていない感じもするし――。
何やら巧妙に隠されているな」
意味深な言葉をルシアンは呟いた。
どういうこと?
法務省に知られると都合の悪い真実が隠されているということ?
まるで澱のような濁った何かと、底知れぬ淵のような闇が覗くような不気味な気配。
今宵、男に襲われた以上に、本能の出す警告。
そんな危うさが二人の会話から感じる。
重たい沈黙の緊張感が走った。
「そもそもの話をしよう」
ルシアンが言葉を切り出す。
「イースティリア女官も知っているだろ?
戦争推進派の存在を」
「はい、もちろん」
「彼らは、ずっと前から現軍部組織の力を削ぐべく、軍部の権限を分散しようとしていたんだ。
執拗に何度も試行錯誤して、じわじわと見えぬ毒に蝕んでいくようにね。
特にここ最近、その勢力の勢いは凄まじい。
前ビアード伯爵が総務大臣に台頭し始めてからは、軍部を衰退させようと激烈だ」
「前ビアード伯爵が? まさか」
ローゼルは思わず鼻で笑う。
前ビアード伯爵は仕事ができない迷惑オヤジ。
色ボケ前大臣だ。
暇さえあれば、上位貴族におべっかを使うか、愛人の女官ヨオンナ・ピージャンスと会議室にこもって出てこない。
「すみません。
とてもじゃないけど信じ難いです。
あの方が、軍部の力を削ぐなんて大それたことができるとは思いません」
ローゼルがつい本音をぽろりと口にすると、ルシアンとドレイクは顔を見合わせて、奇妙な笑みを浮かべた。
「まあ、彼の直属部署で働いていた女官ならではの、なかなか的を射る発言だ」
「ですね。あの老人の仕事っぷりは無様でしたから。
それは文官の誰もが知るところです」
「――とはいえ、イースティリア女官。
あの老人がなぜ大臣職まで上り詰めたと思う?」
唐突にルシアンに質問され、ローゼルは驚く。
「え……っ」
確かに言われてみればそうだ。
いくら身分が高くてグロウディーナ公爵家と懇意であっても、あそこまで無能な人が大臣に就くなんて簡単ではない。
「戦争推進派にとって、矢面に立つには前ビアード伯爵はちょうどいい駒だったんだ」
「広告塔みたいな?」
「そうだ。
まあ、彼自身も貴族らしい性格の持ち主。
あんなんでも意外と仲間を集め、自分たちの欲望や目的のためなら手段を選ばない。
欲しいものを手に入れるための思い入れは凄まじい」
ルシアンの目が鋭くなる。
「戦争推進派の狙いは、戦争を起こし、力ある魔法騎士団員たちを全員戦地に送り込むこと。
その間に文官たちが軍部の権力を掌握することだ」
ローゼルはぎょっとした。
「え、それって、自分たちが軍部権力を牛耳るために、戦争したい、ということですか?」
「ああ」
ルシアンは苦笑した。
「信じられない……」
なんて、浅ましい利己的な考え方だろうか。
これがこの国の上流貴族の一部かと思うと、呆れて軽い眩暈がしてくる。
「驚くのは当然です」
ドレイクはティーカップを持ち、口に運ぶ。
「彼らは欲に忠実ですからね。
あくまでも自分たちが優位に立つためなら何でもやるんです。
それは第2皇子の教会派も似たような感じですね。
ただ、あちらは軍事魔法の威力を持って、さらに魔法の権威を高めたいという目論見もあり、今のところ手を組んでいないようです。
とはいえ、豚が泥沼で餌を奪い合っているのと、何ら変わりはありませんよ」
なかなか辛口の感想だ。
日々私がコツコツ仕事をしている間にも、熾烈な権力争いは行われているようだ。
「つまりは、手始めに衛兵の管理権を手に入れた、ということですね」
そうローゼルが言うと、ルシアンは酷薄ともとれる奇妙な笑みを浮かべる。
「まあ、そんな感じだ」
「実際、戦争推進派の前ビアード伯爵主導のもと、オークレー次官とタッグを組み、衛兵の管轄権限を総務省へ移した。
ご存知の通り、皇族会議での商会の入城がザルだったのはそういう理由も含みます」
ドレイクの表情はさらに険しくなった。
皇族会議での商会の入城がザル。この件ならローゼルも分かる。
正門の衛兵たちは、商会が申請した人数しか確認せず、敵国マリュード皇国の工作員を王城へ入れてしまった。
「でも、なんで総務省なんでしょうか?
固定観念か、やっぱり、衛兵といえば、軍部、刑部省直轄。というイメージが強いです」
「そう思うのは至極当然です。
王城の守備の要とも言えますからね」
「ですよね。
だいたい、総務省のような文官の集まりが、衛兵をうまく取りまとめられるとは思えません。
女官も多い部署ですし」
「そのとおりです」
まともな戦闘訓練も受けていない文官が、武骨な衛兵たちを力で従えられるとは到底思えない。
「総務省の狙いは、衛兵の役割を『外部人材』に移行することだ」
ルシアンは呆れたように天井を仰ぐように見る。
「それはこの帝国を内側から滅ぼす序章にすぎない――」
王城の夜がさらに更けていく。梟の声がより一層大きく不気味に聞こえた。




