第69話 お茶会の余韻と、特級魔法使いの裏仕事
王都へ一直線に伸びる街道に、二人の人影があった。
ここは現在、魔物出没調査中のため、本来は立入禁止区域だ。
「このあたりか」
クロフォードが低く呟いた。
「そうだね」
エレナとクロフォードは、ローゼルとお茶会を終えたその足でユーモネア領地に向かった。
「はあ、早く解決しないとなぁ」
クロフォードは面倒臭そうに頭を掻きむしった。
魔物出没の影響は、この地域だけでなく王都への物流運輸にも大きな影をもたらしていた。
すでに一部の物資が滞り、価格が高騰する品も続出している。
一番痛手なのは、麦の供給が遅延していること。
この街道が通れないため、王都へ物資を運ぶ商会は、大きく遠回りを余儀なくされていた。
このままでは豊作なのに、王都ではパンが製造できず、餓える者たちが出始めるという歪な構造が起きる。
「魔物の出没理由、そのルートが分かればさっさと開通できるのに。
くそっ、面倒かけやがって」
クロフォードが舌打ちした。
「いいじゃん。
ローゼルが大きなヒントをくれたんだから」
エレナは街道の石畳を確認するように歩く。
エレナの肩に乗っていた黒リスの小次郎が、石畳に降り立ち、クンクン匂いを嗅ぎ始めた。
どうやら、正確な魔物出現位置を確認しているようだ。
ローゼルが魔物と遭遇してすでに一カ月近く。
ローゼルやルシアンの魔法残滓は消え去っている。
『ここだぞ!』
小次郎が二本足で立って、指差した。
エレナとクロフォードは、小次郎が指差す場所を覗き込むように見た。
石畳に血液のようなものが滲んだ跡がいくつも残っていた。
「ここが戦闘現場だね」
「ああ。これが頭を打ち付けた御者の血か」
その時、二人は同時に不穏な電流のようなピリピリとした僅かな魔力を感じた。
同じ方向を見た。
視線の先は鬱蒼と茂った森の中。
顔を見合わせた二人は頷き、躊躇することなく森へと歩みを進めた。
「深いね、この森」
「だな」
鬱蒼と生い茂る森。
幾重にも重なり合う木の葉。
陽に透け、まだら模様を地面に描く。
『ここは俺様に任せろ!
森は俺様の分野だ』
嬉々として声を上げた小次郎が二人の先頭を飛び跳ねるように駆けまわる。
「おいおい。調子に乗るなよ。
大丈夫か?」
クロフォードが懐疑的な声を出した。
「大丈夫でしょ。
魔力の流れは人間のわたしたちより小次郎の方が早く察知できるし」
「まあ、そうだよな」
小次郎は代々の皇族に仕える使い魔だ。
彼の声は、魔力が強く、その技術力が高くなければ聞こえない。
けれど、エレナとクロフォードはこの国で数少ない特級魔法使い。
当然、小次郎の言葉は理解できる。
特にエレナは、皇族が秘密裏に結成させた<影>の諜報部員。
皇族から直々に魔物出没の怪異を解決するよう勅命が下った。
その補佐役として兄弟子のクロフォードも併せて任命されたのだ。
「あぁ、ローゼルとの久々のお茶会、楽しかったなぁ」
エレナはさっきまでの余韻に浸った。
「あの子、案外面白いな」
クロフォードは枝を跳ね除けながら、くすっと笑った。
「でしょ?」
エレナはローゼルのことを初めて会った時から、“勘が鋭い子”だな、とは思っていた。
「魔法はちょっとしか使えないってローゼルは謙虚に言うくせに、平然と上級魔法使いしか感じない魔力を感知するんだよ。
しかも、膨大な魔法の知識量には、表向き魔法省の女官のわたしでも毎回脱帽させられるレベルなんだからね」
「そりゃあ、クレインバール卿が惚れ込むわけだ」
「だよね。頭もいい上に、可愛い。
そう、あの人――エヴァン・ゴルマン卿と女性の好み、クレインバール卿と一緒なんでしょ?」
「よく知ってるな。そう、デカい軍人ほど小柄な娘が好みだったりするんだよ。
第4のノーラン・ターラント団長なんか、騎士団一の可愛いモノ好きだから、きっとクレインバール卿に横取りされて地団太踏んでるぜ。
なにせ、エヴァンが退団したらイースティリア女官を食事に誘う気満々だったらしいからな」
「えっ! そうなの?
んもう、ローゼルったら罪な女だね」
エレナはクスクス笑った。
「けど、あの髪飾り……瑠璃色のリボン。
アレ、エレナは気づいたか?」
「うん、当然。
クレインバール卿の魔力をバンバンに感じた」
「完全にマーキングだよな」
「間違いないね」
「っていうか……、正直言うと、あの令嬢嫌いのクレインバール卿があんな甘々な顔をするなんて、俺、ショックだったんだよ」
「なんで?
いいじゃない」
「だって、キモイじゃん」
「酷い言い方。
ようやくあの御仁にも春がやって来たんだよ」
「そうだけどさぁ……。
蕩けすぎだろ」
次第に森は下降していく。二人は軽口を叩きながらも転がり落ちないように、慎重に進む。
梢の間を風がさらりと吹き抜け、揺れる。
眩しい夕日が射し込む。
「結構歩いたね」
「ああ」
振り返ると街道はもう見えない。
「なあ、エレナ。
そういえば、イースティリア女官ってあの偏屈爺さんの孫だろ?」
「偏屈?」
「そう。ジル・エグアルム卿」
「えー、そうなんだ。それは知らなかった」
エレナは驚いた。
「エグアルム家は秘密が多いからな。
俺、一度、生であの爺さんを見てみたいんだよ。
あの総帥が若い時、かなりしごかれたって聞いたし、今も物凄い魔法を使うっていうじゃん?」
「へえ、そうなんだ。
エグアルム一族は代々とんでもない魔法使いを生み出す、って聞いたことがあるけど。
そういう話は初耳」
「そう考えると、あの子の父親は土魔法のスペシャリストだろ?
はぁ、さすが。
サラブレッドは違うよな」
ぼそっとクロフォードが呟いた。
「クロフォードだって充分血統書付き、由緒ある貴族の出でしょ?」
「まあ、そうだけど。
俺は、あそこの家にしてみたらとんでもない異端児だから。
そもそも魔法関連の血統書付きじゃないし」
「そうかもしれないけど」
「あの子の兄アルバート・イースティリアも、そろそろ皇太子殿下と一緒に帰国するよな」
「そっか。
そろそろそんな時期なんだね」
「ああ。あの兄も阿保みたいに魔力強いんだぜ。
なにせマインラート様も弟子にしたいって本人に直談判してたからね」
「うそぉ。そうだったの?
あっ、でも弟子になっていないってことは」
エレナはあえて言葉を切った。
「そう。断られた。
しかも、すっげぇ理由で」
「なになに?」
「『俺は妹と離れたくないので辞退します』」
クロフォードが急に真面目な顔つきで、声を低くしてわざと言う。
「ぷっ。
それ、アルバート・イースティリア様の真似?」
エレナはケラケラ笑い飛ばした。
「うん。どんだけシスコンなんだよって感じしねぇ?」
クロフォードは肩をすくめた。
「ねえねえ、実際クロフォードとアルバート様、どっちがすごい?」
「えー、それは……俺じゃない?」
奇妙な間を置いて、クロフォードが口の端をにっと吊り上げて笑った。
エレナも小さく笑う。
「じゃあ、どうなるんだろうね。
数年ぶりに帰国したら可愛い妹は、物凄い鬼神軍師に見染められているなんて」
「そりゃあ、発狂ものだろうなぁ」
クロフォードはにたぁと意地悪そうに笑った。
周囲に土と湿ったような匂いが強く立ち込める。
陽射しが徐々に遠くなり、辺りは薄暗くなっていく。
日暮れ近い。
近くに川もあるのか、水の流れる轟音まで聞こえてきた。
クロフォードは空高くそびえ立つ木々を仰ぎ見た。
「ここまでは魔法騎士団は調査していないっぽいな」
「そうだね。
――それにしても、さっきから変な気配と匂いがしない?」
「エレナもか?
うん、俺も実は感じてた。
でも、落ち葉とか土、川の匂いが混じっていて……」
『なんか、あるぞ!』
その時、クロフォードの声を遮るように、前を歩く小次郎が声を上げ、木の上に登った。
枝の先端までいくと、少し先を指差す。
『二人とも足元見るんだぞ!
不自然になんか隠されてるぞ!!』
「え……」
二人は地面に視線を落とした。
尻尾を振る小次郎が示す箇所。
そこには何か太いものを引きずったような跡があった。
クロフォードが木の葉や枝をかき分け、さらにその跡を追う。
これはイースティリア女官を襲った魔物が通った跡だ。
どこからやって来た?
早足になる二人に、木から降りた小次郎はエレナの頭に飛び乗った。
川の流れる轟音が徐々に大きくなってきた時。
『変な匂いがするぞぉ』
小次郎が二本足で立って鼻をつまんだ。
「だな。すごい臭いだ。腐乱臭が酷い」
クロフォードは鼻に手を当て、エレナも顔をしかめてハンカチで鼻と口を覆った。
鼻をつまみながらさらに進むと、周囲の草木は枯れ、森の奥へと続く道筋を形作っていた。
不意に、エレナとクロフォードは、すっと真顔になった。
「ねえ、すごい肌がピリピリするんだけど――わたしだけ?」
エレナが尋ね、その腕をさすった。
「いや、俺も」
『俺様もだぞ!』
二人は小次郎を見た。確かに小次郎の毛が見事逆だっている。
ここまで小次郎の毛が逆だっているのは、良くない傾向だ。
禍々しい気配がこの先で感じられる。
クロフォードが頭上の蔦を払って歩いていくと、そこには少し広い空間があった。
「なに、これ……」
二人と一匹は息を呑んだ。
目の前に広がっているのは、大きな魔法陣。
くっきりと魔法陣の線が残っている。
「転移魔法の魔法陣か」
クロフォードの声は冷ややかだった。
エレナはしゃがみ込んで、そっと魔法陣に触れるか触れないほどまで手を近づける。
それから、そっと気配を探る。
何度も使われた痕跡があり、強い魔法残滓が重なっている。
だから、こんなにも魔法陣の周囲が焦げ、鮮明に見えるのか。
しかも、これ……。
「随分と魔法残滓を隠そうといろいろ術を施しているね」
「ああ。けど、俺たちには隠しきれない。
――イースティリア女官が遭遇した魔物たちはこの魔法陣で意図的に運ばれた」
「うん。そして、魔物を呼び寄せる呪物の魔法陣で、その魔物たちはローゼルを狙い撃ちした」
クロフォードとエレナは目が合い、互いに頷き合った。そこに小次郎も加わって頷く。
エレナはすっと立ち上がった。
「とりあえず、これ、結界を張っておこう。
誰かが誤って踏んづけたら大変よ。
っていうか、使えないように封印処置も施さないとね」
「ああ。じゃあ、俺が――」
クロフォードの荘厳な詠唱が森に響く。
周囲の空気が震えた。
魔法陣の周囲に淡い光の壁が立ち上がり、落ち葉の上に幾重もの紋様が浮かび上がる。
結界は静かに脈動し、触れようとする者を拒むように淡い光を放った。
クロフォードが結界を施している間に、エレナは師匠の使い魔の白梟を呼び寄せた。
ポケットから地図を出し、この場所の印をつけた。
その様子をエレナの肩によじ登った小次郎が覗き込む。
「これで良し」
梟にその地図を取り付けて、空へ飛ばした。
「これで魔法騎士団がここまで真っすぐやって来られるよ」
クロフォードは額の汗を拭い、深く息を吐いた。
「こっちも完了だ。
これで不用意に踏み込む者はいない」
『ご苦労!』
小次郎がふんぞり返りながら、偉そうに二人を労う。
「小次郎もお疲れ様」
エレナは小次郎の頭を撫でた。
『報酬はイチゴがいいぞ』
調子にのった小次郎が尻尾をぶんぶん振り回して、ご褒美を要求した。
「調子に乗るな」
クロフォードがじろっと小次郎を睨む。
だが、小次郎はひるまない。
むしろ、ムキになって言い返す。
『俺様、頑張って道案内したぞ!』
「はいはい。まあ、でも――」
クロフォードは、自分が結界を施した魔法陣へ視線を投げた。
「誰がこんな転移魔法陣を? 街道に出るまで毎回一苦労だぜ」
クロフォードが低く呟いた。
エレナと小次郎も、結界を見つめた。
結界の効果なのか、激しい腐乱臭は和らいだ。
ひんやりとした風がそよぐ。
「そこがいいんだよ、きっと。
魔物が森の奥から突如現れても不思議に思わない」
冷ややかな声でエレナが、歩いて来た街道方向を見据えた。
「隠蔽の仕方が雑なわりに、魔法陣は巧妙すぎる。素人じゃないな」
クロフォードの声も神妙になった。
「ねえ、この残滓……。
『アレ』に近くない?」
「アレ?」
「うん……。
魔法騎士団が踏み込んだ呪具人形製造現場。
あそこにあった不気味な魔力残滓」
クロフォードはハッとする。
エレナは無言で頷いた。
「行こう。
この奥にあるかもしれない」
クロフォードの顔が険しくなった。
結界の光が背後で静かに揺れる中、彼らはさらに森の奥へと足を踏み入れていった。




