第67話 王宮魔術師の来訪と、消えた伯爵の行方
「ノ、ノーエランド卿……」
昨夜のナイトマーケットでエレナと一緒に消えて行った、王宮魔術師クロフォード・ノーエランドだ。
今日は王宮魔術師の真っ白な制服に身を包み、焦げ茶色の髪を撫でつけていた。
「アイツ、逃げたんだって?」
クロフォードが尋ねた。
「え……っと、アイツって……?」
「ナージュ・ウルーム伯爵だよ。イースティリア女官のところに来ていただろ?」
「はい」
おずおずとローゼルは頷いた。
何でそのことをこの人は知っているんだろう?
ローゼルは懐疑的な目でじろじろとクロフォードを見た。
そもそも人嫌いで有名な彼はミステリアスすぎて、懇意になる前のルシアン以上にさらに遠い雲の上の人だった。
それなのに、こんなに近くにいる。
一時期、ローゼルは同期のエレナが彼に片想いしているんじゃないかと、ずーっと疑っていた。
エレナがもう一人の同期ランス・マクィーンと婚約するまでは――。
ローゼルがあまりにも真剣に顔を見るからか、クロフォードはくすっと笑った。
「警戒しなくていいよ。
俺とクレインバール卿はマブダチだから」
「マブ?」
ローゼルは首を捻った。
「戦友ってこと。
お互い、背中を預けられる数少ない同士」
「なるほど。
……あの、戦友ってことは、七年前のマリュード皇国との戦争の時のですか?」
侵攻してきたマリュード皇国に、激しい防衛線戦を繰り広げ、最終的にルシアンとクロフォードが偉業を成し遂げ、勝利に導いたという。
「よく知ってるね。
あれは戦争という小競り合いかな。
まあ、あと、四年前の西南地域の闇組織解体とか。
その他いろいろ」
クロフォードはナージュが座っていた席に座って、手を挙げて給仕を呼んだ。
「サンドイッチのセット追加とアールグレイ、ふたつ。
あと、胡桃を一つ。
殻は取っておいて」
クロフォードは慣れた感じで注文をする。
(ん? ふたつ?
それに胡桃?)
ローゼルはお皿に残っていたタルトを食べながら、首を捻った。
だが、給仕の男は不審がることもなく「かしこまりました」と礼儀正しく注文を受け付け、頭を下げた。
ここは来客用サロン。
そもそも外部のお客様がいなければ使用できない。
けれど、王宮魔術師の彼は特別なようで誰も不審がってない。
「で、何しに来たの? あの伯爵」
クロフォードは躊躇いなく、斬り込んだ質問をぶつけた。
「何しにって……」
「息子釈放の嘆願依頼?」
クロフォードはニッと笑った。ローゼルは目を見開いて驚いた。
「なぜそれを……」
レオーネが殺人容疑で魔法騎士団に捕縛されていることは秘密事項だと、ルシアンは言っていた。
「驚くことねぇよ。言っただろ?
俺とクレインバール卿はマブダチって」
「……ああ、そういうことですか」
ローゼルは合点がいった。
ふだんの軍部の捜査から王宮魔術師が手を貸していると聞いたことがあったけど、そういうことか。
ローゼルは視線を下げた。
やけにテーブルのタルトの生クリームが艶やかに映る。
「婚約を続行して欲しい、と言われました」
「へえ……」
「たぶん、レオーネが万が一罪を犯していたら、完全にウルーム伯爵家は終わりです。
けど、罪を償って出所してきた時まで現ウルーム伯爵が今まで通り伯爵位のままなら、そのままレオーネに継がせられる可能性があり得ます」
「まあね。二重殺人と言っても、平民相手だからね。
貴族相手よりは罪は軽い。
数年後には出て来るだろうな」
クロフォードは諦めたような声を出した。
「はい。その時、後継ぎを産む女性が必要になります。
しかも、ウルーム伯爵家の悲願は魔法使いの子を生み出すこと」
「ふうん。そうなんだ」
「そうなんです。
だから、私を手放したくないのかなぁと思いました」
「へえ。それって男側の勝手な言い分だよな」
「え?」
「だって、イースティリア女官に罪人の男の妻になれって頼みに来たようなもんだろ?」
「確かに」
ローゼルは大きく目を見開いた。
「ちょっと勝手すぎるから断った方がいいぜ。
いいじゃん、イースティリア女官にはクレインバール卿がいるんだし。
だいたい、あの伯爵がイースティリア女官のところに来なかったら、クレインバール卿とランチも一緒にするはずだったんだろ?
残念だったな」
「ん?」
なぜ、それを知っている?
ローゼルが目をぱちくりさせていると、クロフォードは愉快そうに肩を揺らして笑った。
昼休憩時間になったのか、廊下が騒がしくなった。みんな食堂に向かうのだろう。
ローゼルはやけに喉が渇いて、ティーカップに手を伸ばした。
そっとクロフォードを見た。
(たぶん、私、自分が思っているよりもすごく緊張している)
やけに私とルシ様の間柄に詳しい。
昨日、ナイトマーケットデートしていたのは、彼もあの場にいたからバレている。
とはいえ、奇妙な感じがする。
友達が好きだったかもしれない男の人——
それから私の好きな人の友達——
なんか変に意識してしまう。
しかも今まで縁がなかった王宮魔術師が直々にローゼルに話しかけてきた。
これは何か目的があるに違いない。
そう思うのに、彼の吸い込まれそうな白い肌に目を奪われて、ローゼルは無意識のうちにクロフォードをじろじろと観察していた。
女の子みたいにすごく綺麗な男の人だなぁ。
その視線が不愉快だったのか、クロフォードは眉をひそめた。
「なに?」
「え、あ、ごめんなさい。
えっと、すごい人と今しゃべっているなぁと思って感動を噛みしめていたんです」
「すごい人……?」
「はい、すごい人です」
力強くローゼルが頷くも、クロフォードは訝しげに首を傾げた。
「俺がすごいっていうなら、クレインバール卿も凄いよ。
あっちの方が桁違いの魔力と武力。
俺、タイマン勝負で勝てる気しねぇもん」
「そうですね……」
この国最強の武闘派魔法使い VS 天才異端児王宮魔術師。
それはそれで凄まじい闘いになりそうだ。
何と言っても、彼は元王宮魔術師筆頭マインラート・ソシュールの弟子。
魔法が好きなローゼルにとって、憧れの御仁だ。
「すごい人」に変わりない。
「私からしてみたら、お二人とも尊敬できるすごい人です」
ローゼルは、フォークを置いて指をこねくり回した。
「ふうん」
クロフォードがテーブルに上半身を乗せて、両肘を掴んでローゼルを見上げた。
「なんでしょう?」
今度はローゼルが尋ねた。
「あんた、面白いね。
やっぱりあのヴァービナス女官の友達だ。
見ていて飽きない」
「そうですか?」
「ああ、クレインバール卿が夢中になるのも分かる」
楽しそうにクロフォードが口角を上げて、背もたれに寄りかかる。
「そうそう。
あんた、呪術って知っているか?」
「呪術……」
ローゼルは言葉に詰まった。
クロフォードはさらりと言ったが、呪術は禁術の一つで、実践はもちろん、研究することも禁止されている術式だ。
口に出すのも恐ろしい――。
「えっと、名前だけ聞いたことがあるくらいですね」
ローゼルは平静を装い、肩をすくめた。
「そっか」
クロフォードは何かを思い立ったように黙り込んだ。
気まずい沈黙が流れた。
やがてクロフォードが注文したものが運ばれて来る。
目の前に、追加のサンドイッチと、ローゼルが不思議に思った小さな小皿に載った胡桃が並ぶ。
もちろん、殻は除去されている。
あと、とてもお洒落なティーカップが二つ。
給仕がそこに湯気の立つ熱い紅茶を淹れた。
それでもクロフォードは黙ったまま、何か思案していた。
(なんだろう、私、変なこと言った?)
ローゼルは内心挙動不審になって、視線を泳がす。
最終的に胡桃を見つめることで落ち着いた。
ノーエランド卿は、胡桃、好きなのかな?
クロフォードがその視線に気づいた。
「これ、俺のじゃないから」
「え? 違うんですか。
私、てっきり胡桃がお好きなのかと……」
その時、足元を黒いものが走っているのに気づいた。
(え、なに?)
ローゼルがびくついていると、それは黒リスの姿になった。
「キィ」
動物の甲高い鳴き声。
「あっ、エレナのところの小次郎」
「そう。コイツの好物だ」
小次郎が尻尾を振って、自分の存在をアピールした。
「もうすぐエレナ嬢も来るはずだ」
「エレナも?」
思わずローゼルの口角が上がった。
その時、アールグレイのいい香りが鼻孔をつく。
そういえば、エレナは紅茶なら好き好んでアールグレイティーを飲んでいた。
ひょっとして、ノーエランド卿はそれを知っていて頼んだのかな?
でも、エレナは紅茶派じゃなくてコーヒー派なんだけどな。
ローゼルは冷め切ったお茶を口に含む。
「それでさ、ローゼル嬢は魔力感知が鋭いんだよな?」
ぐっとクロフォードの双眸がローゼルを射抜くように見た。
ローゼルはどきっとした。
若草色の意志の強い瞳だ。
吸い込まれそう。
「はい。一応……イースティリア子爵家の中では一番鋭いと言われてます」
ローゼルはなんだか恥ずかしくなって、視線を落とした。
「だよねぇ。
――実はさ、教えて欲しいことがあるんだよ。
今回の任務に関係することで、これが終わらないとエレナも出張が完了できなくてね」
クロフォードはサンドイッチに手を伸ばした。
「私の魔力感知がお二人の任務完了のお役に立てるんでしょうか?」
ローゼルは首を傾げた。どうも話が見えない。
「ああ。すごーく役立つ」
クロフォードはあっけらかんと言って、サンドイッチを頬ばった。
言葉が途切れ、沈黙が広がった。
ローゼルはますます混乱して、眉間に影を落とす。
困惑の色がますます濃くなって、気まずい雰囲気が流れる。
「キキィ!」
その時、小次郎が飛び上がり、テーブルに飛び乗ったと思うと、クロフォードの手の甲を尻尾で打ち付けた。
「痛っ!」
クロフォードは声を上げ、打たれた手の甲を反対の手で撫でるように触った。
「痛いなぁ。
なんだよ、小次郎」
「キキィキィ!」
小次郎がクロフォードに向かって怒っているような口調で鳴いた。
「え、全然困らせてねぇし。
……ちっ、痛いなぁ」
クロフォードは不貞腐れたような表情で手の甲にフーフー、息を吹きかけた。
少し腫れあがっている。
「キキィ、キキキィィキ!」
小次郎がクロフォードに説教するかのように怒り鳴いている。
「あ~、分かったよ」
クロフォードは降参するように両手を挙げた。
「小次郎がさ、あんたのことを俺がいじめるって言うんだ」
「え、言葉、分かるんですか?」
「あー、コイツは特別。
他のリスは分かんない。
でも、ローゼル嬢は前々からこの小次郎にクリモナの実?
あれを与えてたんだって?」
「え? そうだっけ」
ローゼルは記憶を探る。
「あぁ、確かに一人の昼休憩のときとかに、手持ちのクリモナの実をリスにあげていたときがありました。
その時に黒いリスも混じっていたかもしれないですね」
「キィ!」
「それ、『俺様だ』って言ってる」
小次郎が、クリクリの瞳で鼻をひくつかせながらローゼルを見上げた。
「そうだったんだ。
小次郎だったのね」
ローゼルは笑みが零れ、小次郎の頭をそっと指の腹で撫でた。
小次郎は気持ち良さそうに目を細めた。
「ふふ、可愛い」
「チチチィ、キキィキィ」
「え? なに?」
小次郎にローゼルが耳を傾けて訊き返すと、クロフォードは手のひらをさすりながら答える。
「『昨日の飴も美味しかったぞ』だって。
完璧に餌付けしたな」
「餌付けって……。
あっ、これ。
使います?」
ローゼルはポケットから手のひらサイズの薄い缶を取り出した。
「もし良かったらですけど。
手荒れ用でも効くかもしれません」
クロフォードと小次郎は顔を見合わせた。
「キキィーキキィ」
小次郎がローゼルをキラキラした瞳で見つめ、何を訴えている。
「え? なに?」
「『お前、やっぱ、いい奴』だってさ」
クロフォードは小さく呟くと、ローゼルから缶を受け取った。
「確かに噂に違わぬ令嬢だな。
ヴァービナス女官があんたのために尽力を注ぐわけだ」
憮然としたまま缶の蓋を開けてクロフォードは薬を手の甲に塗った。
「尽力?」
「そう」
「お待たせ」
その時、黒のローブを頭から被ったエレナが二人と一匹の前に現れた。
「キキィ!」
小次郎が嬉しそうにエレナに飛びついた。
それから、何かを訴えるようにずっと鳴き続ける。
エレナは神妙な雰囲気で頷き、ローゼルの隣に座った。
「もう、ノーエランド卿。
いくらローゼルが可愛いからっていじめたら駄目ですよ」
エレナが困ったような笑みを浮かべて言った。
「断じていじめてねぇーし。
これ、ありがとう」
不愉快さを滲ませたクロフォードが、ローゼルに缶を返す。
「だいたい、ローゼル嬢をいじめたら、クレインバール卿に、俺、間違いなくボコられるだろ。
そんな危険なことしねぇーよ」
そう言うと、クロフォードは胡桃を小次郎の前に差し出し、小次郎は嬉々として胡桃に齧りついた。
エレナがあっけらかんと言う。
「ごめんね、ローゼル。
ノーエランド卿は悪い人じゃないけど、口が悪いのが玉に瑕でね」
「うるせぇ」
「ほら、口が悪い」
エレナが「めっ」と母親のように目でクロフォードを叱る。
クロフォードはますますむくれたような顔つきになった。
そんな二人にローゼルは一瞬呆気にとられたが、なんとなくおかしくてクスクス笑った。
「あのね、ローゼルにどうしても聞きたいことがあったの」
エレナがティーカップに手を伸ばした。
「うん。私の魔力感知が役に立つんだってね?」
「そうそう」
ローゼルは、今度はフルーツタルトを手元のお皿に盛りつけた。
「あっ、エレナもケーキ食べる?
紅茶のシフォンケーキかな、これ。
好きだよね?」
「うん、食べる。
ありがとう」
ローゼルはエレナ用にシフォンケーキと生クリームも添えた。
「ノーエランド卿はケーキ、食べますか?」
それとなくローゼルが尋ねると、クロフォードは首を振った。
「いや、俺は腹が膨れるのがいいからサンドイッチで充分」
「サンドイッチで膨れますか?」
「いいや。
あとで王宮官僚食堂で何か食うからいいよ」
「ノーエランド卿は、まだよく食べる成長期だからね」
エレナがシフォンケーキを食べながら楽しそうに肩を揺らした。
「いいだろ?」
「成長期……って。
随分と長い成長期ですね。
まるで十代の男の子みたいな言い訳ですよね」
ローゼルが口を挟むと、クロフォードは「もう、うるさいなぁ」と不貞腐れたようにサンドイッチを口に入れた。
ローゼルとエレナは顔を見合わせ、クスクス笑った。
***
「どういうことだ?」
ルシアンは腕を組み、若い騎士たちを見下ろした。
彼らはその圧迫感に身を縮こまらせながら、震える声で返事をする。
「はい。王城の門すべて確認したんですが、ウルーム伯爵家の馬車が出て行った形跡はありませんでした。
それどころか、馬車置き場に、伯爵家のはそのまま残っています」
「馬車がないのに、伯爵は王城を抜けたというのか?」
ルシアンの声は自ずと低く威圧的になる。
騎士たちはびくびくしながら答える。
「すべての王城の門を確認しましたが、ウルーム伯爵らしき人物が出城した形跡はありませんでした」
「……んじゃあ、どうやって出たんだ?」
忌々しい気持ちで、ルシアンは後頭部をカリカリ掻いた。
王城内を隈なくウルーム伯爵が隠れていそうなところはすべて探した。
もちろん、どこにも彼の姿はない。
しかも、ウルーム伯爵家の馬車も置き去り。
誰かが手引きして王城を脱出したのか?
***
カタカタ……。
一台の荷馬車が王城の跳ね橋を渡る。
荷台には、エルミナ商会の屋号の紋が印字されていた。
王城を囲む堀を渡り終えると、荷台の中の荷物がごそごそ動き出す。
荷物に紛れて頭から布を被って隠れて、城を出たナージュ・ウルーム伯爵だ。
「助かったよ」
ナージュは御者にお礼を言った。
「いえいえ。
お役に立ててよかったですよ」
御者は前を見ながら、にこやかに言った。
前方から別の商会の荷馬車がやって来た。
「あぁ、念のためまだ隠れていてくださいよ」
御者がさらりと言うと、ウルーム伯爵は布を被って荷物に再び紛れ込んだ。
王城の堀を渡る荷馬車は、誰にも気づかれぬまま、どんどん遠ざかる。
やがて王城を抜けた伯爵の影は、帝国全体を揺るがす火種となるのだった。
この逃亡が、さらなる混乱を呼ぶことを、まだ誰も知らない――。




