第66話 最高級ケーキと国家機密の不審な漏洩と……
この男、いつの間に……。
リュシューリル・グロウディーナ公爵が美しい笑みを湛え、全員を見廻す。
ルシアンは腹立たしい思いで公爵を見た。
鷹揚でノーブルな、中性的な美を持つ男。
妻子がいるにも関わらず所帯じみたところや世俗にまみれたところがない。
そのくせ、忌々しいほど腹黒い曲者。
廃教となった邪教の敬虔なるアミラス教の家柄だが、うまくそれをひた隠しにし、この国の権力者に上り詰めた。
慌ててナージュ・ウルーム伯爵も立ち上がった。
当然だ、目上の者が立っているのに、目下が座っているのはマナー違反だ。
ナージュは恭しく胸に手を当て、深く頭を下げた。
「久しいね、ナージュ・ウルーム伯爵」
「はい。ご無沙汰しております。
グロウディーナ公爵閣下」
その言葉に、公爵は満足げに頷いた。
「いやはや、一体どうしたらこんな顔ぶれが揃うんだろうね?」
ゆったりとした動作で公爵は、全員の顔を見回して悠然と口を開く。
「ここは来客用サロン、いわば王宮の玄関口だ。
騎士たちが爵位のある者を取り囲むのは穏やかじゃないな。
ね、クレインバール卿」
穏和な声音だが、どこか咎めるような口調。
「グロウディーナ公爵閣下。
お騒がせして申し訳ございません」
ルシアンはすっと公爵の前に立ち、胸に手を当てて改まった表情でお辞儀をした。
「此度ウルーム伯爵領地内で起きた様々な事件性のあった出来事、また魔法騎士団納品の魔剣について、数々の違反行為が見受けられました。
そのため、伯爵には詳細な事情をご説明していただきたく、ご同行をお願いに上がっただけです」
礼儀正しく威厳のある声をルシアンは響かせるが、皮肉もしっかり交える。
部外者が口を出すな、と。
サロンの客たちが耳聡く、ざわつく。
「ウルーム伯爵領地で事件?」
「数々の違反行為とも言っていたぞ」
「一体何をやらかしたんだ?」
ぼそぼそと交わされる会話。
ウルーム伯爵の顔が大きく歪んだ。
プライド高い伯爵には効果的だったようだ。
彼の顔にますます焦りが見える。
公爵はため息をついた。
「そうか。違法行為はよくないな」
「ええ、仰る通りです」
ルシアンは用心深く頷いた。
腹を探り合う空気感が漂う。
「だがな、クレインバール卿よ。
こういった場での連行は皆の目があり、なにより外聞が悪い。
日を改めて伯爵に出仕してもらえばよかろう?
出不精のウルーム伯爵が王城まで来たのはきっと火急の用だ。
邪魔だては良くない。
な? ナージュ」
柔和ではっきりとした口調で、ルシアンを咎め、グロウディーナ公爵はウルーム伯爵に話を振る。
「はい、そのとおりでございます」
ナージュは恭順の意を示す。
口元にはうっすらと勝ち誇った笑み。
ルシアンは内心舌打ちをした。
(まったく忌々しい)
せっかく追い込んだ獲物が、水を得た魚のように生き生きとし始めていやがる。
「お言葉ですが、軍部より出頭命令は何度も出しております。
ですが、何者かの妨害で伯爵の手元にまで届いていない様子。
そのため、直接お声かけさせていただきました」
ルシアンは無表情のままで、だが、慇懃丁寧に告げた。
妨害者は、公爵――あなたですよね?
そう暗に仄めかす。
「妨害?
それは剣呑だね」
グロウディーナ公爵は他人事のように頷き、気を持たせるようにゆったりと顎に手を当てる。
「だけど、そんなもの本当にあったのかな?」
悠然とルシアンに視線を投げた。
「どういう意味でしょうか?」
ルシアンは眉をひそめた。
「君の上官のオークレー次官から聞いたよ。
武官の中には平気で嘘をついて虚偽申請をする者がいるとか。
それどころか、職務怠慢に走る輩もいるらしいね。
怠惰も甚だしい。
そういえば、王都でも魔法騎士団と名乗って女性に乱暴する不法者もいて、市井の民も随分と困っていると耳にしたことがあるよ」
場の空気が凍った。
ルシアンのこめかみがピクピク動く。
(あんの糞上官めっ)
余計なことを自分の手柄のようにいけしゃあしゃあと密告しやがって。
ルシアンは怒りのあまり、目の前が真っ赤になった。
公爵は寛いだ表情で淡々と続ける。
「他人の罪を裁く前に、まずは自分たちの行動を見つめ直すべきだ。
足元を固め、それからだ。
ようやく爵位ある者に敬意を持って、前触れを出す。
そして、それ相応の場所で事情聴取をする。
それがマナーというものだ。違うかな?」
「ええ。
ごもっともです」
ルシアンは自分の顔が引き攣るのを感じながらも、必死で笑顔を浮かべた。
「ああ。
そうそう、クレインバール卿」
公爵がふいに閃いたように声を上げる。
「先日はうちの末娘が突然押しかけ、申し訳なかったね。
君のスケジュールを確認することもなく、ましてや前触れもせず押しかけて本当にすまない。
君の執務室でお茶会だなんて突拍子のないことをするなんて――」
公爵は面白がるようにルシアンの顔を覗き込む。
先日。つまり、グロウディーナ公爵の末娘ナディアが突然オークレー次官と共に、ルシアンの執務室に現れ、強行お茶会を開催したことだろう。
「あの後、大公や宰相から再三注意を受けてね。
今後は君の職務に敬意を持って、然るべき場所でお茶会を開くよう私からもきつく伝えてある。
大丈夫、ちゃんと招待状を出すから。
その際は、是非とも気兼ねなく足を運んでくれたまえ」
それから公爵は、一瞬だけローゼルに一瞥する。
「格下の貴族の娘を相手にするよりも、将来性のある格上の条件の令嬢と懇意になった方がクレインバール辺境伯領地のためでもある。
軽挙を慎み、熟考の上、慎重に事を運びなさい」
再度ルシアンの双眸を覗き込むように、公爵は艶然と微笑んだ。
(前触れなく押し入った娘の件を、こちらの連行に重ねて皮肉ってやがるとは。
先日の意趣返しかよ)
その上、子爵位のローゼルと懇意になっているルシアンへの牽制も含ませている。
怒りが激しい波のようにルシアンの全身に広がる。
ルシアンはちらっとローゼルを垣間見た。
彼女にお茶会のことを知られたことに罪悪感を抱く。
だが、ローゼルは何か別のことに気を取られている。
なんだろう、ずっと公爵の少し上を見つめているが、何かあるのか?
ルシアンがローゼルの視線を辿ろうとしたその時。
「ルシアン様」
騎士の一人が、鋭い声で小さくルシアンを呼んだ。
「なんだ?」
ルシアンが不快そうに眉間にしわを寄せた。
「ウルーム伯爵がおりません」
「は?」
ルシアンは振り向いた。
まさか。
さっきまでいたはずのナージュ・ウルーム伯爵の姿が忽然と消えていた。
***
ローゼルは、ナージュ・ウルーム伯爵が消えたことには気づかず、別のものに気を取られていた。
何度も目を瞬く。
なんだろう、この生き物。
騎士たちがウルーム伯爵を探し始めた頃、ローゼルは別のものを見つめていた。
鳥、だよね?
グロウディーナ公爵の頭上を飛び回っているピカピカと光っている鳥。
品位が漂う中で、愛らしいつぶらな瞳は印象的だ。
文鳥のような小型の鳥類なのだろうけど、高貴で神々しい。
そして、どこか生気を感じさせない不思議な生物だ。
まるで宰相のデメトリオ公爵に付き添っていた使い魔の「静かな男」と同じ雰囲気を醸し出している。
ううん、むしろ、エレナと一緒にいる黒リスの小次郎にも似ている――。
グロウディーナ公爵がローゼルを真正面から見据えた。
視線が絡み合い、どきっとした。
ローゼルは慌てて胸に手を当て、頭を下げた。
「君は見えるのか?」
「え?」
ローゼルははっとして顔を上げた。
それでも公爵の顔よりも、文鳥もどきが気になって、ついそこにチラチラ視線を投げてしまう。
なにせ、鳥は公爵の肩に留まったのだ。
公爵の麗しい顔よりも鳥に目がいく。
「見えているな」
はっと我に気付き、ローゼルはもう一度頭を下げた。
「申し訳ございません。
なんのことかさっぱり……」
語尾を濁した。
直感的にこの場ではっきり見えると言わない方がいい気がしたからだ。
やけに胸がざわめいて落ち着かない。
その時、ローゼルはようやくいつの間にかウルーム伯爵が姿を消したことに気づく。
騎士たちや周囲がバタバタ慌ただしくなる。
それだけローゼルにとって、公爵の周囲を飛び回る光る鳥は心奪われるほど珍しく、釘付けになってしまっていたのだ。
言い淀むローゼルに公爵は、冷ややかに見下ろした。
「……」
しばらくの間、公爵は何も言わず、何かを考え込むような仕草をする。
だが、やがてすべてのものに興味をなくしたかのように、彼は肩に鳥を乗せたまま、ふらりとサロンを立ち去った。
静かにローゼルはその後ろ姿を見送った。
(私、グロウディーナ公爵と初めて言葉を交わしたかも……)
今頃になって心臓がばくばくと大きな音を立て始めた。
今までライアナース卿の付き添いや補佐役で参加した大きな会議で何度か顔を合わせているが、全く接点がなかった。
スッとした端正な美しい面差しに、落ち着いた物言い。
威厳があって、高潔。
まさに“高貴”という言葉がぴったりの貴族だと思った。
そう、さっきの鳥みたいに。
(あの我儘令嬢、ナディアの父親とは思えないほど立派な人よね)
彼は外務省大臣だ。外国との関係において、必要であれば、武力行使を辞さないような強硬的姿勢を持つ主戦派だ。
ウルーム伯爵に似た危険思想の持ち主で、会議の発言も何かとこちらがハラハラするようなことを平然と言う。
けれど、妙に説得力があって、リーダーシップやカリスマ性は凄まじい。
その強気姿勢が逆に近隣諸国の軍事政権の国々への牽制になっていたりする。
いろんな人から話を聞くと、やはり「物騒な人だな」と思う反面、あの麗しい立ち振る舞いには、つい目が吸い寄せられる。
グロウディーナ公爵家を支持する貴族が多いのはそういうことかな、と思った。
「ローゼ」
ローゼルが呼ばれた方を見ると、狼狽した表情のルシアンがいた。
「悪い、今日はお昼一緒に食べられそうにない」
ルシアンが声をひそめた。
ローゼルも自然と小声になる。
「問題ありません。
大丈夫ですよ」
そう、今日は彼と昼食を一緒に食べようと約束をしていた。
帰りも夕飯を食べに行こうって。
この調子だと無理そうだ。
「本当にすまない」
ルシアンは拝むようにして両手を合わせて謝った。
ローゼルは首をゆるゆると振った。
「しかたありません。グロウディーナ公爵閣下に、直接いろんなことを指摘されてしまいましたからね。
夜の約束も、また今度にしましょう」
「すまない、この埋め合わせはまたする。
俺はてっきりあの御仁は平民には一切興味を示さないと思っていたんだが……」
ルシアンが眉をひそめた。
「高級官僚がこういう公然の場で、あのように直接苦言を呈されてしまったんです。
最優先事項で対処しなくてはいけません。
私のことは気にしないでください」
一瞬ルシアンは寂し気な表情を浮かべる。
「随分と物分かりがいいな。
やっぱりグロウディーナ嬢とお茶会したこと、怒っている?」
「え?」
ローゼルは戸惑った。
ルシアンの表情がやけに可愛く見えたからだ。
まるで捨てられた仔犬のような顔。
(そ、そんな顔をされても、こちらも困る……)
僅かに自分の頬が熱を持ったことにローゼルは気づく。
それから、ローゼルはそっとルシアンに近づいて、耳打ちする。
「違います。そのことは気にしてません。
あの令嬢のことです。
無理矢理、執務室に押し入ったんでしょ?」
「ああ、そうなんだ」
分かってくれるのか!と言わんばかりに、ルシアンの顔が輝いた。
ますます人懐っこい仔犬のようで、ローゼルはクスッと笑った。
もう一度耳打ちする。
「……そのう、ここで我儘を言って『嫌だ』なんて言ったら、ルシ様だけでなく騎士団員まで困っちゃうでしょ?
我儘を言って好きな人をうんざりさせるような女の子になりたくないんです」
たちまちルシアンの目が大きく瞠って、口元に笑みが零れた。
その笑顔を見ただけで、ローゼルの心は温かくなる。
「すみません。
私、ウルーム伯爵がいなくなったことに気づかなくって……。
もっと注意力があれば、騎士団の皆様を困らせることもなかったのに」
そうすれば、約束通りお昼も夜も一緒にご飯が食べれた。
ローゼルは、不意に悲しい気分になって指をコネコネし始めた。
「ローゼルのせいじゃないよ。
でも、気を遣ってくれてありがとう」
ルシアンはぽんとローゼルの頭を優しく叩く。
「それじゃあな」
そして、ルシアンたちはサロンを出て行った。
ローゼルは、その彼らを見送ってから、ルシアンが撫でた頭をそっと触った。
なんとなく、その部分が熱を持った感じがして、胸が高鳴った。
しばらくすると、不穏にざわめいていた来客用サロンが落ち着きを取り戻す。
ローゼルはテーブルに視線を落とした。
三段のティースタンドには、まだ手つかずのケーキがある。
フルーツタルトにクリームとジャムが添えられたスコーン、サンドイッチやキッシュ。
(これ、食べないとケーキにも職人にも失礼よね)
栄養は偏るけど、このままここでお昼を済ませちゃおう。
ローゼルは椅子に座り直して、残りのケーキを黙々と食べ始めた。
はあ、美味しい。
皇族が舌鼓を打つ最高のパティシエが作っただけあって、ケーキの味は最高級品。
味わって食べると同時に、さっき起きた騒動がローゼルの頭の中で反芻される。
どうしてウルーム伯爵はあそこから逃げるように立ち去ったのかしら。
悪いことをしていないなら、この際、全部調べてもらえばいいのに。
あれでは、自分から悪事を働いていますと宣言したようなものだ。
――ディウースリィ伯爵は魔道具の核となる魔素石を独占的に採取、販売し、意図的に在庫を留保。
そのためここ最近、魔素石の市場価格は高騰しています。
これは私なんかより質が悪いと思いますが――取り締まらないんですか?
ウルーム伯爵の薄ら笑い。
思い出すと、ぞくっと背筋が凍る。
改めて考えると、軍師のルシ様が直接声を掛けに行くということは、自分が想像している以上に、伯爵はおぞましい犯行をしているのかもしれない――。
そう思ったら、背筋が冷たくなった。
魔素石採取については、伯爵の言う通り、魔道具の核になる重要鉱山のひとつ。
独占を防ぐための国への報告義務や、不法採掘を防ぐための国家機密指定がされている。
すっかり抜け落ちていたけど、法務省でも契約審査室の限られた人しか閲覧権限がない特別な――皇族とその採取に携わる領主の極秘契約だ。
(法務省の私でも、大臣許可がないと閲覧できないくらい厳重に管理されている契約書よね)
それなのに、ウルーム伯爵は知っていた――。
ローゼルのケーキをカットする手が止まる。
だいたい、そういった契約があること自体、大半の貴族は知る由もない。
もちろん、採掘できる地域は限られているから、詳細な領地も場所も非公開。
なんで知っていた?
どうやって知った?
沸き起こる疑問。
辿り着く答えは、ひとつだ。
けど、ローゼルはその答えを首を振って打ち消す。
考えすぎだよ。
だって、あり得ない。
(契約審査室の中に内通者がいたなんて考えたくもない……!)
でも、もしかしたら、ひょっとして――どんどん疑心暗鬼になっていく。
「なにやってんの?」
不意にローゼルは男性に声を掛けられ、飛び上がるようにびっくりした。
「えっと……」
それは思いもよらぬ人物だった。




