第65話 狐と狸の化かし合い
――おや、これはこれは。いいところに。こんにちは、ウルーム伯爵。
ナージュ・ウルーム伯爵が恐る恐る顔を上げると、そこには玲瓏な騎士ルシアン・クレインバールがにっこりと微笑んでいた。
「ちょうど良かった、昼休み終了次第そちらのお屋敷にお伺いしようかと思っていたんです。
行き違いにならなくてよかった」
彼の背後には屈強な騎士たちが控えていた。
こんなにでかい図体をしている奴らなのに、全く気配を感じなかった。
サロンにいた客人や貴族たちが、チラチラとこちらを訝しげに見て、ヒソヒソ囁き合っている。
「あの、どういったご用件で?」
ナージュは内心びくついているのを押し隠し、さりげなく笑顔を浮かべた。
「私もウルーム伯爵とゆっくり一度お話させていただきたくてね。
どうでしょう。
場所を変えて彼らとお茶会でも」
ルシアンの声音は静かで丁寧だった。
だが、その奥底に冷徹な圧力が潜んでいる。
「なあ、お前たち。
ウルーム伯爵と楽しいお茶会を開こうか」
ルシアンはよく通る声で、後ろに控える騎士員員たちに手を広げて目配せをする。
騎士団員たちがさらに周囲を取り囲む。
ナージュは、気取られないよう明るい声を出す。
「一体何のことで騎士諸君とお茶をする必要があるのでしょう?
軍師閣下殿」
「おや、伯爵は思い当たることは何一つないのですか?」
「ええ、もちろん」
「そうですか」
ルシアンはにこやかに微笑む。
「そちらの領土でいささか不審な事件が数多く発生しているようですよ」
「ほう、初耳ですが」
「王宮に数多くの報告が届いております。
恐れ入りますが、その辺りの詳細をお伺いしたいんですよ」
「おかしな話だな」
ナージュはもったいぶった様子で顎を撫でるように触る。
「領主の私には思い当たる点がひとつもない。
それに、報告というのはどこから寄せられたものなんでしょうかねぇ?
信憑性はあるのかい?
なあ、君」
ナージュは自分のすぐ側に立つ若い騎士を一瞥した。
「それを明かすことは、軍部の機密上ここではできかねます」
騎士は生真面目に毅然とした声で答えた。
「でしたら、わざわざご一緒にお茶会を催す必要性もないでしょう。
大したことでもない仔細をまるで鬼の首を取ったかのように大袈裟に振る舞い、大罪を犯したように周囲にまくし立て、力尽くで捕縛する。
粗野な軍部のお家芸ですね。
私の捕縛は早計というものだ」
ナージュは必死で余裕があるように見える笑みを浮かべ、お茶を飲む。
だが、すっかり冷め切っていた。
「お言葉ですが、早計は貴殿ですよ」
ルシアンの声が一段と低くなった。
「彼が言いたいのは、ここでお話するのは難しいということだけ。
お望みでしたら、別室でその情報源について事細かにお話しましょう。
どうですか?」
ルシアンの口元は美しい笑みを湛えたままだ。
しかし、その瑠璃色の瞳は氷のように冷たく、鋭い光を放っている。
(はっ、その手にのるものか)
「結構。
私はここで十分だ」
ナージュは内心自嘲しながら、平然とお茶を飲み干した。
(これだから、この男とは対面したくなかったんだ)
ルシアンから放たれる壁のような威圧感がナージュを襲い、息が詰まる。
俺は魔法を使えない。
けれど、魔力を僅かに感じることはできる。
奴から滲むとんでもない魔力量は末恐ろしい。
今僅かに放出されている魔力ですら、本能的に身体が震え上がってしまう。
「そうですか。参りましたね。
個室で静かなところでお話をするのを想定していたのですが、どうやらここでお披露目するのをお望みのようで――」
ルシアンの口調は相変わらず丁寧だ。
「例えば、イースティリア子爵との共同事業、魔法騎士団納入の魔剣の横流しについてお話しましょう」
艶然と微笑むルシアンの台詞に、ナージュは背筋に氷を流し込まれたような感覚に陥った。
「どうです?
これでも、別室に移動していただくのも難しいと?」
ルシアンはナージュの顔を覗き込んだ。
「ああ、難しいね。
一体何のことだか」
ナージュは肩をすくめた。
だが、心臓は大きな音を立て、指先は震える。
(まずい、非常にまずい。
ここで話されても困る内容だが、それよりも別室――つまり軍部管轄部屋に連れていかれるのが最も危険だ。
そのまま軟禁され、ローゼルとレオーネの婚約継続どころでなくなる)
ナージュは目の前に座るローゼルをちらっと見た。
不安そうにルシアンとナージュの顔を交互に見るローゼルは、落ち着かない様子でおどおどしていた。
コホンとナージュは咳払いをした。
「クレインバール卿。
申し訳ないが、君の話は荒唐無稽すぎて、些か理解に苦しむ。
今、私は可愛い義理の娘とのお茶を楽しんでいるんだよ。
いい加減にしてくれないかな」
ナージュは両指をテーブルの上で組み、ルシアンを曖昧に微笑み返した。
そう、この子は俺の義理の娘になる。
お前なんかに渡さないし、ましてやお前の誘導尋問なんかに引っ掛からない。
ルシアンは大きく目を見開き、おどけた口調で首を振る。
「おやおや、これは困った。
では、さらにこういえばよろしいでしょうか?」
爽やかな声音。
穏やかな物腰。
そして、剣呑で膨大な彼の魔力が周囲に漲る。
「我が国で禁止されている奴隷が、なぜかそちらの領土の鉱山で大量に働かされているという目撃証言が寄せられています。
それだけじゃない、逃亡した奴隷をこちらで保護していたりするんですよね。
もはや、言い逃れはできませんよ」
そっと囁くようにルシアンが言った。
心臓がさらに大きく跳ねた。
「あと、魔剣についても、なぜか同じ品質で同じ付与魔法使い――イースティリア子爵の魔力を感じる剣がね、王都のナイトマーケットで廉価品として売られてました」
美麗な声が再びナージュの耳を塞ぐ。
「え? ナイトマーケットに?」
ローゼルが目をぱちくりさせるのがナージュの視界に入り、それがナージュの心をたちまち追い込む。
冷たい汗が背中を流れた。
「そうだった。
申し訳ございません、忘れていました」
ルシアンの白々しい声が響く。
「一番肝心なことを言いますね。
鉄鉱石だけでなく、最近金も採掘できたとか。
金に関しては国に報告義務があるのですが――こちらも、まったく報告されていない模様」
ナージュは思わず身体を強張らせた。
「ちなみに……これ、あなたの錬金術で作った模造品なんてことありませんよね?
あの周辺領地から偽造金貨の報告もちらほら出ているんですよ。
直近だと昨日のナイトマーケットで捕らえたコソ泥の所持品から同一の偽造金貨が見つかり、遡ると半月ほど前くらいから闇社会に通じる者から押収している所存です」
瑠璃色の瞳が迫る。
真っ直ぐ貫くように、強く自分を見つめる。
ナージュは頭をフル回転させた。
なんとかこの場を収め、逃げなければ——
「ぎ、偽造金貨なんてとんでもない。
何を根拠に我が領地にそんな嫌疑がかけられるのか。
言いがかりも甚だしい」
わざと憤慨を含ませてナージュは、言い切った。
ルシアンの表情は変わらない。
こうなることを予測していたように冷ややかで、そして勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「そうですか。
ご存知ないと」
「もちろんだ」
そう断言するも、鼓動は速まった。
「おかしいなあ、偽造金貨の成分を調べたら、ウルーム伯爵領地特産の鉄鉱石の成分が出たんですけどね」
ナージュはぎくりとした。
「これでも無関係と言い張りますか?」
ねっとりとした声が頭上から注がれた。
「奴隷?
伯爵、それ本当なんですか?」
追い打ちをかけるかのように、ローゼルが声を上げた。
ナージュは一瞬たじろいだ。
「伯爵、父との共同事業で魔剣が横流しって、一体どういうことなんですか?」
ローゼルは、邪気のない純粋な疑問をナージュにぶつける。
真っすぐ迷いもなく見つめて来る瞳。
マリアーナと同じ目。
その澄んだ若い瞳に、ナージュは愕然とした。
最近若者の瞳を見るとなんとも気まずい衝撃がある。
こんなにも若かりし頃は自分も同じだったはずなのに、なぜか年を取るとやけにそれが羨ましくもあり、何者にも汚れていなくて畏怖する。
その時、ルシアンの口元がさらに、にっと吊り上がるのが見えた。
(コイツ、俺がローゼルに弱いのを知っているな)
そして、ハッとする。
図られた!
入門だけであれだけ手間取ったのは、誰かがこの男に俺の登城を知らせに行ったからだ。
もしくは、回廊でローゼルに声を掛けた時に——。
この男は、今ここでローゼルとお茶をしていることも、そして、メイットが昨晩俺のところに来て婚約破棄の話をしたのも、全部俺が動き出すとあらかじめ想定していた――
つまり、俺はこの男の掌で転がされていた。
まるで計算し尽くされたチェスの盤面のように。
ナージュは屈辱のあまり、カッと身体が熱くなった。
「伯爵、私、共同事業の契約書なら隈なく読んだことあります」
ローゼルが身を乗り出した。
「確か、運搬をエルミナ商会に依頼してますよね。
ひょっとしたら、そこが勝手に横流ししているかもしれません。
一緒に確認しませんか?
それから、金採取も同様です。
今からでも遅くありません、修正依頼をかけましょう。
偽造金貨については、ひょっとすると領主の伯爵のあずかり知らぬところで何者かが悪いことを行っている可能性もあります。奴隷もです」
「ローゼル……」
「ですから、事実確認のためにしっかりと申請を出し直して、誤解を解きましょうよ!」
法務省の役人らしく、ローゼルは畳み掛けるようにナージュに前向きな提案をした。
眩しい。
眩しすぎるほどだ。
ナージュは目を細め、内心憔悴する。
ルシアンはくくっ、と笑った。
「いやあ、素晴らしい。
イースティリア女官の提案は正攻法で間違いのない処置方法だ。
さすが法律にお詳しい」
ルシアンがローゼルに意味深な視線を投げかける。
ローゼルは真っすぐルシアンを見上げた。
「はい。誤りがあれば正せばいいんです。
これでも法務省官僚として的確なアドバイスをさせてもらったと自負してます。
双方、互いにメリットしかありません」
ローゼルは誇らしげに胸を張った。
「くっくっ」
またルシアンは肩を揺らして笑う。
「まあ、そういうことです。
ただ、今回の数々の件。あまりにも莫大なカネが動き、犯罪性がとても高い。
是非とも修正手配前にお話を聞かせてください。
領地内ののこと、隅々とね」
「隅々とね」とそこにルシアンは力を入れ、うっすらと笑みを浮かべた。
ナージュは一瞬、頭の中が真っ白になった。
(まずい、本当にこのままでは逃れられない)
この男からの圧迫感と、ローゼルから注がれる疑惑の蜂蜜色の瞳。
両者ともに違う意味で、それぞれ耐えがたいものがある。
――だが、ここで軍部に大人しく従う道理はない。
ナージュは半笑いを浮かべる。
「これくらい、どこの貴族もやってますよ」
ナージュは、勇気を振り絞って声を出した。
「どこの貴族も?」
ルシアンは眉をひそめた。
「ええ。ご存知ないのか?
ディウースリィ伯爵は魔道具の核となる魔素石を独占的に採取、販売し、意図的に在庫を留保。
そのためここ最近、魔素石の市場価格は高騰しています。
これは私なんかより質が悪いと思いますが――取り締まらないんですか?」
曖昧にナージュは微笑んだ。
誰もが動きを止め、沈黙が満ちた。
「ディウースリィ伯爵か」
やがて、絞り出すようなルシアンの声が漏れた。
彼は顎に手を当て、何かを考え込んで押し黙った。
(よし、これで俺への嫌疑は……)
その間にもローゼルは立ち上がって、もぞもぞと書類の山から用紙を引っ張り出してきた。
「ローゼル?」
「ウルーム伯爵。
これ、白紙の金採掘についての申請書です。
ちょうどよかったです。
使わなかったって返却されてたので。
さあ、今のうちに書いておきましょう。
本日中に私が関係部署に提出しておきます」
ローゼルは勢い込んで、すっと用紙をナージュの前に差し出した。
「えっと……」
ナージュは目を瞬く。
「あっ、でもペンがない」
今度ローゼルはあたふたながら、自分のポケットの中を探す。
「ごめんなさい。
持ち歩き用の羽ペンをいつも持っているんですけど、置いてきちゃったみたいです」
申し訳なさそうな顔をして、ローゼルはしゅんと肩を落とした。
「いやいや、ありがとう、ローゼル。
帰ったら早速記載するよ」
ナージュは苦笑をしながら、ルシアンを盗み見た。
これは、うまく誤魔化せたか。
騎士団員たちはさっきから黙っている。
ナージュは、ぐずぐず彼らが居座っていることに居心地の悪さを感じながらも、腰を浮かす。
「それでは、私はこれで……」
失礼します。とそう言い換えたその時。
「ウルーム伯爵」
よく通る声でルシアンがナージュを呼んだ。
ナージュの肩が震えた。
「なんだね、クレインバール卿」
ナージュは余裕があるように見える笑みを浮かべ、座り直す。
ルシアンはにっこり笑った。
「ご存知でした?
ディウースリィ伯爵が魔素石を採取しているのは、国家機密なんですよ」
「え?」
ナージュの動きが止まる。
(しまった……。
墓穴を掘った)
サーッと血の気が引いた。
気づいたときにはもう遅い。ルシアンはぐっとナージュの肩をゆっくりつかみ、じわりと力を込めた。
「このことは、法務省でもごく一部の官僚、そして上層部しか知らぬ事実です。
なぜ、伯爵位でディウースリィ伯爵とは縁遠い貴殿がご存知なんでしょうか?
詳しくそのあたりもお伺いしたいですね」
射抜くような目が、こちらを見つめていた。
ナージュは顔を蒼ざめて逃れようとしたが、射抜く視線の強さも肩をつかんだ力は変わらなかった。
その瞬間、別の声がゆったりと降ってきた。
「ふうん、面白い面子が揃っているね」
声の主を確認した騎士たちの顔が一斉に強張り、ローゼルも目を見張った。
ルシアンだけが、静かに片眉を上げた。
「グロウディーナ公爵閣下」
ローゼルは、ばっと立ち上がった。




