第63話 ナイトマーケットの残響、そして冷たい包囲網
お父様が伯爵になる――。
ローゼルにとっては青天の霹靂だった。
我がイースティリア子爵家は建国以来、「子爵」という爵位にしがみついてきた珍妙な一族だ。
これまでにも何度も爵位昇格の話はあったし、上流階級になれば、それなりの待遇を受けられるはずだ。
それなのに、陞爵を頑なに拒んだ理由は、研究マニア一族だから。
今まで以上に窮屈な社交界との交流、義務や責任を嫌い、研究に没頭できる道を選んだ。
ローゼルは翌朝のぼんやりと陽が差し込む王城の庭園を眺めながら、回廊を歩く。
知らない間にいろいろ動いている。
私の知らないところで。
呆然と立ち尽くすような気持ちになって、なんだか一人置いてきぼりを食らったような寂しさが広がっていた。
父の突然の陞爵。
婚約者レオーネの殺人容疑。
ローゼルは、微かに顔を歪める。
言いようのない不安に駆られ、じわじわとどこか追い詰められているような錯覚に陥る。
ふと、青々とした若葉の間から黒いリスを見かけた。
(あの子、エレナの小次郎に似ている……)
ローゼルは昨日エレナと食べ歩きしたことを思い出す。
ここ最近、一番変化したのはルシアンとの急接近だ。
ルシアンとのデートも楽しかった。
あんなふうに隣に立って、食べ歩きして、庶民服だったけど最高級の店で用意してもらえて——夢のような出来事だ。
けど、想定外に久々にエレナと会えたのは、本当に嬉しかった。
いろんな人が行き交うお祭りは、考えただけでもワクワクして浮足立つ。
(ルシ様は「また行こうね」って言ってくれた……)
ローゼルから恥じらいの笑みが零れた。
さっそく昨日ルシアンに買ってもらったリボンをつけてみた。
栗色のローゼルの髪とルシアンの瞳と同じ瑠璃色のリボン。
案外、いい感じで、思ったよりも大人っぽく仕上がった。
朝からご機嫌。
そのはずなのに、どうしてだろう。
さっきからざわざわとした胸騒ぎがする。
これから何かが起こる。引き返せないような大きなことが――
「ローゼル」
不意に名を呼ばれ、ローゼルは振り向いた。
この場に居るはずのない長身の男にローゼルは目を見開いた。
四十過ぎの優雅に佇む小奇麗な男。
「ウルーム伯爵」
「やあ。久しぶりだね」
彼はにっこりと笑った。
彼の彫刻のように整った輪郭は、ローゼルにレオーネを彷彿させた。
レオーネは魔法騎士団に殺人容疑で捕縛されている――。
ローゼルの胸が鈍く痛む。
彼は息子の現状を知っているのだろうか?
(やけに冷静で落ち着いてみえるけど……)
ローゼルは、内心慌てたのを気取られないように、さり気なくカーテシーをした。
「ごきげんよう、伯爵。ご無沙汰しております」
「ほう、これはまた一段と綺麗になって。
ますます亡きイースティリア子爵夫人に似てきたんではないか?」
ナージュ・ウルームは満面の笑みを湛えて、ローゼルに歩み寄った。
彼から花の香水の匂いがする。
甘くて獰猛な官能的な香り。
私はこの香りが苦手だ。
「ふふ、そうですか?
確かに、父も声質が似てきたと言ってました」
「そうだよね。
本当に声が似てきたよ」
ウルーム伯爵は顎を撫でながら、何度も頷いた。
ローゼルは、そつなく笑みを浮かべるものの、じっと彼の様子を観察する。
何しに来たんだろう?
やっぱり、息子の現状を知っていてレオーネに会いに来たのかしら。
(ソフィアみたいに私にレオーネの釈放を求めてくるかな)
警戒心を滲ませるローゼルに、伯爵は屈託ない笑みを浮かべる。
「そうだ、ローゼル。
私の名を呼んでもらえないか?」
「え? 名前ですか?」
「そう」
突然のお願いごとにローゼルは首を捻る。
けれど、とりあえず言われた通り呼んでみる。
「ナージュ・ウルーム伯爵」
「肩書きは要らない」
「んっと……」
コホンとローゼルは咳払いをして、言う。
「ナージュ・ウルーム」
ナージュ・ウルームは瞼を閉じた。
「もう一度」
「ナージュ・ウルーム」
ナージュは感無量とばかりに嬉しそうに微笑んで、瞼を開く。
彼の金色の虹彩が、ローゼルを捕えた。
全身が粟立った。
真っすぐ射るその眼差しに、なぜかローゼルは背筋がひんやりとした。
「さて、少し、君と話をしたいんだが。
時間もらえるかい?」
「えっと……上官に離席申請書を出して参りますので、少々お待ちいただけますか?」
「離席申請……」
一瞬ナージュがぽかんとした。
「はい。官僚は業務以外で外部の人と会うときは申請しないといけないんです。
もしくは、外部の人が理由を添えて申請する必要があります」
「ほう。
たとえそれが婚約者の父親でもかい?」
したたかなナージュの目がローゼルを捉えた。
「ええ、一応。
まだ、私はイースティリア子爵家の人間ですから」
ローゼルの台詞に、ナージュはあからさまに不快な顔になった。
「随分と他人行儀で冷たい言い方だな。
少しぐらい構わないだろ」
「駄目です。
規則です。
法務省の私が規則を破るのはご法度です」
ローゼルはわざと口を尖らせる。
「私はこれでも法務省の女官ですよ。
私の立場も少しはお考えください、伯爵」
露骨にローゼルは拗ねるような顔をした。
「ははは、分かった分かった。
すまない、決まりなら仕方あるまい。
もう立派な女官だね」
ナージュはたちまち困ったように微笑んだ。
「そうですよ。
これでも入省四年目です。
チビで童顔だからか、皆さんから子リス女官なんて揶揄されて、いまだ新人扱いなんですけどね」
「子リス……。
くく、可愛いじゃないか」
伯爵は愉快そうに喉を鳴らして笑った。
(よし、うけた!)
ローゼルは内心ガッツポーズをした。
「そうですか?」
ますます不貞腐れる表情をローゼルは向けた。
彼はローゼルが子どもっぽい仕草をすることをとても喜ぶ。
逆に、大人びた態度だと機嫌を損ねる。
その辺、シャルルと同じでローゼルを常に下に見ていたのだ。
対等。平等。
彼の嫌いな単語。
特に女性が男より前に出ることは許さない。
子リス女官なんて呼ばれるのは好きじゃないけど、今はこのフレーズが無知で無害と伯爵に印象付けてちょうどいい。
「伯爵。それじゃあ、あそこ、王宮内の南棟の下に来客用のサロンがあります。
私の名前を言っていただければ、案内人が通してくれるはずです。
そこでお待ちください」
ローゼルは南棟の方を指さした。
「わかった。そこで待とう。
いやぁ、まったくますます女官らしくなって。
口調とか仕草、堂々としていてカッコいいなあ。
レオーネの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ」
ナージュはあっけらかんと育ちの良さの滲んだ声で、ローゼルを褒めた。
そして、来客用サロンに向かって歩いて行く。
本当、一体何しに来たのだろう?
ローゼルは不気味な気分で去っていく彼の後ろ姿を見送った。
***
「よう、クレインバール卿」
ルシアンの執務室の窓から、突如クロフォードが現れた。
「おいおい、扉から入れよ」
ルシアンは苦言を呈した。
「いいじゃん。
こっちの方が早いんだもん」
クロフォードは身軽にひょいっと部屋に入り込む。
「昨日の怪しい奴、小次郎がちゃんと確保したぜ。
で、お怒り気味のエレナが魔法の蔦でグルグル巻きにして捕縛。
地下牢に入れておいた」
「へえ、ヴァービナス女官が率先して?」
「珍しいよな。
エレナはいつも犯人捕縛に関して軍部に任せっきりだったから。
さすがに唯一のお友達、ローゼルちゃんを殺そうとしたのがよっぽど腹立ったらしい。
かなりおっかなかったぜ」
クロフォードは大袈裟に震え上がった。
「となると、昨日お前に話したマインラート・ソシュール様に依頼する件、これも彼女が率先して動いてくれそうだな」
「そうじゃないかな。
小次郎も昨日飴を貰って、すっかりイースティリア女官に餌付けされていたし」
「なるほどね。
強力な助っ人だ」
くすっとルシアンは笑う。
「それで、グルグル巻きにされた奴は尋問したか?」
「ああ。適当に尋問もしたら吐いたぜ。
第2魔法騎士団は手一杯っぽかったから、立会人は第3騎士団長トーマス・ケリークロノム卿に頼んだぜ」
「ああ。トーマスから今朝早く報告書が届いた。
まだ目は通せてないがな」
「そりゃあそうだよ。
昨夜も例の強姦魔、城内に出たんだってな。
マッシュが目の下に隈を作って、濃厚な泥みたいなコーヒーを煽り呑んでいたぞ」
クロフォードが探るような目つきでルシアンを見た。
「ああ。出没する日数の間隔がだんだん縮まっている」
「王城内で強姦魔か。
女官にとって恐怖だよな。
総務省はまだ注意喚起の発表をしないのか?」
「総務省は現在大きく二つに分かれている。
女官擁護、安全確保を重要視する現大臣バーンズリー卿派と、面子ばかりを気にする保守派、前ビアード大臣派。
さすがに優秀な女官ばかり狙われているから、今回は宰相閣下も仲介に入るらしい」
「はあ、腐った連中はどこでもいるな」
クロフォードは肩をすくめ、眼光が鋭くなる。
「イースティリア女官を攻撃した奴もそういった腐敗分子だ。
マロディオ商会の人間だった」
「そうか……」
ルシアンは眉をひそめて、椅子の背もたれに体重を掛ける。
「おおかた、露店でローゼルに顔を目撃され、マズイと思ったんだろうな」
「正解。分かってるじゃん。
エルミナ商会にあの男の身元を照合させた」
「ほう。それで?」
「そもそも昨日クレインバール卿たちが見かけた異国の男たちは、全員元エルミナ商会の人間だ。
横領や商品横流しの疑惑があって、子会社のマロディオ商会に左遷したらしい」
「左遷。へえ、クビにならなかったんだな。
普通、そういう疑惑のある連中はすぐクビにするものだろう?」
「それが、異国交渉には欠かせない男だった、ということで左遷で済ませたらしい」
クロフォードは肩をすくめて、冷ややかに続けた。
「で、そいつに聞いてみたんだよ、皇族会議のことを」
「素直に喋ったのか?」
「んなわけねぇじゃん。
最初は『この国の言葉、分からな~い』なんて舐めたことをほざきやがって。
『本当のことを話さないなら、一本一本指の爪を剥ぐ』って、ちょっと脅したら、ペラペラしゃべりやがった」
クロフォードは鼻でせせら笑って、応接椅子にどかっと座った。
「お前、西大陸の遠征に行ってから犯罪者に少々厳しくないか?」
「そんなことねぇよ。
だいたい西大陸はもっとひどいもんだぜ。
クレインバール卿みたいに容赦ない冷酷無慈悲な軍人ばかりだ。
それに引き換え、我が国はまだまだ犯罪者に優しい優しい」
皮肉めいて言いながら、くっくっと体を揺らしてクロフォードは笑った。
「俺みたいなヤバい鬼がたくさんいるってことか?」
ルシアンは苦笑を浮かべた。
「そうそう」
「まあ、しかたあるまい。
西の大陸には人間以外にも様々な種族がいるからな。
人間の倫理観が通用しない場合もある」
「そういうこと。
で、話を戻すぜ。
イースティリア女官の記憶どおり、奴らこそが皇族会議に来るはずだったマロディオ商会の人間だった。
しかも、俺たちが『殺されて』いたと思っていたマロディオ商会の遺体は、単にスラム街の死んだ人間の遺体をうまく偽装しただけだった」
「それは、おかしいな。
マロディオ商会に協力を求め、遺体の身元を確認してもらったんだが」
ルシアンはそこで言葉を切った。
「——組織ぐるみの隠蔽だったんだよ。
今朝、商業ギルドに登録されていた商会の住所に第3魔法騎士団率いて踏み込んだけどさぁ」
気まずそうにクロフォードがため息をついた。
「ふうん。
すでにもぬけの殻だった、か」
「そ。とんずらこいた後だった」
クロフォードは背もたれに寄りかかり、ぐっとその身を沈ませた。
「活動状況は?
昨夜の露店内で見かけた感じだと、まだまだ商売している感じだったぞ?」
ルシアンは尋ねた。
「住所変更届がギルドに届け出は出されていないだけで、活動は続けている感じだ。
けど、住所詐称が判明したからには、中央商業ギルドは除籍処分を検討しているって」
「うむ。要約すると、マロディオ商会と皇族会議侵入者――マリュード皇国の工作員は繋がっていた。
その後、計画は失敗したため、マロディオ商会は魔法騎士団のこれ以上の追及を恐れ、とんずらした。
だが、自分たちの顔を覚えていたローゼルと鉢合わせしてしまった。
だから、消そうとした」
「そう考えてもらって構わない」
一瞬、張り詰めた空気が流れた。
「ただ、今回捕えた男は、正真正銘マロディオ商会の商人で工作員じゃない。
ちょっと自分が攻撃魔法が使えるからって、工作員の真似事をしてみた、という感じかな」
クロフォードは肩をすくめた。
机に頬杖をついたルシアンは、昨晩ローゼルに牙を剥けた影を思い出す。
屋根から狙う間合い。
あの目つき。
冷静に冷徹に獲物を見定めた狩人の目だ。
ましてや、攻撃直後にすぐ場所を移動しようとした。
攻撃すれば当然、射撃場所を敵に悟られる。
素早く場所移動するのは射撃者の基本動作。
間違いなく、奴は暗殺経験者だ。
「いや、真似事にしては、随分と手慣れていた。
ヴァービナス女官がいなければ、確実にローゼルは殺されていた。過去に他国で傭兵経験があるかもしれない」
「なるほど。
傭兵経験……あり得るな」
クロフォードは小さく呟いた。
「あと一つ。
俺が気になっていることがある」
ルシアンは人差し指を掲げる。
「奴ら、魔法騎士団に納品される魔剣について、あれの話を露店の婆さんと打ち合わせしていた。
交渉は決裂したようだったけどな」
「魔剣の?」
クロフォードは眉をひそめた。
「そうだ。
交渉言語はマリュードナバロー語だ。
聞きかじった話にはなるが、剣の運搬ルートがどうのこうの、ウルーム伯爵領地に運びたい。
そんな感じだった」
「ウルーム伯爵領地に?」
目を見開いたクロフォードが身を乗り出す。
「はあ、これまたきな臭い話になってきたな」
面倒くさそうにクロフォードは後頭部をカリカリ掻いた。
「だろ?」
ルシアンは淡々と続ける。
「現に俺はあの露店で『廉価品』と札の張られた魔剣があったし、俺は実際手に持った。
魔法騎士団のエンブレムは外され、廉価品なんてあるくせにバカ高い金額設定だったが、間違いない」
「マジかよ。
魔剣が横流しされて、裏取引までされているってことか?」
クロフォードはぎょっとした。
「横流し——ああ、そうだろうね。
だが、あれはここで、あの魔剣が手に入れられるぞ、という特定組織に向けた合図だ」
「符号的な?」
「そうだ」
ルシアンが大きく頷くと、クロフォードは口元に手を当て、何か考え込むように黙り込んだ。
納品されている魔剣は、すべてイースティリア子爵の付与魔法が施されている。
もちろん、「廉価品」も同様。
だが、納品されている剣のうち、何本かはさらに違う錬金術がかかっていた。
そして、不良品の剣すべてにこれが付与されていた。
恐らく、この錬金術は、素材となる鉄鉱石になんらかの不備があり、それを誤魔化すための偽装用技術。
(たちが悪いの域を越え、悪質だ)
一体これのせいで何人の騎士たちが負傷したことか。
ルシアンは内心舌打ちをする。
「まあ、魔剣は追々ウルーム伯爵に事実確認をするとして」
ルシアンが話し出すと、クロフォードが顔を上げる。
「露店の婆さんは、かなりのやり手だ。
だが、まあ、カネさえ積めば話をしてくれるだろう。
早々に露店で売っていたランプを買いに行かせるから、と話をつけてある」
「ふうん、分かった。
そこまで段取りが取れているなら、明日、さっそくその婆さんのところに調査しに行ってみるよ。
って言っても、その前に、もう一度捕縛した昨日の男に聴取だな。
もう少し詳しく話を聞き出したい」
クロフォードは真顔になって言った。
「分かった。
トーマスに手配しておく」
「助かる」
「なんなら、今度の聴取には軍部の拷問道具をちらつかせておけ。
クロフォードの言葉の脅しだけでペラペラ喋るなら、ああいう手合いは、道具を使わせなくても側に置いておくだけでも効果絶大だろう」
「なるほどね。名案だ」
クロフォードは悪戯っ子のように、にっと口角が上がった。
その時、部屋の窓に珍客が訪れた。
「キキィ!」
黒リスだ。
尻尾の根元に洒落たアクセサリーをつけている。
「おお。昨日の立役者、小次郎じゃないか」
クロフォードが声を上げ、近寄る。
「キキィキィ、キィーキィ」
二本足で立って、何やら必死で身振り手振りでクロフォードに訴えた。
クロフォードは、うんうん、と何度も頷いた。
ローゼルは小次郎がエレナ・ヴァービナスのペットか何かと思っているようだが、小次郎は皇族の使い魔だ。
この国最高峰に達する魔力のクロフォードや、エレナとは会話が成立するが、ルシアンにはさっぱりだ。
ようやく一人と一匹の会話が終わる。
「クレインバール卿。
罠にかかったっぽいぜ」
クロフォードがルシアンを見据えた。
その瞳はどこか面白がっている。
「ナージュ・ウルーム伯爵が王城に現れた。
しかも、ローゼル・イースティリア女官の目の前に」




