第61話 甘い接吻と、冷たい水音
「えっと、まず渋皮を剥きます。
クリモナの実は熱で割れやすいので、ガーゼで包んでから砂糖を煮詰めた鍋で弱火でぐつぐつ煮るんです。
冷まして翌日も同じように煮て……」
ローゼルは煮詰める仕草を手で表す。
「それを一週間繰り返して、何重にもシロップの層を作ると、美味しい砂糖漬けになります。
これで完成です」
「へえ」
ローゼルは帰りの馬車の中で、ルシアンにいつも食べているクリモナの砂糖漬けの作り方を説明していた。
なぜこんな展開になったのか、もはや覚えていない。
けれど、どうやらルシアンはローゼルがお菓子を作っていることに興味を惹かれたらしい。
「で、完成したものを砕いてクッキーに入れて焼くと、さらにこんがりして美味しくなるんですよ。
亡くなった母のとっておきのレシピです」
「いいね。旨そうだ。今度俺にも作って」
隣に座るルシアンがそっとローゼルの手を握った。ほんのりローゼルの頬が赤く染まる。
「は、はい……。
作りますね。父も兄も弟も、すごく好きなんです」
「そうか。
ますます楽しみだ」
ルシアンは爽やかに笑った。
ローゼルの胸はますます高鳴る。
(どうしよう、この時点ですごく幸せだ)
さっそく今度の休みにでも久々にお菓子作りをしてみようかしら。
でも、お義母様がなぁ……。
それが最大の懸念点だ。
そもそも継母シャルルは、ローゼルが屋敷内の自分の部屋や食堂、書庫、庭園以外に足を踏み込むのが気に食わない。以前は自分の侍女たちにローゼルの行動を逐一監視させていた。
けど、そういった侍女は全員退職した。父もいるから問題ないだろう。
父だってこのクッキーが大好物だったし、デジールに至ってはシャルルの目を盗んで食べていたほどだ。
(とはいえ、お義母様がお出かけしている隙に作った方が一番拗れなくていいよね)
最近、シャルルは顔を合わせるたび「早く結婚しろ」「式はいつなんだ」と小うるさくて敵わない。
(この状態で絶対結婚なんてありえないし)
ルシアンがそっとローゼルの顔を覗き込む。
「なんなら、うちの屋敷の厨房を使う?」
「え?」
ローゼルは目を瞬きながら、ルシアンを見上げた。
「ほら、昨晩の夕食のとき、子爵がいたとしても、あの継母の目が光ってて、気兼ねなく屋敷の施設が使えないって愚痴っていただろ。だったら、俺の屋敷で作ればいい」
なんて魅力的なお誘い。
クレインバール家のお屋敷。
王城すぐそばにある立派な建屋。
王城出仕の行き帰りの馬車で何度も見かけたことがある。
そこならきっと、我が家の厨房以上に設備も整っているはずだし、なによりも焼きたてのクッキーを食べてもらえる。
あれは焼きたての方が、蜜がとろっとしていて美味しいのだ。
これはありがたい申し出だ。
だけど。
ローゼルは首を振った。
「駄目です。行けません」
「どうして?」
「だって、まだ婚約破棄してないから。
そちらにお伺いできません」
ルシアンは肩を揺らして笑う。
「真面目だなぁ。
ちょっとお茶しに行くって感じで遊びに来ればいいのに」
「だけど」
婚約者のいる自分が、他家の、ましてや独身貴族のところに遊びに行くのははしたない。
こうしてデートしていることも淑女のマナーに違反するのだ。
「大丈夫、そのうち解決するよ」
ローゼルの不安を見透かしたように確信めいてルシアンが微笑む。
ローゼルは目を見開いた。
なぜそう言い切れるのだろうか?
「あの、クレインバール卿」
「違う。“ルシ”だ。
ほら、そう呼んで」
「えっ、でももうナイトマーケットじゃないし……。
それに私たち――」
「ほら、 “ルシ”って呼んで」
ルシアンが耳元でそっと低く囁くので、ローゼルは耳のあたりがゾワゾワとした。
くすぐったさと、底知れぬ甘さがじわじわと侵食していく感覚。
心臓の鼓動が加速する。
「は、はい。ルシ様。
……じゃあ、私のことも”ローゼで”」
「ああ、分かったよ、ローゼ。
でも、様呼ばわりも好きじゃないなぁ」
そうルシアンはまた耳元で甘く囁くと同時に、ローゼルの耳朶を撫でるように吐息を吹き掛けた。
「ひゃん!」
ローゼルは肩が跳ね、声が出た。
感じたことのないくすぐったさに、驚いたのだ。
その声にルシアンは最初びっくりした様子だったが、豪快に笑う。
「あはは!
なんだよ、可愛すぎだろ」
「可愛いなんて……!」
ローゼルは、ますます自分の体が熱を帯び始めたのを感じた。
随分と彼の玲瓏な容姿には慣れてきたけれど、やはり改めて「可愛い」と言われるのはどうも慣れない。
落ち着かなくなったローゼルは、たちまちルシアンに腰に腕を回されて抱き寄せられる。
「なっ……!」
お互いの体が密着する。
ローゼルは顔を弾かれたように上げた。
視線が絡んだ。
その瞬間、ローゼルの瞳は揺れる。
彼から注がれる蕩けるような眼差し。
かすかに淫靡なものが含まれていて、ローゼルはドギマギする。
あぁ、どうしよう。
このまま身を委ねたい――。
「だ、だめです……!」
ローゼルは、必死の思いでルシアンの胸を押した。
なんとか理性で制する。
「どうして?」
不思議そうに覗き込むルシアンの双眸に、耳元に落ちる濃厚な蜜のような声。
「近すぎです……!」
顔を真っ赤にさせながら、ローゼルは言い切った。
けれど、心臓はばくばく音を立て、抗えぬ幸福感に酔いしれそうになった。
窒息しそうなほど息が詰まる。
「好きなんだ。
ローゼのことが」
どきんとした。
好き。彼の言うその単語ひとつで、どうしようもないほど幸福感が漣のように押し寄せ、全身が震えるほど嬉しい。
艶やかに微笑んだルシアンが、ローゼルの顔を上げさせた。
鼻先をくすぐる柑橘系の匂い。
甘美な熱が肌を灼く。
私も好きです。
お慕い申し上げております――。
そう言葉にする前に、彼の顔が近づいてくる。
ローゼルは瞼を閉じた。
触れ合う唇。
長い口づけだった。
ルシアンの大きな手がローゼルの後頭部を掴むように撫でる。
やがて唇の隙間から熱い舌が差し込まれた。
「……ん」
思わず声が漏れた。
初めての感触に、初めての他人からもたらされる温度に躊躇う。
だけど、ローゼルはたちまち頭の中が愉悦で痺れていくのが分かった。
吐息が混じり合うたび、胸の奥で熱が増し、官能的な悦楽が全身を支配する。
やがて口の中が激しくなっていき、ローゼルはぎゅっとルシアンの服を掴んだ。
息を奪うほどの熱。
支配される思考。
経験したことのない甘い感覚。
瞬く間に、強く与えられる快感に翻弄された。
呼吸が乱れ、火照る身体。
ルシアンがそっと顔を離した。
「ローゼ、可愛いよ」
息が上がって上気するローゼルに、ルシアンは目を細めて満足そうに笑みを浮かべた。
「しょ、初心者には……激しすぎです……」
必死に口を尖らせるローゼルに、ルシアンはくっくっと愉快そうに笑った。
「あ~、このまま連れ帰りたい……」
ルシアンはぐったりするローゼルを強く抱きしめた。
「そ、それこそ、駄目です……!
婚約破棄してからです」
そこは断固としてローゼルは拒否した。
「だよなぁ」
「あ、あの、ル、ルシ様」
ローゼルは屈強な体つきのルシアンに無駄な抵抗だと分かっているものの、なお抗うように両手でルシアンの胸を押した。
「なに?」
「やっぱり、レオーネって何をやらかしたのか、教えてもらえませんか?」
単刀直入過ぎる質問。
ローゼルの質問にルシアンは不快そうに眉をひそめ、がっくり肩を落とす。
おもむろに、はあっ、と深いため息をついた。
「ここでその名前を出すのか。
せっかくのムードぶち壊しだろ?」
「だってだって……、大事なことなんですもん。
『そのうち解決する』とルシ様はさっきおっしゃいました。
でも、それじゃあ安心できないんです」
ルシアンは諦めたようにもう一度ため息をついて、自分の頭をぽりぽり掻く。
ローゼルも体勢を立て直して、ルシアンを睨みつけるように見上げた。
「……ローゼルのその質問、原因は継母?」
ルシアンが尋ねた。
ローゼルはぴくりとし、眉をひそめる。
「そうです。
最近、ますます私を結婚させようと躍起になっているらしいんですよ。
その熱が凄まじくて、いくら父が屋敷にいるとはいえ――。
私、お義母様が怖くてしかたがないんです。
婚約破棄できる確証が欲しいんです」
ローゼルの声はかすかに震えていた。
シャルルは粘着質だ。
自分の目的が達成できるまで、なかなか諦めない。
今でもこそ、父もいるし、ましてやルシアンの手配した医師もイースティリア邸を出入りしているから大人しい。
だけど、隙あらば何を仕掛けて来るか分からない――。
ルシアンはじっと真剣なローゼルの顔を見つめる。
カタカタ……。
辺りはとても静かで、馬車の車輪の鳴る音がやけに響く。
ルシアンはやれやれと首を振って、ようやく口を開いた。
「分かった。
けど、他言無用な」
「はい」
神妙にローゼルは頷いた。
ルシアンはローゼルから離れ、座り直す。
後頭部をカリカリ掻いて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「レオーネ・ウルーム令息は、殺人を犯したんだ」
それまでの口調とはうってかわってよそよそしい、硬い声だった。
「え……。
殺人?」
ローゼルは目を何度も瞬いた。
まさか、あのレオーネが?
半信半疑で、ローゼルはなぜか半笑いを浮かべていた。
「誰を殺害したんですか?」
「罪状は、二重殺人」
「二重……。
二人も?」
「そう。そうだな、まずもう一つ衝撃的なことを話しておかないといけない」
ルシアンが真顔になって、ローゼルを見下ろす。
ごくりとローゼルは唾を飲み込んだ。
「実は、レオーネ・ウルームは地元の伯爵領地で酒場の女性を妊娠させたんだ」
「妊娠?」
ローゼルは聞き咎めた。
「ああ。血縁関係もすでに調べ終えている。父親はレオーネ・ウルームで間違いない。
殺人容疑というのは、その妊娠させた女性とそのお腹の赤子」
(レオーネがそんな大それたことを……!)
驚きのあまり、ローゼルは身を固くした。
「どうやら、彼は彼女が妊娠発覚してすぐに切り捨てたようだ。
彼女は平民、彼は貴族。
ありきたりな話といえばそうなんだが」
ルシアンが気まずそうに言葉を切る。
ローゼルは息を呑み、彼から次の台詞が出るのを待った。
レオーネが女の子大好きなことは、当然知っていた。
とにかく女の子の扱いが上手いのも。
お喋りだって、うまく女性の自尊心をくすぐって、たちまち自分の虜にさせる。
平民の女の子からしたら、相手は貴族。
見目麗しいお金持ちの男性が、優しく囁いて高級な贈り物でもすれば、男性経験に疎い子なんかあっという間に恋に落ちてしまう。
(私には一言もそんな甘い言葉を囁かなかったけどね)
ルシアンは諦観の念を示すように、淡々と話し始める。
「地元の自衛警察団は最初、彼女は入水自殺だろうと判断した。
近くの川で彼女が橋から身を投げるところを地元の人々が多数目撃していたんだ」
「え? 入水自殺? でも今、殺人って……」
「そうなんだが、どういう偶然か、ウルーム伯爵領地近くに調査出張しに来ていた第2魔法騎士団のアランの部下たちが、たまたま入水自殺した現場に遭遇してね。
自衛警察団の捜査方法に疑念を抱き、中央の軍部許可の元、再捜査した」
わざわざ中央の魔法騎士団が地方の平民女性の死亡原因を再捜査?
ローゼルは首を捻った。
「その再調査とは、何か自衛警察団に問題があったからですか?」
「ああ。地方によくありがちだが、一部の自衛警察団員の中で賄賂的なものが横行していてね。
そういうのもあるが、ろくな捜査もせず、目撃証言があったからとすぐその場で自殺だと断定したんだ」
「確かに。安直な判断だと私も思います」
「だろ?
まるで彼女の死亡理由を『自殺』にするよう誰かが裏で糸を引いていたような――そんな印象があったらしい」
強烈な非難を帯びた響きだった。
馬車の揺れる音と、そよぐ夜風が窓を叩く。
「で、結局、魔法騎士団が事細かに捜査を進めると、橋の麓に粉々になった魔道具が隠すように捨てられていた。
その魔道具を魔法省の特別補佐官に修復依頼をしたところ、それが幻影魔道具だというのが判明した」
「幻影魔道具?」
「そう。虚像の映像をあらかじめ記憶させ、外部に移し出す魔道具だ。
かなり珍しいよな」
「……聞いたことがありません」
そんな魔道具がこの世にあるんだ。
ローゼルは視線を落とし、ふと考え込んだ。
だが、稀少な魔道具を死亡現場の側に廃棄されていたってことは――。
ローゼルの頭の中に一つの考えが浮かぶ。
レオーネの父ウルーム伯爵は凄腕の錬金術師だ。魔道具開発は彼の十八番。
それでも、世に出せなかった魔道具は数知れず。
そんな試作品の魔道具を保管してある倉庫は、ウルーム伯爵領地内の屋敷の地下にある。
レオーネならそこから盗み出すことも可能だ。
「実際に魔道具を動かしてみると、橋の欄干に立ち、濁流が渦を巻いてごうごうと流れる川に身を投じる平民の女性の映像が映し出された」
「それって……」
ローゼルは愕然とした。
全身にどっと冷や汗が噴き出す。
ルシアンは渋い顔をした。
「ああ、察しのとおりだ。
実際の彼女は別の場所で殺害され、その遺体を幻影に合わせて、犯人が川に遺棄したんだ」
「別の場所で殺害……。
犯人、つまりレオーネが殺害して遺棄した。
そういうことですか?」
「我々はそう睨んでる」
ルシアンは低く呟いた。
「殺害場所は恐らく彼女の部屋――。
そう断言できる理由は二つ」
「二つも?」
「ああ、まず遺体の胃の中の水の成分と川の水の成分が、全然違っていたんだ。
胃の中の成分には、近所の地下水と同一のものが多く含まれていた。
逆に川の水の成分はほぼ皆無。
それから二つ目。
彼女の爪の中には、木屑が深く入り込んで内出血していた。
その木屑は彼女の部屋にあった桶と一致した」
「桶……。
ひょっとして、その桶に井戸水を張って、女性の頭を押し付けて溺死させたとか?」
「ああ。爪の奥に木屑が入ったのは恐らく抵抗したからだ。
それから――図らずともウルーム伯爵から地元の自衛警察団に試作品の魔道具の盗難届が出されてた」
ローゼルの頭の中で、勝手に映像が回る。
レオーネが暗い質素な部屋で彼女を呼び出し、彼女に子どもを堕ろすよう説得をする。
もちろん、彼女が今後一生遊んで暮らせる金貨が詰まっている布袋をぶら下げて、金に物を言わせる。
けど、彼女は納得しない。
しまいに二人は激高し出し、互いの声がぶつかり合う。
その時、きっとレオーネは彼女に手を挙げたはずだ。
彼は口で勝てないと思ったら、すぐに頬を打つ。
私も何度も打たれた。
けれど、私の場合は口答えするのはもう無駄だ。
唇を噛みしめて、とにかく堪えていた。
ただ、彼女は私じゃない。
酒場で働いている女の子だ。私以上に溌剌としていただろうし、すべてを望まない私とは違い、レオーネに強く反抗したはずだ。
だからこそ、レオーネは彼女の後頭部を掴んで、側にあった水の張った桶に押し付けた。
バシャバシャと暴れる水音。
もがいて苦しむ彼女。
頭上からのしかかる男の暴力から逃れようと、必死で桶を動かそうとしたりしたはずだ。
泡立つ息。
もがく手足。
必死の抵抗もやがて弱まり、夜の静寂が訪れる。
そこでレオーネは我に返るのだ。
俺はなんてことをしてしまったんだ――。
ローゼルの顔は蒼ざめ、体を縮こまらせた。
なんて恐ろしいことを……!
ガクガクと身体が震えた。
ルシアンはそっとローゼルの顔を覗き込む。
心配そうにする瞳がローゼルの視界に入る。
それだけ自分が自覚している以上に顔が青ざめているのだろう。
なぜだか、涙まで溢れてきた。
「ごめん、怯えさせるつもりはなかったんだ」
ルシアンがそっとローゼルの肩を抱いた。
ローゼルは何度も首を振る。
違う、レオーネが人を殺すなんて——ショックが大きすぎた。
目の奥が鈍く痛む。
ローゼルは震えながら、必死に言葉を紡ぐ。
「……そこまで、明確な殺害動機があるのであれば、レオーネが魔法騎士団に拘束されても致し方ありません」
ルシアンがローゼルの肩に少し力を込めた。
「だが、結局のところ物的証拠がない。
残りは、本人の自白が最重要視される。
だが、本人は罪を否認しているんだ」
そうだろう。レオーネはなかなか自分の非を認めない性格だ。
「それに二重殺人とはいえ、平民殺害だ。
貴族殺害は重罪だが、平民の死はやはり軽視されがちで、我々魔法騎士団もそこまで強固な手段に出れない。
とはいえ、拘留期限ぎりぎりまでには、何が何でも吐かせるつもりだ」
腕の中は温かいのに、ルシアンの声はひんやりとしていた。
「――教えてくれて、ありがとうございます」
ローゼルはおずおずとルシアンの胸を押して離れた。
「ルシ様がおっしゃっていたこと、ようやく理解できました」
流れた涙をローゼルはポケットから出したハンカチで拭う。
その一方でローゼルは頭を働かせていた。
拘留期限ぎりぎりということは、物的証拠がないだけでなく、レオーネの犯行だと裏付ける決定打がないということだろう。
レオーネが女性を殺害。
カッとなると子どもの癇癪のようなことを平気でする人だ。
女遊びだってそう。彼は巷で流行りの「真実の愛」を心の底から求めていない。
欲しいものは何人の女を落としたのか、何人の女と寝たのか。
仲間の令息たちにその数を自慢したいだけ。
まるで狩人がどれだけの獲物を獲得したのか競うのに似ている。
だからこそ、すでに獲得している私には興味を示さない。
ふと、ローゼルはそこで違和感を覚えた。
そう、釣った魚に餌をやらない主義がレオーネだ。
自分の子どもを妊娠した平民の女性。
酒場で働く女性。
酒場には大勢の男が集まる。
ローゼルは顔をしかめた。
平民の子がいくら「あなたの子を妊娠したから」って訴えたところで、そこまでレオーネは真剣に取り合うだろうか?
レオーネは「本当に俺の子か?」なんて飄々と言い返すに決まっている。
ついリアルな殺害の様子を想像してしまったが、そもそもレオーネにそこまで遊びで付き合った女性と真剣に向き合うことをするだろうか?
答えはノー。
身分至上主義のウルーム伯爵家。
平民相手に話し合いなんてしない。
他にもいろいろ確認してみたい点はある。
(けど、それを解決するのは私じゃない)
口を出す権限もない――。
初夏の夜気を切り裂くように、馬車の車輪が石畳を響かせる。
ローゼルの不安をざわつかせながらも、王都の街灯に揺れ、闇に沈む建物の影をかすめながら進んでいく。




