第60話 冷徹なる軍師の事前婚姻交渉(後編)
――貴殿が娼婦館に通い詰めているというウワサは本当ですか?
部屋は気まずい沈黙で満ちる。
メイットは、思い詰めた表情でじっと目の前の若者の反応を待つ。
ルシアン・クレインバールは、カリカリと頭の後ろを掻く。
「え、ああ、それですか。ええと、そうですね……」
想定外の質問だったらしい。
だが、この様子から、ウワサ通り娼婦館に通っていると推測ができる。
ますます鋭い眼差しでメイットは彼を射抜くように見た。
泰然とした物腰と雰囲気。成熟を通り越して老成した貫禄。
だが、やはりまだまだ若い。
身も心もすべてが聖人君子というわけにはいかないはずだ。
彼の発散させるほど漲る若いエネルギーは、同じ男として気持ちも分からなくもない。
けれど、しめやかに噂があるほど欲求発散のためにそこへ出向くのは、軍師かつ貴族子息としていかがなものか。
結婚しても娼婦館に通うのであれば、そこは義理の父として断固抗議する。
ルシアンは、恥ずかしそうにぽつりぽつりと話し出す。
「実は、私事になりますが、私の魔力が莫大過ぎまして――いわゆる魔力過多というものです。
それを解消するため……もちろん情報収集が第一目的で通っていました」
通ってました――過去形。だが、今もどうなのかは分からない。
「魔力過多、ですか」
「はい。
なかなか調整が難しいんですよ、アレ」
ルシアンは酷薄ともとれる奇妙な笑みを浮かべた。
「聞いたことがありますよ。
大量に魔力を摂取し続けると具合が悪くなり、次第に魔力暴走を起こしてしまう。
そのため、こまめに魔法を使って調整するしかなく、暴走のキッカケもストレスとかそういった心理的影響によるとか」
メイットは記憶を辿りながら言った。
ルシアンの顔から笑みが消えた。
「ええ、そうです。
体を鍛えれば鍛える分、魔力も増強します」
「文官にも稀にそういう気質がいると聞いたことありますが、武官の方であればなおさらでしょうね」
「はい。
……そりゃあね、人気のない山の演習場で攻撃魔法を放つ手段もあります」
「そうですね。
ですが、貴殿ほどの魔力だと……」
ルシアンの魔力は測り知れない。
一晩のうちで山ひとつどころか、三つは吹き飛ばすだろう。
そうなったら、もはや事件だ。
「お察しいただきましたとおり、近隣の領地に多大な迷惑をかけてしまうどころか、敵国に私の魔力量を晒すことにもなります」
「それは――絶対に避けねばなりませんね」
メイットは重々しく頷いた。
こうやって目の前にしているだけでも、彼は巨樹のように揺るぎない雰囲気を醸し出している。
彼が本気で何かを成し遂げようとしたら、誰にも止められないだろう。
「結局のところ、一番安全で他人に怪しまれずに定期的な魔力放出ができるのは、結界の張られた個室で、他人の情動や生命力に紛れこませて霧散させる。
誰にも迷惑をかけない点からあそこが最適なんです」
酷薄な軍師の仮面は一転、今の彼は恥ずかしそうに言い訳をする青臭い若者そのものであり、メイットは息子のアルバートに面影を重ねた。
アルバートも魔力が人一倍多い。彼は今どのようにそれを対処しているのか――。
「なるほど。
よく分かりました」
メイットは納得したように頷いた。
「そもそも魔法騎士では、代々俺のように魔力過多に悩んでいる者たちが一定数必ず存在します。
彼らも伴侶がいなかったり、夫婦の仲がうまくいっていなかったりと、そういった様々な事情を抱えている場合は、こっそり通ってますよ。
これも国の安寧のためなので、ご理解いただき、感謝いたします」
ルシアンは、途端に十ある騎士団を束ねる団長としての顔つきになり、頭を下げた。
メイットは胸に鈍い痛みの波を感じた。
昨今、文官貴族の中で好戦的な者が増えている。
防衛戦だけでは周辺諸国に見くびられる。
だからこそ、侵略戦争を仕掛け、領地を奪取するべきだ、と。
そういった文官貴族たちは、軍部の専守防衛方針を消極的で弱腰だと批判するが、それは違う。
実際、戦地に赴き、血を流して戦うのは若き彼らである。
国の安寧――そうやって自分の体を酷使してまで、彼らは国を護るために、日夜、牙を研いでいる。
(ローゼルが、そんな御仁の妻……)
不安がないわけじゃない。
戦時の最前線にいれば、いつ命を落とすか分からないし、ましてや軍師であり、総騎士団長。
彼を失脚させたい輩は多い。
でも、この若者の力に少しでもなれるのなら、何か手立てはないものか――。
ふと、メイットの脳裏を遠い昔のことが横切った。
「実は義理の父が、まだ私が弟子であった頃になりますが、他国の王族の依頼で余分な魔力を吸収する魔道具を作ったことがあります」
「本当ですか?」
ルシアンは目を見開いた。
「ええ、私も製作には携わりましたので、あの仕組みのことはよく覚えてます」
体内の残存魔力量に応じて吸収する魔術式と、体内の魔力を調整する魔術式も組み込ませた。
「さらに王族用でしたので、魔道具が不具合を起こさないよう保護援護の魔術式を強化しました。
それ専用の魔石があればたぶん私でも作れます。
早速義父に魔石がないか確認してみましょうか?」
「ええ、是非。ああ、ありがとうございます」
ルシアンはぱっと顔を輝かせ、頭を下げた。
「いいえ。
義理の息子になるかもしれない方ですし、あなたは娘の恩人です。
これでもしローゼルと結婚しても娼婦館で発散せずにいられますね」
メイットはにっこり微笑んだ。
「あはは、ええ、それもそうですね」
ルシアンは照れくさそうに頭を掻いた。
その姿は、まだまだ青臭い若者そのものだった。
この調子ならあの問題を解決すれば、ローゼルはすぐ母親になりそうだ。
「子爵。ちなみに、俺もひとつ懸念点があるんですがいいでしょうか?」
ふと何かを思い立ったのか、ルシアンが手を上げた。
「ええ、どうぞ」
今度はメイットが返事をした。
「禁術、黒魔術について、子爵はどこまで知識をお持ちですか?」
「え?」
それはまさに不意打ちだった。
さっと血の気が引いた。
「突然このような話を持ち出して申し訳ありません。
驚かせるつもりではなかったんです」
ルシアンは生真面目な顔つきで、誠実に頭を下げた。
もちろん、先程感じた圧迫感はすでにない。
「いえ。大丈夫です」
メイットは速まる鼓動を押し殺しながら、ゆったりと首を振って見せた。
「魔法使いが黒魔術である呪術を研究するのは、禁止されていることは重々承知だと思いますし、俺も深くは知りません。
ただ、先日のローゼル嬢を襲った馬車の裏に呪術の魔法陣が描かれてましてね」
「ローゼルの!?」
メイットはぎょっとした。
「ええ。先程子爵は亡き夫人も魔物に襲われたとおっしゃっていましたよね?」
ギクリとした。
しまった、つい口走ってしまった。
「ですが、当時の刑部省の記録では『事故死』と記載がありました。
どちらが正しいのでしょう?」
「それは……」
メイットは視線を泳がす。
しばらく沈黙が流れた。
ルシアンは静かに口を開いた。
「これは機密事項なんですが、ローゼル嬢を襲った魔物は恐らく人為的に作られた呪物です」
「人為的に?」
メイットは息を呑んだ。ルシアンは険しい顔つきで続ける。
「ええ。ある領地の遺体を掘り起こして人工的に縫い合わせ呪物として魔物の核を使い、蘇らせたようです」
「反魂の術は禁術の中でも禁忌なんじゃ……」
「反魂ではありません。
遺体の持ち主を蘇らせたわけではないので。
躯に命を芽吹かせた、というのが今一番ぴったりくる言葉かもしれませんね」
「そんなことが……」
できるものなのか?
半信半疑のメイットは、恐ろしいものを見る目つきで顔を上げた。
「不気味ですよね」
「本当に、そんな得体の知れない禁術を用いて、ローゼルを襲ったんですか?」
恐る恐るメイットは再確認するように尋ねた。
「はい。誰かがローゼル嬢を、もしくはイースティリア家に恨みのある者が犯した恐れがあります」
ルシアンの声は低く冷たい。
部屋の温度もぐっと下がったように冷え込む。
メイットは全身が粟立つのを感じた。
恐怖だ。
「子爵。ひょっとして、亡き夫人も同じ目に遭われた可能性があるのではないですか?」
ぎくりとしてメイットは、ルシアンを見た。
全身にどっと冷たい汗が噴き出してきて、息が詰まる。
――メイット、貴様のせいだ!
鮮明にあの声が蘇る。
「ご安心を」
ふっとルシアンが微笑んだ。
メイットは、我に返って、恐る恐るもう一度目の前の若者に視線を投げた。
ルシアンは背もたれにぐっと体重をかけるようにして、寛ぎ始める。
「この話は現段階、子爵と俺だけにとどめておく予定です。
また新たな物証が手に入れば情報を伝える関係者も増えると思いますが、イースティリア家に不利にならないようにします。
実際、俺の魔力過多の症状も、敵からすれば喉から手が出るほど欲しい情報です。
媚薬使ったハニートラップなんて仕掛けられたら命取りですよ」
真面目な顔から少し砕けた朗らかな口調になって、手を広げた。
「なるほど。
それで娼婦館に通う本当の理由が伏せられていたわけですね」
「ええ。不本意ながら」
「そうですね。
……つまり、こういうことでしょうか?
ローゼルの災いの種になりそうなのは、お互い早いうちに潰しておきましょう、ということですか?
その魔物についても」
「そうです」
ルシアンの笑顔にメイットは深い安堵の表情を浮かべた。
「やはりあなたはこの国の軍師ですね。
すでに色々お調べになって目星をつけて私のところに来たのでしょう?」
「あはは、買い被りですよ。
ただ不思議だったんです。
やけに子爵がウルーム伯爵に弱腰なのを」
「弱腰ですか……。
なぜそうお思いに?」
「簡単なことですよ。
魔法騎士団に納めている武器のウルーム伯爵とイースティリア子爵の共同事業について」
「ああ、不良品の剣のことですね」
「ええ。そのことで国に提出されていた契約書を拝見しました」
「そうですか」
もうそこまで調べはついているのか。
メイットは諦観の念を示して、呟くように言う。
「ウルーム家の取り分『八』に対してイースティリア家は『二』。
これが弱腰とお考えになる理由でしょう?」
「その通りです」
ルシアンは神妙に頷いた。
「確かにウルーム家の方が行う工程は多い。
だが、イースティリア子爵はその物ひとつひとつに合わせて魔術式を少しずつ変えて魔法を付与している。
あの付与魔法は高等魔術のひとつです。せめて取り分は少なくとも『七』『三』でしょ。
納品される剣の付与魔法の凄さを考えれば、『六』『四』でもいいほど。
俺はあの魔剣をこの目で見ています。
だからこそ、言えるんです。あの取り分は不平等だ」
断言するルシアンが身を乗り出す。
「あれは完全にイースティリア家が割を食う形になっている。
他にもローゼル嬢との婚約も持参金の額がかなり多い。
それに対する婚約者レオーネがローゼル嬢にかける金額や扱い、態度、あれはすべて不当だ。
なぜ今まで抗議の一つも出さなかったのか。
そちらの使用人たちも不思議がっておられましたよ。
どうして子爵が抗議文ひとつ出さないのか、とね」
メイットは引きつったような笑みが零れた。
「使用人とはバルセシャンとパトリシアですね」
「そうです。
特にパトリシアはローゼル嬢を幼い頃からお世話しているから、ひとしおのものがあるのでしょうね」
ルシアンは肩をすくめた。
参ったな、どこまで調べたんだ、この男は。
メイットはため息をついた。
彼が自分の義理の息子になる――なんて心強いんだろう。
つまり、それは敵に回ったら少なからず苦労させられる相手になる。
これ以上隠しても無駄だろう。
「あはは、降参です。
……本当によくお気づきになりましたね。
だいたいふつう他家の共同事業の取り分を契約書でチェックしませんよ」
「まあ、そうでしょうね。
それだけ魔法騎士に納める剣については、騎士たちの命が懸かっているので見逃すわけにはいかない案件ですしね」
「ああ、なるほど」
「ですが、その不当な取り分についてローゼル嬢はすでに気付いてます」
「え? ローゼルが?」
「はい。他家の事業の契約書を閲覧するには、全官僚、申請が必要なんです。
その過去の申請者の一人に彼女の名前がありましたよ。
俺が調べるちょうど三年前に。
彼女も不思議に思ったんでしょうね。
なぜ、子爵がウルーム伯爵に弱腰なのか。
けど、契約書だけでは分からなくて、結局ますます謎は深まるばかり。
だから、望むことを辞めた」
「望むこと?」
「いや、なんでもありません。最後のは俺の独り言です」
ルシアンは力なく首を振った。
「まあ、そういう経緯もあり、俺は軍師という地位をフル活用して調べました。
物事には必ず原因があります。
あなた方のバランスが崩れ始めたキッカケが、双方の夫人の亡くなった事故だ。
そこに原因があるんじゃないか、ってね」
「ますます感服いたしましたよ。
ええ、その通りです」
メイットは視線を落とした。
「では、子爵。
まずこちらをご覧いただきたい」
ルシアンは図柄の描いた手のひらサイズの一枚の紙をポケットから出し、テーブルに置いた。
メイットは絶句した。
背中がひんやりし、身体は硬直した。
「珍しいでしょ?
四角形の魔法陣なんて」
ルシアンはこれまで以上に最も深く、底知れない笑みを浮かべた。
それから、てきめんに顔色が変わるメイットの表情を舐めるように観察する。
「これですよ。
ローゼル嬢の乗っていた馬車にあった禁術の証。子爵もこれに見覚えがあるようですね?
一体どこでこの魔法陣を見たのか、子爵の口から教えて頂けませんか?
話の内容によっては、義理の息子として何か相談に乗れるかもしれませんよ」




