第59話 冷徹なる軍師の事前婚姻交渉(中編)
ルシアン・クレインバールは、メイット・イースティリア子爵をじっと見据えた。
「率直に言えば、我がクレインバール家の正妻の条件は、魔法を使えることなんです。
身分が高かろうと魔法を使えない令嬢なんて足枷になるだけ。
その点、ローゼル嬢は先日の魔物に遭遇した際、グロテスクな魔物を見ても怯まず、攻撃魔法を発動させて果敢に挑んだ。
魔物に立ち向かえるメンタルの強靭さは、簡単に持ち合わせることはできない」
ルシアンの眼光が鋭くなる。
「軍人の眼からハッキリ申し上げますと、ローゼル嬢は光る原石です。
鍛え上げれば魔術師として名を上げることも可能です。
彼女自身の今後のキャリアを考え、魔術師として転職することもお勧めしたいぐらいです。
では、そんな女性と子を成せば、子どもは確実に魔力持ちの子が生まれる」
先程まで見せた年相応の熱さや初々しさはもうない。
軍師という軍の上層部の人間らしく、乾いた声でルシアンは淡々と続ける。
「それにローゼル嬢の知識は上級魔術師並みです。
その力を子が受け継げば、我がクレインバール辺境伯家はますます盤石です。
どうですか?
少しはご納得されましたでしょうか?
私がそこまで彼女を欲しがる意味」
「ええ、明確でよく分かりました」
メイットは神妙に頷いた。
ルシアンの言いたいことはよく分かった。
ウルーム伯爵家も両家の結びつきを強めるためと言っているが、それは大義名分。
魔法使いの生まれないウルーム伯爵家から魔法使いを誕生させたいからに他ならない。
本来であれば、ウルーム伯爵家は子爵位ではない、さらに上位の貴族令嬢を嫁に迎え入れて、箔をつけたいところだ。
それなのに、ローゼルにここまで執着する理由は、ローゼルの群を抜いている魔法の才能と、マリアーナの忘形見だから――。
あの時、あの場所でナージュに責め立てられなければ、俺は決してローゼルの婚約に同意することはなかった――。
「どうでしょう?
イースティリア子爵」
ルシアンの凛然とする声にメイットはハッとした。
メイットはゆったりと頭を上げ、毅然と言い放つ。
「明確ですが、こちらが有利すぎます」
「ほう」
ルシアンが僅かに目を見開いた。
「公平で真面目な御仁だ。
つまり、イースティリア子爵家が良すぎる条件で落ち着かない、ということですね?」
「ええ」
メイットは頷いた。
搾取され続けるよりも、与えられ続けるのはいささか居心地が悪いし、立場が弱くなる一方だ。
「なるほど。
さすが皇帝陛下の覚えめでたいイースティリア子爵です」
ルシアンの声が、おどけた調子になった。
メイットは眉をひそめた。
やはり、試していたか。
金銭に関して好条件に諸手を上げて喜ぶか、居心地悪く感じるか。
(俺の性根とどこまで信頼を置けるか推し測ろうとしていたな)
なかなか食えない男だ。
「でしたら、ここはひとつイースティリア子爵の得意分野のことで、クレインバール家から依頼を受けて頂きたい」
にっこりと鮮やかな笑みをルシアンは浮かべた。
「はあ、どんな依頼でしょうか?
依頼内容にもよってしまいますが」
メイットは身構えた。
ルシアンの口角がにっと釣り上がった。
「イースティリア子爵に、我がクレインバール辺境伯領土の土壌改善をしていただきたい」
「え?」
「その昔、イースティリア子爵は魔法省在籍だったと聞き及びました。
その際、土魔法と付与魔術、魔道具の研究をされていたとか。
それも義父のジル・エグアルム前侯爵を師匠にして様々な論文を残している。
特にあれは素晴らしかったです、『イースティリア領地の土壌汚染対策』」
その論文は、結婚当初に発表したものだ。
「読んだんですか?」
メイットは半信半疑で尋ねた。
「ええ、興味深く読ませていただきました」
ルシアンは頷く。
「土魔法だけでなく、亡き奥様の水魔法と合算で土壌を改良する。
本来なら、どれもこれも複合魔術式では解決できない問題を孕んでいて実行不可能だ。
だが、それぞれが特別な魔術式をなぞらえ、最後合算させて発動させる。
あの発想は革新的でしたね」
少し興奮気味でルシアンは、饒舌に感想を述べ続ける。
「そもそも属性の違う魔法を合算する考え方は、武官の戦術の一つとしか考えられてなかったんですよ。
それを農地改革にも応用するとは――。
あの魔術式ならそこまでの魔力量がなくとも汚染されたものを水で除去できます。
素晴らしいと思いましたね」
メイットは息を呑んだ。
武官の彼がここまで専門外の論文を正確に把握しているとは、まったくの予想外だ。
「あれは、子爵が幼少期の領地の土壌汚染問題が発端なんですよね?」
ルシアンは切り込んで質問をした。
「ええ、よくご存知で。
隣の領地から流れ出る汚染水が原因でして」
「なるほど。
水源は貴族領主の所有物だと、どうしてもそういう問題が発生しますよね」
「はい。今は国の大半の水源地が国有化されてますが、当時は違いましたからね」
「だから、学生時代、学友でもあった前イースティリア夫人と水魔法を合算して、師匠である義父ジル・エグアルム卿の助言を受けながら、あの土壌改善の魔術式を開発したんですね」
ルシアンは何度も感心するように言った。
「そうです。
土壌汚染対策をすると同時に大幅な土壌改善をした結果、たちまちイースティリア領土は実り豊かな土地になりました」
「はあ、素晴らしい。
イースティリア子爵領地の果物は特に美味ですからね。
特産にしている果物のジャム。
あれは来年、皇族御用達になるとか」
「はい。お陰様で。
お褒めに預かり光栄です」
メイットは、ルシアンの明るい声に気恥ずかしさを覚えた。
ルシアンはさらに身を乗り出す。
「そうそう。あの構造をそのまま使って、錬金術で水質改善フィルターを作ったのは、斬新で驚きました。比類なき開発です」
「え、ご存知なんですか?」
「はい。もちろんです。
子爵の論文や開発品は常にチェックしてますから」
ますますメイットは驚いた。
この男、一体どこまで調べたのだろう。
(土壌改善なんて大半の貴族は興味を持たないのに)
他力本願で領地運営もままならない領主は多く、現皇帝の御世でなければ着目されなかった研究だ。
とはいえ、先程の土壌改良の魔法の法則をそのまま利用して、ろ過装置のフィルターとして商品化してみたものの、日の目を見るほど注目されていない。
現在、ウルーム伯爵家が紹介してくれた商会を通じて、全国各地で販売しているが、どこかの領地が大量に注文してくれただけで、売上は横ばいだ。
「実はあのフィルター、クレインバール領土でも愛用しているんですよ」
ルシアンが含みのある視線を送った。
メイットは大きく目を瞠った。
「クレインバール領土で使われているのですか?」
「はい。用途は農業じゃないんですけどね」
「どのように使われてるんですか?」
「鉱物を採取する際に使った汚れた水をフィルター通して川に流すんです」
「ああ、なるほど!」
そうすれば、フィルターがすぐさま水をろ過してくれるので、自然汚染もせずに済む。
「あのフィルターのお陰で領地内の川は澄んだままで、そのまま飲み水としても利用できてます。
あれは即効性もあるうえにコストパフォーマンスが高い。
そういうことで、我が領地でもイースティリア子爵の名は知れ渡ってるんですよ」
ルシアンはにこやかに手を広げた。
メイットは胸が高鳴った。
(まさか、こんなところで、自分が作った製品の消費者に出会えるなんて)
「一応これでも書物を読み漁るのが趣味なんですよ。
最近は軍部の仕事が忙しく兵法の本しか読んでおりませんが、まあ、その辺も本好きのローゼル嬢と趣味が合うと思いますよ」
今度は、ルシアンは人懐っこい笑みを浮かべた。
「他にも子爵の数々のご活躍を伺っております。
今現在はご自身の領地のこともありますでしょうが、その傍ら農産省と協力し、各地の痩せた土地を蘇らせる研究をしていると聞き及んでますよ。
先日も水害の多い地域用に強い麦の種子の品種改良を成功させたとか。
子爵の画期的な成果に陛下も非常に喜んでおられます」
「ええ、それは本当にありがたいです。恐れ多くも陛下まで私の論文に目を通していただいたようでして……」
メイットは妙に照れくさくもあり、誇らしい気分になった。
「なので、ローゼル嬢との結婚を機に一緒に我がクレインバール辺境伯領地へお越しください。
そこで土壌改良の研究をしていただけますとありがたいのですが。
いかがでしょうか」
ルシアンはぐっとメイットの双眸を覗き込むように見た。
「え? 一緒に?」
ルシアンの思わぬ提案にメイットは意表を突かれた。
「はい、そろそろ嫡男のアルバート令息も留学から戻って来ますよね?
アルバート令息はとても優秀です。俺が辺境伯を継ぐ頃にはきっと皇太子殿下の側近になっているでしょう。
その彼に爵位を譲り、子爵自身はローゼル嬢と共に新天地で新しいことをしてみませんか?
きっと今以上にやりがいがありますよ」
「確かに……」
メイットの地理学マニア研究者の血が騒いだ。
辺境伯領地はまだ未開の地。知らない土地には見たこともない植物が多い。
それはその土地の気候条件や織りなす大気状態、地形等で異なってくる。
(それだけじゃない。
何よりも嬉しいのはローゼルが嫁ぐときに、その土地をこの目で確認できることだ!
俺はあの子が幸せに暮らすのをこの目でちゃんと見届けられる)
「いいお話ですね」
メイットは頷いた。
「そうでしょ?」
得意気にルシアンは笑った。
メイットはコホンと咳払いをする。
「その前に、ローゼル自身がクレインバール卿との結婚に同意をしないと話は進みませんがね」
そう平然と装いつつ、はしゃぎたいような興奮が込み上げてきていた。
「ええ、それは大前提ですよ。
もし同意してくれましたら、子爵とローゼル嬢のお越しは大歓迎いたしますよ」
まるで、メイットの気持ちを見透かしたように、ルシアンはくすくす笑った。
この若者に敵わない気がして、メイットは気恥ずかしい気持ちになった。
だが、悪い話ではない。
(父親が輿入れした娘と一緒に領地にいれば、万が一この男の気が変わって別の女人に手を出そうとしても牽制できるし、それでもローゼルが窮地に追い込まれたら、共に領地を去ればいいだけのことだ)
「ああ、そうそう。
ところで、子爵は陞爵の話、今回こそお受けになられますよね?」
突如ルシアンが話題を変えた。
メイットは驚いたものの、ゆるゆると首を振った。
「いえ、我がイースティリア家は爵位というものにあまり興味がないので……」
今回も辞退するつもりです。
そうメイットが言おうとした瞬間、ゾッと背筋が凍った。
ルシアンから鋭く刃を突きつけられたような視線を浴びせられたからだ。
ローゼルは魔力感知が誰よりも鋭いが、メイットはその辺、鈍感だった。
そんなメイットでも分かる、凄まじいほどの威圧感をルシアンがわざと放っていることを。
(ああ、そういうことか、すべてに合点がいった)
つい、未開の新しい地の研究に釣られて浮かれてしまったが、彼の目的は、全部で三つあったんだ。
一つ目、ローゼルの婚約破棄ならびにその後の自分との婚姻の確約。
二つ目、クレインバール領地の土壌改良の約束。
三つ目、イースティリア家の陞爵。
冷静に考えれば、この年齢で軍師になれるほどの男だ。
一筋縄でいくはずがない。
ましてやこの国の軍師で策略家だ。
改めて、自分が強力な武闘派魔法使いと至近距離で相対しているのだと意識する。
自分の無防備さを恥じた。
「さすがにここまで高名な論文の数々を世に発表したのですから、陞爵をお受けするべきでしょう」
ルシアンの笑みに、メイットは背筋を寒くした。
代々のイースティリア家の当主は陞爵を固辞していた。
イースティリア家は建国時からある古参貴族で子爵家としてはベテラン。
だが、イースティリア家の人間は学究肌であると同時に、ありあまる魔力量を持っていることが多く、大半が魔術や錬金術の研究に力を注いでいた。
代々の祖先たちが多大なる功績を挙げて陞爵の話があっても毎回固辞するのは、上級貴族に仲間入りをし、無用な権力争いに巻き込まれるのを避けるため。
名誉や箔付けよりも研究の自由が大切なのだ。
「考えてもみてください」
ぐっとルシアンは上半身をメイットに近づける。
「嫡男アルバート子息は、このまま順当にいけば皇太子殿下の側近として仕えるのはほぼ確定です。
妹のローゼル嬢もご自身の活躍で法曹一族ライアナース法務大臣の懐刀と言われるほど。
そろそろ子爵から伯爵へ陞爵しなくては、これでは周囲も困りますよ」
ルシアンから注がれるねっとりとした視線に、メイットは落ち着かなくなった。
皇帝陛下が自分の陞爵を望まれているのは、薄々感じていた。
けれど、代々の祖先たちが固辞していたのを、ここで自分が覆していいものなのか――。
「ご存知のとおり、現皇帝は陞爵に慎重です。
特に上流階級は。国に貢献したとはいえ、むやみやたらに爵位を上げるものではない。
身分は人を変える、それはいい意味でも悪い意味でも――」
ルシアンがさらに前のめりに座って、怜悧な口調で語る。
「しかも陛下はいつもこうおっしゃるのです。
『イースティリア家の功績に比べればたいしたことないのに、これくらいの成果で陞爵しようなんておこがましいにも程があるなあ。ああ、そうだ。この際だ、一つの基準を設けよう。最も功績を残してなお、子爵位にいるイースティリア家以上の功績を上げたら、陞爵しよう』ってね」
メイットは硬い表情で耳を傾けた。
「借金や不祥事、まあ様々な理由で降格、もしくは爵位を剥奪される貴族もいる中、ここ最近は伯爵位が圧倒的に少ないと貴族上層部は考えているようです」
ルシアンは不意に言葉を切り、艶やかな流し目を向ける。
「実際、私も部下が命懸けで活躍し国に貢献しても、陞爵の話がなかなか出なくて困る場面も多々あります。
どうしても、文官のイースティリア子爵家以上の功績となると、武官は畑違いからなかなか奏上しにくい現状なんですよ」
皮肉と揶揄のこもったルシアンの笑みは、メイットをゾッとさせた。
そして、頭から鈍器で殴られたような強い衝撃。
まさか。
我がイースティリア家が、他の貴族たちの出世を阻む壁となっていたなんて。
そう思ったら、居ても立っても居られなくなった。
「それと、ローゼル嬢を我がクレインバール辺境伯が嫁に迎えることについても、子爵位の娘では外野が五月蠅いんですよね」
ルシアンの声は恐ろしいほど静かだった。
「でしたら、ローゼル嬢が心置きなく嫁ぐためにも陞爵の話をお受けするべきかと思いますよ。
まあ、その方がウルーム伯爵家と同じ土俵にあがるので、婚約破棄もしやすいでしょうね。
ああ、あと、アルバート子息も心置きなく殿下のお傍にいられる。
これでみんなハッピーだ」
ルシアンはニカっと白い歯を見せて笑った。
笑顔なのに迫りくるような圧迫感。
メイットは自分が冷や汗をかいていることに気づいた。
要は自分が他の貴族たちの陞爵のストッパーになっている。そう言いたいのだろう。
どうする?
代々受け継がれた子爵位を俺が打ち切っていいのか?
「陞爵すれば、ローゼルは幸せになれますか?」
ふとメイットが思ったことを口に出した。
一瞬、ルシアンは胸を突かれたような顔をしたが、次の瞬間には華やぐように微笑んだ。
「もちろん。彼女を阻む身分が変われば彼女自身も生きやすくなると思いますよ。
まあ、その前に俺と結婚して幸せだったと思えるよう全力で愛しますけどね」
これ以上にないほどの自信と、男としての余裕。
ひどく甘美で、完璧な貴公子の微笑みだ。
メイットは苦笑した。
「承知しました。陞爵の件、お引き受けいたします」
「そうですか。素晴らしいご決断をされましたね」
ルシアンは鷹揚に頷くが、陞爵の決断をさせるために随分と脅迫されたような感じも否めない。
メイットは静かにため息をついた。
さて、とんでもない男にローゼルは見初められたものだ。
彼が自分の義理の息子になる――。
であれば、ここで確認をしておくべきだろう。
父親として――
「――クレインバール卿。
それでは、ひとつだけ懸念事項があるのですが、申し上げてもよろしいですか?」
メイットは尋ねた。
「ええ、もちろん。どうぞ」
にこやかにルシアンは言った。
「貴殿が娼婦館に通い詰めているというウワサは本当ですか?」
真剣な面持ちのメイットに、ルシアンは一瞬虚を突かれたような表情を浮かべ、気まずそうに顔を歪めた。




