第57話 身を引く天才魔法使い、身を引けぬ軍師
ナイトマーケットの灯りは、夜の闇を柔らかく照らしていた。
ローゼルとエレナがキャンディを手にしてはしゃぐ姿。
ルシアンはふっと肩の力を抜いて、しばらく惚けるようにじっと遠巻きに見つめていた。
小柄で気品漂う可憐な二人は、すれ違った人々が何度も振り返るほど注目を浴びている。
だが、当の本人たちはすっかり二人だけの世界に入って楽しんでいる。
「はい、小次郎くん。
どうですか?」
ローゼルがエレナの肩にいる黒リスに買った飴をほんの少し与えた。
小次郎は、つぶらな瞳を輝かせて飴を抱えるようにして齧りついた。
一口で気に入ったようで、むしゃぶりつくように音を立てて食べ始めた。
だが、食べ終わる頃には手がべたついたのか、必死でぺろぺろ舐めていた。
「あはは、この子、可愛すぎる!」
ローゼルは声を上げて笑った。
「でしょ?
わたしの相棒だよ」
「本当、可愛い相棒だぁ」
「ずっとローゼルに紹介できなくて心苦しかったんだ。
ようやく紹介できて嬉しいよ」
ローゼルとエレナが笑い合う。
あの黒リス小次郎は使い魔であって、魔力が強くなければ見えない生き物だ。
ローゼルは魔力感知が鋭いから見えるのだろう。
通り過ぎる魔力のない人々にとっては摩訶不思議な光景だ。
「んだよ、同期友達とすっかり楽しみやがって」
クロフォードはルシアンの隣で肩をすくめる。
「なんだ、やきもちか?」
くすっとルシアンが笑うとクロフォードはむっとする。
「違うよ。
糞カワイイ光景に苛立ってるんだよ」
「意味が分からん」
「だって、あの二人、やけに可愛くない?
すげぇ目立ってるし。
そもそも、イースティリア女官は入省したての頃から悪評と真逆の美少女女官、ってことでざわついていたけど。
エレナは、ああしてみるとやっぱ美人だよなぁ」
クロフォードがしみじみと言った。
「惚気か?」
「ちげぇよ」
「ふうん。
まあ、ヴァービナス女官は王城内じゃあ、滅多にローブのフードを取らないからな。
これは稀少な眼福図かもな」
「そう、まさにそれだ」
「とはいえ、やはり男たちがここぞとばかりに振り返って、二人をまじまじ見るのは、いささか気分は悪い」
顔を歪ませたルシアンは、腕を組んで大きく頷いた。
「ああ、それ激しく同感。
俺達だってそうそう見れない美少女コンビだぜ。
見るならカネとるぞってね」
クロフォードが小さく肩をすくめた。
ルシアンは熱心にエレナを見つめるクロフォードの横顔を盗み見た。
(まったく、コイツは)
口は悪いし、態度も横柄。
そのくせ、人嫌いで有名。
それなのに、恋愛に関しては不器用でピュアで、変に一途。
エレナ・ヴァービナスとクロフォード・ノーエランド。
公になっていないが、二人はこの国有数の魔法使い――元王宮魔術師筆頭マインラート・ソシュールの弟子だ。
しかも、その師匠は現在、宰相府人事部魔術師採用室の室長であり、魔法使いの官僚すべての人事権を握っている。
(平たく言うと、この二人は兄妹弟子。
クロフォードの会話から、彼がいまだにエレナに片想いなのは明白。
なのに、自己犠牲がすぎるというか……)
クロフォードは先の敵国との戦争で受けた呪いのため、長生きすることはできない。
恐らくあと数年の命――。
それでもこうピンピンとしているのは、彼が天才魔法使いで、自分の呪いを常に体内に放出しないように押し込んでいるからだ。
「最近体調はどうなんだ?」
ルシアンが尋ねると、クロフォードは肩をすくめる。
「これといってフツー」
「やはり深夜は発動するのか?」
「まあね。呪いは相変わらず健在だ。
けど、だいぶ免疫がついて慣れたのか、昔よりは楽になってるぜ」
「そうか。
——彼女に想いは、やはり伝えないのか?」
「ああ。そんな気サラサラないね。
もしあったら、マクィーン卿に託さねぇって。
俺がかっさらってるよ」
クロフォードは無表情だが、視線の先のエレナに向けるものは、柔らかく、春の陽射しを思わせる。
すっかり惚れ込んでいる。
まさに純愛。
「とんだお人好しだな」
ふっとルシアンは苦笑した。
「お人好しで結構。
良いんだよ。俺は、最後までエレナを守ってやれないから。
ちゃんと生涯を共にできる伴侶がいるのが、エレナの幸せに繋がる――」
おどけた様子から一転、真面目にクロフォードは答えた。
生涯を共にする。ルシアンの胸に強く響いた。
「お前は本当すごい奴だ。
恋敵に引導を渡し、彼女が婚約者と愛を育むのを温かく見守るなんて。
むしろ、奇特と言っていい」
俺には到底できない芸当だ。
「それ褒めてんの?
けなしてるの?」
「褒めているんだよ。
俺は、身を引けるほど、謙虚じゃない」
「ふうん、いいんじゃない。
その方がクレインバール卿っぽいよ」
後頭部で両指を絡めたクロフォードがニッと歯を見せて笑う。
「で、どうするの?」
今度はクロフォードが尋ねた。
「なにが?」
「さっきの話も総合すると、あの子、結構きわどいところにいるぜ。
ウルーム伯爵の息子と婚約していて、この前の皇族会議のテロを未然に防いだんだ。
そろそろ連中が目を付けるぞ」
「ああ、だろうね。
というか、すでに目を付けられている」
冷ややかなルシアンの呟きに、クロフォードは驚く。
「は? マジかよ」
「ああ。だから、クロフォード。
どれだけでも小遣いをやる。
お前にもう一つ、確認してもらいたいことがある。
もちろん、お前の上官マインラート・ソシュール様には俺から改めて依頼する」
固い表情のルシアンに、クロフォードは一瞬息を呑んだ。
それから無邪気に笑うローゼルとエレナに視線を戻した。
「マインラート様に依頼する時点で、すでに個人的な願いを超えてるだろ。
軍部からの正式な依頼なら小遣いはいらないよ」
「――助かる」
ルシアンがやんわりと笑みを浮かべた。
その瞬間、背中にピリピリとした電流が走った。
刺すような視線。
ルシアンとクロフォードは同時に身構えた。
ハッとして二人は同じ方向を見る。
屋根の上から黒い影が走る。
刃のような魔力がローゼルへと迫っていた。
影がローゼルに向けて手を翳す。
その掌から、鋭い雷のような閃光が放たれた。
まずい、間に合わない!
「ローゼっ!!」
バチン
何かを弾く音が、鋭く響いた。
だが、その音はすぐさま雑踏の喧騒にかき消される。
それでも、確かに硬質的な音がした。
影の攻撃は弾かれたのだ。
エレナが怜悧に屋根の陰をすっと睨みつけていた。
影はサッとその場を離れた。
その瞬間、エレナの肩で毛繕いをしていた小次郎が、エレナに視線を送った。次には小次郎は屋根に飛び上がって、影を追い始めた。
「助かったぁ」
エレナが咄嗟に無詠唱で防御魔法を発動させ、ローゼルを守った。
ルシアンは足から力が抜けていくのを感じ、思わずその場でしゃがみ込んだ。
「はあ、早速かよ。マジでエレナがいて助かったな」
クロフォードの視線の先は、小次郎が追う影の人物。
「ああ、本当だ」
「でも理解した。
これはかなり緊急性があるな」
クロフォードの声が不気味に低く響いた。
「俺もまさか、こんな街中で攻撃してくると思わなかった」
ルシアンは悔しさを滲ませ、髪をクシャとつかむように握った。
「少々読みが甘いんじゃないか? クレインバール卿。
どうした?
恋に落ちて軍師としての腕が落ちた?」
クロフォードが面白がるような目つきで、ルシアンを見た。
「――そうかもしれないな」
「は?」
クロフォードの目が何度も瞬く。
「今なんて?」
「だから、浮かれていたのは確かだ。認める」
ルシアンはすっと立ち上がった。
拳を握りしめ、ゾッとするほど醒めた声で決意を固めた。
「だが、これで目が覚めた。
こっちも手加減なしで本気でやらせてもらう」
*
ローゼルはふと遠くを見るエレナに違和感を抱く。
「エレナ?」
一瞬間近で魔力の衝突を感じたけど、もうその気配は消えている。
「あのね、ローゼル。
小次郎がお散歩に行っちゃった」
エレナは寂しそうに呟いた。
「そうなんだね。
リスって夜も目が見えるのかぁ」
「そういえば……どうなんだろう。
考えたこともなかったな」
ふと真剣に悩むエレナの姿にローゼルはふっと笑う。
「あはは、なにそれ。
でも、お散歩できているからきっと夜目が利くんだよ」
「だね。
それにしても、リスなのに飴まで食べるのは知らなかったよ。初発見」
つられるようにしてエレナも笑った。
どうしてだろう、その笑顔にローゼルはほんの一瞬寂しさを覚えた。
胸をぎゅっとつかまれたような痛み。
まるで置いていかれているような——
「ねえ、いつから王城出仕?
また出張でどこか行っちゃう?」
「うーんと、来週は王城にいるよ。
出張続きで報告書が出せないからね」
「私ね、エレナに聞いて欲しい話がいっぱいあるんだ」
「わたしもだよ。
落ち着いたらお茶でもしに行こうか?」
「うん! 行こう」
ローゼルは元気よく頷いた。
「ローゼ」
喧騒に混じってルシアンの声がした。
ローゼルは振り返って、その姿をしっかりと捉えた。
心の中でぱっと明るくなって、胸が高鳴った。
「ルシ! おかえりなさい」
ローゼルがルシアンの元に駆け寄ると、彼も鮮やかな笑みを浮かべた。
「ああ、ただいま」
その僅かな間、エレナとルシアンが、互いに目配せをし合った気がした。
不意に、ローゼルの胸に針が刺したような明確な鋭い痛みが走った。
「……」
ローゼルは、エレナの仕事もルシアンの軍部内容も詳しくはよく分からない。
けれど、きっとこの二人は以前からの知り合いで、共に任務に当たった同士。
そんな気がした。
まただ。
チクっとして痛む。
心が灼かれるような、複雑なほろ苦い感覚。
私の知らないルシアン・クレインバール卿――。
いいな、羨ましい。
ふと、エレナの視線がルシアンの少し奥へ向けられるのにローゼルは気づく。
エレナは僅かに目を見開き、喜悦を含ませた。その頬が薔薇色に鮮やかに輝く。
あどけない可憐な少女のような笑顔が広がった。
わぁ、なんてキレイな笑顔なのかしら。
ローゼルはこころを奪われる。
それからその視線を辿ると、そこには、一人の美しい青年がいた。
焦げ茶色の髪に若草色の双眸。
洗練された美。
確か、彼を王城で何度か見たことがある――クロフォード・ノーエランド。
「わたし、用事を思い出したからもう行くね」
エレナはローゼルに言った。
「えー、でも……」
一緒にまわろう。そう声を掛けようとしたが、すっとエレナがローゼルに囁いた。
「それじゃあローゼル、デート楽しんでね。
今度、ちゃんと恋バナ、聞かせてよ」
意味深な眼差しにどきりとし、ローゼルは口をもごもごと言葉を飲み込んだ。
エレナは微笑んで手を振って、ルシアンとすれ違いざまに軽く会釈をした。
ローゼルが慌てて振り返った時には、エレナはあの美しい青年と肩を並べて、雑踏へ消えて行った。
***
――ローゼルとルシアンが柔らかな光の下、ナイトマーケットを楽しんでいる頃。王城の一角では。
遠くで犬が吠えている。
王宮のどこかで吠えている割には随分と遠くに聞こえる。きっと皇族が飼っている真っ黒な大きな犬だ。使い魔だ。
第2騎士副団長のマッシュ・モラレスは、目の前の人影を追っていたが、突如それが消えた。
部下たちに指示をし、手当たり次第探させる。
部下たちがバラバラと戻ってきた。
「どうだ? 捕らえたか?」
「いえ、逃げられました」
二十人ほどの騎士たちがマッシュの元に集まり、しきりに首を振ったり、がっくり肩を落としたりする。
全員、その表情は深刻だ。
「くそがっ。
どこに隠れやがった!?」
マッシュは忌々しげに舌打ちし、頭をカリカリ掻いた。
「もう一度隈なく周辺を探せ。
不審な動きをしている者には全員職質をかけろ。
いいか、取り逃すな、絶対だ」
「はっ!」
第2騎士団員たちは一斉に散り去った。
マッシュは焦燥感と苛立ちに駆られていた。
(逃げ足の早い奴め……。
また王城内で被害者が出るなんて最悪だ)
舌打ちをしながら、マッシュは薄暗い回廊を見回す。
夜間の警備の衛兵の数は、昼間と比べると圧倒的に少ない。
けれど、これは――。
しんと静まり返る王城は、不気味なほど静寂に包まれていた。
経費削減という名の下に、総務省が魔法灯の数を大幅に減らしたことも相まって、数カ月前より随分と薄暗い。
ぽつぽつと設置してある篝火がやけに眩しく見えるが、一歩奥に入れば闇夜。
マッシュの手元にある小さな光の球体、魔法で作り出した灯光。
その明かりすら、ゆらゆらと頼りなく揺れる。
(まずい、このまま犯人を野放しにしていては魔法騎士団の名折れだ。
本当にあのクソ上官は余計なことしかしねぇよな。
犯人が図に乗って次の犯行を起こしたらどうしてくれるんだよ)
マッシュは唇を噛み締めた。
きっとあの上官のことだ、「お前たちの魔法騎士団の初動捜査ミスだ」とか難癖つけて、その失態を総帥かルシアン様に押し付ける気だ。
それから、ルシアン様には、あの迷惑令嬢との婚姻もこれみよがしに押し付けてくるに違いない。
剣術も魔法も、誰よりもまともに使えない武官になりすました上官――。
その顔を思い出し、マッシュは怒りで顔がカッと熱くなった。
「くそっ、くそっ、くそがっ!」
王城連続強姦魔。
まだ公になってはいないが、すでに数人の女官たちが犠牲になっている。
王城警備中心の第2魔法騎士団がこうして捜査しているのだが、一向に手掛かりが掴めずに難航している。
被害に遭った女性たちは衝撃が大きくて、なかなか犯人の顔を思い出せず、襲われた時の恐怖が先走り、身体的なことはもちろん、証言できずにいる。
精神的にも随分と参っている。
とはいえ、こういう性犯罪は、なかなか女性たちは被害に遭ったことを口にできない。
無神経に襲われた女性たちをなじったり、非難の声が上がったりするし、それどころか醜聞を避けたがる家族に口止めされるケースも多いからだ。
被害届を出してくれただけでも、魔法騎士団として助かる。
そう考えると、まだまだ氷山の一角。
被害者は名乗り出てこないだけで、実際、泣き寝入りしていると考えられる。
早く捕まえなくては――
石畳に落ちる影は歪み、闇が廊下を呑み込んでいく。
風が木を揺らすたび、城全体が低く唸るように響いた。




