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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第53話 夜市の老婆、紐解かれる疑惑

 大通りの左右両側に並び立つ露店。

 夜風がそよぐ初夏。

 王都郊外のナイトマーケットは、さらに活気づいていた。


 竹筒に盛られた氷菓に黄金色の蜂蜜がとろりと流れ、ローゼルは嬉しそうに齧りついた。


「冷たくて美味しいぃ」


「ふうん、竹を割って器にし、氷を盛って蜂蜜をかける。

 なかなかいけるな。

 遠征のおやつで用意しても喜ぶかもしれない」


 ルシアンはしみじみと呟きながら、氷菓子を観察した。


「遠征のときのおやつ! 

 いいアイデアですね。

 お疲れの時には甘いモノは身体どころか心も癒されます」


「確かに。精神を病んでは強靭な肉体も意味を成さないからな。

 これなら氷魔法が使える者とシロップがあれば賄える」


 デートとはちょっと違う話題。

 甘酸っぱさどころか、ルシアンはつい実務的になってしまう。

 これは一種の職業病か。


 ローゼルがルシアンの顔を覗き込んだ。


「本当、お仕事熱心ですね」


「あっ、つまらなかったか?」


「いいえ。私も仕事大好きなので。

 そのせいか、なんでも仕事に結びつけちゃうっていうか。

 そんなんだからレオーネに『糞つまんねぇ女』って言われちゃうんですけどね」


 ローゼルはケラケラ朗らかに笑った。


「あんな男の言う事を気にするな。それ言ってたら俺だって――」


 ルシアンは冗談めかしながら、視線を少し前を歩く男たちに向ける。

 近からず遠からず、ほどよい距離を保ち、賑わう大通りを歩み続けた。


 途中、庶民服に身を包んだルシアンの知る若い男とすれ違う。

 ルシアンは一瞬だけ男と目を合わせた。


 軽く顎をしゃくるように動かして、さっき手に入れた情報の紙をその彼に何気ない仕草で握らせる。


 それから彼は無表情なまま、何も言わずに頷き、すぐに人混みに紛れて消えた。

 やがて、その背は、ルシアンが追っていた男たちの影を追い始める。


(これで思う存分、俺も楽しめる)


 さっきのは魔法騎士団の密偵だ。

 情報屋の亭主からもらった紙には、ここらで起きた胡乱な出来事が記載されている。

 今の怪しげな客の特徴も書いてあった。


 追々それを辿って、他の密偵たちも動き出すだろう。


 その時、手を引っ張られた。


「ねえ、……ルシ! 

 あそこ、気になります!」


 氷菓子を食べ終えたローゼルが、ひとつの露店をしきりに指をさした。

 くりくりの瞳が夜灯りを映してキラキラ輝いている。


 ルシアンが視線を投げると、地元雑貨や民芸品がぎゅうぎゅうに詰まった、ちょっとした天蓋を張った洒落た感じの露店があった。


「入ってみてもいいですか?」


「もちろん、いいよ」


 ルシアンは鷹揚に頷いた。

 

 露店の天蓋の中に入ると、ローゼルがなぜ入りたがったのか、すぐさま納得した。

 異国の陶器に雑貨、ちょっとした貴金属品など、女性が好きそうなものばかり並んでいる。


 月光を吸い込んだ糸で織られた珍しい布に、触れると澄んだ音色を奏でるガラス細工。

 そのほかにも店の奥にはさらに珍しい骨董品も販売しているようだ。


「わぁ、これ、可愛い」


 ローゼルは、可愛らしくデザインされた動物をモチーフにした雑貨を熱心に眺めた。


「買おうか?」


「いえ! 大丈夫です」


 ローゼルは慌てて首を振った。


「それよりも、これ。

 きっと音色がすごく綺麗なんですよ」


 ローゼルはガラスでできた精巧な細工の雑貨を優しく弾く。

 澄んだ音色が響く。


「ああ、本当だな。

 綺麗な音だ」


 ルシアンも一緒にその雑貨を覗き込む。

 視線が合わさり、ふいに互いに笑みが零れた。


 穏やかな時間。

 今までの自分にはなかったものだ。


「これ、蜜蝋なのにお花の匂いがしますよ。

 フローラルの爽やかないい匂い」


 ローゼルが手に取って、その香りを楽しむ。


「何というお花なのかな?」

 

「どれ?」


 ルシアンも顔を近づける。

 確かに甘い花の香りがする。


「これは金木犀きんもくせいだな」


「え、ご存知なんですか?」


「ああ。一時期この国でも流行っていたからな。

 まあ、すぐ廃れたんだけど」


「へえ、そうなんだ」


 ローゼルはそっとその蜜蝋を棚へ戻した。


 金木犀――。

 発祥は遥か向こうの東の国だという。


 そして、今現在この花はなぜか敵国のマリュード皇国の国花になっている。


 花に罪はないが、敵国がどんないちゃもんをつけて来るか分からないため、国はこの花を全面的に禁止している。


 まさか、こんな露店でそのときに作られただろう蜜蝋に遭遇するとはな。

 

「このランプも素敵」


 ローゼルの興味は別のものに移っていた。

 天井の魔法灯に照らされ、七色に輝きを放つ異国情緒漂うスタンドランプだ。


 次の瞬間、ルシアンはぎくりと身体を強張らせた。

 背中が痒くなるような何かが蠢く不気味さを背後から感じたのだ。


「イヒヒ、いらっしゃい」


 店の奥から黒のローブを頭から被った怪しげな老女が声を掛けてきた。


「ああ、邪魔しているよ」


 ルシアンは不穏な気配を感じながらも、平静を装った。


「あぁ、この美しいランプ。

 購入してくださいましたら、先程御覧になられていた花のエキスを練り込んだ蜜蝋を低価格でお売りしますよ。

 ランプの中に入れて火を灯すと、部屋中に花のいい香りが充満しますよ。

 どうです? 

 夜の雰囲気が甘くなりますよ」


 老女は含蓄ある眼差しをルシアンに向けた。


「夜が甘く……」


 たちまちローゼルの顔が真っ赤に染まった。

 ローゼルも老婆の示す意味が分かったようだ。 

 夜というのは、夜の営みのことだ。


「ほう、それはなかなか興味深い。

 なあ、ローゼ?」

 

 ルシアンがわざとらしく意味深な流し目を送ると、ローゼルの顔はますます熟れた林檎のようになった。


「そ、そんなことは……!」


「将来のために購入しておいてもいいかもしれない」


「え、え、ちょっと待ってください! 

 こ、心の準備が……!」


 たちまちローゼルは動揺し始めた。

 ルシアンはクスクス笑う。


「候補として考えておこう」


「ありがとうございます。

 ここは、世界各国の珍しいものを選り取り見取り集めたセレクトショップです。

 ゆっくりと見て行ってください」


 老女は丁寧に頭を下げた。


「はい、ありがとうございます」


 ローゼルは律儀に礼儀正しく老女に笑顔で答え、他の雑貨に夢中になり始めた。

 というよりも顔の熱を冷ますために距離を取った、と言った方がいいかもしれない。


(セレクトショップねえ)


 この老女。

 只者ではない。


 本能的にそう察して、ルシアンは改めて置いてある品々を物色する。

 

 ローゼルが見ているメイン棚の反対側には、まさに掘り出し物といえるような骨董品ばかり。

 怪しさ満点だ。

 

 ドラゴンを模した木彫りの置物に、随分と薄汚れた水晶玉。

 そして血生臭い黒曜石の護符。

 刻印のある小瓶に異国の仮面などが無造作に置かれている。


 これらはすべてどれもこれも闇オークションで売買されるような代物。

 一般庶民が扱うには危険すぎる。 


 ちょっとした呪物が勢ぞろいしていて、ルシアンは寒気を覚えるほど。

 随分と物騒な物を売っているセレクトショップだ。


 最近こういった骨董品にとんでもない巨大呪物が紛れ込み、物珍しさに惹かれた商人たちがちょっとした騒動に巻き込まれている。


 この前も呪具だと知らずに購入した人形が突然魔力を持って暴れ出し、第3魔法騎士団が出動する騒ぎにもなったほどだ。


(そもそも、どこでこんな物騒なものを入手するんだろうな)


 あいにくローゼルが見ているような可愛らしい雑貨からは、そういった禍々しい気配は感じられない。

 とはいえ、大ごとになる前に、こういう露店の購買ルートを探る特化部隊を結成させた方がいいかもしれない。


 ふいに、ルシアンの視線の先に「廉価品」と札のあるひとつの商品に目が留まった。

 

(コレ、もしや……)


 ルシアンは堪らず、手に取る。

 間違いない。どうしてコレがここにあるんだ?

 ヒヤリとした。


 ルシアンはたちまち言葉にできない不安が込み上げてきた。

 不信感を露わに、店内をぐるりと見渡す。


 老婆がじっとこっちを見て、人懐っこい笑みを浮かべる。

 その時、老女のしわがれた手首からは痣のような紋様が垣間見えた。


「!」


 僅かにルシアンは目を見開いた。


 あの紋様は、敵国マリュード皇国の奴隷の証。

 さてはこの老女、マリュード皇国から逃げ出した奴隷だな。


  ルシアンの頭の中で、点と点が急速につながっていく。


 国で全面的に禁止されている『金木犀』の蜜蝋。

 そして、一般人が到底入手できない、裏社会の闇オークション級の呪具の数々。

 それらの出どころの謎が、この老婆の正体から一気に解けた。


 さっきの亭主――情報屋も以前言っていた。


 ――異国の婆さんがここら一体の裏社会を牛耳っているんだよ。


 酷い扱いをしてきた祖国を恨んでいる彼女は、国の禁忌を犯して遺物を密輸することなど造作もないことだろう。


 とはいえ、マリュード皇国の間諜でないだろうが、王都のど真ん中でこんな物騒な闇市を開いているとなれば話は別だ。


 ルシアンが再度老女に訝しげな眼差しを向けると、老女はニタァと奇妙な笑みを浮かべた。

 一瞬、粟立った。


「邪魔するよ」


 ぞろぞろと異国の男たちが入って来た。

 ここら辺では珍しいのっぺりとした顔立ちだ。


 ローゼルがふいにその客たちを見て、きょとんと不思議そうな顔をした。


「どうした?」


「えっと……」


 ローゼルが言葉を飲み込むように戸惑っている間に、その客たちと店員の老女がコソコソ話し出した。

 どうやら商談の話をしているようだ。


 けど、なぜかそれは異国のマリュードナバロー語だった。

 身なりから相手の男たちがそっち方面の商人のようだから、致し方ないにしても――。


 それに、この老女。

 ルシアンは商人たちと会話を交える老女を一瞥した。


 ローゼルの見ている棚以外、表立って商売できない品物を骨董品と偽って売っている。

 目的は? 

 こういう商人たちとの取引のためか?


 それに、あの『廉価品』をここに流した取引の相手は、まさか――。 

 次から次へと疑惑が湧き起こる。 


 あの老女を本格的に調べる必要がありそうだ。


「ちっ、ケチだな。

 もういい」


 異国の男の一人が舌打ちをして、手をひらひらと振った。


「ケチとは失礼な坊やたちだね。

 こういう商売は信用が大事なのさ。

 その金額では引き受けることは難しいってことだ」


 イヒヒ、と老女は勝気に声を上げて笑った。


 男たちは気味悪そうな視線を老女に投げ、悪態をつく。

 どうやら商談は決裂したようだ。


 不意に一人の男がローゼルを見た。

 それにつられるように、他の男たちもローゼルに視線を投げた。

 まるで品定めするような目つきでローゼルを頭の先から爪先まで舐めるように。


(気持ち悪い野郎だな)


 ルシアンはすっと男とローゼルの間に入って、男の視線を遮った。


 その途端、男たちはルシアンの屈強な体躯の圧倒され、気まずそうに目を背けた。

 だが、一人の男だけがローゼルに視線が縫い付けられたようにしばらくの間ずっと凝視していた。


「おい、行くぞ」


 男たちは憮然として店を後にした。

 ローゼルを見ていた男だけが、不気味そうにローゼルに何度も振り返って名残惜しそうに去った。


 強張っていたローゼルの顔は、彼らがいなくなるとほっとして緩んだ。


「大丈夫か?」


「はい……。

 あの人、すごい私のこと見ていましたよね?」


 ローゼルの肩が小さく震えた。

 恐怖に怯える目。

 ルシアンはそっと肩を抱いた。


 深刻な表情で、ローゼルがルシアンのシャツの袖を引っ張った。


「あっ……あの……私、気づいちゃいました」


 ローゼルの顔がどんどん青ざめる。


「あのね」


 ローゼルがそっとルシアンに耳打ちをした。

 ルシアンの目が大きく見開かれ、固い面持ちになった。


「それ、本当か?」


 ローゼルは重々しく頷き、声を潜めた。


「間違いありません。

 だって、私、あの会議のために王宮を連泊してたんですから」


「確かに」


 眉をひそめたルシアンは口を覆い隠し、いろいろ頭を巡らす。

 ローゼルの言うことが真実であるなら、あの事件――皇族会議で仕掛けられた爆発魔法陣に関しての犯人たちの身元が根底から覆る。


「明日にでもこっちで調べてみるよ。

 大丈夫だよ、俺もいるし」


 ルシアンは不安がるローゼルを少しでも安心させたくて、ぎゅっと華奢な肩を強く抱いた。その時、ひとつの髪飾りのリボンがルシアンの目に留まった。


「なあ、ローゼル。今宵の記念に、アレはどうだ?」


 ルシアンが見つめるその方向にローゼルがその視線を辿った。


 繊細な刺繍の入った瑠璃色のリボン。

 布地もかなり高級感があり、何よりも目を引いたのは珍しい守護の魔法が織り込まれていることだ。


「わぁ、綺麗な色。

 ルシの瞳と同じ色だぁ」


 嬉しそうにローゼルはしげしげとリボンを眺めた。


「これはお目が高い。

 西の大陸のお姫様が身に着けていたというリボンなんですよ」


 老女が二人に近づく。


「光の加減によって刺繍部分が虹色に見える稀少なものなんですよ。

 お二人は白竜に求婚されたお姫様の伝説は聞いたことはありますかね?」


 老女は気さくに尋ねた。


「確か、その伝説って……悲恋で終わるお話ですよね? 

 種族を越えての婚姻はこの世では禁忌。

 だから愛し合っているけれど、別れなくてはいけなかったという」


 ローゼルが呟くように答えた。


「ええ、まさにそのお話ですよ、博識なお嬢さん。

 白竜は彼女のために身を引き、同時に彼女の身を守るいくつかのアクセサリーを残していったんです。

 そのうちの一つだと言われております。

 どうしても、ティアラやペンダントや指輪など大きな宝石のついているものに皆様目がいきがちですが、長き戦乱の世を越え、現存しているのはこのリボンのみなんです」


「へえ、そうなんですね」


 ローゼルは素直に感嘆の声を上げた。


 だが、ルシアンは懐疑的だった。

 老婆は、いかにも的な感じで話をするが、本当に伝説上に登場するアイテムなのかいささか信じがたい。


 とはいえ、巧妙な魔術師が織った珍しい布地であることには間違いなさそうだ。


 刺繍もひと針ひと針、持ち主の無事を願った魔法が込められている。

 じっくり見ると、古代の緻密な魔術式がうっすら読み解ける。


 ルシアンはちらっと値札に視線を投げた。


 庶民に売りつけるにしては高額すぎる価格帯だ。

 どういう基準で値段を付けているのか。


 ひょっとすると、ここの品物全体、庶民がおいそれと購入しないように高値で設定してあるのかもしれない。


(まあ、俺にははした金だが)


「これをくれ」


「毎度あり」


 老婆は目元をくしゃっとさせて微笑み、ローゼルが目を見開いてルシアンを見上げた。


「ルシ、そんな……!」


「いいんだ。これ、ローゼに絶対似合うと思うんだ。

 それに、この布地に俺の付与魔法を施せば、身に着けている限りどんな魔道具アクセサリーよりもローゼを守ってくれるはずだ」


「え、そうなの? 

 そんなに貴重なものなの?」


 ローゼルは大きな目をますます大きく見開いて、リボンを見つめた。


「それとさっきのランプと蜜蝋も欲しい」


「ありがとうございます、イヒヒ」


 また不気味な笑みを浮かべた老女は、頭を僅かに下げ、上目遣いにこちらを見た。


「ランプと蜜蝋はあとで家の者に取りに行かせる」


「承知しました」


 ふと、ルシアンは老女と無言で見つめ合っていた。


 老女は全く目を逸らさない。

 ますますルシアンに近づき、その双眸をじっと覗き込む。


 黒々とした二つの双眸――深淵の闇。


 ルシアンはびくっとした。

 思わず剣を構える姿勢になりそうになるが、ローゼルの存在で踏みとどまった。


(このババア、何者だ?)


「あなた様は随分と高貴な生まれの方のようで」


 それまでと違う朗らかな表情で老女は、少し笑って見せた。


「ですが、どうかこの老女の商売の邪魔立てはしないでくださいませね。

 リボンはタダでお渡しいたします」


「邪魔? 

 こっちに牙をむかなければ俺は何もしないぞ」


 ルシアンの声が低くなり、老女の表情を読もうと顔を見入る。

 だが、老女は表情を変えない。


「そうですね、本来であれば、あなた様が正しいのでしょう」


 老女の言っていることがよく分からず、ルシアンは首を捻った。


「さぁ、お嬢さん。こちらを」

 

 老女はローゼルにリボンを手渡そうとする。

 ローゼルはなんとなく二人の間に流れる緊張感を察したのか、戸惑った表情を見せた。


「いくらだ?」


「ですから、このお代は結構ですよ」


 老女は小さく手を振った。


「それより、わたしを見逃してくださいますよね?」


 老婆は、ルシアンが自分の一挙一動を見逃すまいとする視線を平然と受け止めている。


 奇妙な視線。

 この目は何を意味しているんだろう。


 さては、この老婆、俺の正体に気付いたか。

 魔力量が皇族と並ぶルシアン・クレインバールだと。


 えてして、こういう人間は妙に鼻が利く。

 そして、ルシアンの長年の勘が囁く。


 仲良くしておいた方が今後も役に立つ――。


 ルシアンは金貨を二枚手渡す。


「タダより高い物はない、というからな」


 老女は驚き、断るかと思いきや、次の瞬間、ニタァと口を横に裂いて飄々と嗤った。

 その笑みに寒気を覚えた。


「これはこれは。

 またどうぞお越しください。

 どうか御贔屓(ごひいき)に」


 深々と頭を下げた。

 ルシアンはフンと鼻を鳴らして、リボンを無造作に貰い受けた。


「お嬢さんも。

 道中、お気をつけくださいね」


「はい、ありがとうございます。おばあさんも」


 ローゼルはおっかなびっくりした表情だったが、必死に笑顔を浮かべようとしていた。

 けれど、さっきの男たちの件もあって、うまく笑えていない。


 露店の天蓋を出て、大通りに戻る。

 にぎやかにざわめく人々の声。

 明るい笑顔が往来する長閑なナイトマーケットの風景。


 宙に浮かぶ魔法ランタンがやけに眩しかった。


 どこか異質でまるでこの露店だけが異世界のようだった。

 夢から醒めたような心地。


 隣のローゼルもどこか呆然としたままだった。


 ――道中、お気をつけくださいね。


 ルシアンは老女の声が妙に耳に残り、背を冷たく撫でていた。


(せっかくのローゼルと二人きりのお出かけなのに、俺は野暮なことをしてるな)


 ルシアンは購入したリボンをじっと見た。


 案外、老女の言っていた伝説の代物はあながち嘘じゃないかもしれない。

 そんな気がしてきた。


「ローゼル、ちょっと待ってて」


 ルシアンは小声で詠唱した。



   「――星々よ、彼女の髪に宿りて輝け。

   月の糸よ、柔らかな夜風とともに結び守れ。

   闇を 遠ざけ、心を包め。

   この絆、永遠にほどけぬように」



 そして、そっと軽く口づけをする。

 リボンが光を帯びたように淡く煌めいた。


「わぁ、綺麗」


 ローゼルが小さく歓喜の声を上げた。


「ローゼ、後ろいいかな?」


「もちろんです」


 ローゼルは嬉々としてルシアンに背中を向けた。


 ルシアンは新しいリボンを結び、テンペリーナ夫人が用意した布リボンを外した。


「うん、可愛い」


 ぽんとローゼルの両肩に手を乗せ、ローゼルの顔を覗き込んだ。

 途端に、ローゼルの頬が分かりやすく真っ赤に染まった。


「あ、ありがとうございます。

 なんか貰ってばかりで申し訳ないです……」


「遠慮するな。

 俺が勝手に買っているだけだから」


 覗き込むルシアンの顔と振り返るローゼルの顔。

 距離がぐっと近づいた。



***



「おいおい、そのままキスするんじゃねえの?」


 ナイトマーケットが開催される大通りに立ち並ぶ家の屋根。

 その上から一人の青年がぼそっとぼやく。


「えー、ちょっと何が起きてこんな甘々な展開になっているの?」


 青年の隣に並ぶ女性は、興奮気味に頬を赤く染める。


『流行に取り残されたな、エレナ!』


 彼女の肩にいる黒の毛玉、黒リスが「どんまい」と子どもの甲高い声で喋る。

 黒リスは使い魔であり、人語を操れるスーパー精霊だった。

 だが、その声は魔力の強き特定の者にしか聞こえない。


「えー、取り残されたっていうか……えー、ちょっとショック……」


「何がショックなんだ? 

 同期で友人なんだろ? 

 打ち明けてもらえなかったからか?」


 ぶっきらぼうに彼は尋ねた。


「うん、そうだよ。

 でも……仕方ないよね、かれこれ半年近く王都を離れていたんだもの」


 王都の流行りの移り変わりは早い。


「大丈夫、安心しろ。エレナだけじゃない。

 俺だって十年近くクレインバール卿と仕事を共にしているけど、あんなにやけたツラを拝むのは初めてだ。

 しかも、リボンにキスしたぜ?」


「にやけてるんじゃないわ。

 ローゼルに惚れこんでいるだけよ」


『俺様知っているぞ! 

 ああいうのを「生暖かい空気」とか「いい雰囲気」っていうんだろ?』


 黒リスはやけにしたり顔で言った。


「お前、よく知っているな」


 青年が苦笑した。


 その時。


「泥棒! 誰か捕まえて!」


 叫び声に似た声が上がって、一瞬大通りがざわめいた。

 その喧噪の中を走り去ろうとする男が一人。


 それにサッと気付くルシアンとローゼル。

 ルシアンの顔が歪む。そして、舌打ちをした。


「あぁあ、緊急事態だぜ。

 どうするんだ? 

 クレインバール軍師閣下殿」


 青年の若草色の瞳が面白がる目つきで見下ろす。


 軍部に所属している人間としてあの男を追いかけるか、はたまたローゼルとお忍びデートを楽しむのか。


 さぁ、どっちを選ぶ?


 青年はどこまでも意地悪く細く微笑む――。

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