第50話 庭園の告白と、目隠しされた記憶
王城の庭園で――。
みんなが食事を終えて各々解散していく。
レイノルドとネイトは同じ刑部省所属だ。当然二人は同じ方向へ帰る。
「レイノルド、いいか?」
ホキアンはレイノルドを引き留めた。
ネイトもレイノルドと同時に振り返り、彼は不思議そうな顔でホキアンを見た。
だが、肝心のレイノルドは無表情だった。
灰色の男。
入省したときから不気味だと思っていたけれど。
四年間、彼と同じ王宮内務官として働き始め、彼への畏怖に近い恐怖心は消失していったはずだった。
けど、いまはそれが顕著に姿を現す。
「何でみんなの前で言わなかったんだ?」
ホキアンから切羽詰まったような声が出た。
自分でも驚くほどその声も震えている。早鐘を打つ。
「何を?」
ネイトが不審そうに顔をしかめた。
その声はホキアンの耳に届いていておらず、もはや余裕をなくしたホキアンの視界には、レイノルドしか入っていない。
レイノルドは静かにホキアンの視線を正面から受け、束の間、逡巡して答える。
「そうだな、あの場であえて言う必要がないと思ったからだ。
バーンズリー大臣も人の親、ホキアンに幸せになってもらいたくて、おこなったことだろ?」
ホキアンはカッと顔が赤くなった。
「そうだけど……」
罪を犯していないのに、長時間の聴取を受けた。
あんな風に大勢の騎士たちに詰め寄られたのは、ホキアンにとって人生最大の屈辱だった。
思い出すだけでゾッとする一方、目の前が怒りで真っ赤に染まる。
「ああ、あの件か」
ネイトが冷ややかに呟き、肩をすくめた。
「ネイトも知っているのか?」
ホキアンは慌てた。
「まあね。俺、これでもわりと中堅で将来有望視されている書記官だぜ」
ネイトはたちまち有能な書記官ぶって決め顔をする。
それから、すっと真顔になる。
「まさか、お前んところもローゼルとの婚約を狙っているとは思わなかったけどな」
皮肉めいた笑みをネイトは浮かべた。
ぎくりと、ホキアンの身体は強張り、うなだれた。
違う、そうじゃない。
ネイトの気持ちを踏みにじるつもりはなかったんだ。
心臓の音がやけに鮮明に聞こえた。
「誤解しないでくれ。
そんな気は本当になかったんだ。
ただ、父上がローゼルをすごく気に入ってしまっただけで、それに父上はもともと、その……」
ホキアンは必死で言い訳を紡ぐが、次第に語尾は弱くなって、しまいには喉に言葉が引っ掛かって出てこなくなってしまった。
「分かってるって。
いいよ、いいよ。
そんなこと、いちいち言わなくても」
ネイトは気さくに笑って、手をヒラヒラさせた。
「そりゃあ、最初は驚いたぜ。
バーンズリー親子の事情聴取だなんて。
結局、あれだろ?
バーンズリー大臣がローゼルをどうしてもホキアンの嫁にしたかった。
そのためには婚約破棄させる確固たる証拠が必要。
だからウルーム伯爵領地に侵入した。
で、いい情報を握ったのはいいが、怪しまれて騎士団から取調べを受けた。だろ?」
「そうだけど……」
「ホキアンは何も後ろめたいことはないぜ」
ネイトは肩をすくめた。
「そう、父上が望んだんだ。
俺は、別に本気でローゼルとの婚約を考えていたわけじゃなくて……。
だから、抜け駆けをしようとしていたわけじゃないよ」
しどろもどろするホキアンに、ネイトとレイノルドが顔を合わせた。
「抜け駆けって」
ネイトが吹き出した。
「そんなこと、誰も思ってねぇよ。
そもそも、こういう貴族の婚姻なんて、裏切るも何もないだろ。
家同士の約束で一種の契約だ。
身分次第で話の規模も変わってくる」
自分を嘲笑うかのようにネイトは苦笑した。
身分次第。そのとおりだ。
ネイトがどれだけローゼルに恋焦がれても、いくら優秀な書記官でも貴族階級においては、一介の子爵位の令息にすぎない。
格上貴族の伯爵に喧嘩を売ってまで、ローゼルの婚約破棄を成立させる権力も財力も持ち合わせていない。
特に昨日ルシアン・クレインバールがローゼルに求婚したことは、ネイトにとってその辺の淡い恋心を持つ官僚以上に衝撃を受けたはずだ。
求婚されて頬を薔薇色に染めるローゼル。
ルシアン・クレインバールの真剣な眼差し。
遠くでその様子を目撃し、悔しさを滲ませるネイト。
ホキアンはかける言葉がなかった。
「悪かったな、ホキアン。
うちの武官たちが怯えさせてしまったようだ」
レイノルドが静かに謝罪した。
「別にレイノルドが悪いわけじゃないけど……」
「今回のレオーネ・ウルーム令息の犯行には上層部が少々過敏になっているんだ。
ホキアンに事情聴取をしたアラン・リックランス様は、普段誰よりも温厚な方だ。
だが、取調べになると少々手荒になるのが玉に瑕で……すまなかった」
あれが「少々」か?
ホキアンは思わずそう反論しそうになるが、ぐっと黙った。
「そうだよな、ちょっと今回は熱が入りすぎだったもんな、みんな。
軍部上層部直下の書記官レイノルドと違って、俺って刑部省直下の書記官だろ。
俺はガッツリ関係者扱いなんだよ。
もちろん、立ち合いも禁止」
ネイトがカリカリ後頭部を掻いた。
「フォローできなくて俺も悪かった。
弁解じゃないけど、あれでもみんな気さくでいい奴なんだぜ」
「そりゃあ……身内には優しくて当たり前だよ」
ふいに取調室のことを思い出し、ホキアンはぶるっと震え上がった。
暗い陰湿な部屋に、椅子とテーブル。
絵に描いたような取調室。
威圧感を与えてくる騎士団員たち。
背中に冷たい汗が流れた。
「だからって、あんなふうに厳しく責め立てるような尋問……。ひどいよ」
取調べを受けた時の怒りと屈辱、吐き気をもよおすほどの恐怖。
不安が蘇って、ホキアンは泣きたい気持ちになった。
「そうだな。
本当にすまなかった」
切実に訴えるレイノルドの声。
「 毎日犯罪者とか暗殺者とか、凶暴な人間ばかり相手にしているから、どうしても、武官は単なる事情聴取でも気合が入ってしまうんだ。
別にホキアンご家族が悪いことをしたわけじゃないのは皆、分かっている」
強い風が吹いた。
葉と葉が擦り合って、ざあっと激しい音がした。
少し間をあけて、レイノルドが神妙な顔つきで言う。
「バーンズリー卿が入手した情報が――詳しくは話せないが、とにかく軍部上層部が欲しがっていた情報そのものだったんだ。
だから——」
「軍部上層部って、特にクレインバール卿が、だろ?」
ホキアンから漏れ出す声は低い。
レイノルドとネイトは目配せし合い、深いため息をついた。
「ああ、そうだ。
ルシアン様に最も忠実な第2騎士団の面々が、君たち親子の取り調べに力の加減を見誤ってしまった」
忠誠心。軍部の忠誠心は、傍から見れば狂気の沙汰だ。
特に総騎士団長であり、軍師の彼に対しては、魔法騎士団員の忠義は凄まじい。
逆に文官の自分たちから見れば、末恐ろしい忠誠心だ。
(だから好きになれないんだ)
「安心しろ、というのもおかしな話だが――バーンズリー親子の経歴に傷は決してつかないように処理をしている。
それどころか、バーンズリー卿とも有益な情報交換もでき、お陰で俺たち軍部は凶悪犯罪者たちの足取りがつかめそうなんだ。
これは国家的にすごいことなんだぞ」
レイノルドの声からわずかに興奮が滲み出た。
「え? あれが?」
ホキアンはぽかんとした。
確かに、父はなんだかんだ「いい経験になった」「いい話が聞けた」と苦笑を交えて、どこか清々したよう顔つきだった。
だけど、あの恐怖を容易に拭い去ることはできない。
「悪かったって」
ネイトがホキアンの肩を叩いた。
「今度夕飯を奢るよ。
もちろん、レイノルドは別にワインボトル二本くらい出せるよな」
「僕、ワインもだけど、シャンパンも飲みたい」
ホキアンが口をすぼめて言うと、ネイトとレイノルドは顔を見合わせて、声を上げて笑った。
「ああ、もちろんだ」
「どうせならローゼルも誘うぜ。
ローゼルもシャンパン、久々に飲みたいだろ。
そうだ、ローゼルの快気祝いだ」
「いいね、それ」
思わずホキアンから笑みが零れた。
ネイトは顔も良いくせに、こういう気遣いができるいい奴だ。
「それにしても、ネイトまで知っているのは想定外だったなあ。
――軍部ってそういうの、ちゃんと悟られないようしっかり教育されているな。
うちの総務省とは大違いだ」
ホキアンは感心するような声を上げた。
「そりゃあね。
だけど、俺の扱いなんて酷いもんだぜ」
「でも、中堅で将来有望視されている書記官だから、情報共有だけはしてもらえた。
違う?」
「いいや、違わない。
正解」
クスッとネイトとホキアンは笑い合った。
そのとき、パキッと木の枝が折れる音がして、三人はそっちを振り返った。
ローゼルが気まずそうに立っていた。
「ご、ごめん。
話を立ち聞きするつもりはなかったの」
顔を強張らせながらローゼルは頬を掻いた。
話を一部始終聞いていたのか、混乱して落ち着かない面持ちだった。
「分かった。
酒の話が聞こえて走ってやってきたな」
ネイトが意地悪く言う。
だけど、その口角は上がっていた。
「違うよ、ネイト、ひどい!」
「でも、飲みに行くだろ?」
「……うん。行く」
一瞬間を置いて、ローゼルは頷いた。
「ほーら」
ネイトが勝ち誇った笑みを浮かべた。
「行くけど、違うの。
レイノルドに聞きたいことがあったから……」
ローゼルは顔を真っ赤にして、ちらっとレイノルドを見た。
「どうした?
何を聞いておきたかったんだ?」
レイノルドがローゼルに近寄って尋ねた。
「えっとね……」
ローゼルはチラチラとネイトを見た。
「あっ、分かった!
昨日のあの女官が言っていたことだろ?」
ネイトが閃いて声を上げた。
ローゼルは「うん」とおずおず頷く。
「あの後、どうしても気になっちゃって……。
だって、レオーネと婚約破棄するにしても理由づけが必要でしょ?
かといって、クレインバール卿にお伺いすることもできなくて……というか、それどころじゃなかったというか」
ローゼルは指をコネコネこねくり回す。緊張すると出る癖だ。
ネイトが盛大なため息をつく。
「まったく、余計なことしかしないよな、あの女官」
「え、なに?
あの人、またローゼルに嫌がらせをしてきたのかい?」
総務省の厄介者の女官名が出て、ホキアンも身を乗り出した。
レイノルドも不審そうに顔を歪めた。
そのレイノルドをネイトは真正面から見た。
「レイノルド、どうやら軍部の情報が漏れている」
「え?」
レイノルドの顔が強張った。
「ピージャンス女官。何でか知らんけど、軍部機密情報をあの女、ローゼルに漏らしちゃったんだよ」
ネイトが忌々しく吐き捨てる。
「一応、すぐに上司に報告はしたぜ」
「——初耳だ」
レイノルドの表情は険しくなった。
「え? マジかよ。参ったなぁ。
ってことはだぜ、ひょっとすると軍部上層部まで話が上がっていないのかもしれないってことか」
焦燥感を含ませたネイトが独り言のように呟いた。
「うむ。最近軍部全体の動きが鈍いから、その可能性は高い。
とりあえず、俺から再度上層部に報告しておく。
ああいう口の軽い女官を野放しにしておくわけにもいかないしな」
レイノルドは肩をすくめた。
「ってことで、ローゼル」
ネイトがローゼルの両肩をぽんっと叩く。
「もうちょっと待ってくれ。
気にはなるだろうけど、ちょっと今回特例で外部に捜査状況諸々話すことができないんだ」
ローゼルは納得がいかないような顔をする。
「でも……嫌なの。
二回も魔法騎士団に捕縛されるような人の婚約者なんて――」
「まあ、気持ちは分かるよ」
ネイトは同情するような声を出した。
「どちらにしろ後日ローゼルとイースティリア子爵には、彼についての回答ができるよう手を回しておく。すまないな」
「うん、……分かった。
待ってる」
*
ネイトとレイノルドと分かれ、ローゼルはホキアンと執務塔へ向かった。
気まずい沈黙が流れる。
ちらっとローゼルはホキアンの横顔を見た。
(どうしよう、これまたタイミング悪いときに二人きり……)
昨夜のルシアンとの初めての口づけも相まって、ローゼルは早々にレオーネとの婚約破棄を視野に入れ始めていた。
どう転んでもいい。とにかく、私自身が身軽にならなければいけない。
このままではきっとクレインバール卿に迷惑がかかる。
それだけは絶対に嫌だ。
それなのに、さっきのホキアンとレイノルドたちの話。
一体どういう意味だったのかしら。
さすがに自分から尋ねるのは烏滸がましいというか——
「実はさ」
ぽつりとホキアンが話し出す。けれど、その表情は暗い。
「父上がローゼルのこと、すごく気に入ってて。
ローゼルを僕のお嫁さんに、って考え始めたというか……。
いや、父上の場合、イースティリア子爵と仲を深めたかったっていうかさ……」
「どういう意味?」
ローゼルは首を捻った。
ホキアンはとても言い出しにくそうに、間をおいてから口に出す。
「……その、父上は昔からローゼルの御父上のイースティリア子爵のファンでさ」
「え? お父様の?」
きょとんとするローゼルに、ホキアンは苦笑した。
「うん、父とイースティリア子爵はアカデミーの同級生だったみたいでね。
その頃から子爵って身分関係なく目立っていたらしい。
泰然として、なのに気取った感じもなくて、気品溢れた秀才美少年。
その上、魔法もすごかったみたいなんだ」
「へえ、意外。
そうだったんだ」
父親の若かりし頃の話。
ローゼルは興味を持ってホキアンを見上げた。
ホキアンは頷き、続けた。
「で、父上は子爵と友達になれたとき、それはもう有頂天だったらしいんだよ」
「有頂天って。
お父様、そんなに凄い人じゃないよ、研究大好きな魔法オタクなだけよ」
ローゼルはケラケラ笑い飛ばした。
「そんなことないよ。
ローゼルにとっては魔法オタクなお父さんかもしれないけど、同性でも憧れていた元学友は多いと思うよ」
「ふうん、そうなのかな。
確かにいろんなところに知り合いがいるな、と感じたことはあるよ。
しょっちゅう父の意見を聞きたがる貴族や魔法使い、領地に招いて土魔法の実践とか頼みに来る人もいたし」
「でしょ?
まあ、うちの父上の場合は羨望が増して、心酔に近いっていうかさ――」
「心酔……。
そんなに万能なお父様じゃないけどね。
拝んでも何もでないよ」
真面目に答えるローゼルの返答が面白かったのか、ホキアンはくすっと笑った。
「ローゼルはやっぱり一緒にいると楽しい子だよね」
「そう?
楽しんでもらえたのなら何よりだよ」
ローゼルはあっけらかんと答える。
よく分からないけれど。
ますますホキアンは楽しそうに肩を揺らして笑う。
(よかった、少しいつものホキアンに戻ってる)
「父上もそんなローゼルだから、より一層気に入ったんだ」
「そう。どこにでもいる親子だけど、気に入ってもらえて光栄よ。
それで、話を戻すけど、バーンズリー卿がお父様のファン。そこまで分かったよ。
で、さっきの話とどう繋がるの?」
バーンズリー家がレオーネの浮気の証拠を握っていた。
そのため、魔法騎士団から取調べを親子共々受けた。
なんとか詳細な話が聞けそうだ。
「そもそもバーンズリー卿は、ウルーム伯爵とは全然縁がないよね?」
仲が悪いどころか、全然関わり合おうとしない。
「その通り。
よく知っているね」
「そりゃあ、次期ウルーム伯爵夫人として淑女教育を受けてきた賜物で、伯爵家の人間関係をすべて把握してるもの」
「なるほどね。
実はね、父上はウルーム伯爵を恨んでるんだよ」
ホキアンは憔悴しきった顔で呟いた。
「恨む? なんで?」
ローゼルは首を捻った。
父とホキアンの父バーンズリー卿が学友なら、ウルーム伯爵とも学友なはずだ。
三人同級生で、顔を合わせることも多かったはず。
「なんでも、アカデミー時代、父はウルーム伯爵にいじめられたみたいでさ」
ホキアンの顔つきが微妙になる。
「ほら、ウルーム伯爵って魔法は使えないだろ?
だけど、魔術の筆記テスト満点。
学生時代からすでに錬金術の天才と呼ばれていたし。
その点、父はパッとしなかったからね。
どちらかというと地味で陰キャっていうの?
いろいろ標的にされたらしく、たぶんだけど積年の恨みが積もりに積もった感じなのかな」
「積年の恨み……。
まあ、確かにいじめってやられた方はずっと憶えているけど、やった方は全然覚えていないって言うよね」
「うん、まさにそれ」
ローゼルは学生経験がない。
けれど、容易に想像できる。
新しい季節を迎えて、未成熟な若者たちが一か所の共同体に放り込まれる。
そこは小さな社交界。
儀式的であり、祭礼的な雰囲気もあっただろう。
暗黙の了解、暗黙の秩序、暗黙の身分。
必ず摩擦や禁忌が存在し、そこからはみ出した者や爪弾きにされてしまえば、あっという間に「生贄」にされてしまう。
学園生活に憧れる一方、未成熟社会の社交界の縮図だと考えると恐怖を覚えたりする。
ホキアンは淡々と話を続ける。
「父上は、どうやら僕がローゼルに想いを寄せていると勘違いしてしまってね。
余計、ウルーム伯爵への恨みつらみが再燃したというか、特にレオーネの浮気症。
あれが許せなかったみたいだね。
だからこそ、ローゼルを……イースティリア子爵の娘を僕のお嫁さんにして、最悪な伯爵家との婚姻から救出したくなったんだよ」
貴族の婚姻は家と家との繋がり。
バーンズリー卿にとってローゼルを嫁に迎えることは、憧れの人と家族として繋がる利点がある。
そして、ウルーム伯爵への復讐も――。
「そっか。
……そこまでイースティリア子爵親子を買ってもらえたのか。
ありがたいことだね」
複雑な心境になりながらも、ローゼルはやんわりと微笑んで見せる。
「でも、実際どうするつもりだったの?
私は契約魔法を交わした婚約までしているんだよ。
これって簡単に破棄できないし、そもそもウルーム伯爵もうちのお父様も説得しないといけない」
「それっ」
ホキアンの声が突如大きくなった。
ローゼルは驚いて、目を見開いた。
「それだよ、問題は。
結局、決定的なレオーネ令息の証拠を掴もうと、こっそり父上がウルーム伯爵領地に雇った諜報員を忍ばせていたんだよ。
そうしたら、あの領地を調査していた魔法騎士団とばったり鉢合わせして即捕縛。
そりゃあそうだよね、魔法騎士団員からしてみたら、余所の領地を探る怪しい人物がいるんだ。
ましてや、その怪しい人物の雇い主が、縁もゆかりもないバーンズリー家。
不審に思わないわけがない」
ホキアンは一気に言い切ってからがっくりと肩を落とす。その後に漏らすため息がすごく重たい。
「なるほど。
うん、ようやく一本で繋がったよ」
「あのね、本当に……そういうつもりじゃなかったから。
その、僕はローゼルと婚約とか考えていなくて……」
今度はホキアンが言い訳がましく、ぼそぼそと呟いた。
「大丈夫。そこまで私、自意識過剰じゃないから。
むしろ、私とお父様のことを推してくれてありがとう。
もちろん、バーンズリー卿にも感謝します!」
一瞬、ホキアンがぽかんとした。
だが、次には声を上げて笑った。
「あはは、分かってくれてありがとう」
やんわりとホキアンは微笑むものの、すっかり疲れ切っている。
顔色だって真っ青だ。
よっぽど魔法騎士団に厳しくしごかれたのか、精神的にキツかったのだろう。
しかたない、ホキアンは温室ですくすく育ったいいところの坊ちゃんだ。
例えるなら、育ちのいい牧羊犬。
青々とした野原で柔順な羊を追う愛らしい大型犬。
けれど、その話でローゼルは別のことが気になり始めた。
ホキアンはそこまで深く考えていないようだが、ううん、ひょっとしたらこれ以上関わりたくないと思っていて、考えないようにしてるだけかも。
魔法騎士団はあの地で何かを探っている――。
何を?
なんとなくだけど、ローゼルはそれがレイノルドの特命の内容にも繋がっている気がした。
魔物増加なんて理由づけていたけど、あそこには『魔力漂う地』はない。
魔物が生まれるなんてありえない。
レイノルドが自然現象なんて言っていたけど、きっと違う。
ローゼルの頭にはウルーム伯爵領地オリジナルの法律、領地法が蘇る。
『奴隷の子に出生した者については、いかなる場合においても奴隷の身分を付与し、または奴隷として取り扱うことを禁止する』
要は、親が奴隷であっても、子どもは自動的に奴隷になるわけではない。
出自によって奴隷身分が継承されることを否定し、子どもは自由民として扱わなければならない。
つまり、奴隷制の世襲を断ち切るための法律だ。
とはいえ、この国は奴隷を禁止している。
それなのに、あえて領地法で制定している。
この時点で異常だ。
あの領地では奴隷文化がいまだ色濃く残っている——
不意にローゼルにとって、偶然目にしたあの光景が蘇った。
ずっと忘れられなかった。
強烈に胸に刻み込まれ、胸が鈍く痛む。
そう、あれは母がまだ健在で、家族で遊びにいったウルーム伯爵領地。
路地裏で鞭を打たれる親子。
親子は薄い布切れのような服を纏い、煤汚れていた。
それが血で滲む。
鞭を打つのは仕立てのいい服を着た商人風の男。
――ローゼル。見てはいけないよ。
そっと父が幼いローゼルの目を大きな手で覆った。
それから父は彼らに目を背けるように、ローゼルの手を握って、兄と母の待つところへ向かった。
それをローゼルは何度も後ろ髪を引かれる思いで振り返る。
法務省に入省して、なんとなく知った隠語がある。
それは、『マモノ』が奴隷を表す。
由来は諸説いろいろあるらしいけど、奴隷商が奴隷を隠れて売る際に、彼らのことを「ナマモノ」と呼ぶ。
そこから訛って『マモノ』になったらしい。
『マモノ増加』。
本当は『奴隷』が増加している、それを調べて来い、というのがレイノルドの特命だったのかもしれない。
とはいえ、この推論が正しいとは言えない。
(魔法省のエレナや王宮魔術師も出向いている共同調査って言っていたよね。
ということは、多少魔法は絡んでいる案件――)
ホキアンが考え込むローゼルに声を掛ける。
「それじゃあ、ローゼル。
僕も行くね。
父上がまた変なこと言うかもしれないけど、気にしなくていいから」
ローゼルは頷いた。
「ありがとう。
ホキアン、午後もお仕事、お互いに頑張ろう」
ローゼルがガッツポーズをすると、ホキアンの顔がようやく緩み、にっこりと笑った。
「うん、ローゼルもね。
そうそう、病み上がりなんだから残業も大概にするんだよ」
「あっ、はーい」
すっかり釘を刺されてしまった。
ローゼルは静かにホキアンの後ろ姿を見送った。
胸の奥に芽生えた不安は、何一つ解消されていない。
ローゼルは知らぬ間に、より大きな陰謀の扉へと足を踏み入れている、そんな気がした。




