第48話 順風満帆な軍師と、勘違いから始まる事件
順風満帆。
まさにこの言葉ぴったりだ。
ルシアンは朝からご機嫌だった。
昨晩はローゼルと食事をし、帰りの馬車でそのままの流れで口づけをした。
柔らかな感触。
ローゼルから漂ってくる甘い匂い。
街灯に照らされる灯りで、上気する頬は薔薇色に染まっていたことが分かったときは、彼女に愛おしさをさらに感じ、身体が熱っぽくなる。まさに男の血が騒いだ。
ローゼルは皇族会議の時のような色白の顔の少女ではなく、間違いなく一人の女性の顔をしていた。
思い出すだけで胸が高鳴る。
(いやぁ、あの時は、正直危険だったなぁ)
ローゼルから漂う色気。
自制心が強いと自負しているルシアンだが、官能的ともいえる愉悦に翻弄されそうになった。
なんとか必死に理性を保って家まで送り届けた。
キスをした時、ローゼルは雰囲気に飲まれた感じ否めなかった。
だが、問題ないだろう。
なにせ、嫌がる素振りは全然見えなかったし、むしろ、頬を赤らめて終始はにかんでいた。
あの表情はたまらなく可愛い。
まるで追い風を受けた船のように、そう、順風満帆なのだ。
宮殿の回廊をルシアンは、堂々と部下たち騎士を引き連れて会議に向かう。
そこに偶然居合わせたローゼルの上官ライアナース卿は、ルシアンを見るなり、目の色を変え、ものすごい速さで突撃してきた。
血走ったその眼光に、少々ルシアンは驚かされたが、これも想定内といえば想定内。
「クレインバール卿。
うちのイースティリア女官に昨日食堂で求婚したと聞いたぞ」
責め立てるような口調。
「おはようございます。ライアナース卿。
お耳が早いようで」
ルシアンは、あえて余裕ある笑みを向けた。
その笑顔に、ライアナースの眉間がぴくつく。
「そうか、あの噂はやはり真実か。
一体どういうことか説明してもらおうか」
彼の口元は笑っていたが、目は決して笑っていない。
むしろ、怒気すら滲み出ている。
まるで、もう一人のローゼルの父親だ。
ルシアンは小さく肩をすくめる。
「どういうことと問われましても。
言葉の通りですよ」
ルシアンはしれっと言い放った。
「俺が彼女に胸の想いを正直に伝えたまでです」
清々しいルシアンの笑顔に、ライアナースは絶句した。
それからルシアンが会議室に向かって歩き出すと、その隣をライアナースも競うように並んで歩く。
「あの子は婚約している最中だぞ。
あんな風にしたら、ますますあの子の立場が悪くなるだろう」
かなり苛立っているのか、ライアナースの口調はやけに早口だった。
いつもタヌキのように如才ないライアナースの、初めて見る隙だ。
ルシアンは勝利を得たような優越感に内心浸る。
「そうかもしれませんね。
ですが、ライアナース卿。考えてみてください」
「なにをだ?」
「いいですか。
私の意中の女性を傷つけようとするということは、同時に私も敵に回すことにもなるんですよ。
なかなか勇気があることだと思いませんか?
そんな勇者がいれば、是非とも手合わせ願いたいものですよ」
この国の軍師であるルシアンが敵に回る。
つまり、少なからず苦労させられる相手ということだ。
ルシアンの今までの功績を知っている者なら、避けたい相手であることに間違いない。
「うむ。そうかもしれんが」
ライアナースは戸惑いながら言葉を切った。
「あっ、そうそう」
ルシアンはそっと自分の指に人差し指をあてる。
「ここでの会話、彼女には秘密でお願いしますね。
子リスが心置きなく仕事をするためにも」
「フン。分かってますよ。
ですけどねぇ」
ライアナースが苦言を表そうとするのを察したルシアンは、あえて言葉を被せる。
「実はね、前から私もライアナース卿にお伺いしたいことがあったんですよ」
「……なんだね」
訝しげにライアナースが眉をひそめた。
ルシアンは嫌味を込めて尋ねる。
「三年もの間、公開の場で求婚を続けていたエヴァン・ゴルマン伯爵に対してです。
あなたは一言も正式に軍部に苦言を呈さなかった。
それどころか、つい先日彼女をわざわざ領地へ出張させ、伯爵に接近させようとしましたよね?」
ライアナースがぎょっとしたようにルシアンを見上げた。
「その一連の行動を踏まえれば、今のあなたの言葉は到底整合できませんけどね」
ルシアンはライアナースを見てにっこり笑った。
ぐっとライアナースが押し黙った。
「そうそう、そういえば、ご存知でした?
ライアナース卿」
「今度は何だ」
「最近『婚約破棄したらうちの息子と逢ってくれるかな?』とイースティリア女官にほざく……いや、失礼。
彼女にそう声を掛ける中堅貴族の官僚たちが大勢いることを」
「え、そうなのか?」
ライアナースは驚いて目を見開く。
「はい、そうなんです。
ふつうは婚約破棄したら多額の持参金がなければ、次に縁付くのは難しく、ご縁をいただけてもご高齢の寡になるのが関の山だ。
だからこそ、通常ならば、これはある意味ありがたい申し出なのかもしれません。
だが、そんな話を持って来る面々は、大抵あまりよくない評判がある御子息の父親だ。
碌な相手とはお世辞でも言えません」
「つまり完全に足元を見られている、要は舐められているお見合い話ということかな?」
「はい、そうです」
「あえて調べたのか?」
空恐ろしいものを見るようなライアナースに、ルシアンは微笑む。
「あえて。そうですね、その辺は軍部の諜報にも関わることになりますので、ノーコメントとしておきましょう」
会議室が近づいて来た。
各方面から役職の高い貴族たちが吸い込まれるように入って行く。
ルシアンは笑みを消した。
「まあ、ハッキリ言えば、私は牽制したに過ぎません。
わざとああいう場で彼女に対して邪な考えを持つ官僚たちにむけて、ね」
たちまちライアナースの顔に驚愕と諦観の念が浮かぶ。
そして深いため息をついた。
「だが、まずは本人よりも彼女の父親メイット・イースティリアに話を持って行くべきではないのか?」
「もちろん。
先にお話しましたよ」
ルシアンはあっさり答えた。
「なんですと?」
ライアナースは息を呑んだ。
ちょうどその時、話題にしていたイースティリア子爵がルシアンたちの反対側からやって来た。
彼は友好的な笑みを二人に向け、軽く会釈した。
二人とも如才なく、にっこり人当たりのいい笑顔で会釈し返す。
「あの様子――本当のようですな」
ライアナースの声は呆れていた。
「もちろんです。
私は有言実行の男ですよ」
「そのようで……」
「ということで子爵とはすでにお話済み。
同時に、陛下が長年望んでいたことも了承してもらいました」
「それはつまり……」
ハッとしてライアナースは、再びルシアンを見上げた。
「さすが察しがいい。
そうです。
そろそろ皇太子殿下も留学からお戻りになります。
もちろん、学友として共に留学していたイースティリア女官の兄であるアルバート令息も帰国します」
「なるほど。
彼が堂々と殿下のお側にいられるよう舞台を整えたわけですね」
ようやくライアナースから笑みが漏れた。
「そうです、イースティリア家の陞爵ですよ」
ルシアンは歯を見せて微笑んでみせた。
***
半年遡る――皇族会議前、ローゼルの同期ホキアン・バーンズリーが住む屋敷にて。
ホキアン・バーンズリーは大量のお見合い用の令嬢たち写し絵を前に頭を抱えていた。
どの子も同じに見えてしまう。
いいな、と思って、こっそりと夜会やサロン界隈などで当の本人と接触するが、これまた全然ピンと来ない。
それどころか、表面上は申し分のないくらい良い子なのだが、陰口がひどかったり、貴族至上主義すぎて従者を虐待していたりと、なかなか癖のある令嬢ばかり。
(世の中、完璧がいいわけじゃないけど。
なんか違うんだよなぁ。
だいたい俺、まだ結婚したくないし)
難関試験の官僚採用試験を突破したのは四年前。
それ以降、官僚としてつつがなく働き、出世のペースも早くもなく遅くもなく、マイペース。
コツコツ真面目に地道に働き、休日は学友たちと遊びに行って美味しい物を食べる。
疲れてのんびりしたいときは、飼い猫と本を読みふける。
これ以上ない幸福の日々だ。
だが、いよいよ「バーンズリー伯爵家の嫡男として、そろそろ嫁を迎えなさい」という祖父母や親戚たちからの外圧が年々半端なくなってきた。
渋々ホキアンは押し寄せる令嬢たちの写し絵を見ているが、全くと言っていいほど興味がわかない。
「ホキアン、彼女はどうだ?」
ある日、父がホキアンに尋ねた。
「彼女? 誰の事ですか?」
「同期のイースティリア嬢だ」
「ああ、ローゼルね」
ホキアンは、くりっとした愛らしい瞳を持つ同期を思い出す。
確かにあの子は良い子だ。
それに、誰の目から見ても可愛いし、頭もいい。
愛嬌もあって気さく、それでいてどこか抜けているので、いつも同期の集まりではいいムードメーカーになっている。
だけど、頭の中がお花畑かというとそうでもない。
あれは結構闇が深い系で、いろいろ何かを抱えている。
わりと猜疑心も警戒心も強いし、まるで何かに怯えるかのように目立つことなく働く彼女。
日夜、貴族令嬢にしては珍しく勤勉で働き者だ。
東方の国に「社畜」という単語があるらしいが、彼女はまさにそれだろう。
今、ローゼルはホキアンが所属する総務省に応援部隊の一人として来てもらっている。
三年に一度の皇族会議の前準備のために――。
現状、総務省の女だけの世界は、一人のお局女官によって牛耳られてしまっていた。
ローゼルは運悪く、彼女が懸想する騎士に一方的に好かれてしまい、目の敵にされている。
本当気の毒になぁ。
本日ローゼルも非番のはずだが、大量の仕事を押し付けられたとかで、休日出勤をしているはずだ。
とはいえ、本人は「残業代を稼ぐチャンス」なんて嬉々として公言しているから、ホキアンは苦笑するしかない。
「イースティリア女官とお前は仲がいいんだろ?」
父が探るような目つきでホキアンを見た。
「そうだね、仲いいよ。
特にローゼルはお酒も好きで甘い物に目がないからね。
食べ物の趣味が合うというか、すごく話しやすい良き友人だよ」
ホキアンは何気なくさらりと言った。
ローゼルは愛想がないと、彼女と親しくない女官たちは囁く。
生真面目な性格も相まって、仕事を黙々とやり始めるとどこか気難しそうに見えるのか近寄り難い印象を与えているのだろう。
そのせいか、もう一人の同期令嬢エレナ以外、ローゼルが心から打ち解けて気軽におしゃべりしているところを見たことも聞いたこともない。
(どちらかといえば、女版一人狼なんだよね)
けれど、ホキアンが美味い店の話をするとき、ローゼルはすごく楽しそうに耳を傾けてくる。
あれこれ聞いてくるくせに、「連れて行って欲しい」とお見合いする令嬢のようにねだってくることも決してない。
それは一種の寂しさが横切るが、致し方ない。
ある一定の距離を保って接してくれる数少ない女友達。
稀少な存在だ。
「だいたいローゼルって、本当不憫なんだよね。
誰が言い出したのか分からないけど、入省前から今世紀最大の悪女なんて呼ばれてるしさぁ。
全然違うのに」
ホキアンは口を尖らせた。
「そうだな。
この前のちょっとした夜会も、あの子のことを悪名高き令嬢なんて地方に住む領主たちが噂していたしなぁ。
あんなに勤勉な女官は滅多にいない。
皆、彼女の良さを分かっていない」
父も顎を撫でながら同意した。
その声に憤慨が滲んでいる。
「だよね。
もうすぐ五年近く経つ噂なのに未だに消えないって、ちょっと悪意を感じるよね」
入省当時、ホキアンはひどく驚いた覚えがある。
社交界に顔を滅多に出さない彼女の噂を何も疑わず、馬鹿正直に信じていたからだ。
実際、ローゼル・イースティリアは、小さなどこにでもいるご令嬢だった。
それどころか、愛らしい容姿に、誉れ高き法務省の一員に抜擢されるほどの才女。
なおかつ、きめ細やかな気配りや、真面目な勤務態度。
密かに同世代の官僚たちは、彼女に淡い恋心を抱いていた。
父はホキアンに尋ねる。
「もしあの子がうちに来てくれたら嬉しいか?」
「え……どうかな」
ホキアンはティーカップに手を伸ばした。
ローゼルが僕のお嫁さん……。
想像し難いけど。
湯気のたつお茶を口に含む。
「考えたことないな」
ホキアンはさらりと曖昧な笑顔を浮かべた。
なにせ、入省して以来ずっと片想いをしている同期がいるのだから――。
彼を差し置いてローゼルと一緒になる気はさらさらない。
「でも、もし一緒になったとしたら、きっと楽しいだろうね。
ローゼルとなら気兼ねなくおしゃべりできるし、酒の趣味も合うし。
チェスはやったことがないって言っていたけど、教えたらきっと頭のいいローゼルだ、僕のいい遊び相手になってくれると思う」
ローゼルは不思議な子だった。
あれだけずば抜けて頭がいいくせに、世間を知らなさすぎる。
恐らくその理由は、貴族の子女たちが通う学園アカデミーに通っていないからだろう。
「けど、父上。
あの子には婚約者がいるからダメだよ。
あれでも、婚約者の子息に色々苦労しているみたいなんだからね。
これ以上、厄介なこと頼んだら駄目だから」
「イースティリア女官の婚約者はあそこだろ?
ウルーム伯爵のところの。
あの令息はいろいろ浮き名を流しているらしいじゃないか」
父が眉をひそめた。
「そうだよ。
だからこそ、俺たち同期は彼を許せないんだよ。
彼にローゼルは勿体無い」
ホキアンは語尾を強める。
「ローゼルは本当にいい子だから、絶対に幸せになって欲しいんだ」
ホキアンにとってそれは他愛無い世間話だった。
そう、だからあの時、父がまさかあんな勘違いをするなんて思いもよらなかった――。




