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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第47話 恋人繋ぎとナイトマーケットの約束

 店を出て帰りの馬車に揺られながら、ローゼルは不思議に思う。


(なぜ、また私の隣にクレインバール卿は座るのかしら?)


 ローゼルはそっとルシアンの顔を盗み見る。


 彫刻のように整った端正な横顔。

 口角がほんのり上がってて、なんだか満たされている表情だ。


 良かった。

 楽しかったのは私だけじゃないみたい。


 食事の内容も初めての材料が多くて、興奮した。


 長時間煮込まれたジャイアントボアのシチュー。

 バジリスクの卵で作ったクレームランヴェルセ。

 どれもこれも美味しくて、お腹も大満足だ。


 そして、何度もルシアンは「ローゼル」と名を呼ぶ。

 その度にローゼルの胸は高鳴って呼吸が止まりそうになった。


 馬車の音だけが静かに響く空間。


 彼から漂う柑橘系の香水も心地よく、お互い言葉を交わさなくても、気詰まりな感じもしない。


 もう一度、そっとルシアンをローゼルは見上げた。


 隣に座るのも烏滸おこがましいほど上等、まさに気高き魂。

 圧倒的な魔力の波動は感じるのに、むしろ、彼の側は安心感があった。


 一緒に居ても疲れない。


「ローゼル、明日も一緒に晩飯を食いに行こう」


 ルシアンはやんわりと微笑んだ。


「明日も? でも、お忙しいんじゃあ……」


 ローゼルが遠慮しようとすると、ルシアンから熱を帯びた視線が注がれ、ローゼルの胸の奥に火を灯す。


「ローゼルと少しでも時間を共にしたいんだ」


 切実な彼の表情にたちまちローゼルの頬が紅潮し、甘美な疼きが身体中を走った。


「私とですか?」


「ああ。少しでも長く一緒にいたい」


 そっとルシアンがローゼルの手を握った。

 しかもそれが指を絡める、世にいう恋人繋ぎで、ローゼルは心臓が大きく跳ねた。


「至極光栄です……。

 ただ、お仕事、大丈夫ですか?」


「仕事ねぇ。

 そうだなぁ、こういえばローゼルは頷いてくれるかな」


 ルシアンは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「巡回が目的。

 どう? その同行者として付き添ってくれない? 

 もちろんお礼で酒を驕るし、謝礼でまた別日に高級ディナーにもご招待する」


「それって……」


 謝礼ではなく、デートのお誘いだ。


「ここ最近、郊外が何かと物騒なんだ。

 いつも部下たちに任せているんだが、現状視察ということで足を運びたい。

 特に明日は南区域で三カ月に一度のナイトマーケットが開催される」


「ナイトマーケット?」


「そう。結構歩いていると楽しいぞ。

 光る果実や、炎を纏ったスパイスのきいた串焼き、各種族の料理や工芸品。

 庶民の娯楽イベントだが、貴族でも十分楽しめる。

 ローゼルが好きな甘い菓子や珍しい酒もある。

 そうそう、運が良ければ稀少な星のように煌めく蜂蜜酒とやらもあるかもしれない」


「何ですか⁉ それっ」


 思わず目を輝かせるローゼルに、ルシアンはぷっと噴き出した。


「興味ある?」


「はい、すごく!」


「じゃあ、決まりだ」


 ルシアンは嬉しそうに笑った。


「だけど、そんな楽しそうなところをわざわざ巡回をするんですか?」


「ああ。ああいうふうに不特定多数の人が大勢集まるときは、それに紛れて悪いことをしようとする奴が必ずといっていいほど集まるんだ」


「そうなんですね」


「例えば、違法薬物売買。

 ここ数年目立った動きもなく、大人しかったんだけど、どうも最近また目立ち始めた。

 ローゼルも聞いたことないか? 

 そういう危険な薬が出回っていると」


「えっと、……はい。

 つい最近は官僚の中でも流行ってるから変な薬には手を出すな。

 確実に国家薬剤師から入手するように。って、法務省内でも情報共有がありました」


「ああ。まさしくそれだ。

 要は取り締まりたくても、俺が騎士たちを連れて行ったら悪目立ちして、捕まえられるはずの悪人がさらに隠れちゃうかもしれない。

 でも、子リス女官のローゼルが傍にいてくれたら、あっちも油断すると思うんだ」


「子リス女官は余計です」


 ローゼルはムッとした。


「可愛いからいいじゃないか。

 騎士団の連中がそう呼んでいるらしいぞ」


 ルシアンは愉快そうにクスクス笑った。


「みたいですね。

 でも、なんでそう呼ばれているのか私には一向にその理由を知りません」


 確かにリスは可愛い。見かけると、つい餌付けしたくなる。

 けど、自分がそれにちなんだ名前をつけられているとなると、それはちょっと違う。


 憮然とするローゼルに、ルシアンは意外そうにする。


「そうなのか? 

 俺が聞いた話によると、小さくて可愛い。というのもあるが、ほら、ローゼルのひとまとめに高く結んだ長い髪。

 それがリスの尻尾のようだ。

 これが由来らしいぞ」


「へ? 尻尾?」


「知らなかったか?」


「はい。そんな尻尾だなんて……!」


 ローゼルは急に小恥ずかしくなって結い上げた髪を抱えるように触った。


「なんでも、栗色の髪をキレイにいつも結い上げてて、ちょこちょこ王宮を走り回る姿は、もふもふの小動物。戦いに身を置く騎士たちにとっては癒しなんだと」


「癒し……!!」


 ますます恥ずかしい。


 髪の毛を一つにまとめているのは、この癖毛の髪が仕事の邪魔になるし、雨が降って湿気を含むとぼんっと膨らんでみっともないから。

 ちょこちょこ走るのはチビで足が短いから。


 それなのに、癒しって。

 みんな、私を持ち上げ過ぎじゃない?


「まあ、そういうこと。

 俺は街道視察兼巡回班で、悪人が隠れるような場所は第4騎士団たちが主に担当する。

 だからローゼルを危険な目には遭わせることはない」


 ルシアンは手を繋いでいない反対の手で、ローゼルの髪を梳くように撫で始めた。


 ローゼルは視線を床に落とした。


(どうしよう、これ、嫌いじゃない)


 それどころか、ルシアンに触られるのが、心地いい。

 逃げたいのに、離れたくない――その矛盾が甘美な高揚となって全身を包み込む。


 こんなに居心地がいいから、魔法騎士団員が彼を慕うのだろう。


(けど、女馴れしすぎてない?)


 彼には浮いた話はない。

 ローゼルが入省する前は盛んに結婚相手を探していたという話を耳にしたことがある。

 でも、最近はめっきりしていないと聞く。


 ふいにローゼルの顔は影に覆われる。

 彼の柑橘系の香りが強くなったかと思うと、ルシアンがローゼルの顔を覗き込むようにして抱きしめたのだ。


「ごめん。少しだけ――」


 彼は切羽詰まったように呟いた。


「大丈夫ですか? 酔ってしまいましたか?」

 

 ローゼルはそっと彼の背に手を回した。


 お酒に弱い人は馬車の揺れや体調によっては酔いが回りやすいという。

 ひょっとしたら日頃の疲れや寝不足も相まって気分が優れなくなってしまったかしら。


「違う。嬉しいんだ。

 こうして、ローゼルと一緒にいられる。

 夢みたいだ」


 熱にうなされたようにルシアンが耳元で囁く。

 艶を含んだ声。

 堪らずローゼルは胸が昂って身震いした。


「あ、あの……」


 私も……嬉しいです。


 そう言おうとしてローゼルは、ルシアンを見上げた。

 彼の瞳と目が合う。


 その瞬間、ローゼルは言葉を失う。


 見る者をとろりと蕩かすような、それでいて甘い色情を感じさせる淫靡な眼差しだった。


 くらくらする。


 あれくらいの量のお酒で、私は酔ってしまったのかしら。


 北部のお酒は、寒い地方ならではの度数が高いお酒が多いと聞く。

 けれど、これはその酔いとは少し違う。


 身体がやけに熱く、疼く。


「ごめん。

 俺、案外独占欲が強いみたいだ」


 ルシアンの顔が近づいてくる。


 本能的にローゼルはルシアンが何をしようとしているのかを察する。


(いけない、断らないと。

 だって、私にはまだ婚約者がいる)


 それなのに、彼を受け入れようとする自分がいる。


 彼に心を許せば、きっともう戻れない――。


 そう予感したのに、ローゼルは静かに瞼を閉じた。

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