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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第44話 軍師の執務室に漂う獰猛な香り

 ――あなたの婚約者レオーネ・ウルーム。現在魔法騎士団に捕縛されてましてよ。


 お局女官ヨオンナ・ピージャンスの声が蘇る。

 彼女の不気味な笑みがローゼルの脳裏から離れない。


「ネイト、教えて」


 ローゼルは同期のネイト・ファーヴァに再度尋ねた。

 ネイトは気まずそうに視線を逸らす。


「すまない、ローゼル。その件に関して、俺の口から詳細を話せない」


 ネイトの声はひどく沈んでいた。


「その件――つまり、レオーネは何らかの理由で魔法騎士団に拘束されているのは間違いないのね?」


「どうしてそんな結論になるんだよ」


「だって、誤報なら『何かの間違いだから』ってネイトははっきり断言する。

 それなのに、否定しないで、むしろ、『俺の口から詳細を話せない』なんて肯定に近い言い回しをしてる」


 ネイトは虚を突かれたような顔をした。


「参ったな……」


 はあ、とおもむろにネイトはため息をついた。


「さすが法曹一族の頂点を極める法務省ライアナース卿の懐刀だ。

 言葉尻をつかまえるのがうまい」


「そう? ふつうじゃない?」


 ローゼルは小さく笑って肩をすくめた。


「けど、そういうことね。レオーネはまた何かをやらかした。

 まあ、それが原因で魔法騎士団に捕縛されるのは仕方ないわ。

 自業自得」


「やけにあっさりだな」


「だから言ったでしょ? 恋愛感情なんてないって。

 けど、それよりもなんでピージャンス女官が知っていたんだろう。

 ネイトも隠そうとしていたほどの情報なのに」


「ああ。それが不思議なんだ。

 軍部のそういった秘密は漏れないよう最善の注意を払っている。

 これがもし冤罪だったとしても、一度外部に知れ渡ればその人物の人生が終わってしまう」


 ネイトの顔が険しくなった。


「だよね。その辺、軍部の皆さん、慎重だもんね」


 権勢を笠に着て、証拠もなく貴族も平民も拘束するが如き専横は、行わない。

 それが総帥ハウルデュース公爵のモットーだ。


 ネイトは席を立ちあがり、扉を開けた。


「ローゼル、忙しいところ聴取の協力ありがとう」


「ううん。こちらこそ」


 ローゼルも立ち上がる。


「早速あの女官に情報が漏れていること、報告しておくよ」


「うん、そうだね。頑張ってね」


 その時、一人の彫りが深い人相の中年の軍人を先頭にわらわらと二人の前を横切った。


 男はやけに張り切った様子で胸を張って歩き進める。

 その隣には、ローゼルが最も会いたくない厄介公爵令嬢ナディア・グロウディーナがいた。

 

 今から夜会にでも参加するのではと思わせる鮮やかなドレスに、キラキラ輝く宝石。

 化粧も念入りに美しく着飾っている。


 彼女もまた勝ち誇ったような笑みをうっすら浮かべ、ローゼルと目が合うとさらに優越感滲む微笑を満面に湛えた。


 ローゼルとネイトは、ぽかんとしてその集団が去って行く後ろ姿を見送った。


「なに、あれ? 

 今から舞踏会? 

 それにしては時間、まだ早いよ?」


「だな。ちょっと昼間の服装じゃないな」


「間違いない。

 っていうか、あの先頭を歩いてた軍人さん、誰?」


「ああ、あの人はグロウディーナ公爵の縁戚のオークレー卿だよ。

 皇族会議直前に軍部次官に就任したんだ」


「あの方が――。

 あれでしょ? この国初の軍部上層部、外国人文官の登用っていう」


「そう、それ。

 でも、あまり評判良くないんだよ」


 ネイトが声を潜めた。


「聞いたことあるよ。

 分かりやすい身分至上主義。

 子爵以下は人間扱いしないって」


 ローゼルも思わず声を潜める。


「まったくその通り。

 軍部ってどちらかといえば実力主義。

 出自を問わない姿勢なんだけど、あの人が来てからちょっと変わったんだよ。

 例えば、彼の側近のあの三人」


 ネイトがそっと彼らの背中に視線を投げかけた。


「魔法騎士団の中でも底辺だったんだ。

 けど伯爵位や侯爵位の息子を一気に自分の側近として昇格させたんだよ」


「それって、総帥とかの許可を得てからの昇格?」


「いいや。総帥と軍師が出張の不在を狙っての暴挙さ」


 ネイトはうんざりしたようにため息をつく。

 この様子から、書記官で子爵位の令息のネイトはかなり苦労させられているようだ。


「面倒くさい人だね」


「ああ。職権乱用っていうか……書類に不備はないから今更アイツらの昇格を覆せないんだよ」


「それは大変だ」


 ローゼルはもう一度、去っていく集団を見た。


 数人の軍人たちに、一緒に歩く女性たち。

 あれはグロウディーナ公爵家の侍女の制服だ。


 おおかたオークレーの側近とナディアの側仕えの侍女だろう。


 そして、彼らの向かう先は軍部上層部の御仁たちのある部屋。

 そこにルシアンの執務室もある。


 ローゼルは新たな不安を覚えて、ぽつりと呟く。


「クレインバール卿のお部屋に行くのかな? あの人たち」


「可能性は高いな。

 オークレー卿は軍師閣下を懐柔しようと必死だし、グロウディーナ嬢は彼に首っ丈だからな」


 ネイトがちらっと見透かすようにこちらを見て、ローゼルはなんとなくぎくっとした。

 急に頬が熱を帯びる。


「まあ、もしクレインバール卿目当てでもあの方なら、なんとかあしらうだろう」


 ネイトがローゼルの頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「そうよね」


 おずおず頷くもローゼルの胸の奥は痛んだ。



***



 ローゼルとネイトがオークレーとナディアを見送った直後――そのころルシアンの執務室では。


 それはアランが去った昼下がり。

 ルシアンはあらかじめ約束していたドレイク・フロストパンセ書記官と、報告ならびに今後の打ち合わせをしていた。


 彼は元魔法騎士団員だ。だが、先の戦争で負傷し、現在文官の書記官として活躍しているが、そもそも第5騎士団の団長を務めていただけあって、共に犯人捕縛についての作戦を練りやすい。


「そうか。すでに二人の女官が犠牲に……」


 ルシアンの顔が険しくなる。


「はい。総務省にその点について今後どう対応するのか、正式な質問書を一週間前に投げかけました。

 ですが、未だ音沙汰がありません」


「参ったな。

 これはバーンズリー大臣に直接確認するしかないな」


「そうですね。

 総務省内は前ビアード大臣の勢力、いわば保守派がバーンズリー大臣の新政策を邪魔立てしていると報告も受けています」


「内部分裂か」


 二人の顔が渋くなり、眉をひそめる。


 そこへルシアンの侍従マルスクが、温かいお茶を二人に差し出した。


 そんな時、廊下が騒がしくなる。

 ルシアンもドレイクも何気なく扉に視線を投げた。

 

 その瞬間、ノックもなく扉が勢いよく開いた。


「ご機嫌麗しゅう、諸君」


 声高らかに登場したのは、オークレー次官だった。

 その後ろには派手に着飾ったナディア・グロウディーナ。


 思わずルシアンの顔が引きつった。


「ああ~ん、愛しのクレインバール卿。ごきげんよう」


 気分が昂ったナディアは媚びた声を張り上げ、カーテシーを披露した。


 ルシアンとドレイクは戸惑う。


(コイツら、何しに来た?)


「ごきげんよう、グロウディーナ嬢、次官殿。

 お二人揃って、一体何の御用ですか?」


 訝しげにルシアンが尋ねると、オークレーとナディアは顔を見合わせ、意味深に微笑む。

 その笑顔が無邪気すぎてルシアンは寒気が走った。


 その間にも、二人が連れてきた騎士と侍女が手際よく打ち合わせで使っていた資料を無断で片付け始めた。


「貴様ら、大事な書類だ。勝手に触るな」


 ドレイクが凄味のある声で彼らを威嚇し、書類をむしり取った。

 一瞬、騎士や侍女たちが怯む。


「笑止!」


 オークレーの声が響き渡る。


「子爵ごときの息子が、我らに命令するな。ゴミめ!」


 ドレイクの顔が大きく歪み、ルシアンは強烈な怒りが突き上げた。


「次官殿、その言葉、取り消してもらおうか」


 席を立ち上がったルシアンの鬼のような形相に、オークレーたちは怯えた表情になった。


「軍部は実力主義。

 身分は関係ない。

 特にドレイク・フロストパンセは元第5騎士団長。

 そこまで伸し上がった実力者。

 しかも、前軍師ターラント卿同様、七年前のマリュード皇国との戦いで命懸けで闘った者だ。

 そんな功労者に対し、戦争にも魔物討伐の遠征にも行ったことのない貴殿が『ゴミ』と罵るのはいかがなものか」


 迫りくるルシアンの圧迫感に、オークレーは渋い顔になって視線を床に落とす。

 部屋に緊張が走った。


 やがておずおずとオークレーは言う。


「分かった……。

 ゴミはさすがに言い過ぎた。前言撤回しよう」


 そうして、オークレーは顔を上げた。

 憔悴しているかと思いきや、悪びれる様子もなく、目をギラギラさせて、ドレイクを指さした。


「だが、所詮子爵位。

 貴様、上官への態度がなっとらんぞ。

 クレインバール卿ももっと厳しく部下の教育をせねばならん。

 特に下級爵位の者共は。

 教育というよりは躾。

 しっかり躾しなさい」


 人をあからさまに見下すオークレーにルシアンの怒りが余計弾けた。


「ほう、教育?」


 深淵から響くような低いルシアンの声に、近くにいた騎士たちがビクリとした。


「どの口が言うのでしょうか? 

 私は今、彼と綿密な打ち合わせをしております。

 彼とは前々からこの日時で行おうと約束をしていたんですよ。

 それを無視し、令嬢を連れて乱入とは――」


 ルシアンは、じりじりとオークレーに詰め寄った。

 オークレーは息を呑んだ。


「いいじゃないですか!」


 ナディアの明るい声が場違いに室内に反響した。

 彼女はルシアンの腕をそっと絡めとるように、寄り添う。


「お茶会しましょう? クレインバール卿」


 潤んだナディアの瞳が真っすぐルシアンを見上げた。


「は?」


「オークレー卿の言うとおりです。

 いくら国に忠誠を尽くしたといっても、今書記官なんてやっているってことは、怪我をしてもう使い物にならなくなった騎士なんでしょ? 

 しかも子爵位の令息ならなおさら。

 そんな方との打ち合わせより、この国の四大公爵家、グロウディーナ公爵のあたしとお茶会を開催した方が有意義ですわ」


「本気で言っているのか?」


 ルシアンは眉をひそめた。


「ええ、もちろん。

 だって、いくらハウルデュース公爵がきれいごとを並べ立てても貴族社会。

 階級がモノをいう世界です。

 公爵家と仲良くしていた方がクレインバール卿のためになりますわ」


 ナディアは勝利の余韻に浸ったように、ドレイクを一瞥し、くすっと笑った。


「さぁ、お前たち、早く準備するんだ」


 オークレーは気を取り直した表情で侍女たちに命令する。


「待ってください。

 ここでお茶会をするというんですか? 

 私の業務妨害をしてまで」


 低く呻くルシアンの声。


「何を勘違いしてるんだ。業務妨害じゃない。

 君の将来のために私は仲人役になってあげているんだよ」


 オークレーはしゃあしゃあと述べた。


「そうですよ。

 だって、クレインバール卿、いくら誘っても我が家にお越しにならないじゃないですかぁ。

 だったら、ここで行えばいいのですよ。

 多忙な中の癒しです」


 ナディアははしゃぐ。

 

 不意に、何かが強く香った。

 そう思ったら、すでに辺りに官能的な甘い香りが漂い始める。


 ルシアンはハッとして、匂いの元を辿った。

 出窓の出っ張っているところに漆黒の香炉。

 白い煙が糸のように立ちのぼり、室内に静かな波紋を広げる。


 なんだ、この眩暈のするような匂いは。

 うっとりするような、ゾッとさせられるような獰猛な香り。


「ルシアン様」


 すっとドレイクが傍に寄った。


 ルシアンはすっとナディアから腕を離した。

 名残惜しそうな顔をする彼女にルシアンは心底嫌悪感を抱いた。


 だが、ここでハッキリ断ったところで、お花畑脳内の彼女には伝わらない。

 逆に自分の我を何が何でも押し通そうとするだろう。


「わかりました」


 ルシアンは冷ややかに言う。


「一時間だけ、あなたとお茶会をいたしましょう。

 ただし、我々は未婚者同士。

 密室の中での二人きりは外聞が悪い。

 それぞれの従者を一名ずつ置きましょう」


 そう言い切って、ルシアンはさっとマルスクに視線を投げた。

 マルスクは承諾したとばかりに、やんわり微笑んだ。


「それならば私も仲人役として参加してあげよう」


 居丈高にオークレーは頷き、一人掛けの椅子に座る。


「なあに、二人の邪魔立てはしない。

 けど、二人の間を取り持つキューピットは必要だろう?」


 含みをもってオークレーはナディアにウィンクした。


(あんたがいると余計に拗れそうなんだが……)


 ルシアンはげんなりするような面持ちを浮かべた。


「一時間だけなんですか? 

 もっと一緒にいたいです」


 残念そうにナディアが甘えるように、身体をくねらせた。

 淡々とルシアンは無表情で続けた。


「それはかなり難しいですね。

 私の予定はすべて分刻み、いや、秒刻みで動いてますからね。

 一時間だけでもかなりの譲歩です。

 それ以上は承りません」


「もう、しかたないですね。

 ご活躍中の軍師ですもんね。

 将来の妻としてそこは寛大に受け止めますわ」


 ナディアは含蓄ある眼差しをルシアンに向ける。

 その仕草にルシアンは反吐が出る思いだった。


「将来の妻。それこそ無理難題ですね。

 我がクレインバール家は魔法使いしか求めません」


「それは現段階ですよね?」


「どういう意味でしょう?」


 ルシアンは聞き咎めた。


「言葉のとおりですわ。ふふ」


 ナディアはやんわりと微笑んだ。

 本人は可愛いと思っている微笑なんだろうが、ルシアンになにやらおぞましい物を見た気がした。


 甘い香りが鼻をつく。

 ねっとりとした不快感が込み上げ、なんだかやけに喉が渇く。


「失礼、ほんの一分。

 彼に指示をさせてください」


 ルシアンは知性を滲ませた紳士的な声でにっこり笑った。


「もちろん、いいですわよ」


 まただ、彼女の笑顔にルシアンの胸を冷たい影が掠めた。


 ルシアンとドレイクは、すっと彼らに背を向けた。


「本当によろしいのですか? このまま要求を飲んで」


 ドレイクが非難めいた小声で、チラチラと背後の二人を睨みつけた。


「構わない。今後のことを考えると、これが最善だ。

 だが、いいか、三十分だ。

 三十分したらレイノルドに『緊急報告がある』とここに踏み込ませろ。

 身分を口実にするのであれば、こちらも同じ四大公爵ハウルデュース公爵の令息を登場させる」


 自ずとルシアンも声を潜めた。


「承知しました。

 ご出張中の総帥には私から報告を」


「ああ。それと刑部省大臣アウグスト・ヴァレンティス卿にも頼む。

 さすがにこれは目に余る」


「……はい」


 ドレイクは静かに頷くと、部屋から出て行った。


 まったく反吐が出る。


 出自で優秀な部下を侮辱するのであれば、こちらにも考えがある。

 

 ルシアンは着々と準備されるお茶会の様子を忌々しげに眺めた。

 

 なんだか嫌な方向に進んでいる気がする。


「楽しみですね、クレインバール卿」


 無垢な少女のようにあどけなくナディアは笑った。

 

 冷ややかなルシアンの笑みの裏で、その瞳には鋭い光が宿っている。

 嵐はまだ始まったばかりだ――。

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