第42話 刑部塔の遭遇と、不穏な報せ
「イースティリア女官、なぜあなたごときがこの廊下を歩いているのかしら?」
ローゼルはルシアンの部屋から出て、法務省のある執務塔へ戻る途中の刑部塔で、一人の女官に呼び止められた。
総務省お局女官ヨオンナ・ピージャンスだ。
(うわぁ、最悪!)
ローゼルは顔が強張るのを隠すように、軽く膝を曲げてお辞儀をする。
「ごきげんよう、ピージャンス女官」
「ええ、ごきげんよう」
ヨオンナはぐいっと一歩ローゼルに近づいた。
彼女の後ろに控えている腰巾着の女官たちも意地悪な笑みを湛えて一歩前に出た。
「それで、もう一度問うわ。
なぜ、あなたごときが、この廊下を歩いているのかしら?」
高飛車にヨオンナは眉をひそめて再び尋ねた。
「はい、私ローゼル・イースティリアはこの度ルシアン・クレインバール軍師閣下から書類のサインをもらうために馳せ参じました」
「書類?」
「はい。この書類です」
ローゼルはヨオンナにその書類を突き出すように見せた。
「この書類は後程他の書類と合わせて、本日の夕刻までに刑部省刑部局長に提出しなければならないものになります」
ヨオンナはむしり取るようにすると、舐めるように隅々まで目を走らせる。
怒りと嘲笑を混じえた表情でヨオンナは、書類が本物で提出期限もローゼルの言い分通り本日だと分かると、投げるように「そう、ご苦労様」と書類をつき返した。
ローゼルは内心、ほっとしながら書類を受け取った。
それから、ちらっと彼女を盗み見た。
(そもそも何故ピージャンス女官がここにいるのだろう)
ローゼルは首をひねった。
総務省と刑部省はほぼ接点はない。
軍部は国からの支給品を総務省に通すことなく独自のルートで購入しているし、塔や詰所などの保全も騎士たちが訓練のひとつとして内部ですべて完結している。
(あっ、分かった。
また男漁りに来たんだ)
ヨオンナ・ピージャンスは元総務大臣の愛人。
その一方で、魔法騎士たちに不要なまでの菓子の差し入れをして、結婚相手を血眼で探していた。
その中でも彼女の推しは、エヴァン・ゴルマンだった。
ローゼルが彼女に目の敵のように扱われるようになったのは、ある意味、彼のせいだった。
彼女は、いつも嫉妬の色を含んだ眼差しをローゼルに向ける。
推しの騎士が他所の女官に毎日のように公開求婚劇を繰り広げているのだから、そりゃあ面白くないのは分かる。
けれど、これほどはた迷惑な八つ当たりはない。
とはいえ、仕事は仕事。
どちらにしろ、彼女の後ろ盾であったビアード卿は、先日の皇族会議の警備のすべての責任を負う形で更迭。
現在は息子に爵位を譲り、領地に引っ込んで隠居しているという。
今後お仕事をしない彼女は一切昇給することはないだろう。
ローゼルはこれ以上関わりたくないとばかりに、踵を返そうとする。
「それでは失礼します」
「ねえ、イースティリア女官」
ヨオンナはまだ呼び止める。
「そもそも下流貴族のあなたが、こちらに足を運ぶのはいかがなるものかしら?」
嫌味と皮肉を混じえたねっとりとした視線。
「それ、どういう意味でしょう?」
ローゼルは少しムッとしてヨオンナに向き合う。
「何を勘違いされているのでしょうか?
これはれっきとした法務大臣ライアナース卿から私に命じられた業務です。
そこに爵位や出自は関係ないのでは?」
「それよ。
どうしてあなたごときが大臣から直接指示を貰っているの?」
「どうして、って」
ローゼルは言葉を詰まらせた。
この人、頭は大丈夫?
「私は大臣付きの庶務を主に担当してます。
それゆえ、ライアナース卿から直接指示をもらうのは至極真っ当なことなのではないでしょうか?」
ローゼルは臆することなく、さらりと質問し返した。
「あなたって、いつもそうね。
男の指示に従う従順な女官を装って媚ばかり売って。
この前の皇族会議の時もそう。
うま〜く立ち回って魔法騎士団員の中に入っていって褒賞金まで貰うなんて娼婦のやることだわ」
ヨオンナは汚いものでも見る目つきでローゼルを見下ろした。
ローゼルは呆れ果て、ぽかんとした。
どうやったらそういう結論に達するのか。
(この人の思考回路、ぶっ飛びすぎて本当に迷惑なのよね……)
ローゼルは深いため息をついた。
「ピージャンス女官、何か勘違いされていますよ。
皇族会議の時は、貴女様の指示に従って問題を解決したにすぎません。
たまたまその問題に魔法騎士団が関わっていただけです。
それに、ピージャンス女官こそ、総務省の方がこちらに足を運ぶなんて珍しいですね」
ローゼルは皮肉を込め、にっこり微笑んだ。
「フン、あなたには関係ないでしょ」
ヨオンナは不愉快そうに眉をひそめ、鼻を鳴らした。
「でしたら、私は現在法務省に出戻った人間。
私の業務はピージャンス女官に関係ありませんよね?」
「はい?」
「もうお声掛けいただかなくても大丈夫ですよ。
自分の仕事は自分で全うしますので」
「あのねぇ、部署が違ったとしても、女官としてのあるべき立ち振舞を後輩に注意するのが先輩女官としての務めでしょ?
法務省所属のあなたが、男ばかりの魔法騎士様たちに色目を使うのは甚だ許し難いのよ」
出た。色目。
こっちは全然色目なんて使っていない。自分が使っているからって、同一視されても困る。
「そうですか。私の日々の態度に何か問題があると?」
ローゼルはわざと殊勝な顔をした。
彼女の頬がにっと不気味に広がる。
「そうよ」
「でしたら名案があります」
ローゼルはわざとらしくパンと手を叩き、さも今思いついたと言わんばかりに、にこっと笑った。
「名案?」
ヨオンナは訝しげな表情を浮かべた。
「はい。日々の私の職務中の勤務態度について、ライアナース卿からそちらの新大臣であるバーンズリー大臣に正式にお答えいたしましょう」
途端に、ヨオンナの顔が露骨に歪む。
バーンズリー卿は、仕事をしない縁故採用のヨオンナを嫌悪している。
それを知っているからローゼルはわざと彼女の上官になるバーンズリー卿の名前を出した。
「私はすでに部署が違いますから、こういう指摘はそちらの上官を通して、正式に書面で回答するのが筋です。
以前、私の勤務態度について『愛想がなくコミュニケーションがとりずらい』とのご指摘を前ビアード大臣から苦言を頂戴しました。
そのときも、しっかりと形の残る書面でしたので、今回もそのような形で――」
「ああ、もういいわ」
ヨオンナは忌々しげに、ひらひらと手を振った。
「そうですか? 承知しました。
また他に私の勤務態度に問題がありましたら、なんなりとご指摘ください。
いつでも正式回答いたしますよ」
ローゼルは悠然と微笑んだ。
その時、ローゼルは見逃さなかった。
ヨオンナに電流のようなものが走ったのを。
(ふふん、思い知ったか。
私の職場環境を二度と好き勝手にはさせないよ)
前回の苦言も明らかな言いがかりだった。
だいたい愛想ってなに?
男の人に少しでも笑顔を向ければ「色目を使った」と罵られ、「これだから今世紀最大の悪女」はなんて陰口を叩く。
全然笑顔の匙加減が分からない。
それに対し、ライアナースはローゼル以上に憤慨し、「こんなもの、気にしなくていい」とその場で書面を破り捨てた。
(そりゃあ、法務省は男の人ばかりで女官はほぼ皆無で皆さん、私に甘い。
けど、ちゃんと仕事はしている。
確かに今日はちょっと寄り道して、クレインバール卿からチョコレートとお茶をご馳走になったけど。
でも、あなたにとやかく言われる筋合いはありません)
ローゼルは心の中であっかんべーをする。
今にも噛みつきそうな形相のヨオンナを無視して、ローゼルは軽く頭を下げる。
「それでは、特に御用が他にないのであれば、失礼します」
ヨオンナは手に持っていた扇をぱちんと閉じた。
「待ちなさい」
三たび、ローゼルを引き留めた。
「なんでしょう?」
まだ何かあるのだろうか。
参ったな、これ以上彼女と関わるのはお断りだ。
まさに時間の無駄。
うんざりした顔でローゼルが振り向くと、そこには何故か勝ち誇ったような奇妙な笑みを浮かべたヨオンナがいた。
ローゼルはぎょっとした。
底知れぬ悪意が滲む眼差しに、一瞬空恐ろしい気持ちが沸き起こる。
「あなたの婚約者レオーネ・ウルーム。現在魔法騎士団に捕縛されてましてよ?」
「え?」
どういう意味?
ローゼルは全身が凍り付いたような気がした。
ヨオンナは羽のついた扇をパチンパチンと何度も開いては閉じた。
その音が廊下に響く。
やけに耳障りで、ローゼルの苛立ちを募らせる。
ローゼルは動揺を押し殺しながら乾いた声で尋ねる。
「あの、どこでそんな情報を……?」
「あなたにそこまで教える義務はありません。
それこそ、お得意の色目でも使って官僚たちから情報を集めたらどう? 今世紀最大の悪女さん。
まあ、どちらにしろ、あなたに関わるとみんな不幸になっていくみたいね。
まったく、国の命運を懸けて闘う騎士様のいる場所に出入りすること自体まったく烏滸がましいわ」
ヨオンナは意地悪な笑みを浮かべ、ピシッとローゼルに扇を向けた。
「はあ。そうですね、貴重なご意見ありがとうございます。
では、何かあれば正式ルートで今後お願いします。
私はこれで」
ローゼルは適当に言って、彼女に背を向けた。
「まぁ! 生意気な! 下流貴族のくせに」
ヨオンナはキーっと怒りだす。
(ああ、面倒くさい……)
そう思う一方、ローゼルは必死で頭を回転させていた。
レオーネが魔法騎士団に捕縛されたとは、どういうことだろう?
夜会の暴行罪については釈放されたはずだ。
その時のことを言っているのかしら。
だとしたら随分古びた話題だけど。
あの様子から、たぶん現在進行形の話――。
そうだとしたら、ますます不可解だ。
総務省のお局で、かつ、准帝国公務員の女官がそんな情報を知っている?
その時。
「ああ、ちょうど良かった。イースティリア女官」
名を呼ばれ、ローゼルは声の主の方を振り向いた。




