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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第40話 策士な軍師閣下と、退路を塞がれる子リス女官

「実はね、すでに君の御父上と話はついているんだ、俺からの求婚」


 そうルシアン・クレインバールから打ち明けられたローゼルは、深い動揺と困惑で何度も目を瞬いた。


(いつの間に!?) 


 ルシアンはそっとローゼルから離れて、ティーカップを手に取った。


「そう、お見舞いの品々と一緒に出した手紙の内容について、イースティリア子爵から問い合わせがあったんだよ。

 ……いやぁ、あれはすまなかったね、軽率だった。

 仮にも婚約者がいる君を迂闊に誘ってしまって」


 ルシアンが恥ずかしそうに言って、お茶を飲む。


「それで、結論から言えば、イースティリア子爵は、ウルーム伯爵家との婚姻をこのまま続行することを渋っていた」


「うそ……」


 ローゼルは息を呑んだ。


 父は何も言っていない。


 私の将来。

 これも政略的な駒のひとつ。


 そもそも貴族の結婚とはそういうもの。

 だから、きっと継母シャルルの意見は尊重され、そのまま結婚すると思っていた。


「あの、どうやって父を説得したんですか?」


「説得……? 

 いや、元より婚約破棄を視野に入れていたという感じだったよ」


「え?」


 ローゼルはますます混乱を極めた。


「いつですか? それを言っていたのは」


 思わずローゼルは身を乗り出した。


「早朝だよ。

 俺が子爵の王宮執務室にお邪魔したんだ」


 ルシアンは得意気に笑った。


「え、え、ちょっと待ってください」


 ローゼルはこめかみを押さえて、朝食を共にした父を思い出す。


(え? 今朝? 

 何も言っていなかったよね……。クレインバール卿に会うって。

 お義母様に遠慮して黙っていたのかな)


「父は私に何も言ってませんでしたけど……」


「ああ、俺が今日君に求婚するつもりだったから口止めをしておいた」


「へ?」


「だからね、わざとこの書類にサインをしなかったのはそういう訳。

 仕事熱心な君のことだ。

 この書類にサインがなければ、必ず俺のところに来るだろ?」


 ルシアンは書類を指差し、少年のようにあどけなく笑う。


 ローゼルは唖然とした。


 図られた。


 しかも、随分と手回しがいい。

 どうやら私はすっかり彼の手のひらで踊らされていたようだ。


「本来であれば、イースティリア邸に伺ってご両親揃って話をすべき事案だ。

 ご両親の了承を得た上で、君に面と向かって求婚する、それが定番だろう。

 だが、それは避けたかったんだ。

 夫人はかなり偏重的な方のようだし、これは彼女不在で子爵だけに話すべきだと思ったんだ」


「それって……つまり、我がイースティリア家の内情をお調べになっての判断ですか?」


 ローゼルは恐る恐る窺うように、ルシアンの顔を覗き込んだ。


「ああ、そうだ。

 悪いが、調べさせてもらった」


 ルシアンは少々ばつが悪そうな顔を浮かべ、ローゼルは息を呑んだ。


 この人、一体どこまで調べたんだろう。 

 ひんやりと嫌な汗が流れ始めた。


「イースティリア子爵は、特に君と君の継母との不仲をとてもひどく案じていたぞ。

 君の腕の痣……」


 ルシアンが躊躇いがちに呟き、痣のあった部分に視線を投げた。

 ローゼルはぎくりとした。


「なあ、正直に答えてくれ。

 君は夫人から折檻を受けていたんじゃないのか?」


 ローゼルは一瞬、全身が凍りついた。 

 胸はぎゅっと締め付けられたように苦しくなって、顔が青ざめる。


「俺はこうみえてもいろんな者たちを見てきた。

 軽微犯罪者から何人も自分の快楽で殺害した極悪人、敵国から来た間者たち。

 だから、なんとなくその傷、強い力で誰かにぶたれた痕なんだって」


 ルシアンは強い声で続ける。


「王宮医務室にも問い合わせてみたら、打ち身や捻挫。

 結構な頻度で怪我をし、その都度、同期のモレーノ・ガヴァーゼル研究員から薬を融通してもらっているね。

 彼はよく怪我をする子だなぁ、程度にしか思っていないようだが、俺には分かるよ」


 鳥肌が立った。何か鋭いもので、心臓を貫かれたような気がした。

 激しい羞恥と恐怖。

 知られてしまった――。


「隠さなくてもいい。

 本当のことを教えてほしい」


 心配そうに覗き込むルシアンの視線を受け止めきれず、 ローゼルはさっと目を逸らしてしまった。

 だけど、それがかえって真実だとルシアンに白状しているようなものだった。


 部屋に張り詰めた空気が降りた。


「えっと……」


 なんとか言い繕おうにも言葉が喉に張り付いて出てこない。

 ローゼルは無意識のうちに、つい先日まで残っていた痣をさすっていた。


 途方もない苦い屈辱感と劣等感。

 

 今でこそ、エヴァン・ゴルマン伯爵からもらった最高級品のポーションの効果で消えているけれど、身体のあちこちに残っていた痣は、治ってもすぐ新しい傷ができるせいで、一向に完治しなかった。


 それだけ継母のヒステリーの前では、誰も手を出せなかったのだ。


 パトリシアが以前私を庇ったときは、目を当てられぬほどのひどい怪我を負った。

 だから、彼女には二度と私を守らないで。

 そう命令した。


 ローゼルの肩はいつの間にか細かく震えていた。


「今まで相談できる人いなかったのか?」


 そっとルシアンがローゼルに近づき、蜂蜜色の双眸を見つめた。


「……」


 ローゼルは黙って力なく首を振った。


 家庭内暴力――誰かに打ち明けられるはずがない。


 そもそも、家で惨めな日々を過ごしていたなんて、誰にも知られたくなかった。

 親友にも同期にも話せていない。

 いつも新しい痣ができるたびに、見つからないよう、細心の注意を払っていた。


 だけど、彼がモレーノのところへ行ったことで、バレてしまったかもしれない。


 深い絶望感が襲い、ローゼルのなけなしの自尊心が打ち砕かれていく。

 

 よりにもよって淡い想いを抱く彼に知られてしまうなんて最悪だ――。


 ぎゅっとローゼルは固く目を閉じた。


「辛かったな」


 ルシアンがぼそっと呟いた。


「本当のことを言うと、イースティリア邸のバルセシャンとパトリシアからも聞き出した。

 夫人の振舞いについて。

 だから、王宮医務室のカルテについては、最終確認みたいなもんだよ。

 大丈夫、モレーノ・ガヴァーゼル研究員は俺が調べたことを何も怪しんでいない」


「本当ですか?」


 ローゼルは尋ねた。それでも声は心なしか震えていた。


「ああ。ほら、この前、皇族会議のテロ未遂解決の報奨金、特別に君に手当がついただろ?」


「はい。頂戴しました」


「うちの総帥が『軍部からも出した方がいいんじゃないのか』って言い出してね」


「え?」


「けど、『女官に金銭を渡すのは気に入らない』とほざく男尊女卑の次官がいるから、ちょっとまだ確定していないけど……。

 現物支給なら、って話になりそうなんだ。

 で、何がいいのかって、極秘で調べているという名目で君の同期に話を聞きに行った」


「そうなんですね」


 よかった。バレていない……。

 ローゼルはほっとした。


「――継母の癇癪はいつものことです」


「いつも……って。

 そんなに頻度が高いのか?」


「お恥ずかしながら、ほぼ毎日でした」


 ローゼルは、ようやく落ち着いてきて、ぽつぽつと言葉にする。


「継母は、もともと好んで我がイースティリア家に嫁いできたわけではないんです。

 だからこそ不満がいっぱいあるのでしょう。

 そもそも継母と継子がうまくいくことは滅多にない。難しいというのは知っています。

 それでも、私が我慢すればいつか好転するかもって期待してたんです。

 でも、違いましたね」


 ローゼルは自嘲気味に笑った。


「だからって――暴力は良くない。

 理不尽な暴力に馴れるのは不健全だ。

 抗議していいんだからな」


 胸を衝かれたような表情でルシアンが言った。


(抗議。そんなもの、怖くてできないよ)


 そっとローゼルは視線を落とした。


 食事も満足に与えられない。

 楽しみにしていたアカデミーも勝手に入学の取り消しをされる。

 大好きな魔法の勉強は禁止され、自分の持ち物は奪われる。


 唯一の母の忘れ形見のドレッサーと宝石。

 あれだけは、ローゼルの魔法の知識を駆使して彼女が触れないようにしてあったけど、隙あらば売り出そうと虎視眈々と未だ狙っている。


 ――ローゼは、隙がないんだよ。

 プライド高いっていうか。


 いつだろう、レオーネがそう言っていた。

 要は「可愛げのない女の子」と言いたかったのだろう。


 多分だけど、レオーネも継母の暴力に気づいていたと思う。

 だからといって、彼は助け舟を出してくれることもなくて、ただただローゼルを所有物として扱っていた。


 ひょっとすると、レオーネはローゼルが泣いてすがって助けを求めるのを望んでいたのかもしれない。

 そうすれば、所有物の私が本格的に支配下に置けるから。


 でも、私は泣かなかった。

 耐え続けた。


 もし、たとえ、私が訴えたら何か変わっただろうか?

 いいえ、変わらない。


 そもそも、私は自分の弱みや醜さを曝け出すのが苦手だ。


 令嬢の中には殿方の庇護欲をそそり、言うことを聞かせようとする子もいる。

 だけど、私はそんなみっともない真似をしたくない。

 我儘や気まぐれを可愛いと勘違いしている女の子になりたくない。

 

「すまない」


 ルシアンがふいに謝った。


「今の俺の台詞せりふは取り消してくれ。

 そういう虐待とか折檻を受けた者は、相手に反抗するのも難しいと聞いていた。それなのに……。明らかな俺の想像力の欠如だ。申し訳ない」


「いえ。そんな謝らないでください」


 ローゼルは手を振った。


「俺はね、君が倒れたあの日、君の部屋に行って衝撃を受けたんだ。

 部屋に何もなさすぎて驚いた」


「……そうでしょうね」


 当然の反応だ。


「だから許せなくて――俺の目から見ても、君は女官の中でもかなり頑張っている。

 だからこそ、どうしてそこまで蔑ろにできるのか。

 今もイースティリア夫人の言動や、君に対する振る舞いは許しがたい。

 俺は軍師だが、その前に騎士だ。

 国を守る役目でも、大事だと思う人を守れなくては意味がない」


 その切実な声の響きに、ローゼルは目を見開いた。


「大事……?」


「ああ。俺にとって、すごく大切な人だ」


 ルシアンは愛おしそうにローゼルの手をとって、手のひらに口づけをした。

 その瞬間、ローゼルはカッと身体に熱がこもった。 


「あの……、軽蔑しないんですか?」


「どうして?」

 

 不思議そうにルシアンがローゼルを見た。


「だって、私、家庭内暴力を受けているんですよ。

 侍女たちも馬鹿にされて、ご飯もまともに食べさせてもらえなくて……。

 恥ずかしながら、私はイースティリアの人間のくせに、格下の彼女たちに屈したんです」


「いいや、屈してないよ。

 あんなのに正面から立ち向かう方が時間の無駄だ。

 聡明な君はきっとうまくかわそうとしていたんだろうね。独りで立ち向かって――。

 けど、相手が悪かった。

 常軌を逸脱している多勢にまともに取り合っても、逆にやられるだけだ」


 ルシアンはローゼルの痣のあった腕を優しくさすり、手のひらにもう一度、口づけをした。

 彼が触れたその部分が熱を持ち、ほのかに甘く切ないものが胸を満たす。


「クレインバール卿は継母にもお会いしたんですよね?」


「ああ。君が気を失っている時に。

 かなり吹っ飛んだ妄想の持ち主で驚いたよ」


 ルシアンは苦笑した。


「ですよね。

 ますます恥ずかしい限りで。

 継母はあのとおり被害妄想の激しい人なんです。

 常に悲劇のヒロインぶってないと気が済まないんですよ。

 本当に、見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」


 ローゼルは深々と頭を下げた。


「イースティリア女官が悪いわけじゃない。顔を上げて」


 ルシアンの声は意外にも優しかった。


「むしろ、心配しているんだ。

 君とウルーム子爵子息との縁談も、デブラント嬢が横恋慕し出してからは、夫人は躍起になって結婚を強引に進めようとしている節があるらしいし。

 それを俺は憂慮しているんだ」


「……よく調べましたね、そこまで」


 引きつった笑いがローゼルから零れた。


 継母の魂胆は分かっている。

 単純に自分の妹の娘の男爵令嬢に負けたくないだけだ。


 継母の生家、あそこの姉妹は犬猿の仲であり、水と油の関係。

 レオーネとソフィアがこのまま結婚したら、継母の妹の男爵夫人が大きな顔をする。


 義理の娘の幸せとかそういうのじゃなくて、自分のプライドの問題。


「俺は軍師だ。

 不可解なことがあると、どうしても調べておきたい性分で……。

 君にとって触れられたくない部分を土足で踏み込んだかもしれない。

 すまない」


「どうして謝るんですか? 

 戦術と戦略に長けているクレインバール卿らしいと思いますよ」


「意外だな。

 勝手に調べたことを怒るかもしれないと思っていたのに」


「怒る? 

 何故ですか? 

『情報を制する者が戦いに勝つ』というのがクレインバール卿のモットーだと、レイノルドがいつも言ってましたよ。

 私もその通りだと思いますし、わざと急ぎの書類にサイン漏れの書類を紛らわせる点もなかなかの策士だなと思いました。

 私はまんまと一杯食わされたんです」


 ローゼルは、諦観の念を示し、肩をすくめた。


 そう、忘れたらいけない。

 目の前にいる御仁は情報戦に特化した優秀な武官だ。

 抜け目がなくて当然。


 ローゼルの知らぬ間に父だけでなく、上司のライアナース卿にすでに接触し終えているし、この調子だと同期のレイノルドからもさりげなく情報を聞き出しているはずだ。


 あれだけの大衆の面前で求婚したことも、すべて計算され尽くされているに違いない。


 この人に隠し立てしても無駄だ。


(すごいなぁ。

 さすが戦上手というか、まさに誉れ高き軍師だよ)


「完全に感服いたしました」


 ローゼルは大袈裟に頭を下げた。

 一瞬間があってから、ルシアンは豪快に笑い飛ばす。


「あはは! 

 やっぱ、そういうの、イースティリア女官は分かってくれるんだな。

 ますますいい」


 突如砕けた口調に、無防備な笑顔。


 ローゼルの胸は甘く弾けた。

 怜悧な美貌に、人間らしい温かみが加わって、より一層人を惹きつける。


(この笑顔はやっぱり狡いなぁ)


「もし良かったら、俺のところに避難してくるか?」


「え? 俺のところ?」


 ローゼルは思わず聞き返した。


「そう。俺の屋敷」


「それはさすがにちょっと……」


 ローゼルは慌てた。


 それは展開が早すぎる。

 それこそ外聞が悪すぎて、ルシアンの評判を傷つけてしまう。


「大丈夫、ちゃんと君の御父上から許可は貰ってる。

 イースティリア子爵もね、夫人の暴力性を加味し、俺の屋敷に君が避難することはやぶさかではないと思っているんだ。

 もう娘が傷つくのは見たくない」


「でもでも」


 ローゼルは手を振って断った。


「何が心配なんだ? 

 俺のところなら安全だぞ。

 使用人も人畜無害な連中ばかりだし、部屋ならいっぱいあるし……」


「ですから、そこまでお世話になれません」


 ローゼルはルシアンの言葉を遮る。


「当分の間は父も屋敷にいます。

 それに使用人たちも私の味方ばかりになりました。

 さすがに侍女たちの質が悪すぎると、父が作法のなっていない侍女たちを一気に解雇したんです」


「だろうな、あれは女主人が悪い。

 だけど、このまま君があそこにいたら、イースティリア子爵夫人がウルーム伯爵子息との結婚を勝手に取り決めそうな勢いがある。

 子爵は娘の次の嫁ぎ先が決まっているなら、いち早く婚約破棄すると言ってみえた。

 さっさとあの家を出ておいで」


 ルシアンの甘い囁きに、思わずローゼルは頷きそうになった。

 だけど、そんな誘惑に負けてはならない。

 ローゼルは首を振った。


「いいえ、私はまだ婚約中です。

 だから、その、婚約者でも何でもない方のお屋敷にお世話になるわけにはいきません。

 家を出るなら……そう、私は申請すれば官僚宿舎も使えますし」


「なるほど、官僚宿舎という手があるか」


「はい。未婚の女性が宿舎から王宮に通うのは、外聞が悪いからと継母に言われ、渋々実家通いをしてました。

 けど、最初から宿舎に住んでおけばよかったんです。

 だから、私一人でやっていけます。

 クレインバール卿のお手を煩わせません」


「だが、あそこの女子寮は随分と老朽化していて、女官が住むにはいささか警備体制に不安があると聞くぞ」


「大丈夫です。

 なんとかなります」


「本当、君は真面目だね」


 ルシアンは苦笑した。


「真面目とか、そう言う問題じゃないと思いますけど?」


「そう? 

 イースティリア嬢はもう少し甘えてもいいと思うよ」


「クレインバール卿はまだ私のことを知らないんです」


 ローゼルは口をすぼめた。


「へえ。例えば? 

 イースティリア女官のことなら何でも知りたいな」


 ニコニコと笑顔をルシアンは浮かべた。


 その笑顔にローゼルは、なぜか勝てない気がした。

 完全に囲われているような、逃げ道を塞がれたような、そんな予感がした。


「そもそもクレインバール卿は私を買いかぶりすぎです」


「そうか?」


「はい。なにせ、私は堅苦しくて機知に富んだ会話も、気の利いた冗談ひとつも言えない女です。

 目の前のことを愚直に向き合うことしかできない、まさにつまらない女代表です!」


 ローゼルは胸を張って言い切った。


「つまらない?」


 ルシアンは面食らったように目を瞬いた。


「はい。レオーネ・ウルーム令息にはいつも面白みのない女だと散々揶揄されてましたから」


 仕事にしか価値を見出せない、存在意義を感じない。

 所詮自分なんてその程度。


 さらに得意げになるローゼルに、愉快とばかりにルシアンはくっくっと肩を震わせて笑った。


「なんで、そこ。

 やけに自信満々なんだよ」


「でも、私も本当にそう思うんですよ。

 だいたい私には友達がおりません」


「え? 友達?」


 ルシアンはきょとんとした。


「そうです。

 私には同世代の友人は同期のエレナ・ヴァービナス侯爵令嬢しかおりません。

 だからその時点でも失格です」


 ローゼルは、恥ずかしげもなくはっきりと断言し、続ける。


「本来社交界での貴族夫人の立ち位置は、男性では仕入れられない情報交換をし合い、人脈を築き上げあげるものです。

 女性が社交に力を入れるのは武力以外で家を守る術を得るため」


「まあ、そうだけど。

 辺境伯領地だぞ? 

 滅多にお茶会なんてないから」


「へ? そうなんですか?」


 今度はローゼルがきょとんとする。


「ああ。うちの母親は、友好国の小国の公爵家の娘だ。

 だけど、こっちに嫁いでからはそういう煩わしい集まりに参加しなくていい、気楽だと、毎日優雅な領地生活を堪能しているぞ」


「優雅な領地生活……」


 なんて魅惑的な単語なのかしら。

 ローゼルの心がぱっと明るくなった。


 王都生活はそれなりに楽しい。

 お店もたくさんあるし、美味しい食べ物やお酒も多い。

 キラキラした世界が溢れている。


 けど、正直、今世紀最大の悪女なんて噂をたてられて以来、少々窮屈で仕方がなかった。


 ローゼルの目の色が変わったのを察したルシアンは細く微笑んだ。


「まあ、そういうことで社交界は年に一度、顔出せば十分すぎるくらいだ」


「ですけど、我が家の持参金は期待できませんよ。

 なにせうちは、ど貧乏です」


「あはは、そんなに胸張って言わなくていいよ」


 ますます愉快とばかりに、声を上げてルシアンは笑う。


「でも、すごく大事なことですよ?」


 ローゼルはつい拗ねたような表情になった。


「まあ、そうかもしれないが、その辺もイースティリア子爵と話し合いが済んでいるよ」


「うそぉ」


「本当。

 だから、君が思い悩むことは何一つない」


「でもでも、私、本当に、本~当に、面白みのない人間ですよ。

 飽きますよ?」


 真剣な顔つきで言うローゼルに、ルシアンは一瞬言葉を詰まらせた。

 だが、次の瞬間、さらに肩を揺らして、くっくっと笑いをかみ殺す。


「飽きないよ。充分君は魅力的だ」


「み、み、み、み……!」


 魅力的⁉ たちまち、ローゼルの頬が真っ赤な林檎のようになった。


 ルシアンは口元に笑みを湛えながら、ローゼルの頭を撫で梳き、一房指でとった。


「君は随分と事務的に自分を分析しているけど、そうやって率直にモノを言うところが俺は好きなんだよ。

 変にふわふわしてない、地に足がついた感じ。

 その安定感がいいんだ」


「す、す、す、す、す……!」


 好き。なんて破壊力のある言葉なんだろう。

 もはやローゼルは完全に語彙力を失う。


 身体中の血液が一気に循環して赤面する。


 やがてルシアンは指先でローゼルの毛先を弄び始める。


「あんな浮気男のいうことなんか気にするな。

 俺が君のことが好きなんだし、幸せにしたいと思っているんだ」


「え……。

 本当に、堅苦しいとか、真面目過ぎとか、そう思わないんですか?」


 思わず、ローゼルは身を乗り出して尋ねた。


「全然。これっぽちも思わないね」


 ルシアンは持った髪に軽くちゅっと口づけをした。

 彼の想像以上の甘い仕草に、ローゼルの心臓は口から飛び出そうなほど驚いた。


「真面目、いいんじゃない? 

 真面目だから女官という難易度の高い仕事もちゃんとこなそうとするんだろし、それが無理難題だったとしても、ある材料を使ってなんとしてでも答えを導き出そうとする。

 素晴らしいことだよ。

 俺の求めている理想の妻だ」


 ローゼルはやるせない気持ちになりながら、ゆるゆると力なく首を振った。


「駄目ですよ……。

 あなた様の将来を傷つけてしまいます」


「なぜ?」


「だって、私……世間ではこういうふうに言われているんですよ? 

 今世紀最大の悪女って。

 軍師閣下のような誉れ高き御方の妻なんて、畏れ多くて……。

 それこそ、あなたに相応しいとは思えません」


「俺が噂どおり君に懸想しているとは思わないのか?」


 ルシアンはローゼルに熱を秘めた眼差しを注ぎ、そして髪から手を放して、ローゼルの頬を撫でるように触った。


 彼の指先が、触れた箇所に熱を帯びる。


「えっと……」


 それは充分に伝わっている。この人は私に好意を持ってくれている。

 だからこそ、申し訳がないし、居たたまれないのだ。


「ローゼル・イースティリア嬢」


 ルシアンの双眸が鋭く光った。

 ローゼルは弾けるように顔を上げた。


「相応しいかどうか周囲や他人が決めることじゃない。

 俺が決めるんだ」


 ローゼルの胸が甘苦しく疼き、息が止まる。

 すると、ルシアンは優しい笑みを浮かべた。


「だいたい君は自分に厳しすぎるんだよ」


「そ、そうでしょうか?」


「ああ。厳しいね。

 甘すぎるよりはいいけれど、君の場合は、うん、もう少し自分を甘やかしてもいいんじゃないかな。

 俺はそんな君を甘やかしたいし、君も俺を好いて欲しい」


 ルシアンが優しくローゼルの垂れた髪を耳にかけ、その指で、つっと顎のラインをなぞる。

 ゾクゾクとした淫靡(いんび)なものを感じて、ローゼルは心臓が跳ねあがった。


 早鐘を打ち、真っすぐルシアンを見れない。


 二人掛けの寝椅子に座っているせいか、互いの服越しとはいえ、ほぼ足が触れ合った状態だ。


 そっと見上げるとルシアンが柔らかく微笑んで、恥じらうローゼルの顔を覗き込んでくる。


 艶を含んだ眼差し。


 そのとき、扉がノックされた。

 はっと我に返ったローゼルは、ルシアンを押しのけて、素早く立ち上がった。


「そ、そそ、そろそろお昼休み終わりますよね! 

 私は午後の仕事がありますので、これで失礼します。

 サイン、ありがとうございました!」


 言い終わるか否かで急いでローゼルは書類を持って廊下へ出た。


 扉を開けると、そこには猫毛の緑短髪の騎士が立っていた。

 彼は目が合うと、にっこりと微笑んだ。


 この人、アラン・リックランスだ。


 皇族会議のときお世話になった人で、しかもその後の夜会でレオーネを連行した人。

 ローゼルはぺこりとお辞儀をし、そのまま急いで廊下を走り去った。


 昼下がりの廊下に、ローゼルの足音だけが響いていた。

 その音は、甘くも苦い余韻を残して消えていった ――。

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