第30話 ゴルマン伯爵領の歓迎と、男たちの秘密――万能ならざる力のために
すごい汗だな。
ルシアンは腕の中のローゼルを抱え直した。
魔力欠乏症は魔法を使える誰もが起こす症状のひとつだ。
だが、急性であれば一刻を争う事態にもなりかねない。
まさか王宮で踊った日以来の対面が、こんなふうになるとは思いもよらなかった。
(とにかく生きててくれて良かった)
国境辺りで出没したという、『秘密結社 黒の杖』に似た魔物――。
目撃証言は多数寄せられていたが、実際アレに襲われて助かったという話は皆無だった。
ふと、皇族会議でのローゼルの台詞が蘇る。
――私の身までお気遣いいただき、ありがとうございます。
簡易的な防御魔法は使えますが、騎士の皆様の足枷にはならないように充分注意いたします。
確かに、自分自身はもちろん御者にも防御魔法が施されている。
けれど、あの魔物の魔力の影響か微弱になっていた。
あと一歩到着が遅かったら――。
そう思ったらゾッとした。
ルシアンは、魔力切れを起こして失神したローゼルを抱き直し、上空からエヴァン・ゴルマン伯爵邸に無事に到着した。
到着した途端、エヴァンが裏切られたような表情を浮かべ、玄関先から物凄い剣幕で駆け寄って来た。
「どうしてルシアン様の腕の中にローゼルちゃんがいるのですか?」
鼻息は荒く、拗ねたような表情。
当然エヴァンの服装は騎士の軍服ではなく、ホワイトシャツに身を包んだ伯爵としての出で立ちだ。だが、ルシアンに詰め寄って来るその姿は、騎士当時の青臭いまま。
「お前さぁ、恰好が伯爵貴族然してるのに、久々に会った師匠にその態度はなんだ?
一応俺、国の軍部上層部の一人、軍師閣下なんだけど?
伯爵家当主としての矜持はどうした?」
呆れかえるようにルシアンが言うと、エヴァンはムッとしながらも、コホンと咳払いをし、しゃんと背筋を伸ばした。
「失礼いたしました。
帝国魔法騎士団ルシアン・クレインバール軍師閣下、ならびに第三騎士団員の皆様、ゴルマン伯爵領へようこそ。
そして、ご無沙汰しております」
エヴァンは改めて領地の伯爵として、ルシアンたち騎士に深々と頭を下げる。
ぴしっと決め込んだエヴァンの出迎えの挨拶は完璧だった。
だが、数か月前まで同じ釜の飯を食う仲だったからこそ、バートンとヴォルトは笑いを必死で堪え、粛々と礼儀に沿ったお辞儀をする。
さすが貴族社会のマナーを身に着けているだけある。
とはいえ、二人の肩は見事に震えている。そのうち仰け反って笑いだしそうな雰囲気だ。
エヴァンもなんとなく小恥ずかしくなって、頬を掻く。
「本当、久しぶりだな。
どうだ? 慣れたか?」
ルシアンの目尻が思わず下がった。
「ボチボチです。
爵位を譲渡されてすぐ、先日の大雨で川が氾濫して少々大変でしたけどね」
エヴァンは肩をすくめた。
「そうか。
でも、乗り切ったんだろ?」
「はい。お陰様で。
ルシアン様たちも魔物討伐お疲れ様でした。
中央から連絡は来ております。
なにぶん急な魔物討伐だったとかで」
ちらっとエヴァンは、バートンに背負われている御者を見た。
「重症者が一名出たと聞いております」
「ああ、そうなんだ。
彼の止血は済んでいる。
だが、出血も多い上に、所々骨折している可能性が高い」
ルシアンが抑揚なく言うと、エヴァンは初老の執事に顎をしゃくって合図をした。
「では重傷者の方は、この執事フィルロがご案内させますね」
フィルロが一歩前に出て、恭しく胸の前に左手を当て、お辞儀をした。
「初めまして。
フィルロと申します。
騎士のお二人はこちらにお願い致します」
怪我人を背負ったバートンはフィルロの案内に従い歩き進め、ヴォルトは移動する前にエヴァンにローゼルが運んできた分厚い封筒を渡した。
「こちら、ゴルマン伯爵宛とのこと。
先にお渡しいたしますね」
互いに懐かしい顔同士、頬が緩む。
「ありがとう」
エヴァンがお礼を言うと、バートンはルシアンに目配せし、フィルロと先を歩いていくフィルロの後を追った。
「エヴァン、あとで他の騎士たちもこちらに合流する予定だ。
彼らの対応も頼みたい」
「はい、承知しておりますのでご安心を」
毅然と返事をしながらも、エヴァンはルシアンが抱きかかえるローゼルが気になるらしい。
何度もローゼルの眠る顔を覗き込もうとする。
ルシアンはなんとなく彼女の寝顔を独り占めしたくて、それとなくエヴァンに見せないよう抱き直した。
「ルシアン様、お疲れでしょ?
ローゼルちゃんは俺が預かりますよ」
エヴァンがにこやかに両手を広げた。
「いいって。俺が運ぶ」
「いえいえ、とんでもない。
ルシアン様は先に俺の執務室でどうぞお待ちください。
この侍女が部屋までご案内いたします」
「結構。俺が運ぶから気を使うな。
それに、彼女、ようやく様子が落ち着いてきたんだ。
ここで運ぶ人間が変わって目を醒ましたら可哀想だろ?
それよりも彼女は魔物たちと戦って軽い貧血と急性魔力欠乏症を起こしている。
回復魔法が出来る者がいれば手配して欲しい」
「え⁉」
エヴァンはぎょっとし、すぐさま真面目な顔つきになった。
「それは大変だ。
承知しました。
では、体力回復のポーションとハーブティー、簡単な栄養食を手配しましょう」
たちまち優秀な伯爵になったエヴァンは、すぐさま侍女長の中堅の女性を呼び寄せ、指示をした。
「では、ルシアン様。こちらへ」
エヴァンはルシアンを屋敷に案内した。
だが、その顔は不服そうだ。
ルシアンは部屋までの道中、エヴァンにせがまれるまま、一連の魔物討伐の話をする。
「へえ、ローゼルちゃんって、攻撃魔法も使えたんですね」
賓客室へ移動する間、エヴァンは驚いたように呟いた。
「ああ。そのようだ。
魔法を使えるのは知っていたが、あそこまで攻撃魔法を連続で使えたことには驚きだったね。
まあ、彼女が魔法を使えなかったら今頃魔物に殺されていただろうから、不幸中の幸いだった」
「本当ですね」
エヴァンはほっと胸をなでおろした。
ルシアンは自分の腕の中で眠るローゼルに、そっと視線を落とした。
彼女はやはり魔術師向きだ。
なにせ彼女は今回平然と何もないところから水を生成していた。
無から有機物を発生させる。
あれは間違いなく上級者しかできない魔法だ。中級者以下はその場に水がなければ水魔法は使えない。
「なあ、エヴァン。
なぜ女官の彼女がゴルマン伯爵領まで足を運ぶことになったんだ?
本来なら道中の危険を考慮して男文官に行かせるものだろうに。
経緯がよく分からない」
ルシアンが憮然として尋ねると、エヴァンは恥ずかしそうに頬を綻ばせた。
「ああ、実は、俺が頼んだんです」
「お前が?」
「はい。彼女、半年間、財税省経理局のお手伝いで働いていたこともあるそうで、その彼女にこの度の水害に向けた予算修正の計算方法をご教示いただこうと、ライアナース大臣に依頼いたしました」
「ほう」
「ですが、まさか魔物が出没するなんて……。
ご教示頂くのはまたの機会にいたします」
残念そうにエヴァンは呟くが、ルシアンはかつての弟子の腹積もりをなんとなく察した。
「エヴァン、さてはお前。イースティリア女官にお近づきになるために、わざとライアナース卿に出張を打診したな」
「えっ」
ぎくっと肩を震わせた。
「その反応、やっぱりそうか。
おかしいと思ったんだ。
いくら彼女が優秀とはいえ、わざわざ出張させてまで法律可決草案書を運ばせるのは。
絶対裏があると思ったんだよ」
「裏だなんてとんでもない!
下心はありませんよ!」
迫りくるルシアンにエヴァンは慌てて、両手を振った。
「その、水害の影響で多忙で登城する時間も惜しい、というか、そのことをライアナース卿にお手紙で書いたら『イースティリア女官を向かわせる』って返事をくれたんで……」
へらっと恥ずかしそうにエヴァンは笑った。
なるほど、彼女の上官ライアナースの仕業か。
タヌキめ。
そういえば、ライアナース伯爵と彼女の婚約者の実家ウルーム伯爵とは昔から仲が悪かった。
恐らく、ウルーム伯爵子息の数々の浮名と、先日開催された王城での夜会で起きた乱暴狼藉が相まってライアナース伯爵は腹に据えかね、エヴァンとの仲を取り持とうとしたのだろう。
とはいえ、ローゼルが苦手とするエヴァンを差し向けるとは。
まったく、お節介というか余計なことをしてくれたもんだ。
(何のために俺が彼女との恋物語風の噂を流したのか)
あれは、ローゼルがこれ以上貶められないように流した噂だ。
ルシアンの中で焦燥感ともとれるモヤモヤした苛立ちの感情が駆け巡った。
思わずローゼルを抱きかかえる腕にぎゅっと力がこもる。
腕の中でわずかにローゼルが身動きをした。
その寝顔を見、ルシアンはハッとした。
(俺も所詮同じだ。何を高潔ぶってんだか――)
思わず自嘲する。
噂を流した本当の目的は、婚約者不在の官僚や騎士たちが、婚約者に裏切られて傷ついた彼女にむやみやたらに言い寄るのを防ぐため。
守るための噂だったはずなのに、結局は自分のためだ――。
そう考えると、あまりエヴァンもライアナースも責めることなんてできない。
「とにかく、死者が出なくて本当によかったですよ」
エヴァンは、急に黙るルシアンに驚き、取り繕うように明るい声を出した。
「ああ、そうだな。
けど、エヴァン。
残念ながら王都付近の街道に出没したから魔物対策を練らねばならない。
魔法が使えるとはいえ、今後官僚が出張するのは控えるよう通達を出すつもりだ」
硬い口調でルシアンが言うと、エヴァンは重々しく頷いた。
「そうでしょうね。
この辺にも『魔力漂う地』はありますが、王都の結界の恩恵も厚く、小物の魔物すら何十年も出没したことない地域です。
それなのに出没したって、なんだか奇妙で不可解で不気味ですよ」
エヴァンが顔を歪めた。
「そうだな。街道近くの農村部にも注意を促して欲しい。
魔法騎士団として、近隣の村には第5魔法騎士団を派遣している」
「さっそく手配いただき、ありがとうございます。
こちらも早々に原因追及と対策をしなければなりませんね。
商人たちなど街道を通らなくてはならない者たちのためにも、注意を促す立て看板を立てます」
「ああ、それがいい。
各ギルドにも通達をしておいてくれ。
ランクの低い冒険者たちではひとたまりもない」
「そうですね」
客室まで辿り着いたのか侍女が、ひとつの扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
部屋は広く豪華な造りだった。
窓も大きく、日当たりのいい部屋だ。
ベッドには天蓋が取り付けられ、ちゃんとベッドメイキングされている。
ベッドにローゼルを横たわらせると、メイドが彼女の靴を脱がせ、それから肌触りの良さそうな薄い毛布をかけた。
「しばらくすれば回復魔法を使える術師が来るはずです」
エヴァンがローゼルを心配そうに見つめて言った。
「そうか」
ルシアンは眠るローゼルの顔にかかる前髪を優しく払いのけた。
顔色がまだ良くない。
「ルシアン様」
「なんだ?」
「イースティリア女官に入れ込んでいるのは、俺よりもルシアン様の方じゃないですか?」
「は?」
ルシアンはバッと顔を上げて、エヴァンを見た。
一見穏やかそうに見えるエヴァンの表情だが、目の奥は全然笑っていない。
むしろ、怒りが含まれ、頬もなんだか強張っている。
「何を言っているんだ。俺は、その……」
「その手、他のご令嬢にはそんな優しいこと、したことありませんよね?」
ルシアンはエヴァンに指摘され、慌てて手を引っ込めた。
しまった。
エヴァンはぐいぐい距離を縮める。
「俺、分かってるんですよ」
「な、何がだ」
「隠しても無駄です。ルシアン様は師匠であり、俺の憧れなんです。
師匠の真似ばかりしてたら、当然弟子は師匠の考えくらい分かります。
ルシアン様、彼女のこと、好きなんでしょ?」
「え?」
「さあ、白状してください。
先日の舞踏会でも三曲立て続けにローゼルちゃんと踊ってましたし、しかも正義のヒーローみたいにレオーネ・ウルームの暴行から救い出した。
いつもなら、関わりたくないからと他の騎士に行かせますよね?
それなのに、自ら出向かれ、以前からローゼルちゃんに懸想していたなんて都合のいい噂を流して――」
驚くほど詰問調のエヴァンに気圧され、ルシアンは思わず視線を宙に泳がせる。
「えっと……だな」
まずい、俺の行動すべてエヴァンに見透かされている。
ルシアンが言葉を詰まらせると、エヴァンは追い打ちをかけるように声を荒げた。
「けど、俺は師匠みたいに娼婦に通って欲求を解消したりはしません!
ずっとずっとローゼルちゃんに一途なんです!」
「いや、娼婦館に行くのは情報収集の側面もあって……」
ルシアンは言葉を濁した。
「もし、ローゼルちゃんに対しても娼婦たちのような振舞いをするようなら、絶対に師匠であっても許しません。
ただでさえ、彼女の婚約者は男の風上にも置けない浮気野郎なんですよ」
ルシアンは苦笑した。
エヴァンは、このとおり、真っ直ぐな性格だ。
だが、如何せん純粋すぎて、真面目過ぎるきらいがある。
(参ったなあ)
「とりあえず場所を移動しないか?
さすがに体調不良で寝込んでる女性の前で話し込む内容ではない。
ただでさえ、彼女は使い慣れていない攻撃魔法を限界すれすれまで使ったんだ。
ほら、まだ顔色だって良くない」
「あっ……」
エヴァンはローゼルの顔色を見、また侍女からも非難めいた冷たい視線を浴び、気まずそうに頭を掻いた。
「そうですね。失礼しました」
気恥ずかしそうにエヴァンは呟き、侍女にローゼルが目覚めるまで側にいるよう指示した。
そして名残惜しそうに眠るローゼルを見つめた。
部屋を出て、エヴァンは自分の執務室へ案内する。
「で、どうなんですか?
本気なんですか?」
しつこくエヴァンはルシアンにさっきの質問をぶつけてきた。
「まず、お前は何を勘違いしているんだ?
確かに、俺は娼婦館に通ってはいる。
だが、それにはちゃんとした目的がある。話しただろ?
王都郊外の娼婦館は代々魔法騎士団の上層部が情報屋のひとつとして利用しているって。
まるで、俺がそこの娼婦に入れ込んでいるような言い方はよしてくれ。
誤解を生む」
精一杯の嫌味を込めて答えると、エヴァンがすっと引くのが分かった。
エヴァンは不貞腐れた表情で、視線を泳がせる。
「そりゃあ、下町やスラム街など、アングラな連中が群れを成しやすい情報はたいてい女と酒、多少の賭博ができるところに集まりますよ。
裏社会の情報収集は軍部には欠かせません。
情報収集にかこつけて、現にそこで発散させてるじゃないですか」
さっきまでの勢いから一転、嘘のように弱々しい。
「しかたないだろ。
みんな、お前みたいに器用に魔力量を調整できるわけじゃないんだ」
ルシアンはため息をついた。
娼婦館に通う理由――令嬢の前ではご法度な話だが、性欲の強さ=魔力量と対になっていることもあり、あそこは魔力量が膨大すぎる一部の魔法騎士たちの性欲とストレス発散の場だ。
「魔法騎士は日々大きなプレッシャーやストレスに晒されているせいで、俺みたいに魔力量が膨大な者ほど危うい魔力を自分で調整できないことが多々ある。
好きでもない女を抱くのは趣味じゃないが、これは自身の健康のためだ」
ルシアンは疲れたような笑みを漏らした。
とはいえ、実際、そこで選ぶ女も小柄な女ばかり。
けれど、そこに教養や知性も、ましてや品性なんてものは求めない。
あそこは、情報を貰うと同時にその欲を発散して、有り余る魔力を放出するだけの場所。
中には娼婦に熱を上げる騎士もいるが、そこは別物と割り切っているし、娼婦の彼女らもそれをちゃんと分かっている。
それでも、真面目で純粋かつ、潔癖、器用に魔力量を調整できるエヴァンからしてみれば、俺が娼婦で発散させることは卑猥で下衆な行為に映るのだろう。
だからって、魔力に溢れ返って苦しむことのない彼に、この気持ちを無理に理解してもらおうとも思えない。
魔法は奇跡の力だが、万能ではない。
その恩恵とともに、その力には必ず副作用が伴う――。




