第29話 鬼軍師の無自覚な特別枠
不気味な魔物たちが火だるまになり、燃え上がった。
ルシアン・クレインバールは気を失っているローゼル・イースティリアを抱き留め、乱れた前髪をそっと直した。
(よかった。息はしているし、外傷もない)
だけど、顔色が優れない。
恐らく急激に魔力を消耗したため、急性魔力欠乏症を起こしているのだろう。
ルシアンはハンカチを取り出して、ローゼルの涙を拭う。
「ルシアン様、これ、おかしいですよ」
トーマスの顔色が青ざめた。
その視線の先は、燃え盛る魔物たち。
ルシアンは眉をひそめた。
「ああ、これは異様だな」
ふつう魔物が燃えるとき、肉体が焼けるのではなく、体内に残る魔素や瘴気が炎に反応して青や緑など炎の色が変化する。
燃焼は浄化の象徴。
彼らの魔素が消え去った証拠だ。
それがこの魔物たちは違う。
一瞬、緑と青色の混ざったような色の炎が立ち上がったものの、すぐに赤々と燃え盛り、実際に人間が火だるまになった時と同じだ。
皮膚の焼ける匂いが鼻を突き、肉の焦げる音が耳に纏わりつく。
「俺たちが倒したのは魔物――ですよね?」
トーマスが自問するかのように尋ねた。
「ああ。あれは間違いなく魔物だ」
ルシアンは強く頷いた。
それでも違和感が残る。
魔物であるはずなのに、その燃え方はあまりにも人間的で、ルシアンの心に恐怖と嫌悪を刻み込む。
「今回の遠征、テラリスも同伴しているよな?」
ルシアンは騎士団員を見回す。
トーマスも目でテラリスを探しながらも、目の前の異様な炎に釘付けになっていた。
「はい。来ているはずです。テラリス主導で検分させます」
「そうしてくれ」
そんな二人の傍らで倒れ込んだ御者への治癒魔法が施されていた。
「御者の治療はあとどれくらいかかりそうだ?」
「はい。まもなく応急処置は終わります。
ですが、出血が多いので、どこかに休ませる必要がありますね」
炎は収まりつつあった。
「そうか。とりあえず飛行魔法で女官殿と御者を連れて急ぎエヴァン・ゴルマン邸に行くしかないな。
トーマス、俺と共にくるメンバーを二名選出してくれ。
一人は御者を、もう一人はイースティリア女官が持っていた文書一式を持って欲しい。
恐らく書類は座席下の二重底のところにしまってあるはずだ」
「え? 二人選出でいいんですか?
だって女官殿は?
三人必要では?」
「いいや、女官殿はこのまま俺が連れて行く」
ルシアンが無表情で言うと、トーマスはぽかんとした。
「なんだ、変な顔をして」
ルシアンはトーマスの表情に憮然とする。
「え、そりゃあ変な顔にもなりますよ」
「何故?」
「何故って……。
そりゃあ、ルシアン様が自分からご令嬢を連れて行くなんて前代未聞ですから」
「そうだっけ?」
「そうですよ!
いつも令嬢たちと絡むのは最低限に留めて、令嬢の相手は俺たちに任せっぱなしだったじゃないですか?」
「まあ、今回は特別枠だ。
ほら、早く二人、同行騎士を選べ」
トーマスは「んだよ、調子狂うなぁ」とボヤきながら、頭を掻きつつ、人選した。
「バートンとヴォルトを連れて行ってください。二人は治癒魔法が使えますし、飛行魔術中でも一種類だったら魔法を使えます」
飛行魔法を維持しつつ、安全に移動するには高度な技術が必要だ。
特に急激な敵襲に備え、防御や攻撃魔法を瞬時に発動しなくてはならない。
地上よりも繊細な操作が求められるのだ。
「うむ、なかなかいい人選だ、トーマス」
「なんでしたら、どちらかに女官殿を託し、文書はルシアン様が持って行ってください。
その方が何かあったとき安全です」
「いや、女官殿は俺が運ぶ。
ほら、見ろよ」
ルシアンは少し屈んで、抱きかかえているローゼルの顔色をトーマスに見せた。
「急性魔力欠乏症でぐったりして可哀想だ。
一番安定感のある俺が運んだ方がゆっくり休めるだろ?」
「それだったら、重症の御者を運んであげてくださ……」
「あ?」
恫喝めいたルシアンの声にトーマスは肩をぶるっと震わせた。
「いや、なんでもないです」
トーマスは首を左右に振った。
***
おいおい、これって、マジであれか? あの噂は本物かよ?
トーマスは、ちらっとルシアンの整った横顔を盗み見る。
最近宮中でもっぱら流れている噂がある。
それはルシアンが密かにローゼル・イースティリアに懸想しているというものだ。
けど、トーマスはあんな噂を信じていない。
どうせ、あながち恋物語好きの令嬢や貴婦人たちが作り出した妄想的な噂だ。そう高を括っていた。
だいたい世間は天下の鬼軍師ルシアン・クレインバールを知らなさすぎる。
どれだけ美しい女性に迫られても見向きせず、それどころか貴族のしがらみを嫌悪し、礼儀正しい言動とは裏腹に、冷ややかでそっけなく関わりたくないと露骨に一線を引く。
(特に彼は自分の顔立ちの良さだけを目当てに群がる令嬢が嫌いなんだよなぁ)
顔が良いのは適齢期の男女には最大の魅力なのに、ルシアンはその才能を無駄遣いし、毛嫌いしている。
最近は美姫三姉妹と呼ばれるグロウディーナ公爵姉妹の末娘が、彼の顔面に一目惚れし、公爵家令嬢というのを盾に正式に縁談を迫っている。
だが、これは藪蛇だった。
普通の男ならたちまち虜になるような愛らしい表情と仕草も、ルシアンという男にとっては嫌悪の対象でしかない。
露骨に全身全霊で拒否した態度で示す。
それなのに、ナディア嬢は諦めない。
その鋼のメンタルにはある意味称賛に値するが、騎士たちは正直冷や冷やものだ。
彼女の非常識な振舞いはもちろんのこと、彼女がルシアンに付き纏うと、途端にルシアンの機嫌が悪くなる。
そして、訓練は八つ当たりのごとく、かなりハードで辛いものになる。
しかも、決まって翌日は激しい筋肉痛だ。
そこで動きが鈍いと、より過酷なトレーニングメニューが追加される。
(俺はてっきりこの人に感情ってものが欠落していると思っていたけど……)
そんなルシアンが、自ら倒れた令嬢を介抱している。
しかも、さっきから自分のハンカチを取り出して、甲斐甲斐しく汗を拭き始めているではないか。
トーマスはますます唖然とした。
(ありゃあ、相当だな)
あの顔で浮いた話が全然ないから、一時期男色家なのでは、という噂も流れたほどだ。
だが、あの人は令嬢嫌いなだけで男色家ではない。
それはトーマスたち団長がよく知っていた。
(ああやって見ると、ふつうの男なんだよなぁ)
トーマスはぽりぽり頭を掻きながら、他騎士に指示を出すルシアンを眺めた。
その逞しい太い腕に大事そうに抱えられているイースティリア女官。
確かに、イースティリア女官は子リス女官と揶揄されるぐらい小柄で可愛い。
ちょっと痩せ気味で若干不健康な青白い顔色だが、それを差し引いても元がいいから、マッチョ集団の男騎士たちにはかなり好印象だ。
(あれは完全に血筋だよなぁ)
若かりし頃、超絶美男子だったといわれるイースティリア子爵。
彼女の兄アルバートも超絶イケメンであり、美形家族としても有名である。
俺の好みはグラマラスな女性だから、他の騎士のように彼女を好ましいと熱をあげることはないけど……。
(アイツ、この図見たら、発狂するぜ)
元騎士で、いまや一国の伯爵様となったエヴァン・ゴルマン。
エヴァンが騎士だった間、こっちが引くほど彼女に熱を上げていた。
といっても、彼がどれだけ言い寄ってもあの子は常に塩対応。
そればかりか、最終的にエヴァンの凄まじい熱量にローゼルは怯え、嫌悪感を漂わせていたぐらいだ。
まあ、当然だ。
王城の執務塔では、彼の毎日続く公開プロポーズは一種の見世物、もとい、名物になっていたぐらいだ。
あれは、マジで恥ずかしい。俺があの子だったら平手打ち、一発はお見舞いしているね。
先日の夜会だってエヴァン・ゴルマンは一度もローゼルとダンスをしてもらえてない。
その点、ルシアンはどうたらし込んだのか、イースティリア女官と三曲も連続で踊った。
イースティリア女官は婚約者がいるから、他の男と踊ることを頑なに拒み続けていることでも有名だった。
トーマスは夜会でルシアンとローゼルがダンスをする姿を思い出す。
あれはあれでなかなか美しい光景だったよなぁ。
密かに子リス女官に想いを寄せていた騎士たちもエヴァンも、ローゼル嬢とダンスを楽しむルシアンに、「抜けがけだ」「横取りしやがって」と最初こそ悔しそうに腹を立てていたが、最終的に羨望の眼差しで二人のダンスを眺めていた。
こうやって、ルシアンが倒れたローゼルを介抱する姿だって美男美女でなかなかお似合いだ。
だけど、世の中美醜云々とは関係のないところで、面倒なバランス感が大事だ。
まず、身分差。
次期辺境伯と子爵令嬢、軍部上層部の一人の軍師閣下と一介の女官
サイズ感だってまるで大型狼と子リス。
年齢だって八個も離れてる。
フィーリングとかの問題は、まあ三曲も踊り続けるくらいだ。
そこそこ気が合ったのだろうけど。
(本当、どうするつもりなんだろう)
いずれにしても、あの軍師は狙った獲物は逃さないだろう。
軍部最高司令官である総帥の参謀であり、軍の頭脳。
ありとあらゆる知略と戦略に長け、時には謀略を画策し、数々の戦争では自ら先頭に立っては、兵士の士気を上げて国を勝利に導いた。
ルシアンが本腰を入れたとなったら、彼女の逃げ道は間違いなく閉ざされる。
(ああ、可哀想に。早々に手籠めにされて、死地と恐れられる辺境の領主の正妻にされるんだろうなあ。って、俺が心配してもどうしようもないか)
トーマスは吹っ切った顔でルシアンに言う。
「後はお任せください。
追々、詳細をご報告いたします」
「ああ。――念入りにな。
何か嫌な感じがする」
ルシアンの端正な顔が歪む。
「同感です」
トーマスは焼き爛れた魔物の痕跡に視線を落とす。
「今までにない気持ち悪さっていうか、不気味さがありますね。
生理的に受け付けないっていうか――」
肌が粟立つほどのおぞましさと嫌悪感。
それはここにいる全員同じように感じている。
ぞわぞわ背中に差し迫るようなグロテスクな造りの魔物と群れを成して人を襲う魔物たち。
数々の魔物討伐で一度も遭遇したことのない現象だった。
トーマスは自分の腕をさすった。
たぶん、あれは禁術の類に属する生き物だ。
禁術に詳しいテラリスをルシアンが咄嗟に探したのは、彼もそう思ったからだろう。
一瞬、沈黙が降りた。
「あれが国境辺りで出没した魔物の同種類かもしれないんだよな?」
ルシアンは暗い声で尋ねた。
「はい。だからこそ余計この場を徹底的に調査するしかありません。
でも、それよりもアレに近いなあと思いました」
「アレ?」
「ええ。『秘密結社 黒の杖』のアジト。
あれの呪具人形です。
アレにそっくりじゃないですか?」
ルシアンの顔色が強張る。
「お前もそう思ったか」
「はい。あんな強烈なお下劣残忍人形、一度見たら忘れられません」
トーマスは肩をすくめた。
「まあ、そうだな。
この魔物も同様だ」
「ですね。どちらにしろ国境付近で目撃した魔物と同一かどうか。
あと、『秘密結社 黒の杖』のこともひっくるめて確認しておきますよ」
「ああ、頼む」
「はい。任せてください。
イースティリア女官と御者の怪我の処置、よろしくお願いいたします」
トーマスは敬礼し、他の部下たちも示し合わせたように敬礼した。
ルシアンはぎゅっとローゼルを抱きかかえ直して、バートンとヴォルトに「行くぞ」と声をかけ、飛行魔法の詠唱をした。
トーマスはルシアンたちが飛び立つ姿を見送った。そしてトーマスは手を下ろして、部下たちに指示を出し、魔物調査を開始したのだ。




