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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第3話 お酒と笑顔と、甘い夜と、月

 ローゼルは立て続けに三曲もルシアンと踊り続けた。ダンスを終えると、上気して頬が薔薇色に染まる。


 どうしよう、すごく楽しかった。


 ローゼルはルシアンに満面の笑みを向けた。

 ルシアンもローゼルだけに甘やかな笑顔を返す。


 ドキッと胸が高鳴った。


(もう、この人、自分の美貌を分かってるのかしら……)


 周囲の女性たちからも、黄色い歓声が上がる。

 滅多に人前で見せない彼の笑顔は、稀少で強烈だからだ。

 心臓に悪い。


 けれど、ローゼルも他の女性たちと同じでこの笑顔に眼が吸い寄せられてしまう。

 ちょうど三曲目を終える頃。


「あら、あれは……」


 ちらちらと纏う粘っこい糸のような周囲の視線が、ローゼルたちから違う方向に注がれ始めた。

 レオーネが水浸しの衣装から着替えて大広間に戻ってきたのだ。

 その直後、華やかなドレスに着替えたソフィアも姿を現す。


 ローゼルに見せつけるかのように、ほぼ同時タイミングの衣装チェンジ。


 案の定、噂好きの貴族たちは目敏く気づいた。

 恐らく明日あの二人の関係が社交界に広まるはず。


(私、またいい笑い者ね……)


 ローゼルは、平静を装いながらも心が重くなった。

 そんな状況をルシアンは察知したのか、優しく声を掛ける。


「イースティリア嬢、バルコニーにでも行って休もうか」


「あっ、はい」


 ルシアンは素っ気ない表情で、しれっとレオーネをローゼルの視界に入れないように間に立った。


「え?」


 顔を見上げると、艶然とした笑みを浮かべたルシアンが見つめ返していた。


「ダンス、楽しかったな」


「あ、はい。すごく楽しかったです」


 ルシアンはローゼルをそのままバルコニーへエスコートをした。

 それでいて、うるさい外野も気にならないくらい話をさりげなく振る。


「これでも夜会で踊るの、数年ぶりなんだ」


「そうなんですか? 

 すごくお上手でしたよ」


「それ、本音?」


「はい。本音も本音。

 お陰でステップが上手く踏めました」


「あはは、それは光栄だな。

 でも、そのままそっくり言葉を返すよ。

 イースティリア嬢が俺のリードに合わせて自然に身を預けてくれたからだよ」


 驕ることなく謙虚な台詞(せりふ)

 そして、麗しき笑顔。


(んー! 完璧なエスコート)


 ルシアンに、ローゼルは心から好感を持った。

 胸を躍らせ、鼓動が早くなる。


 もし、あのままレオーネの姿を見たら、「ああ、やっぱり」というがっかり感と、怒りを通り越した虚しさが込み上げただろう。

 それどころか、あまりの惨めさにいたたまれなくって、貴族たちの好奇な視線に耐えられなかったかもしれない。


「そうそう、この前はお疲れ様」


 ルシアンが言った。


「この前って……。

 皇族会議のあの件のことですか?」


「そう。あの時が初めてだよな。

 俺たちがああいうふうに一緒に仕事をするのって」


「そうでしたね。

 あの時は、ものすごくドキドキしました。

 ふだん武官の方とお仕事でお話することないんで」


「そうだよな。

 魔法省は行き交うこともあるが、君が所属している法務省はなかなか縁遠い存在だ。

 そうそうお互い関わることがない」


 ルシアンがしみじみと頷く。


 ルシアンは騎士だ。そして、軍部上官。

 

 一応、ローゼルは女官として働いているので、大貴族には慣れている。

 皇帝陛下とは直接お話することなくとも、何度も会議で顔を合わせているので、特段緊張もしなくなった。


 けれど、常に殺気を纏う武官は、少し違う。

 彼らから放たれるプレッシャーは異質だ――。


 バルコニーに出ると、ダンスで火照った体に涼しい夜風が心地よく触れる。

 気持ちいい。


 ローゼルは手摺を握って空を見上げた。

 月が煌々と頭上で輝いていた。


 キレイだなぁ。


 おかしなもので、さっきレオーネとソフィアの逢引現場で見た庭園の月とは全然違う月のように見える。


「イースティリア嬢。

 改めて、あの時は本当にいろいろ協力してくれてありがとう」


 ルシアンが改まった声で言った。


「いいえ。こちらこそ」


 ローゼルは首を振った。


 あの時――。

 そう、あれはまさに緊迫した事態だった。


 研ぎ澄まされた物々しい雰囲気。

 正直おっかないと思った。


 けど、いまは全然違う。


 柔らかな雰囲気に優しい声。

 ふだん冷たい美貌で、近寄り難いのにやけに甘く、熱い眼差し。


「たまには夜会に参加するのもいいな」


「そうですね」


「イースティリア嬢は、どうしていつも参加しないんだ?」


 ルシアンが気遣うように、優しい声音で尋ねた。


「お仕事の方が実利があるからです」


「仕事?」


 ルシアンはぽかんとした。


「はい。お仕事は裏切りません。

 残業した分だけちゃんとお金も貯まります」


 言い切るローゼルに、ルシアンはくすっと笑った。


「まあ、確かに」


 ルシアンはローゼルの隣に並んで手摺にもたれかかった。


「すごいよね、君は。

 そこまで貪欲に仕事熱心になれるなんて。

 たいていの令嬢たちは、女官なんて頭を使う仕事を敬遠するのに」


「たぶん、私は性に合っているんです。

 領地でも、兄と一緒に父のお手伝いで領地運営をしてましたけど、なんだか楽しかったんです」


「へえ」


 ルシアンが興味を持ったように片眉を上げた。


「こう見えてもわりと計算も得意で、帳簿の一部を任されてたんですよ」


「それはすごい」


「だから、お仕事、大好きです」


「あはは、なんだそれは」


 ルシアンは顔を綻ばせて、耐え切れず声を上げて笑った。


「だから、すごく久しぶりなんです。

 こんなに楽しい夜は。

 クレインバール卿、ダンスに誘ってくださり、ありがとうございます。

 お仕事、休んできてよかったです」


 目をキラキラさせてローゼルが言うと、ルシアンは瑠璃色の瞳を見開く。

 それから、ふと苦しげに顔をしかめた。


「本当に……」


 ルシアンの柔らかく細められたその瞳に、温かな色がこもって静かに視線を落とした。


 次の瞬間、ローゼルの腰を引き寄せてそっと抱きしめた。

 柑橘系の爽やかな香りがローゼルの鼻孔をくすぐる。


(ち、近すぎる)


 ダンスしていたときと全く異なる距離感。

 彼の雄々しさを感じずにはいられなかった。


 胸板は厚くて広い。

 間違いなくこの人は日々鍛錬を重ねている軍人だ。

 だけど、温かい。


「また次回の夜会でも踊ろう。

 そして、ドレスを必ず贈るから。ね?」


 ルシアンが少し屈み、耳元で囁く。


 ローゼルはますますびっくりして、身体が硬直した。


 ルシアンの瑠璃色の双眸に思わず吸い込まれそうになる。

 鼓動が早鐘を打ち始め、みるみるうちに頬は紅潮し、よく熟れた林檎のようになった。


「イースティリア嬢?」 


 恥ずかしくてルシアンの視線から逃れるようにローゼルは俯いた。

 全身が火照ってカッカする。


 これはダンスのせいだけじゃない、動悸もやけに早まって、うるさくて煩わしいほど大きく鳴り響く。


「可愛いな。本当に」


 ルシアンはローゼルの頭を優しく撫でた。


「俺は飲み物、取ってくるよ」


 ルシアンはすっと離れた。


「イースティリア嬢、酒は飲める?」


 酒!


 ローゼルは弾けるように顔を上げてルシアンを見た。


「はい、大好きです!」


「ふっ、その見た目で酒好きか」


 ルシアンは吹き出した。


「はい、私はお酒が大好きですよ。

 クレインバール卿は?」


「俺? 俺ももちろん、大の酒好き」


「ふふ、お揃いですね」


 ローゼルのはしゃぐような笑顔にルシアンもつられて笑顔になる。


「んじゃあ、今度飲みに行くか?」


「いいですね、それっ」


 ローゼルは嬉しくなって歓喜の声を上げた。


「じゃあ、約束。

 飲みに絶対行こう」


 ルシアンはそっと小指を差し出す。


 ローゼルは意外な面持ちで彼を見上げた。

 怖い武官で騎士団長が、まさか子供だましのような指切りをしようとするのが意外だったからだ。

 でも、それがやけに人間味があって親近感が湧いた。


「はい。約束です」


 ローゼルは大きくて骨ばった小指に、自分の小指を絡めた。

 柔らかな微笑みを浮かべると、ルシアンは砕けたような笑顔を見せた。

 どきん、と胸が甘く疼いた。


「そういえば、今宵は皇帝陛下の大好物の高級シャンパンが振る舞われるはずなんだ。いる?」


「いります!」


「年代物のワインもあったけど、どうする?」


 ワインはすでに飲んだ。


「そんな話を聞いたらシャンパンがいいに決まってます」


「あはは、素直だな」


 その時、ルシアンは優しい表情でローゼルの頬に手を添えた。

 触れられた頬からルシアンの熱が伝わってきて胸がざわざわと騒いだ。


 大きな手。


 父よりも兄よりも、レオーネよりももっと大きくて温かい――妙に甘酸っぱくてくすぐったい、落ち着かない。


 互いの瞳に互いの姿が映り込んだ。


 大広間のオーケストラが新しい曲を演奏し始め、二人同時にはっとする。


「シャンパンね、うん、それじゃあ、ちょっと待ってて」


 ルシアンは広間に身を翻す。

 と思ったら、こっちを振り返った。


「勝手にどこか行くなよ。

 今晩は俺がエスコートするんだからな」


 勢いよくルシアンは宣言する。

 ローゼルはくすっと笑った。


「はい、お待ちしてます」


 ルシアンはそのローゼルの笑顔に満足をして、大広間に颯爽と戻っていった。

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