↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/85

第2話 望まない女に、望まれること

 壮麗なる宮殿の広間は、光の洪水で溢れていた。


 ローゼルを優しく引き寄せる逞しい腕。

 白くて眩しい世界に戻ったローゼルは、目を細めた。

 だけど、彼だけの輪郭がはっきりとしていた。

 

 優雅な音楽の旋律が一層ローゼルに、広間の華やかさと不思議な一体感を与えてくれる。

 ローゼルは、自身の鼓動が耳元でうるさく鳴り響くのを感じていた。


「今日のドレスは婚約者が選んだのか?」


 踊りながら、ルシアンはローゼルに尋ねた。


「いいえ。恥ずかしながら婚約者から贈り物は一度もなく、これは義母のお古をリメイクして着ています」


 しばらく間があった。


「え? じゃあ、宝石とか贈られたことは?」


 ルシアンは怪訝そうに眉をひそめる。


「宝石? そんな高価なものは一度もありませんよ」


 あっけらかんと答えるローゼルに、ルシアンは目を瞬いた。


「……それは、――本当か?」 


「はい。婚約して十年経ちますが、一度も貰ったことありませんよ」


 ルシアンの奇妙な間が気になりつつも、ローゼルは曖昧に微笑んだ。


「私に興味ないんです、彼」


 ローゼルが言い切ると、ルシアンは目を見開いた。


「だからって、そこまで蔑ろにされて腹立たしくないのか?」


 その声は礼儀正しく知性に溢れたものだったが、どことなく苛立ちが含まれていた。


 ルシアンの反応はもっともだ。


 婚約すれば、男性側が何かしら婚約者に贈り物をする。

 宝飾品やドレス、流行りのお菓子とか花を手紙に添えたりして。


 贈り物は婚約者をその家門に迎え入れる体制が整っていると暗に示すものだ。


 けれど、レオーネは一度も贈ってくれなかった。


 むしろ、あちらの父親であるウルーム伯爵が気を遣って何かと贈ってくれるぐらい。


 義父になるだろうウルーム伯爵は、幼い頃からローゼルを実の娘のように可愛がってくれた。

 今夜そのウルーム伯爵は参加していないようだが、顔を合わせればいつも優しい言葉をかけてくれる。

 そのお陰か、レオーネの妹シリルとは大の仲良しだ。


 だからこそ、かえって虚しくなる。


――どうせローゼルとは一緒になるんだ。

 婚約期間中に贈り物をしても意味がないだろ。


 どうせ。これが彼の口癖だ。


 レオーネは婚約者としてのマナーを欠きながら、それを正当化している。

 表面上は婚約者を演じ、だが態度は所有物のように扱う。


「私、レオーネに期待するのはもう疲れました。

 望むことを辞めました」


 ローゼルは力なく呟く。


「望むことを?」


 ルシアンが訝しむように尋ね返した。


「はい。所詮私は家同士の結び付きを強めるだけの『駒』にすぎませんから。

 貴族の結婚なんてそんなものじゃありませんか?」


 へらっと虚しさを誤魔化すために笑った。


「だからって。……あのなぁ、イースティリア嬢はもっと怒っていいんだぞ」


 ルシアンの方が分かりやすく苛立ち始めた。


(だよね、そうだよね、そういう反応来るよね)


 それがふつうだ。

 確かに女としての尊厳はズタボロだ。


 でも、怒ったところでどうしようもない、レオーネは私のことが嫌いなんだから。

 怒り続けるには時間が長すぎた――。


「いいんです、もう。

 レオーネだって気持ちのない女には贈り物をしたくないだろうし、私も想いのこもってない贈り物を貰っても処分に困ります。

 私たちは親の駒であり、家の繁栄のための人身御供。

 仕方ありません」


「ふうん」


 ルシアンはローゼルをダンスでエスコートしながら、束の間逡巡して、それから言う。


「じゃあ、あの浮気男に未練はないわけだ」


「未練……、そんな言葉が私に少しでもあれば、浮気者の彼に水の球という甘ちょろい処罰じゃなくて、同じ水魔法でも水の矢という攻撃魔法を向けてますよ」


「ふっ、確かに。違いない」


 ルシアンは吹き出した。


「では、そのドレス、君の肌には少し硬すぎるな。

 今度は俺が選んだものを着てもらうか」


 そっとローゼルの耳に囁く。

 わずか数ミリの距離。

 そこから熱が逆流するようにして、瞬く間にローゼルの頬を赤く染め上げていく。


「そんな……クレインバール卿からドレスをいただくわけにはいきません」


 ローゼルは戸惑った。


 彼は婚約者でもなんでもない。

 単なるこの王城で働く官僚仲間――。


 そう思うのに、逃げ場のない甘い熱に晒され、つい期待をしてしまいそうになる。


「俺は君に興味がある」


「え?」


「あの事件で君をますます知りたいと思ったんだ。

 そして、君は婚約者のあの男に何も望んでいないんだろ? 

 だったら、この前の事件のご褒美として、俺が贈るよ」


「ご褒美だなんて、女官として当然のことをしたまでです」


 距離を置こうとするローゼルの言葉を遮るように、彼は彼女の腰をぐいと抱き寄せた。


「古いドレスより、俺が贈ったドレスの方が断然似合うはずだ。な?」


「『な』って……」


 ローゼルは、真っ直ぐ注がれる熱意の孕んだ眼差しを受け止めることができず、思わず視線を落とした。


 顔が熱くなるのを感じた。

 きっと真っ赤に染まっている。


 実際、婚約者以外から贈り物を貰って舞い上がるなんて、許されないことだ。


 けれど、――すごく嬉しい。


 そっとローゼルはルシアンの双眸を覗き見るように見上げた。

 柔らかな視線がすぐ注がれた。


「今宵は俺がローゼル嬢を存分におもてなしいたしましょう」


 ルシアンはおどけたような口調で言い、花が綻ぶような麗しい笑みを彩った。

 その瞬間、ローゼルの胸は甘く疼いた。


 婚約者から一度も向けられなかった熱っぽい喜悦と興奮。

 ローゼルはルシアンに眩しさを感じ、目を細めた。



***


 ナディア・グロウディーナ公爵令嬢は、手に持っていた閉じた扇を両手でぎゅっと握り締める。強く握り締めすぎて、扇の形が変形する。


 なによ、あれ――。


 怒りのあまりぷるぷると肩が震えた。


 あたくしがダンスに誘ったら、即、断ってたくせに。

 

 ルシアンとローゼルのダンスする姿を見、一人の令嬢が悔しげに顔を歪め、歯軋りをした。


 どうしてなの? 

 子爵の、パッとしないあの子が……。

 しかも流行遅れのドレスを着た貧乏貴族の娘。


 彼女は微笑み合う二人に嫉妬する。


(あたくしにはあんな素敵な笑顔を向けてはくれないのに……!)


 どうして、なぜあんな子に微笑むの?

 許せない。


(あたくしを蔑ろにしたのは全部あの子のせいね。

 後で覚えていらっしゃい。

 後悔させてやるわ)


 ナディアはきつく唇を噛み、決意を滲ませた。



***



「まあ、どうなさったの? 

 ソフィア・デブラント男爵嬢」


 びしょ濡れのソフィアとレオーネに、庭園で散歩をしていたエトワール伯爵夫婦が気付き、駆け寄ってきた。


「いえ、その……」


 ソフィアは呆然としながら口を開く。


 だが、自分の身に一体何が起きたのか分からない。


 とはいえ、こんな無様な姿を見られたからには、うまく言い逃れをしておかないと。

 あとから何と噂されるか分かったものじゃない。


「えっと、急な雨に降られてしまいまして……」


 咄嗟に思いついた苦しい言い訳に、夫人は眉をひそめた。


「あら、雨なんか降ったかしら」


 夫人は扇で口元を隠した。

 ソフィアの隣で、同じように茫然とする濡れ鼠姿のレオーネに、ちらっと視線を投げる。

 その視線に気付いたレオーネはハッとし、次には艶やかに微笑んだ。


「お声かけいただき、ありがとうございます、エトワール伯爵ご夫妻。

 少しお酒に酔ったという彼女と夜風にあたっていたところ、このような事態となりました。

 お目汚しをしてしまい、誠に申し訳ございません」


 慇懃な口調でレオーネは丁寧にお辞儀をした。


「あら。それは災難でしたわね」


 夫人は美麗なレオーネに頬を赤く染めた。


「風邪をひく前に早く着替えた方がよくってよ?」


「ええ、そうですね」


 夫人はさらにその笑顔に気を良くした。

 その様子を夫であり魔法省官僚のエトワール伯爵は冷ややかな目で見ていた。

 

 この男の婚約者は確かイースティリア子爵嬢だったはずだ。

 それなのに、なぜ成金貴族デブラント男爵嬢と一緒にいるのだろうか。


 イースティリア女官は、先日上官に命じられて人手不足の魔法省を手伝いに来てくれた子だ。

 溜まりに溜まった書類の山を、嫌な顔ひとつせず片っ端から片づけていく。しかも「他にやることがあれば手伝います」と自ら声を掛けてくれる。


(あの一言に、どれほど救われたことか)


 日頃、部下たちの怠慢に業を煮やしていたのも相まって、つい庶務雑務を山ほど押し付けてしまった。だが、彼女は残業してまで全部やり切った。


 彼女の入省当初、彼女の悪い噂ばかりが先行していたせいか、皆、関わるのを避けた。


 だが、愛らしい美貌に加え、要領の良さと聡明さが際立ち、いざ一緒に仕事をしてみれば、その噂がいかに虚偽に満ちたくだらないものか、誰もが思い知った。


 イースティリア女官は素直で――間違いなく真面目で誠実な官僚だ 。


 あの悪評を流したのは、ローゼルの婚約者であるウルーム伯爵令息レオーネと、その浮気相手の女たちに違いない。


「あなた、どうされたの?」 


 考え込む夫に、不審そうに妻が目配せをする。


 そういえば、最近の官僚仲間の話によると、この伯爵令息はイースティリア嬢を蔑ろにして、数々の女性たちと懇ろになっているというではないか。

 ひょっとして今宵もイースティリア嬢の目を盗んで、デブラント嬢と密会していたのではないか。


(であれば、なおさら男の風上におけん野郎だ)


 訝しむエトワール伯爵の視線に気付いたレオーネは、やんわりと甘く微笑んだ。


「エトワール伯爵夫妻、お心遣いに感謝します。

 おっしゃるとおり、早々と着替えた方がいいと私も思いますので、失礼させて頂きますね」


 深々と夫妻にお辞儀をしたレオーネは、身を翻してその場から立ち去った。


「えっ、あっ」


 置いていかれたソフィアは慌てふためく。


「私も失礼いたします」


 ソフィアもお辞儀をし、重たいドレスの裾を引きずるようにつまみ上げて、レオーネの後を必死で追いかけた。


 控室に続く回廊をコツコツと音をたてて足早に歩く。

 レオーネの歩く速度は速い。


「レオ様、待ってください」


 レオーネに向かって、ソフィアは懸命に走った。

 いくら名を呼んでもレオーネは足を止めないし、こちらを振り返ってもくれない。


 どうして? 

 さっきまで抱擁し、熱い口づけを交わしあったばかりなのに。

  

「レオ様……!」


 なんとか追いついてソフィアはレオーネの手首をつかんだ。

 ピタッとレオーネの足が留まって、ようやくホッとする。


「なに? 女性の控室はあっちだろ?」


 けれど、レオーネは面倒臭そうに冷たい声を降らす。


「そうなんですけど……」


「こんなところ、ローゼに見られたくない。早く行けよ」


 レオーネは冷ややかな視線を向け、濡れた前髪をかきあげた。


 ソフィアはムッとした。


(なによ、さっきまであたしのこと、可愛いって言っていたくせに)


 だが、ソフィアは気を取り直して、レオーネの指に自分の指をからめた。


「ねえ、レオ様」


 甘くしっとりと愁いを帯びた声。

 レオーネが自分だけに贈ってくれた百合の花の香水。

 滴る水滴が肌を滑り落ちる。


「このまま二人で帰りませんか?」


 ローゼルなんか放っておいて――。


「今夜はやめておくよ」


 冷たいレオーネは低い声で答えた。

 ソフィアの表情が一瞬固まった。

 

 レオーネは鬱陶しそうに髪をかきあげ、一瞥する。


「帰りの馬車にはローゼを乗せないといけない、勝手に帰れないよ。分かるだろ?」


 ソフィアはますます目を丸くした。


「なんで? ローゼなんか、それこそ置いて帰ればいいじゃないですか」


「そういうわけにはいかないよ。彼女は僕の婚約者だからね」


 口角を上げるレオーネに、ソフィアは戸惑う。


「そんな……、だって、先程お声かけ頂いたエトワール伯爵夫妻も、あたしたちの仲に気付いたようですし、きっとあっという間に知れ渡りますわ。

 だからこそ、これに便乗してローゼと婚約破棄して一緒になれるようウルーム伯爵に申し出ましょう?」


「は? 何言ってるの?」


 レオーネの声音には、呆れと侮蔑が含まれていた。


「あのさ、ソフィア。

 何を勘違いしてるんだい? 

 僕、ローゼと婚約破棄する気、これっぽちもないけど?」


 ソフィアは目をぱちくりさせた。


「え? え? 何で? 

 あれだけローゼのことを冷遇してるし、ローゼもローゼで令嬢のくせに男と肩を並べるような官僚の仕事をしているんですよ? 

 そんなはしたない女より、私と結婚された方が幸せになれるはずです!」


「君と結婚? はっ、やめてくれ」


 レオーネは鼻で嘲笑う。


「僕はね、ソフィア。

 男爵位の娘と結婚する気なんてさらさらないよ。

 僕の結婚相手はローゼル・イースティリア子爵令嬢だよ」


 ソフィアは絶句した。


「調子に乗らないでくれ。

 君は所詮、成金貴族。

 ていのいい遊び相手だ」


 レオーネは怜悧に言い捨て、ソフィアの手を乱暴に振り払った。


 その反動でソフィアはペタンと尻餅をついた。

 ソフィアは唖然とした。


「遊び……?」


「君は可愛いけど、頭が悪すぎる。

 今後は、分をわきまえるということも覚えた方が良い」


 レオーネは「ふん」と鼻を鳴らして、そのままソフィアに目もくれず、大股で男性控室へ早足で進んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。