第22話 夜会の監視者、壁の花に翻弄される
ローゼル・イースティリアと婚約者レオーネ・ウルーム――。
皇族主催の王城の夜会の招待状。
二人は数ヶ月ぶりに会う。
二人が不埒な企てをしていないか。
王宮内務官のローゼルは「シロ」なのか。
王城の職務にあたる女官が、疑わしき案件と関わっているのは由々しき事態だ。
ここで明らかにしなければ、なんらかの悪影響が出る。
ルシアン・クレインバールは、あえてこの日、騎士としてではなく、一人の貴族子息として夜会に参加することにした。
王宮内の華やかな広間。
美しい調べの音楽に、煌びやかな社交界の面々。
「え、ルシアン様。お一人での参加ですか?」
知人の貴族たちが、久しぶりに参加するルシアンを見て、驚いていた。
あれは、驚愕していた、と言っても過言ではないほど。
(参ったなぁ)
かえって、周囲からは逆に不審がられている。
なおかつ、パートナー不在。
「おぉ、ルシアン。
可哀想に。
一人ぼっちの参加か」
例の如く挨拶しに行った皇帝や皇妃からは独り身であることをすごく同情された。
「誰かいい娘がいないか、探しておくな!
なあ、皇后よ」
「ええ、そうですね。
どんな子がいいかしら」
とんでもなくお節介極まりないお言葉まで頂戴する始末。
お二人がそんな台詞を軽々しく口にするから、後ろに控えていた年頃の令嬢とその両親らの目がギラギラと輝き始め、ルシアンは寒気を覚えた。
「もったいなきお言葉、ありがとうございます。
ですが、陛下。
そんな仔細なことで陛下の御心を煩わせるわけには参りません。
自分の嫁は自分で探しますゆえ、お気遣いなく」
ルシアンは丁重に謹んでお断りしておいた。
その時の自分は、呆れるほどの人当たりが柔らかい笑顔を浮かべ、いけしゃあしゃあと言葉を紡いでいる。
俺も大概外面のいい男だよなぁ。
「クレインバール様、是非ともあたしとダンスを踊っていただけませんか?」
陛下の挨拶が終わって、広間中央に戻るなり、令嬢たちが駆け寄って来た。
「えー、あたくしと踊ってくださいよ!!」
「ズルい、わたしだって!」
我先にとばかりに、令嬢たちはこぞってルシアンと踊りたがる。
適齢期の女たちの色めいた声。
(あー、これが嫌なんだよ)
ルシアンは内心うんざりしつつも、表情には決して出さない。
「ああ、申し訳ない。
所用で本日はダンスを踊る気はないんですよ」
やんわりと令嬢たちからの誘いを愛想のいい笑顔で、すべて断る。
ルシアンは目線を広間の中央に投げた。
音楽がちょうど終わり、ファーストダンスを終えた者たちが優雅に会釈を交わす。
ルシアンの目線は常にローゼル・イースティリアとレオーネ・ウルームを追っていた。
滞りなく次の曲へと移って行く中、ローゼルの法務省の先輩モーデッリア卿夫妻から声をかけられていた。
ローゼルはそっけなくレオーネと別れ、そちらに向かい挨拶を交わす。
そのままライアナース伯爵夫妻が合流し、いつの間にか法務省官僚たちの輪ができ始めた。
一方、レオーネはそんな輪に興味を示すことなく、さっさと自分が懇意にしている令嬢たちの輪に進んで入って行った。
結婚前からすでに仮面夫婦――。
ルシアンは柱の影で、ワインを飲みつつ、じっとり二人をそれぞれ見つめる。
(これは思った以上に冷めた関係だな)
こんな調子で結婚して大丈夫なのか。
口さがない適齢期の貴族たちは、さっそくローゼルたちの関係性を肴にヒソヒソと陰で盛り上がっている。
ローゼルは、そんなこと一切気にせず、顔見知りの同僚や上官たちに挨拶をする。
それを一通り終えると、部屋の隅にある軽食と酒にそそくさと手を出し始めた。
やけに嬉しそうに酒の入ったグラスを手に取っている。
(おいおい、せっかくお洒落してきたのに、好き好んで壁の花かよ)
年頃の令嬢であるにも関わらず、自ら独りになって食事を思う存分楽しむとは。
立食式のご馳走を美味しそうに食べるローゼル。
こっちの腹まで鳴りそうなほど、見事な食いっぷりだ。
ルシアンは思わず噴き出しそうになった。
(はは、これは想像以上に愉快なご令嬢だ。
それにしても、なんだか勿体ないな)
ふと、警備にあたる騎士たちが、ローゼルの周囲をうろつき始めるのが視界に入る。
少しでも着飾ったローゼルとお話をしたいという不埒な思惑がみえ、ルシアンは小さく舌打ちした。
彼らはルシアンからの殺意に近い視線を感じると、バッとこっちを振り返る。
そして、その先にルシアンがいると分かるとすぐに肩を震わせ、硬直した。
「しまった」と、みんな呟いて、そそくさとその場を去って行った。
(まったく、警備任務を何だと思っているんだ)
ルシアンは大きくため息をついた。
「どうですか? ルシアン様」
身を忍ばせていたアランが、すっとルシアンの横に並んだ。
「おお、アランか。
相変わらず気配を消すのがうまいな」
ルシアンは静かに言った。
「お褒めに預かり、ありがとうございます。
それで、どうです?」
「目立った接触はダンスの時だけだな。
だが、同じ馬車に乗ってきたようだから、ひょっとしたらそこで密議を終えたかもしれない」
「そうですか」
やがて、何人かの貴公子たちがローゼルにダンスを申し込み始めた。
ルシアンは目を細め、男たちの面々を観察する。
(ほう……)
彼らの共通点は、密かにローゼルを自分の嫁候補に入れている官僚たち。
ローゼルが婚約破棄にでもなったら、あわよくば。という淡い下心が透けていた。
ローゼルは首を振って、やんわり断る。
彼女は誰に誘われても踊らない。
これは婚約者への義理立てなのか、それとも――。
「そっちはどうだ? 何も変わりないか?」
目はローゼルを捉えながら、ルシアンはアランに尋ねた。
「はい。なんら問題ありません。ただ、その分緊張感のない者が数名……。
ルシアン様のように場の緊張を保ち続けるのは難しいですね」
「まあ、これも慣れだ。
お前の力はこんなもんじゃない。ここからだ」
ルシアンは激励を込めて、ぽんとアランの肩を叩く。
その間に、ローゼルは男たちがいなくなると、ほっとしたような顔をして、新たなお酒に次々と手を出し始めた。
何種類もあるワインに、ウィスキー。
リキュールなどの甘口の酒に、ブランデーまで。
彼女は相当な酒好きのようだ。
しかも、結構な量を飲んでいるのに、一向に顔が赤くならない。
むしろ、平然としている。
(あのなりで酒豪かよ)
ローゼルの動きを目で追っていたルシアンから、ふと笑みが零れた。
これは飲みに誘ってみてもなかなか面白いかもしれない。
酒を呑む機会の多い騎士連中より案外彼女の方が強そうだ。
「ルシアン様並みに飲みますね、あの子」
アランが苦笑を浮かべた。
「そのようだな」
「あの調子だと、やはりあの子は『シロ』のようですね」
「だといいんだけどな」
「まだ疑っているんですか?」
「疑っているというか……。
確信が欲しいんだよな。なんでもいいから」
「やってもいないことを証明するなんて、それこそ悪魔の証明ですよ」
「まあな」
ルシアンは肩をすくめた。
「確信が取れるもの、見つかるといいですね。
では、俺は警備に戻ります」
抑揚なくアランは言って、その場を離れた。
曲が終わった。同時に、広間内には衣擦れと囁き声が広がり、令嬢たちは扇を揺らし、紳士たちは軽く礼をして次の相手を探す。
(さて、さり気なく接触してみるか)
ルシアンは空になったワイングラスを給仕に渡し、広間の中央に戻る。
視線は、例の二人。
その時、ルシアンは気づいた。
時折、ローゼルはさり気なく、ドレスを持ち上げ、整える。
どうも華奢な彼女には、若干大きいドレスのようだ。
それどころか質素で貧相なデザイン。
ルシアンはじろじろとローゼルのドレスを見た。
(明らかに彼女に似合ってないドレスだよな)
お洒落しているはずなのに、何故だろう。
色合いやデザイン、古めかしく、とても野暮ったい。
女性が夜会に参加するということは、その家門を背負うのと同意だ。
それなのに女官の制服姿よりは華やかであっても、なぜか残念感漂うドレス姿。
シンプルすぎる宝飾品に、化粧も仕事のときとほぼ変わらない。
唯一口紅が鮮やかなものを使っていたぐらい。
すれ違っても香水の香りもしない、ヘアオイルの甘い香りが漂うだけ。
華やかな広間では、逆に悪目立ちしていた。
もともと美しい容姿なのに、あれでは宝の持ち腐れというものだ。
レオーネはそこら辺、配慮をしないのだろうか。
(俺だったらもっと彼女に似合うものを贈るのに……)
ふと思い当たった自分の想いに、ルシアンは驚き、必死で打ち消した。
ちょっと待て。
俺は、何を考えてるんだ。
集中しろ。
今宵こそ、見極めるんだ。
彼女が軍部がマークすべき危険人物なのかどうかを――。
そう頭では理解しているのに、レオーネの無神経さにどす黒い怒りがじわじわと腹の底から込み上げてくる。
視界の端で捉えたレオーネは、いろんな令嬢たちとダンスを楽しんでいた。
父親譲りの女性受けのいい甘い容姿に、令嬢たちへきめ細やかな気遣い、気の利く話題提供。
鮮やかな衣装に身を包んだ麗しの貴公子。
舞踏会は、若い世代の令息令嬢が婚約者を探す出会いの場である。
女性慣れしていない子息たちの多くが、なかなかお目当ての令嬢に声をかけられず立ち尽くしている。
そんな中、レオーネは彼らを尻目に、次々と令嬢をとっかえひっかえ、スマートにエスコートし、ダンスを楽しむ。
(要領がいいというか、手慣れているというか……)
ルシアンは冷ややかな目でレオーネの姿を追う。
さっきから令嬢たちとの距離がやたらと近い。
レオーネはダンスをしながら、共犯めいた視線を交わすように令嬢とそっと唇を重ねる。
「は?」
思わずルシアンの口から声が出た。
こいつ、何やってんだ?
その時、気づく。
今踊って口づけを交わしたのは、ソフィア・デブラント男爵令嬢だ。
ルシアンは眉根を寄せた。
レオーネは、最近夜会やサロンなど様々な場所に顔を出す時、彼女を同行させている。
婚約者の従妹だから。
そういう理由で周囲には話しているらしい。
だが、その婚約者のローゼルは王城で仕事に明け暮れている――。
(おいおい、ここに婚約者がいるんだぞ。なんて不届きな奴なんだ)
ルシアンは呆れ果て、むしろ、ますます憤りを感じた。
突如、ルシアンの腕が引っ張られた。
「ねえ、クレインバール卿、踊りましょう?」
甘ったるい香水と猫撫で声。
「グロウディーナ嬢」
ルシアンは顔を歪めて、怜悧に女を見下ろした。
「そんな固い呼び方止めてください。
ナディア、とお呼びください」
ナディアは愁いを帯びた眼差しをルシアンに向け、やがて彼女はルシアンの腕に自分の腕を絡め始める。
非常に不快だ。
グロウディーナ公爵家のナディア嬢――一番面倒で厄介な女。
そんなナディアは、まるで「私こそがルシアンの恋人なのよ」とでも言うかのように、勝ち誇った笑みを浮かべて周囲の令嬢を見回す。
この国の四大公爵の令嬢ということだけあって、誰も何も言えず、令嬢たちはぐっと悔しそうに顔を歪ませた。
(俺でマウントとってんじゃねぇよ……)
ルシアンは顔を歪めた。
だが、ナディアはそんなことお構いなしに、ますますルシアンに甘えた声を出す。
「さぁ、クレインバール卿。行きましょう」
彼女はルシアンの腕を我が物顔で引き寄せた。
だが、ぴくりともルシアンは動かない。
ナディアは、ムッとして顔を上げた。
「クレインバール卿? ほら、ね?」
「いや、申し訳ないが、今日は誰とも踊る気はないんだ」
強い語尾でルシアンは、ハッキリと断った。
逸らした視線をもう一度ローゼルとレオーネに投げかける。
一瞬、目の前の群衆に遮られた。
二人の姿がない。
しまった。
同時に見失った。
内心、大きく舌打ちをする。
「失礼、所用を思い出しました」
ルシアンは端的に言い放ち、ナディアの腕をやや乱暴に振り払った。
「失敬」
大股かつ速足で、ルシアンは人混みをかき分け、必死で二人の姿を探す。
ここにいない――。
(広間にいないのであれば……。そうだな、密会するなら庭園が最適だ)
ルシアンは、忌々しい思いで会場を後にした。
広間から回廊へ抜ける。
カツ、カツ、カツ。
夜の回廊に響く靴音。
どっしりとした木の壁が続く。ルシアンはそのまま欄干を乗り越えるようにして庭園に踏み込む。
月夜に照らされた庭園はいつもよりも明るい。
静かな夜風で揺れる木のざわめきが、不穏な囁きのように耳を打つ 。
どこに行った?
きょろきょろ見回す。
この瞬間にも二人が落ち合い、何かよからぬことを企んでいる可能性があるかもしれない。
(くそっ)
押し寄せる不安と苛立ち。
ローゼルとレオーネがこっそり二人で逢引する――。
別に婚約者同士なのだから、愛を語り合うのは至って健全なことだ。
レオーネが他の令嬢たちに触れるみたいに、彼女の手に、頬に、柔肌に触れる。
口づけを交わしたって……。
その瞬間、カッと身体が熱くなった。
鈍い胸の痛みと、怒り、そして侮辱が湧いてくる。
ルシアンは庭園に出て、足早で歩き回った。
すかさず茂みの奥やバルコニーの柱の陰へと隅々に視線を投げる。
一体、どこだ?
月明かりに照らされた影が長く伸びる。咲き誇る花々の濃い匂い。
穏やかな庭園とは裏腹に、ルシアンは激しい焦燥感に駆られていた。
(ここで逃すわけにはいかない)
レオーネ・ウルーム自身にも、父親同様いくつかの容疑がかかっている。
闇賭博に、闇オークション参加、それから殺人容疑――。
疑いながらも、彼女のことを知るたびに、いつもローゼルがレオーネの容疑とは無縁であることを強く願っていた。
噴水の水音が近くなる。
そのとき、庭園の噴水近くから男女の話し声が聞こえた。
まさか、ローゼル・イースティリアとレオーネ・ウルームか?
(ついに接触したのか?)
ズキっと心臓が痛んで、苦しくなった。
ローゼル・イースティリアの潔白――。
俺はそれを期待している。
(もし、違ったら、俺はどうする……?)
ルシアンは、ぎくりとして、自分が震えていることに気づいた。
全身がどくどくと波打つ。
音を殺し、灌木の陰から声のする方を覗いた。
――そして、そこには、ルシアンの想像を超える光景があったのだった。




