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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第21話 軍師閣下の葛藤する一日――次なる作戦へ

 いったん目につき始めると、彼女の姿を王宮内で何度も見かけるようになった。


 どうしてだろう、気づくとつい目で追ってしまっている。


 ローゼルが何度も魔法省に出入りするようになったから、恐らくライアナースがルシアンの所感を根拠に、魔法関連の法律の仕事も本格的に任せるようになったのだろう。


(なんだかんだあのタヌキは、あの子の適性を大事にしてるんだよなぁ)


 あの子は愛想がなくとも生真面目で勤勉。

 そして、どちらかといえば女性には珍しく一匹狼だ。


 一応如才なく周囲と打ち解けているようだが、どこか一線を引いている印象が否めない。


「今度の王城での舞踏会ですが」

 

 午前中の恒例、第1から第4騎士団員たちの共同訓練で、訓練に立ち会うルシアンの隣にアランが立って囁いた。


 騎士たちの剣を交える荒い息遣い。

 空気を断ち切るような金属音が響く。


「ああ、数か月前に届いた皇族主催の王城の夜会の招待状のことか。

『王都にいる貴族はなるべく参加するように』とかいう」

 

 ルシアンは訓練に励む騎士たちに視線を投げたまま言った。


「はい。どうやら、イースティリア女官と婚約者レオーネ・ウルームが二人揃って参加するそうです」


「ほう。

 ようやく接触するのか」

 

 ルシアンは僅かに目を見開いた。


「はい、ようやくです。

 ふつう、婚約者を数か月も放置しませんけどね」


 アランは複雑そうな表情を浮かべ、肩をすくめた。


 そう、皇族会議以降、ウルーム伯爵家はもちろん、彼女のことをいろいろ探ってみたが、驚くほど二人は接触することがなかった。

 もちろん手紙も贈り物の行き来も全くない。


 ひょっとして、俺達魔法騎士団に怪しまれないようにあえて連絡を絶っているのか、それとも、もともとこういう関係性なのか、どちらなんだろうか。


 後者だとしたら、レオーネ・ウルームは随分と礼を欠いた男だ。


 聞けば、あの男の女癖の悪さは筋金入りで、若者の集まるサロンで数々の醜聞を撒き散らしているという。


(随分と舐め腐ったお坊ちゃんだ)


 カンカン、キンキン。

 規則的な金属音が響く。


 ルシアンは、懐中時計を胸元のポケットから取り出して時間を確認する。


「そろそろか」


 ルシアンが呟くと、アランが不思議そうな顔をした。


「え? 何かありました?」


「いや、独り言だ」


 ここ魔法騎士団の訓練場は刑部塔の隣にあった。

 そのため訓練場から塔へ、そして王宮や他の省庁のある建屋に続く回廊の道筋が一望できる造りになっている。


 その回廊から一つの影が現れた。


 いつもと同じ時間帯、同じスタイル――小さな肩には大きなショルダーバッグ、両手には書類の束を抱えた女官。

 尻尾のように結い上げた髪が揺れる。


 ルシアンは目を細めた。

 初夏の強い陽射しに溶けていく中、彼女だけ輪郭がはっきりしていた。

 その輪郭に鼓動が早まる。

 

(時間通りだな)


 ふと笑みが零れた。


 ルシアンの頭の中には、彼女のルーティンが刻まれていた。


  朝早く来ては細やかな庶務をこなし、大臣たち上官が出仕する前に王宮内郵便室から法務宛ての手紙を抱えて戻る。

 午後になれば、今度は刑部塔と魔法省を律儀に打ち合わせで往復。


 なかなか多忙な一日だ。


 彼女の小さな背中がこの近くの回廊を横切るだけで、王宮の正確な時刻が嫌でも分かった。

 それほどまでに、判を押したように生真面目な生活。

 

「あっ、ローゼルちゃんだ」


 本日も目敏くエヴァンがローゼルを見つけ、思わず声を弾ませた。

 他の騎士たちもざわめく。


「あの子、ホント、可愛いよなぁ」


「そうそう。

 時々見せる笑顔が特別可愛くみえるっていうか」


 手を止める騎士たち。

 たちまち、訓練中であるにも関わらず弛緩した空気が漂う。


 ローゼルが塔の中に入ってしまうと、彼らの何人かが恍惚としたため息をついた。


 男ばかりの部署。

 汗と革鎧の匂いが混じり合い、風下に立つと「男の香水」ならぬ「男の蒸気」が漂ってくる。


 要は、若い彼らは女に飢えている。


 分からなくもないが、これはいかがなるものか。


「おい、お前ら、集中しろっ!」


 さすがに目に余ったルシアンが一喝する。


 騎士全体がびくっと肩を震わせた。

 若い騎士たちは、互いに気まずそうな目配せをし合う。


 それから、背筋をしゃんとして真摯に訓練に励み始めた。


 ルシアンは深いため息をついた。

 ふだん真面目な彼らだが、熱を上げすぎると、こう若さゆえか、脇目を振らなくなるところが玉に瑕だ。

 

「イースティリア女官を『ローゼルちゃん』とは、随分と馴れ馴れしいですねぇ。

 いくら文官以上に恋愛結婚に憧れている連中が多いとはいえ、これは騎士の矜持として見逃せません」


 アランがうっすらと冷笑を浮かべるが、その目は鋭い。

 ルシアンは頷いた。


「ああ。説教だな。

 令嬢には常に礼節を持てとあれほど言っているのに……。

 まあ、いい。

 話は戻すが、その日、俺は警備ではなく舞踏会のいち参加者として出る」


「へえ。ルシアン様が参加者として」


 意外そうにアランの目が開いた。


「なんだ? おかしいか?」


「いえ、その方が二人を自然な形で追えますからね」


「ああ。一人ぐらい軍部上層部が参加しておいた方がいいだろ。

 陛下主催なのだし」


「まあ、そうですね。

 軍部から誰も参加しないとなると、また文官から苦言を呈される可能性があります」


「まあな。

 次官だけ参加だけじゃあ心許ない」


 ルシアンは肩をすくめた。


「あの人はこっち側ではありません。

 完全に文官寄りです。アレは人数に入りません」


 アランは鼻を鳴らし、腕を組んだ。


「相変わらず辛辣だな」


「当然です。あの人が次官になってから、軍部はぐちゃぐちゃです」


「そうだな。

 否定はしない」


 ルシアンは重々しく頷く。

 皇族会議の警備のときも、新人の護衛たちの手配に関してもそう、その他諸々ろくなことがない。


「……それで、どうしますか? 

 補助役として、誰か隠密で忍ばせますか?」


 アランが尋ねた。


「いや、いい。皇族会議後の集まりだ。

 警備は手厚く厳重にしておきたい。

 アラン、お前が俺の代わりに指揮をとってくれ」


「俺がですか?」


 アランは目を見開いた。


「ああ。お前ならできるさ。

 なに、心配するな。

 俺も参加者としてその場にいる。

 何かあれば相談しに来い」


 不安そうにするアランに、ルシアンが微笑む。


「承知しました」


 アランの表情がきゅっと引き締まった。

 

 ようやく休憩に入り、騎士たちが思い思いに水分を補給し、木陰でおしゃべりに興じていた。

 そこに、間が悪いことに、用を済ませたローゼルが書類を抱えて刑部塔からひょっこり出てきた。


「あっ、ローゼルちゃん!」


 エヴァンが真っ先に見つけて、彼女の元に走り出した。

 数人の騎士たちも遅れをとるまいと猛ダッシュする。


 勢いよくやってくる彼らに、ローゼルは分かりやすく驚いて仰け反る。

 自分より一回り以上ある男が何人も自分に向かって走って来るのだ。


 恐怖を覚えるのは当然。


 ローゼルは慌てて逃げようとするが、両手の書類が邪魔してあわや、あっという間に熊のような連中に囲まれて身動きが取れなくなっていた。


 普段の訓練以上に彼らの動きは俊敏で迅速だ。

 これをそのまんま、本番で活かしてくれればいいのだが。


「ねえねえ、ローゼルちゃん、

 今度の休みはいつ? 王都に遊びに行こう?」


「それよりもさ、今日、お昼一緒に食べない?」


「お昼忙しいなら、仕事終わりに飲みに行こうよ。

 何時に終わるの?」


 矢継ぎ早に質問が投げかけられ、ローゼルはあたふたしている。


 変に男馴れしていない初心な動作。


 お近づきになりたいという下心の交錯した騎士団員の熱量に囲まれては、一匹狼ならぬ、一匹リスには逃げるにも逃げられない。


 最初こそ、小動物のようで怯える姿も可愛いと思ったが、だんだんと不憫に思えて来た。


「おい、いつも、ああなのか?」


 ルシアンは木陰で水分を補給している彼らの団長たちに尋ねた。


「ああ。あれですか。

 最近毎日ですね、『怖がってるからやめろ』って言っても、あのとおりです」


 全員呆れてため息を深々とついた。


「あんの、馬鹿野郎ども……」


 ドスの効いた低い声と舌打ちが聞こえた。


 第4騎士団長のノーラン・ターラントだ。


 普段からいかつい顔が、さらにいかつくなった。

 彼の強面の容貌は元軍師、財税大臣である父譲りだからだろう。


「まったく……」


 面倒臭そうに頭を掻きむしって、彼らに注意しに行こうと歩き進む。


「珍しい、その場で声を上げて注意しないのか」


 自分から動くノーランに、騎士団長たちがニヤニヤしながら声をかけた。

 ノーランはちらっとこっちに視線を投げた。


「そんなことしたら、あのおチビちゃん、怖がっちゃうでしょ」


 ぼそっと低い声で呟いた。


(ああ、なるほど。

 一応、その辺、その顔でも配慮してるわけか)


 男ばかりのせいか、ここの連中は女性に優しい。

 殊に小さくて可愛いものには目がない。


(まあ、かく言う俺もそうなんだが)


 ノーランはローゼルを取り囲む騎士たちに雷を落として、あっという間に蹴散らした。

 騎士たちは蜘蛛の子を散らすように、渋々文句を言いながら戻ってくる。


「んだよ、ノーラン様だってあの子と話したいだけじゃないか」


「だよなぁ」


 ぼやく彼らを尻目に、ルシアンはノーランとローゼルをじっと見ていた。

 例によっていかつい面差しのノーランだが、終始精一杯穏やかな表情を作り、彼女と何やら話し込んでいる。


 ルシアンは無意識のうちに、諜報活動で身につけた読唇術で二人の会話を追っていた。


「いつもすまないね、うちの奴らが」


 ローゼルが慌てて首を振っている。


「いいえ、こちらこそ、いつも助け出して頂いてありがとうございます」


「いやいや、毎回申し訳ない。

 アイツらも悪気があるわけじゃないんだけどね」


「そうですね、勢いがあり過ぎちゃって……。

 そのう、すみません。

 どうも慣れなくて」


「いいのいいの、馴れなくていい。

 あっ、そうそう」


 ノーランは何か思い出したかのように、ポケットから小さな布袋をローゼルに渡した。


 あれって……。


 王都で人気のお菓子屋の布袋だ。


「いつも迷惑かけているお詫び」


 ローゼルはその中身を見、嬉しそうに頬を緩ませた。


「いいんですか⁉」


「ああ、本当いつもごめんね」


「いいえ、わぁ、嬉しい。

 実はお昼前だからかお腹が空いてたんです」


 ローゼルの怯えていた表情が一転、にこやかになって年頃の女性らしい無邪気なものに変わった。

 その笑顔が、自分でなく違う男に向けられていることに、ルシアンは胸が鈍く痛んだ。


「あの、申し訳ございません。

 両手がいま塞がっているので、その飴、バッグのポケットに入れて頂けませんか?」


 ローゼルが腰にあるショルダーバッグをノーランに向けた。


「ああ、もちろん」


 ノーランがローゼルに近づき、バッグのポケットに飴袋を入れた。


「ありがとうございます!」


 ローゼルが花開いたかのような可憐な笑顔を浮かべた。

  顔が真っ赤になって照れ笑いするノーラン。


 もやっ

 

 ルシアンはふと胸元を押さえた。


 なんだ、これは。


 胸に再び訪れた鈍い痛み。


 ローゼルは、無邪気な笑顔でノーランにぺこりとお辞儀をする。

 小走りでその場を去っていく姿をノーランは手を振って見送った。


(アイツだってお年頃の青年だ。

 可愛い女性と触れ合いたいに決まっている)


 だが、なんとも釈然としないこの気持ちが駆け巡って、やるせない気分になる。


 彼の父親が彼女を財税省に引き抜こうとしたのは、息子と引き合わせるためだろうか? 

 ノーランにも婚約者はいないし、あの様子なら大喜びするはずだ。


 ノーランは良い奴だ。

 顔が怖いだけで、男気もあるし、面倒見だって良い。


 そう思うと、どうしてだろう。

 ――非常に面白くない。


 怒りとも嫉妬ともつかぬ薄暗い感情が、新たに込み上げる。


 そんなノーランが、心なしかホクホクした表情で戻って来た。


「餌付けか?」


 ルシアンは思わず皮肉めいて尋ねた。


「いいえ、違いますよ」


 ノーランは、慌てて否定した。


「あの子にはいつもうちの連中が迷惑をかけているからその詫びですよ。

 ほら、あいつら、ああやって毎日あの子を怖がらせるんでね。


 それに女は甘い物が好きっていうじゃないですか。

 少しでも騎士に対する心証を悪くしたくなくて、その、渋々ですよ。

 ルシアン様だっていつも礼儀を忘れないようにっていうじゃないですか」


 まるで照れているのを隠すように、ノーランは悪態をつく。


「へえ、詫びねえ」


 他の騎士団長たちがニヤニヤと意味深に笑う。


「うるせぇぞ。

 どうせお前らは婚約者か奥さんがいるからいいけどよ……。

 あー、くそっ。

 鍛錬、始めるぞ!」


 冷やかされて焦ったノーランは、照れ隠しで騎士たちに大声を上げて、鍛錬を再開した。

 騎士たちから不安の「えー、早いっすよ」という悲鳴が上がる。


 ルシアンは後悔した。


(しまったな。俺も持ってこればよかった――)


 ライアナースのところへ話を聞きに行った際、こっそりローゼルが喜ぶ菓子を聞いていた。


 今回の皇族会議のテロ未遂事件の立役者に少しでもご褒美を、と言ったら、タヌキ大臣にしてはすんなり教えてくれた。


 用意したのは、まだまだ珍しいチョコレート。

 多忙な彼女にずっと渡すタイミングを逃している。

 

 手っ取り早く側仕えのマルスクに届けさせればいいだけなのに、なぜか彼に預けるのは気が進まなかった。

 さっきノーランに向けたあの子の笑顔が脳裏を横切った。

 俺だって彼女の顔を直接見たい、笑顔で受け取って欲しい……。


 ルシアンはぎゅっと拳を握りしめた。

 

 晴れ渡ることのない、鈍い疼き。

 彼女の姿を見つけた時の甘く弾ける感触。

 ノーランやエヴァンへのなんとも言えない焦燥感。彼らの上官としてのプライド。


 騎士たちの訓練の声が、ノーランの掛け声とともに訓練場に響き渡る。


 

 いや、違う違う。


 ルシアンは自分の想いを必死で打ち消す。


 俺はこの国の軍師であり、総騎士団長だ。


 皇族会議の活躍のお礼をして、ウルーム伯爵家の情報を入手しなければ。

 すべてこの国の安寧のため。


 まだ彼女への疑惑が晴れたわけではない。


 そう何度も言い聞かせるが、その都度、だんだんと息苦しくなっていく。


――あの子は仕事をしに来ているんです。

 婿探しをしているわけじゃない。


 ふと、ライアナースの深く皴の刻まれた端正な顔が蘇る。


 ああいうふうにローゼルは、騎士たちに囲まれて、身動きが取れなくなる。


 あれは明らかな業務妨害だ。


 彼女は法務省へ戻ったら戻ったで、頼まれた雑務や手続き申請、資料作りに打ち合わせや会議などなどが待っている。

 女官の毎日は男の文官よりもタスクが多く、とにかく忙しいのに。


 ルシアンは早速、他部署からクレームが入ったという体裁で、『業務中の女官や侍女、令嬢にむやみに声をかけるな』と軍部全体に通達を出した。


 若手の騎士たちが気まずそうに顔を歪めた。

 彼らにとって出会いが減ることになるが、これもしかたあるまい。


 軍部はいま正念場だ。 


 今、うつつを抜かしている場合じゃない。


 皇族会議で賊があそこまで内部に忍び込んだんだ。

 給仕の男以外は、王城内に潜んでいたと聞いた。


 ということは、何かを王城に仕掛けていてもおかしくない。


 まだまだ警備体制に問題はある。

 だからこそ、ここで身を引き締めねば、知らず知らずのうちに呑まれる。


 まずはローゼル・イースティリアの正体を暴かなければ――。


 心の奥に淡い痛みだけが残っていた。

 だが、ルシアンは来たる王城舞踏会のために準備をする。

 


 果たしてローゼル・イースティリアは、「シロ」なのか否か――。

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