第16話 伝書鳩の女官と、軍師の反撃の号令
華やかな宮廷の喧騒、漂う甘い果実水の香り。
ルシアン・クレインバールは、いつもの外面のいい笑みを完全に消し、猛禽のように鋭い視線を会場の隅々へと走らせた。
――この広間に、不審者が潜んでいる。
「で、その不審者って、どこ?」
ルシアンが会場内に視線を投げると、ローゼルは皇族会議が開催される広間の後方をちらっと見た。
「ええと、見えますか?
給仕たちが軽食やドリンクの準備をしているのを」
ルシアンは、ローゼルが視線を投げた方向を辿るように見た。
「あそこにいるのか?」
「はい。銀髪の長髪でひとつに緩く結んでいる、銀フレームの眼鏡をかけた男です」
「んあ? どれだ?」
似たような従者が多く、ルシアンは首を捻った。
「目元にホクロがあって……」
「ん? わからん」
ルシアンは顔をしかめた。
「んーっと、ホクロです。
すごく色っぽいっていうか、えーとキツネ顔で、それでなんていうか……。
う~んと分かりませんか?」
ローゼルは伝わらないことを歯がゆく思ったのか、少し焦れったそうにする。
「銀髪に眼鏡……。
えっとどれだ?」
「あっ、いまから参加者の皆様に果実水を振る舞いますよね」
給仕たちが一斉にグラスに色とりどりの果実水を注ぐ。
果実水は会議が始まるまでの手持ち無沙汰にならないようにするための繋ぎだ。
「うん、そのようだな。
それで?」
「その後にちょっとした焼菓子と軽食をお出しする手筈になってます。
問題の男は果実水提供じゃなくて、軽食でもなくて、あれです。
焼菓子を給仕しようとする男です」
ルシアンは険しい顔で一人一人を見る。
毒見を終えた大量の焼菓子が運ばれ、それを受け取る給仕の男たち。
「どうですか? 分かりますか?
あっ、ほら、いま銀のトレイを持った人」
「銀トレイ?」
って、あれか。
何種類ものケーキが載った銀のトレイを片手で軽々と持ち、それをケーキスタンドに丁寧にトングで盛り付ける銀髪の眼鏡をかけた口元ホクロの男。
ローゼルの言う特徴の男を確認した。
「ああ、ようやく分かったよ」
ぱっと見は怪しくない。
むしろ、他の給仕よりも手際がいい。
「ちなみに、なんでアイツが怪しいと思った?」
「私が、総務省からお願いされた役目は、皇族の皆様はもちろん、貴族、騎士、従者、商人、業者、その身元に不審な点はないか確認することです。
だから、分かるんです。
私はあの男を調べてません」
強い眼差しでローゼルがルシアンを見上げた。
「これ、総務省から提供された関係者書類です」
ローゼルは腕に抱えていた分厚い書類をルシアンに差し出す。
「そこには参加予定者の氏名、年齢、身体的特徴、血縁者などの詳細情報が載ってます」
受け取ると、ずっしりとした重さがあった。
「つまり、ここに載っていないから怪しいと?」
「はい。ですが、これだけでは見落としがあったかもしれないので、今回の皇族会議に関する公的書類も非公開資料すべてに再確認してから、報告いたしました。
こっそりと全員を目視確認もしてます。
ひょっとして、急遽人員に変更があったかもしれないので、総務大臣の補佐官に確認したら、そんな話は聞いてないと断言されました」
ローゼルは淡々と乾いた口調で説明し、その傍らでルシアンはペラペラめくった。
すごい量だ。
紙の端には彼女の走り書きメモがびっしり。
血縁関係者の評判、家の経済状況から家族仲に友好関係まで。
皇族たちに害をなす人物がいないか徹底的に調べ上げている。
皇族会議は三年に一度行われる国内で、最も身分の高い人物たちが集う会議だ。
現皇帝家族とその親戚。
臣籍降下や降嫁されて皇籍を離脱した者。皇族の血縁者すべてが集結する。
皇帝家族と親戚、降嫁した者まで含め五百名以上が集う。
その全員を目視で確認するとは、相当な労力と胆力だ。
まあ、この若さで他部署への応援メンバーとして派遣されているわけだから、彼女は正真正銘噂に違わぬ実力者なんだろうが。
(大の男でも、これだけ量があればさすがに音を上げるぞ)
そもそも、身元確認をさせるということは信用にたる人物と上層部が認めたということ。
総務省は女官が一番多い部署だ。
宮殿の各所の多岐にわたる庶務的業務全般を受け持つ。
マルチタスクを生かした細々した総務の作業は女官の方が向いていたりするが、あそこは最近、派閥争いや縁故採用など、問題多数で荒れている。
総務省総出で皇族会議を開催するに伴い、身辺調査担当になった総務省宮廷監査室としては、そんな総務の人間を使うのは抵抗があったのだろう。
で、白羽の矢が立ったのは、彼女。
「この手書きのメモ、全部、君が調べたのか?」
「はい。でも、友好関係とか足りない情報は、その、ちゃんとした各省庁の信頼できると踏んだ方から情報提供をしていただきました。
で、問題のあの人の情報はこの資料にどこにも記録されていません」
「なるほどね」
彼女は優秀だ。
色恋沙汰や忖度なしで、かつ健全的に真面目に身元調査できる人材。
そして、身元調査するにあたり、派閥とは日頃関わることのない中立な他部署で、不正とは無縁な身元確かな人間。
その上、日頃の働きぶりから信用できて小間使い的に都合よく進んで動いてくれる爵位の低い子女。
条件にぴったりだ。
いいようにうまく使われている。
「一応私は担当者として、ここ一週間ずっと毎晩王宮に寝泊まりして、参加者の皆さまの顔と名前を必死で覚えました。
だから断言できるんです。
だって、あの人、魔法使えます。
それもかなり強力な魔法を。
物凄い魔力持ってます。
あんな強力な魔力を持っている給仕の男性を知らない」
「へえ」
魔法陣が読める高等魔術の知識、彼女の祖父ジル・エグアルムも称賛した魔力感知能力。彼女が言うなら恐らくそうなんだろう。
ルシアンはちらっと怪しいという給仕の男に視線を投げ、外部防音防魔感知の結界を意識して男に集中して魔力感知能力を発動させる。
言われてみれば、確かに男からゆらゆら揺れる陽炎のような強いパワーが漂う。
給仕にしては桁違いの多大なる魔力だ。
ここまで強烈な魔力を持った給仕の男が何度も城に出入りしていたら、王宮魔術師や皇族の誰かが気付いて軍部に報告するはずだ。
逆に軍部報告前に人材確保のため人事部がさっさとスカウトしているかもしれないほど。
ルシアンは魔力以外にも、じっくり注意深く精査した。
男の所作、仕草、視線、行動。
一見落ち着いているように見えるが、違和感に気付く。
どことなく挙動不審に周囲をちらちらと見ているし、その眼差しは何かを探っているようだ。
しきりに時間を気にして手持ちの懐中時計を確認している。
ふと、彼がこちらを見た。
刺すような視線。
思わず身構えそうになるが、ぐっと堪えた。
何気ない表情で、ルシアンはさっと視線をローゼルに落とす。
あの男、ここに侵入している段階で相当な手練れだろう。
当然、要職の人間はすべてマーク済みなはずだ。
この会議の警備最高責任者のルシアンのことは確実に要注意人物とみなしているに違いない。
ルシアンはわざとローゼルに他愛ない質問をする。
「すごいね、王宮に寝泊まりしてまで調査したんだ?」
「はい、頑張りました」
「そうだろうね」
ルシアンは苦笑しながらも、男の視線を意識する。
その時、例の怪しい男の背後に、さり気なく立つ文官数人が目に留まった。
彼らの目線がそれとなくその男を追う。
(あれは……)
何度か顔を合わせている文官で、宰相の直属の部下たち。
男を監視している?
宰相に視線を投げると、宰相もこちらを見ていて、そして重々しく頷いた。
「で、他に調査したメンバーは今どこに?」
ルシアンは、そのままローゼルに尋ね続け、会話を引き延ばす。
「ええと、私一人です」
「一人? なんで?
こういうのは数人で一気に進めるものだろ?」
ルシアンの素朴な質問に、ローゼルは苦笑する。
「ふつうはそうなんでしょうね。
ですが、総務から人員は割けないと言われ、実質私一人です。
もちろん、総務省宮廷監査室のバーンズリー室長の指示の元、行いましたので決して独断行動ではありませんよ」
ローゼルは手を振って、自己判断で勝手に行ったわけじゃないと弁論する。
その仕草すら、小動物を思わせるような仕草だった。
ルシアンは、男の視線をひしひしと感じながらも、改めて目の前の彼女を頭の先からつま先まで観察した。
見れば見るほど、顔立ちの整った女性だ。
肌も血管が透けるんじゃないかと思えるほど白く、透明感が半端ない。
(はあ、マジか)
見れば見るほど、タイプだ。
いやいや、そうじゃなくて。
ルシアンは自分の個人的な想いを打ち消す。
こんなに華奢で小柄な女性。強盗にでも襲われたらひとたまりもなさそうな美少女を皇族会議のためとはいえ、寝泊まりまでさせて仕事をさせるとは。総務の連中は鬼畜か。
とはいえ、鬼軍師なんて呼ばれている自分が言う台詞でもないが。
男の視線は、まだねちっこく、こっちにあった。
(まったく、参ったね)
あの男がここまで侵入でき、また魔法陣を何か所にも施したことを考慮すると単独犯と考えるのは難しい。必ず仲間がどこかに潜んでいるはずなんだ。
(同じ仲間ならまだいい。
それよりも、手引きした身内がいるかもしれない)
裏切り者のあぶり出しは、何かと骨が折れる――。
「なあ、イースティリア女官。
ここまで徹底的に調べて、さらに目視確認しろっていうのもバーンズリー卿の指示なのか?」
「いいえ、目視確認は私が独断でやりました。
こんな大きな会議の身元調査を一人でするなんて不安だったんです」
ローゼルはまた両指を絡めてこねくり回し始めた。
ルシアンは、目を見開いてさらに驚いた。
(は? これだけの人数を自主的に一人で調べまわった?)
自ら動いて情報収集し、その上、怪しい奴も浮き彫りにするのは、そうそうできることじゃない。
(この子、見た目は弱そうな深窓の令嬢なのに、意外とやるな)
その時、ようやく、男の視線が逸れた。
ルシアンに向けられる殺気は完全に消えた。
僅かに解放されたような心地になる。
ちらっと男に視線を飛ばした。
男は何気ない顔で従者を装い、作業に入っている。
あの様子だと、ルシアンとローゼルが話し込んでいることに不信感を抱いていないようだ。
(俺の居場所の確認だけか?)
まあ、それならそれでいい。
一番の懸念事項は、彼女が見つけた爆発魔法陣だった。
それも宰相の指示で王宮魔術師がうまく対処してくれるだろう。
じゃあ、次、俺がすることは決まっている。
「あの……」
ローゼルは急に押し黙るルシアンの表情を不安そうに窺った。
「イースティリア女官。
申し訳ないが俺にも協力してくれないか?」
「はい、もちろんです!」
ルシアンが曖昧に微笑むと、途端にローゼルがぱぁっと目を輝かせた。
胸がどきりとした。
動悸が激しくなっているのを感じた。
可愛いな――。
小さくても一生懸命頑張る彼女。戦々恐々としながらも魔法陣を見つけ、上官に報告する彼女。ルシアンの想像上だが、その姿は容易に思い描けた。
笑ってくれると、こんなにも愛らしいのか。
ルシアンは、気づくとローゼルの頭を撫でていた。
柔らかな髪。
びくっとローゼルが肩を震わせて、顔を真っ赤にしてルシアンを見上げた。
蜂蜜色の双眸が潤み、頬はりんごのように赤い。
その表情にルシアンは全身の血が沸騰したような心地になった。
「ご、ごめん。つい……」
ルシアンは慌てて手を引っ込めた。
軽いパニックに陥っていた。
(俺は何やってるんだ。
くそ可愛いからって任務中に煩悩に負けるなんて……)
パニックは、歓喜と甘酸っぱい疼きに満たされる。
しかし、ローゼルの困惑する表情に、潮が引いていくようにこの緊急事態を思い出す。
仕切り直すようにルシアンはコホンと咳払いをした。
(あの不審者、今の見ていなかっただろうな)
動揺を押し隠し、ルシアンは男を盗み見た。
そこで、ルシアンは男の動作に違和感を抱く。
時折、思い立ったように動作を止める。
口元を見れば、なにやら魔法詠唱しているではないか。
任務で培った読唇術で読む。
そもそも、彼の魔法詠唱は、ここの言語ではない。
次期辺境伯嫡男としての教育で学んだ基礎的な言語だけだが、内容を察するには十分だった。
彼の視線の動きとその詠唱のニュアンスから、護衛騎士の配置や魔力量を探っている――。
「時間はないようだな」
独り言に近い声で呟いたルシアンは、小柄な彼女に圧迫感を与えないよう少し屈んで視線を合わせた。
「イースティリア女官、いいか?」
「は、はい。何なりとお申し付けくださいませ」
ローゼルは頬を薔薇色に染め上げ、ますます目を輝かせた。
まるで上司に認められて無邪気に喜ぶ部下と同じ反応だ。
使命感に燃える中にも、自分への信頼と羨望を感じた。
ルシアンは、その反応がなんだか可愛くて、嬉しくて、つい、くすっと笑った。
「それじゃあ、第2騎士団団長アラン・リックランスは分かるか?」
「はい、分かります」
ルシアンはローゼルの肩越しに、それとなく男に視線を投げて言う。
「そのアランにこの一部始終を報告して。
それから、デメトリオ宰相にアランからこう言うように伝えて。
『ただいまより魔法騎士団が秘密裏に魔法陣破壊、および、侵入者の確認を行います。
しばらくしたら不審者をそちらで廊下に出るよううまく誘導して下さい』ってね。
どう? いけそう?」
ルシアンはローゼルの双眸を覗き込むように確認する。
「できます。承知いたしました。こうですね」
ローゼルは真っ直ぐルシアンを射抜き、指示を復唱した。
「よろしい。完璧だ。
で、それとだね……」
ルシアンは顔を上げた。
さっきから殺意めいた視線を感じていた。
それはあからさまな凶暴的な物々しいものに近い、どちらかといえば嫉妬剥き出しの、仲間内からの視線。
(まったく)
何でアイツはこっちをさっきから睨んでるんだ?
殺意を込めたような視線を向けてきたのは、弟子である第1魔法騎士団所属エヴァン・ゴルマンだ。
さっきからずっとこっちを凄んで睨みつけてくる。
第1魔法騎士団は皇帝陛下の身辺を守る近衛騎士でもある。
(おい、そこ、こっちを見てないで、皇族の動向を見てちゃんと守れ)
ルシアンはエヴァンを睨み返すが、その意図をエヴァンには伝わっていない。
しばらく不毛な睨み合いが続いた。
根負けしたのはルシアンだった。
このまま味方同士で睨み合っていても埒が明かない。
ルシアンは気を取り直してローゼルに向き直る。
「ええと、イースティリア女官はジル・エグアルム前侯爵お墨付きの魔力感知能力があるんだよな?」
「はい、あります」
「俺たち騎士たちは人から向けられる殺意には敏感だ。
だが、人以外の魔力感知が苦手な者も多い。
見つけた三箇所以外にも魔法陣がないか、騎士たちと一緒に王宮内を隈なく探して欲しいんだ。
王宮魔術師たちも探すだろうが、こういうのは一人でも多く、検知できる人の力が必要だ」
「はい、私で良ければ喜んで!」
「ありがとう。
で、そのまま騎士たちと陛下のご所望するとおり、隠密に魔法陣を探す協力も頼みたい。
だが、その際、王宮や王城の至るところに不審者が潜んでいるかもしれないから、攻撃には充分気をつけて」
「承知しました。
私の身までお気遣いいただき、痛み入ります。
簡易的な防御魔法は使えますが、騎士の皆様の足枷にはならないように充分注意いたします」
言い切るローゼルにルシアンの肩がぴくりと動く。
「へえ、君、魔術師でもないのにすごいね。
防御魔法まで使うことができるの?」
ルシアンの質問にローゼルはきょとんとした。
「はい。できます」
ローゼルは、躊躇いもなくルシアンをまたまっすぐ見つめる。
ルシアンは苦笑した。
この子、本当に自覚ないんだな、どれだけ自分がすごいことをやりのけているか。
「まあ、無理だけはするなよ。
仮にも嫁入り前の令嬢なんだから。
傷がつくのは良くない」
「はい、ありがとうございます。
頑張りまふ」
妙に気合を入れて台詞を噛むローゼルにルシアンは吹き出した。
「あはは、本当大丈夫?」
ルシアンが笑うと、またエヴァンからの鋭い殺意に似た視線を感じた。
(ったく、面倒くさいな)
「ああ、んで、えーと、イースティリア女官。
エヴァン・ゴルマンは分かる?」
ルシアンが頭を掻いて尋ねると、ローゼルは一瞬顔を歪めた。
が、次の瞬間には「はい」と何事もなかったように元気に笑顔で返事をする。
(なんだ? 今の表情。気のせいか?)
違和感を抱いていると、ローゼルはにこやかな笑顔を浮かべて言う。
「分かります。
あの方にもアラン・リックランス第2騎士団団長同様にお伝えして、協力して魔法陣を探せばいいですね」
「ああ、理解が早くて助かるよ。
細かなことはエヴァンがいいように全部采配するはずだ。
あれは俺の弟子だから、こういう時どう動けばいいか分かっているはずだ。
そうそう、ついでにエヴァンには『総帥に連絡も頼む』と伝えてくれ。
そうすれば、控えていた総帥も動いてくれるはずだから」
「わかりました」
「それじゃあ、よろしくな。イースティリア女官」
「はい! 頑張ります」
ローゼルは笑顔で、今度は噛まずにちゃんと言って、そそくさとアラン・リックランスに向かって歩み出す。
自分より大きな体格の貴族たちの間をするするとすり抜けて、ローゼルは歩き進む。
その後ろ姿を見送り、ルシアンがアランに目配せをした。
彼はすぐさま気付く。
その直後にローゼルが人込みをかき分けて、アランの元に辿り着いた。
それからローゼルは手振り身振りで必死に伝える。
その仕草がなんとも小動物を彷彿させ、なんとなく笑いが込み上げた。
その後、アランがこちらを見、意味深に微笑む。
何気ない仕草で、そのままデメトリオ宰相の元へ行く。
伝書鳩の役目をひとつ終えた彼女は、次の任務へ、エヴァンのところに向かう。
エヴァンはローゼルがこちらに向かって来るのが分かると、分かりやすく頬を赤く染め上げた。
目をキラキラと輝かせ、口元を引き締めようとしているみたいだが、つい緩みそうになってひきつっている。
まるで飼いならされた人懐っこい大型犬そのもの。
飼い主が玩具を持って遊んでくれる、そんな感じだ。
(は~ん、さてはアイツ、あの子に惚れてるな)
だから、俺があの子と話し込んでいることに嫉妬してあんな視線を向けてきたのか。
あんな分かりやすい視線を投げつけるとは、まだまだ修行が足らん。
鍛え直しだ。
だが、ローゼルの顔は強張っていた。
エヴァンとはあまりにも対照的で、ルシアンは首を捻った。
忠犬のように尻尾を振ってローゼルの到着を待つエヴァンに対して、ローゼルの表情はひどく硬い。
(アイツ、実はあの子に嫌われてんじゃないのか?)
だが、エヴァンは終始緊張感のないニコニコ顔で聞き入れ、チラッとルシアンに、にかっと嬉しそうに笑って目配せする。
バカめ、分かりやすすぎだろ。
ルシアンは額を抑えた。
エヴァンはローゼルを嬉しそうに促し、共に広間の端に移った。
エヴァンは、壁沿いで警備にあたっていた第1魔法騎士団の団長に声をかけ、端的にこのことを伝えている。
団長は素早く精鋭騎士を廊下に静かに配備させた。
ルシアンが不審者の男に視線を投げると、彼は給仕の仕事が本格的に忙しくなったのか、いそいそとそっちの仕事に励んでいた。
お陰で騎士たちの動きに気づいていないようだ。
彼の手が空けば新たなお菓子を用意させ、次々に焼き菓子を並べる指示が飛ぶ。
その指示は、宰相とアランが巧みに采配しているようだ。
首尾は上々。
ルシアンは、ふっと口元を獰猛に釣り上げる。
外部の音を遮る結界が張られているなら、それを利用するまで。
廊下にさえ出れば、男に軍部の動きは悟られない。
恐らく今頃、エヴァンの指示で何十人もの騎士が廊下に立ち並び、部隊ごとに割り振られている。
そして、ローゼルを伴い、騎士たちは颯爽と会議広間の廊下へと去って行く。
――反撃はここからだ。




