第15話 孤立無援の軍師と子リス女官の遭遇
ローゼル・イースティリアと初めて会ったときの記憶は、とても鮮明に憶えている。
――あれは、皇族会議当日だった。
ルシアン・クレインバールは、宮殿の会議広間で警備最高責任者を任されていた。
だが、今回の警備案は、軍部の存在意義を失うような最悪な案だったため、ルシアンは不機嫌だった。
あんのタヌキ大臣め。
不機嫌の元凶であるタヌキ、もとい、その人物は今回の皇族会議の総責任者、総務大臣ビアード伯爵だ。
剣術の本格的な経験もない素人大臣。
そんな畑違いな彼が提案した警備案は、軍部警備の意味をまったく成さないお飾りのものばかりで、緊急事態に全く備えられていない。
軍部からの苦言に、彼は耳を貸す気はさらさらなく、何を根拠にか、「私の計画に問題は何もない」と一点張りでガンと譲らない始末。
多方面からの圧力もあり、結局強引に押し切られ、彼の警備案を採用することになってしまった。
総騎士団長を務めるルシアンにとって、まさに痛恨の極みだ。
(あの男の目的は分かっているんだよ)
武官ではなくとも、文官が軍部の頂点に立っても問題ないことをこの会議で示し、自分と相反するハウルデュース公爵を軍部最高司令官の統帥の座から引きずり下ろす――。
軍部を丸ごと支配下に置きたい。
それが彼の最終目的だ。
(要は、文官による軍部掌握が狙い)
もしこの会議で何かあったら――。
決して言葉にはしたくないが、繰り返しそんな不安が胸に浮かんでくる。
あの大臣の性格からいって、何かあれば尻拭いは軍部にさせ、責任も軍部に転嫁してくるのが容易に想像できる。
下手すると、「本来は軍部が行うはずだったが、無理に押し付けられたのだよ」と総務省は被害者なのだ、くらいは言っても驚かない。
あの男が所属する貴族派閥は、昔からすべて悪いことは「人のせい」なのだ。
(ちっ、忌々しい男だ)
ルシアンは内心で舌打ちをする。
目的達成のためには、皇族が大きく関わる会議に魔法騎士には口出しをされたくない。
背後には権力欲に塗れた大貴族たちの影がちらついているから、ますます腹立たしい。
――大丈夫、何かあったとしても君は若い、減給処分くらいで済むよう手回しはしておくから。
軍部上層部は、万が一を想定してか、若輩者のルシアンの経験値獲得のため、という大義名分の元で警備最高責任者を押し付けてきた。
なんて冗談めいて上官たちに言われたが、あれは絶対違う。
(なにが、経験値獲得だよ。
面倒な任を押し付けやがって。
ポンコツ次官あたりに任せればいいものを。
何かあればすべてあの男のせいにすればいいんだよ)
そう思うものの、結局軍部の面子もあるので、無難なルシアンにお鉢が回ってきた。
ルシアンは深くため息をついた。
いくら万事に備え、バックアップ体制は万全とはいえ無茶振りは甚だしい。
――軍師たる地位にいるなら、こんな杜撰でお粗末な警備でも使役し得るありとあらゆる全権力と情報網を駆使して解決できるよな?
総帥からの無言の圧力。
とてつもないプレッシャーだ。
ここまできたら、腹を括るのみ。
(任せられたのだから、やり切るしかない――。それのみだ)
ルシアンは改めて広間を見渡す。
深呼吸をし、瞼を閉じる。
怪しい魔力が城内にないかと、魔力感知能力を作動させた。
こうなったら徹底的に警備するしかない。
ゆっくり目を開けると、人々の魔力を感じた。
感じる魔力は、ひとりひとり異なる。
だからこそ、魔力量の多い人物ならだいたいどこに誰がいるのか察知できる。
(ん? なんだ、これは……)
違和感を覚えた。
紗がかかったように全体像がぼんやりとする。
視界が揺れる。
すべてが朧気だ。
どういうことだ?
こんなふうに感知できなくなるのは初めてだ。
(ひょっとすると、ここに魔力の強い皇族と大貴族だけが集う会議室だからか?)
ルシアンは広間を探る目つきでジロジロ見廻した。
徐々に会議参加者たちも集まってきている。
穏やかに和やかに集う人々。
当然、戦場のように殺意が剥き出しになるようなことはなく、なんとなく魔力がたくさん漂っている。
全員曖昧にしか魔力を感知できない。
そう混乱していた時、彼女が突然声をかけてきた。
「あの、すみません」
まさに意表を突かれた形だった。
気配がなかった。
見ると、そこには小さな女性がいた。
小柄で華奢。高く結い上げた栗色の髪は柔らかなウェーブがかかり、絹糸のように艶めく。
蕩けそうな甘い整った容姿に、くりっとした大きな瞳。蜂蜜色の双眸がとても印象的だ。
若干不健康そうなやつれ方が気になるが、美少女であることには間違いない。
(誰だ?)
これだけ可愛い令嬢だ。
どこかの令嬢が行儀見習いで王宮に来ているのだろうか。
いや、女官の制服だ。
それだけで驚嘆に値する。
官吏登用試験はこの国の国家試験で最も難しい。
英才教育を幼少期から受けていた男でも九割は落ちるという狭き門なのに、それを女性が潜り抜けて官吏になるということは、それだけ彼女が才女である証だ。
へえ、これはすごい。
この小さい頭にどれだけの知識が詰まっているのだろうか。
小柄な女は好きだ。
ちょこまか動く姿がなんとも愛らしく、見ていて飽きない。
自分が大柄で図体も態度もデカいせいか、小さいものには庇護欲を無性に掻き立てられる。
情報収集と魔力安定のために通う娼婦館にも小柄な女はいるが、こんな賢そうな顔つきではなかった。
女官になれるほどの貴族令嬢と娼婦を比べるなんて彼女に失礼ではあるが、それだけ格の違いが歴然だった。
官吏は、特に文官官僚は多忙ゆえか不健康さや肌の青白い者は多い。
彼女も否めないが、それでも一際透明感あって、黙っていても漂う品の良さや聡明さは隠しきれない。
ますます好感を覚えた。
けど、女官は嫌いだ。
どことなく武官を軽んじている節があるし、なんだか気取っていていけ好かない。
頭が良いからってやけにプライドも高く、扱いにくい。
よくよく見れば、この小さな令嬢もちゃんといっちょ前に女官独特な雰囲気がある。
彼女は分厚い書類の束をぎゅっと抱き直した。
「どうされました? 女官殿」
ルシアンはいつも通り、外面のいい笑顔を浮かべた。
たいていの令嬢はこの笑顔で満足する。
稀に調子に乗って積極的にアプローチする女もいるが、その場合は冷たく追い払えばいい。
「あの……突然、任務中に話しかけて申し訳ございません」
目の前の小さな女官は、そのどれにも当てはまらなかった。
緊張で強張った顔つき。
やけに神妙な雰囲気を漂わせる。
「私、王宮内務官法務省ライアナース卿の部下 ローゼル・イースティリアと申します」
キュっと一文字に結んだ形の良い唇が早口で自己紹介をし、慇懃丁寧にお辞儀をした。
「法務省、ほう、それはそれは」
ルシアンはさらに感嘆した。
法務省は、国内外の法律を網羅しなければ務まらない部署だ。
要は賢い連中の中でもさらに賢い奴が集まるところ。
あそこの大臣は、ジョージ・ライアナース伯爵だ。どこの貴族派閥にも属さぬ中立貴族で法曹一族。
彼の直属の部下になる者は、貴族らしい虚栄心があまりなく、思慮深くて正義感が強い、真面目で優秀な人材ばかりと聞く。
実際に彼女も実直なライアナースが好みそうな人選だ。
(けど、この子がイースティリア……。
まさか、「法務省の女官ローゼル・イースティリア」か?)
真面目一徹の見目麗しき貴族、メイット・イースティリア子爵を父に持ち、その勤勉さと美貌を兼ね備え、入省数年で法改正審議メンバーにも選抜された若き女官エース。
滅多に女官に目をかけない各署の上層部も、彼女には一目を置いているとか。
ルシアンは勝手に、イースティリア女官はさぞかし父親似で堅物で朴訥とした大柄な女なのだろう、と妄想逞しくしていた。
だが、実際はこんな小動物のような愛くるしい美少女女官だったとは。
いい意味で度肝を抜かれた。
「し、至急お伝えしたいことがあります」
ルシアンの迫力に負けて緊張しているのか、小柄なローゼルはもじもじ両指をこねくり回しながら硬い表情で口を開く。
まるで怯えてる子リス、小動物そのものだ。
(緊迫していると言っているが……。
申し訳ない、可愛すぎて全然緊迫感を感じないぞ)
「ああ、なんだい?」
思わずニンマリしてしまう。
そんなルシアンの思いとは裏腹にローゼル・イースティリアは緊迫した面持ちのまま、一歩近寄って声を潜めた。
「あの、あのですね。事態はとても切迫していて、すすす、すごーく大変なことが起きてまふ」
「うん、大変なことね」
噛み噛みになっているローゼルに、ますますルシアンは目尻も下がり、口元が緩む。
「あの、お、驚かないで聞いてください。
ええと、不審者がこの広間内にいます」
「は? 不審者?」
ルシアンは、ぽかんとした。
彼女の可愛らしいフォルムとは大きく異なる剣呑な単語だ。
「はい、不審者です」
ローゼルは切羽詰まったような顔つきになる。
「さらに、この建屋のいくつかのお部屋に魔法陣が描かれており、それはすべて攻撃魔法の一種でした」
「え? 魔法陣?」
おいおい、ますます穏やかじゃいられない話になってきたぞ。
「ごめん。ちゃんと状況を確認したいから、順序立てて最初から話してもらえるか?」
「ええと、申し訳ございません」
ローゼルは肩を震わせ、頭を下げる。指先がもじもじと絡み合う。
それからしっかりとルシアンの目を見据えた。
その揺るぎない眼光にどきりとする。
「事の発端からご説明いたします」
彼女を取り巻く空気が凛とした。
「私は今現在、王宮内務官として皇族会議の主催部署、総務省のお手伝いをしております」
ローゼルは皇女のお遣いで扇を取りに行く最中に見つけた不審な魔法を感じたことを、冷静に言葉を選びながら話した。
ルシアンのこめかみが動いた。
「それ、本当に間違いない?」
冷静に聞き返す。
「はい、間違いありません。一応私、魔法の初歩的なことはすべて記憶しておりまして、特に魔力感知能力は鋭く、魔力感受性も高いと父や祖父から一定の評価を得ています」
「ほう」
確かに彼女の父親は土魔法の最高峰を極めたスペシャルリスト。
祖父も著名な魔術師だったはず。
「魔法陣の特徴は?」
ルシアンの質問にローゼルはハッキリとした口調で答える。
「火の属性の攻撃魔法です。
あれは、遠隔トリガーが組み込まれていて、起動条件を満たすと爆発します。
かなりの危険物だと想定いたしました」
ルシアンは息を呑んだ。
「君、魔法陣、読めるの?」
「はい、読めます。私自身は拙い魔法しか使えませんが、基礎構造の読解は問題ないので、魔法陣の内容に間違いはないと思います」
拙い?
ルシアンは眉をひそめた。
魔法陣の解読は難しい。
複数の術式や属性が絡み合い、術者ごとの流派や魔力の癖まで反映されるため、部分的に読んでも誤解しやすい。
王宮魔術師ですら、他者の陣を正確に解くには長年の経験が必要だ。
困惑するルシアンに気付かず、ローゼルは慌てて続けた。
「それですね、その魔法陣、面倒なことに隠匿魔法で隠されてました。
しかも、天井に描かれてます。
魔法陣は先程申し上げましたとおり、攻撃魔法で爆発系です。
不肖ながら私の専門属性は水魔法です。
緊急事態だし解除くらいできるかもって試みたのですが、やはり私の魔術では拙く、解除も破壊も全然できませんでした」
ローゼルは肩を落とし、申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
相手の魔法に打ち勝つには、シンプルにその相手より魔力量が強く、技術が優れていることだ。
魔法陣を打ち破るには、描いた者以上の魔力量と知識、技術が必要。
彼女は基本法則を理解している。
魔法保持者なだけあってその辺りの教育をちゃんと受けているのだろう。
(とはいえ、この子、自覚ないのか?
ここまで出来るのは、すでに中級レベルどころじゃない。
かなり上級者向け領域だ)
ルシアンは平静を必死で装いながらも、内心の驚愕を隠せなかった。
「私、他にも嫌な感じがしてこの建屋内の魔力感知をしました」
「他にも?」
ルシアンは探るような鋭い目つきで、ローゼルを見た。
「はい。この建屋には会議広間の隣の隣のサロン専用部屋、一つ下の階層の、まさにこの広間真下、王室礼拝堂控室、全部で三か所の天井に賓客室と同じ魔法陣があります。
なんとなくですが、ここの建屋から離れた塔にも妙な気配を感じました」
「え? 俺はそこまで感じなかったぞ?」
ルシアンは混乱した。怪訝そうな声に、ローゼルは肩を震わせた。
「あ、あの、お気付きじゃないですか?」
「なにを?」
ルシアンが眉根を寄せて尋ねた。
「この部屋には外部防音・防魔感知の結界が張られています。
外部の音や魔力を遮断し、内部の者には気配すら曖昧にしか伝わらないものです」
「ん? 外部防音……なんだそれは?」
そんな結界、初めて聞いた。
軍部にそんな情報は入っていない。
険しい表情になったルシアンに、ローゼルはますます蒼ざめ、やや早口になってしどろもどろになって言う。
「えっと、最近、他国の論文で発表された新型の結界で、感知に特化した者でも、せいぜいぼんやりとした気配しか拾えないため、内部は外界から切り離されたも同然なのです」
そんな秘匿結界は知らない。
(なんでこの女官が知っているんだ?)
とはいえ、その疑問はあとから本人に聞くとして、これで腑に落ちた。
だから、さっきから魔力感知がぼんやりとしか出来なかったのだ。
これはよくない。
非常にまずい。
「ああ、やっぱりぃ」
突如ローゼルは頭を抱えた。
「やっぱりって、何だ?」
「……ええと、これ、私が言ったって内緒にしておいて下さいね。
あとで叱られてしまいます」
「ああ、それはもちろん」
「これ、今朝方の最終打ち合わせのときに、総務大臣補佐官の秘書が総務大臣に提案してたんです。
『皇族の皆様が心置きなく会議に集中できるように』って。
それで大臣はその場ですぐに結界を張らせたんです」
「はあ? なんだそれ、そんな話、軍部側には知らされてないぞ」
ルシアンは苛立ち、恫喝の声が滲んだ。
「そ、そうですよね……」
ローゼルの語尾が弱くなる。この先を言うことは憚れると身を縮こまらせて、再び指を捏ねくり回す。それでも、そっと口に出す。
「他の総務の官僚たちは『新しい結界を張るなら警備体制が変わるから軍部と相談しましょう』ってそう大臣にちゃんと進言してたんです。
けど、大臣は『軍部や各署にそんな報告は不要、万が一軍部がこれくらいの結界を見破れないのであれば、それは軍部の職務怠慢。
すべて総帥の責任になる』と仰られてまして……」
ルシアンは、ギリッと奥歯を噛みしめた。
緊急事態を考慮し、結界を張る場合は必ず軍部に連絡しろ、とあれだけ口酸っぱく言ったのに。
(あんの糞タヌキ大臣が!)
ルシアンは怒りのあまり、目の前が真っ赤に染まった。
それでも必死で怒りに蓋をし、頭を最大稼働させる。
本人への処罰はあとだ。
現状をどう打破する?
爆弾魔法陣を三か所も仕掛けられているとのこと。
ここで全館避難をさせれば、大騒ぎとなる。
そして、軍部の職務怠慢として総帥は引きずり降ろされる。
いや、この際、体面を考えている場合じゃない。
全員避難することが先決。
そうみんなが避難できればいい。
この混乱に応じて遠隔操作で魔法陣を起動されでもしたら――。
まさに魔法陣を仕掛けた賊の思う壺。
想像以上にこれは窮地に立たされている。
ルシアンは全身の血が逆流するような感じがした。
(もはや、これは俺一人が立ち回ってもどうしようもない)
宰相のデメトリオ公爵に、軍部上層部として指令を出そう。
そうすれば、総帥たち上層部が後方支援を行う手筈になっている。
「あの、クレインバール卿」
ローゼルの蜂蜜色の双眸とばちっと目が合った。
まったく何の躊躇いもなくこちらを覗き込む。
「この結界のこと含め、三か所の魔法陣についてですが、先程私の上官ライアナース卿からデメトリオ宰相様に直接ご報告し、確認していただきました」
「宰相に?」
思わずルシアンにひきつった笑みが浮かんだ。
「はい。それで宰相様から急ぎ王宮魔術師に応援要請もしていただくことになり、そのままその三か所は解除してくれる手筈になっております」
「ほう……」
ルシアンは息を呑んだ。
まさかこの小さな女官が、直上官をうまく使って瞬時に国家の最高中枢に情報を行き渡らせるとは――。
ついさっきまで、自分が孤立無援状態の行き詰まった胸中であったが、あっという間にそれは解消された。
目の前の彼女の機転のお陰で――。
救世主、とまではいかないが、それに近い畏敬の念を抱いた。
さすが、名が高い「法務省の女官ローゼル・イースティリア」だ。
「それで、クレインバール卿。
改めまして宰相様から預かった伝言を申し上げます」
ローゼルはたじろぐ様子もなく、ルシアンの顔を見上げている。
「『私が動けば、不審者に気づかれる。
だからイースティリア女官を伝書鳩にする』」
ローゼルは硬い口調で言った。
「……ふうん。そういうことか」
ルシアンは顎を撫でるように触った。
間違いなく、目の前の彼女は人畜無害に見える。
ただ頭のいい、小柄で器量よしの若い女官。
じわりとルシアンの唇が釣り上がった。
「そして、皇帝陛下のご意向をお伝え致します」
ローゼルは声をぐっと潜ませた。
おのずと、ルシアンの背筋が引き締まった。
「宰相様が魔法陣の件を皇帝陛下に報告し終えましたところ、陛下はこのまま会議を続行したいとのことです。
そして、逆にこの結界を上手く使うようにと。
つまり、それに応じた動きを軍部に所望されています」
「なるほどね」
軍部以外の大貴族、ならびに皇族たちに知られないよう秘密裏に解決しろってことか。
外部に一切の魔力も音も漏らさない新型の結界。
総務大臣は軍部を嵌めるために用意したのだろうが、これほど好都合な舞台はない。




