第14話 忘却できない強い光と輪郭
会議広間には、すでに関係者が出入りし、参加皇族たちの何人かが席に着いていた。
ローゼルにとっては雲の上の存在のような人たちばかり。
一瞬、その場の雰囲気に呑まれる。
広間に入ると、運よく直上官の法務大臣ライアナース伯爵を見つけた。
不惑を迎えるライアナースは白髪交じりの渋さと色気を兼ね備えた、いわゆるイケオジ。
眼鏡を外す何気ない仕草だけでも、大人の男のフェロモンが漂う。
彼の息子たちも父親の遺伝子を受け継ぎ、全員顔面偏差値がやけに高く、結婚した今でも令嬢たちに密かに人気だ。
「あの、ライアナース卿」
ローゼルが声をかけると、ライアナースもローゼルに視線を投げた。
「ああ、久しいな。イースティリア女官。
総務省でのお手伝い任務、ご苦労だったな」
屈託ない笑顔を向けられ、ほっとしてローゼルは思わず泣きそうになった。
「いえ、とんでもございません。
あの、折り入って今ご相談をしてもよろしいでしょうか?」
「ここで? 構わんが。
どうした?
何かあったのか?」
切羽詰まったローゼルの表情にただならぬ気配を察して、ライアナースは心配そうにローゼルの顔を覗き込んだ。
(ああ、ひょっとしたら、この上官は私がまた変な官僚に襲われでもしたのかと心配してくださっているのかもしれない)
ライアナース卿は、実の父よりも父親っぽい。
いつもローゼルのことを気にかけてくれる。
「あの、すごく、すごいものを見てしまいました……」
ローゼルの声は震えていた。
戸惑いを隠すことなく、必死で今見て来た事全てを身振り手振り交えて打ち明けた。
徐々にライアナースの顔が険しくなっていく。
「イースティリア女官、一緒においで」
短く強い口調でライアナースは言うと、集まり始めた大貴族の輪の中にぐいぐい入って行く。
彼は迷わず、一人の貴族に声を掛ける。
「宰相殿」
国の政治の中枢の地位にいるレードリック・デメトリオ公爵だ。
ローゼルは緊張した。
ライアナースと並ぶイケオジ貴族の一人。
穏やかで常に笑みを湛えたような柔和な雰囲気がある。
聡明で先見の明があり、人格者である一方、目の奥底はいつも鋭く光っており、政治家として残酷な判断を平然と下せる冷血な一面も持つこの国の最高権力者。
一介の子爵令嬢の女官であるローゼルが、宰相にここまで近くでお目にかかることは滅多にない。
まさに雲の上の人物だ。
本来ならば、ライアナースにもこんなに気軽に話せる立場でもない。
女官となり、彼の部下だから気軽に相談できるだけ。
ライアナースはローゼルが硬直している傍らで、そっと宰相に近寄って耳打ちをする。
宰相は眉をひそめ、ローゼルに怜悧な視線を投げた。
目が合い、びくっとした。
顔は穏やかなのに、目は全然笑っていない。
むしろ、怒気が滲み出ている。
「そうか。では、私の使い魔に確認させよう」
宰相が顎をしゃくって、視線を遠くへ飛ばした。
ローゼルは静かな視線を感じて振り向いた。
そこには見たことがない美しい侍従の若い男がいた。
紫の髪に黄金の双眸。
非常に整っている顔立ちなのに、不思議と印象が定まらない。
それどころか、大きな男なのに全然圧迫感を感じない。
貴族や皇族の社交辞令や美辞麗句が混じり合う腹の探り合いのしらじらしい会話の喧騒の中、まるでその男の周りだけが静まり返っている。
酷く静かで空気まで温度が低く思えた。
(なんだろう、この男の人)
ローゼルはきょとんとした。
すごく不思議な感じがした。
彼からひしひしと強い魔力を感じるのに、気配がない。
でも、怖いという感情は湧き起こらない。
「ほう、君はあれが見えるのか?」
ふと宰相がローゼルに問いかけた。
思いがけず、すぐそばに宰相がいて、ローゼルは慌てた。
「え、あっ、はい」
ローゼルは慌てて恭しく頭を下げて返事をした。
「あれはね、私の使い魔だよ。
一定以上の魔力感知能力がある者にしか見えないんだ」
「使い魔……」
精霊の一種か何かだろうか。
「イースティリア女官といったね?」
「はい」
「ライアナースに報告した件について、もっと詳しく教えて欲しい。
一体どこの部屋にあったか頭の中で思い浮かべてくれないか。
ほんの少しだけ君の頭の中を私のアレに探らせてもらいたい」
「私の頭の中ですか?」
ローゼルは一瞬顔を強張らせた。
「なに、身構える必要はないよ」
宰相はふと柔らかく微笑んだ。
「禁術魔術でも精神干渉系の魔術でもない。
君に決して害は与えないから。ね?」
「しょ、承知しました」
ローゼルは背中に冷たいものを感じながら、視線を床に落とした。
上官の命令は絶対だ。
ローゼルは走り回る途中で魔法陣の気配を感じた部屋をなるべく強くイメージした。
走って広間に向かう途中、他にも二箇所。同じような禍々しい気配があった。
つまり、魔法陣は全部で三か所あった。
どれもこれも似た火属性の爆発する魔法陣で、若干魔術式の内容に相違はあったが、すべて隠匿魔術で綿密に隠されていた。
隠匿魔術は最初に解除したものと同じ構造だったので、すぐに解除できた。
その解除したときに読み込んだ魔術式も鮮明に思い出す。
ぐらりと視界が揺れたような気がした。
だが、それは一瞬だった。
「重畳」
宰相の声でローゼルははっと我に返った。
束の間の沈黙。
宰相と目が合った。
「イースティリア女官、魔法陣は確認できた」
「え、もう?」
ローゼルは驚いた。
振り向くとさっきの静かな大男の姿はない。
そう思った次の瞬間、静かな男がいつの間にか宰相のすぐそばに立っていて、ローゼルは息を呑んだ。
男は宰相に耳打ちをしている。
(す、すごい)
使い魔は人ならざるモノ。
ローゼルの想像の域を出ている。
瞬間移動という高等魔術、しかも魔力残滓を感じないということは、やはりこの男は精霊の一種――。
奇妙なことに周囲は誰も彼の動きに注目していない。
(本当に見えない人には見えないんだぁ)
「ライアナース卿、今からイースティリア女官に私から命令を下すがよろしいか?」
宰相はライアナースに尋ねた。
「ええ、もちろんです」
ライアナースがローゼルの肩をぽんと叩いて、にっこり微笑んだ。
「この子は必ずや宰相閣下のお役に立てるでしょう」
宰相のそばにはまだ静かな男が囁き続けている。
「随分とお気に入りなんだな」
やんわりと宰相が微笑んだ。
「ええ、何かと気が利く可愛い部下ですからね」
「そのようだな」
宰相は口角を上げ、ローゼルを見下ろす。
「イースティリア女官、君が見たことをルシアン・クレインバール軍師に伝えてくれないか?」
「私が、クレインバール卿にですか?」
ローゼルはぎょっとした。
軍部でも最高指揮官である総帥の参謀、軍師閣下。
顔は知っているが、一度も話したことはない。
書類のやり取りで軍部と関わるけれど、必ず間には他の官僚や騎士たちが入っている。
王宮の廊下や回廊で遭遇してもすれ違うだけ。
彼もまたローゼルにとって雲の上の人だ。
ローゼルは、胸がどきどきしてきた。
「ああ、そうだ、君が伝えるんだ。
君が不審者だという男は、なかなか聡い男のようだよ。
さっきからこっちをちらちら見ているだろ?
あの男は君の勘づいたとおり、熟練された魔法使いだ。
この国の中枢を担う主要人物をちゃんとマークしている。
私たち大臣の動きを監視している」
ローゼルは奇妙な動揺を覚えた。
言われてみれば……。
じっとりと絡みつくような、という言葉がぴったりくる視線。
「ここで私が動いたら、きっとあの男は悟る。
そうしたら魔法陣を発動するかもしれない。
その点、君はノーマークだ。
年若い女官に過ぎない、相手にもするまい」
静かに穏やかに宰相の声が耳に浸透する。
「いいかい。
その手に持っている扇を皇女殿下にお渡ししたら、クレインバール卿のところに行きなさい」
宰相が蜂蜜色のローゼルの双眸を覗き込む。
「そうすれば、あの男も君が皇女の遣いで、私に話しかけたのも皇女関連だと思う。
まさか君が魔法陣に気付いた魔法使いだと気付くこともあるまい」
「なるほど。
承知しました」
ローゼルは納得するように何度も頷いた。
「そうそう、皇帝陛下の仰せも伝えて欲しい」
宰相はローゼルの身長に合わせるように身体を屈み、そっと耳打ちする。
ローゼルは慇懃丁寧に手を胸に添えて首を下げた。
「かしこまりました。
この役目、謹んでお受けいたします」
これから何が起きるのか。
これは、ローゼル最大の女官任務だ。
*
ローゼルは胸が高鳴っていた。
まさか、こんな形で話し掛けるなんて――
ルシアン・クレインバール。
彼とは全然縁がなかったし、これからも交わることのない人物だと思っていた。
エヴァン・ゴルマンは、時折彼が自分の師匠であることを口に出すが、ローゼルが少しでも興味を持つとすっと話題を変える。
まるでローゼルに、彼のことを知って欲しくない、そう思っている節があった。
けど、彼を初めて目にした時の印象は、強くローゼルの中で焼き付いている。
冴え冴えとした強く、静かな光。
それは彼から溢れ出る莫大な魔力のせいでそう見えたのかもしれない。
ローゼルには、彼の存在が無視できなかった。
たぶん、初めて見た時から――。
あれは、どこかの国のお姫様がこの国に遊学にやって来た時。
王城の中庭をお姫様は散歩していた。
官僚たちが多く集う昼食時間。
ローゼルは同期のエレナ・ヴァービナスといつもどおり楽しくお喋りしていた。
その時に、初めて見た。
専属護衛として付き添う、逞しく美麗な騎士――。
薔薇色の頬で輝くような美しいお姫様と並ぶ姿は、まさに物語に出てくるような完璧な構図だった。
一瞬だけ、彼がこっちを見た気がした。
鼓動が跳ねた。
今なお、あの気持ちを表す言葉は見つからない。
あの胸を締め付けられるような息苦しさ。
泣き出したい衝動にじっと耐える絶望感。
婚約者のいる身で決して口にしてはいけない狂おしい感情――。
「ねえ、エレナ、あの黒髪短髪の大きい人が、レイノルドの憧れの総騎士団長?」
気付いたら、私は隣を歩いていたエレナに尋ねていた。
噂の若き天才将軍――。
「うん。そう。
キレイな顔の男の人だよね」
「だね、武官って感じの顔じゃないよね。
でも、身体が大きくてごっついからかな、武官って言われれば武官だって頷ける」
目が吸い寄せられるように、ローゼルはチラチラと彼を見た。
「体格もだけど魔力量がとにかく爆発的に多くて、私はちょっと怖いかも」
ローゼルはもぞもぞしながら、エレナに身体を寄せて囁いた。
「あ~、うん、分かる」
エレナは同意するように頷いた。
そう、あの時、そんな風に言っていたくせに彼の輪郭だけがやけにくっきりしていた。
貪るようにその後ろ姿を追いかけ、来る日も来る日も飽きずに目の前で再現していた。
現在はそこからさらに出世して、総騎士団長に加え、軍事の全権を握る軍師の地位まで兼任しているのだから、より畏れ多い遠い存在。
エレナにも言えない秘密――だからこそ、彼の前に立ったとき、話し掛けたとき、どきんどきんと胸が高鳴り、心がざわめく。




