第13話 隠匿魔法その先に――社畜女官が見つけた深淵
ローゼルは去って行くミシェーラに恭しくお辞儀をした。
けど、内心はどきどきだった。
(ヤバい、とんでもないことをお願いされちゃった)
扇、取りに行かないと……。
ローゼルは顔を強張らせたまま身を翻して、皇女の控室へ向かった。
まさか、今までご縁のなかったミシェーラ皇女に話しかけられるなんて。
これは間違いなく兄のせいだ。
(ああ、んもう、こんな重要案件を申し付かるなんて……!
知らぬ間に巻き込まれるこちらの身にもなって欲しいんだからね)
これほど兄を恨んだことはなかった。
現在兄が留学のお供している皇太子殿下ユリウスとミシェーラ皇女、その姉のアストレイア皇女は同じ側妃から生まれた兄妹だ。
王宮には、正妃の生んだ第2皇子殿下がいる。
王宮は、正妃派と側妃派に分裂し始めていた。
正妃としては「我が子が王位を継がなくてもいい」とお考えのようだが、周囲はそうでもない。
ことに教会派で固められた第2殿下派閥は、正妃の子こそ皇太子にふさわしいと主張をし始めている。
様々な派閥がある中で、ミシェーラ皇女は穏健派。
魔力量は少なく、魔術には疎いとされ、できるだけそういう政治闘争には関わりたがらないようにしていると聞く。
(けど、私に魔力感知できるのを口止めしたということは、ミシェーラ皇女殿下はあえて能力を隠しているのよね)
彼女に魔術能力があると分かると、よからぬことを企む貴族がいるのだろう。
兄アルバートは美貌と才知を兼ね備えながら、普段からローゼルには、過剰なほど甘い。
いわゆる、シスコン。
たぶん、継母の苛めから妹を守りたい一心からなんだろうが、傍から見たらそれは異常に映る光景だったと思う。
あの冷静な父ですら、少々危機感を覚えているくらいだ。
きっと兄のことだ。
その辺の話を自分は皇太子殿下からちゃんと聞いていて、ミシェーラには「何かあれば妹に言えば妹がなんとかします、なにせ、俺の自慢の妹なんで!」みたいな余計なことを言ったのだろう。
その図は容易に想像できる。
ローゼルは半分ヤケクソな気分で、皇女控室でミシェーラの扇を手に取る。
会議広間に踵を返しながら、ふと思い出す。
さっきの、顔を知らぬ身元不明の給仕の男。
彼から放たれる魔力、感じた異様な雰囲気――。
胸の底に冷たい不安が広がっていく。
いつの間にか喉がやけに乾いて、手が震えた。
本来なら皇族会議の総責任者の総務大臣に報告するべきなんだろう。
けれど、どうもあの人は信用できない。
さっきだって皇族に媚びを売るのに必死で、何かあれば他人任せで威張り散らすだけだ。
ころころ指示を変えるし、言っていることは頓珍漢でハチャメチャ。
こっちがいろいろ忖度してあげないと何も出来ない、典型的な仕事できない迷惑おじさん。
総務省宮廷監査室のバーンズリー室長をはじめ、周りの中間管理職者たちが苦労しているか、お気の毒で見ていられない。
それに、朝の最終打ち合わせで出た突発的な案――。
他部署への連絡は不要と、大臣独断で切り捨てたけれど、今王宮の警備体制がどうなっているか分かったもんじゃない。
問題が起きれば「部下が勝手にやった」と責任転嫁するのが目に見えている。
(ひょっとしたら気の利く補佐官辺りが、こっそり関係部署に通達しているかもしれないけど。
期待は薄いなあ……)
とりあえず、このこと全部直上司の法務大臣ライアナース卿に相談しよう。
彼なら、的確な指示をしてくれるはずだ。
ローゼルは会議広間を目指して走る。
こういうとき、同期のレイノルド・ハウルデュースがいてくれたら助かるのに。
軍部上層部の書記官を担っている男だ。
灰色の双眸に巨大な魔力。
大きな体に似合わず大の動物好き。
最初こそおっかなくて近寄り難い男だったが、いざとなるととても頼もしい存在。
今回の件、ちゃんと軍部に伝わっているのかレイノルドに確認するのが手っ取り早い。
けど、生憎彼は、彼が片想いしている同期魔法省所属のエレナ・ヴァービナスと遠方で大量発生した魔物の原因追及にあたっている。
朴訥で表情の乏しい彼にしては珍しく随分とウハウハな顔していた。
なんとなく、レイノルドの出張直前のホクホク顔を思い出すと、頬が緩んだ。
(……あれ?)
ローゼルは足を止めた。
何気なく一つの部屋の扉に、視線を投げた。
皇女控室から会議広間の間のたくさんある部屋。
この部屋だけがやけに目が吸い寄せられる。
何でだろう。
ものすごく嫌な感じがする。
そっと扉を触った。
ビリビリと稲妻のような殺気。
ローゼルはぱっと手を引っ込めた。
今の何?
ローゼルが自分の手をまじまじと見た。
痺れたような奇妙な――空気がずっしり重くなった。
異様な気配がする。
ローゼルは事前に見た『皇族会議 使用予定部屋一覧リスト』を思い出す。
確かここは臨時皇族控室として確保しておいた賓客室だ。
もともと誰も使う予定のない部屋。
それなのに、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのかしら――。
心臓がばくばく大きな音をたて始める。
ローゼルはミシェーラ皇女の控室から持って来た扇を手にしたまま、深呼吸をした。
恐る恐るその部屋をノックする。
返事はない。
そっと、扉を開けて部屋に入るが、これといって不可解な点はない。
なのに、なぜこんなにも物々しく禍々しい気配が消えないんだろう。
高まる不安。
ローゼルは硬い表情のまま、意識的に部屋の気配を探る。
部屋の奥まったところに、不思議と目が留まった。
小さな静電気のような異質なものを感じる。
(ここ……)
ローゼルは、ドアノブを持った瞬間。
闇。
そこには底なしの、吸い込まれそうな虚空。
そのくせ、深淵の中心はピカピカと光る、強大で不気味な力を感じた。
ローゼルはハッとして、瞬きをした。
なに? 今の?
明るい昼下がりの王宮の一室。
一見何もない、平穏な空間。
ローゼルは思い切って、扉を開けた。
そこは、ウォークインクローゼットだった。
華やかな衣装がずらりと並び、その鮮やかさに圧倒される。
さすが皇族の臨時控室にするだけあって、衣装数が半端ない。
ローゼルは居たたまれない気分になりながらもキョロキョロして部屋を隈なく見回す。
(なんだか、いけないことをしているみたい…)
思わず、身を縮こまらせるが、魔力の気配の原因をじっくりと探ることは忘れない。
その途端、髪の毛が逆立った気がした。
ぱっと天井を仰ぎ見た。
一見何もない天井。
王城のどこにでもある変哲のない天井だ。
けど、なんだろう。
静電気で髪の毛が引っ張られているような違和感。
ゆらり
天井が揺れているように見えた。
ローゼルは目をこすった。
もう一度見る。
もちろん、何もない。
天井にはもちろん蜘蛛の巣ひとつなく、埃すら見当たらないキレイに完璧に整えられた部屋。
国一美しくあるべき王宮なのだから当然か。
これが我が家だったら、埃煤も蜘蛛の巣も放置し放題、本当に我が家のハウスメイドの質が悪い。
ま、貧乏貴族と王宮を比べるのがそもそも烏滸がましいか。
ふと、そんなどうでもいいことが思い浮かぶ。
ゆらり
あ、揺れた。やっぱ、何かおかしい。
ローゼルは目を凝らし、息を整え、神経を集中させた。
やがて、ゆらゆら揺らぐ陽炎のような靄が見えた。
それから、その向こう、奥に玉虫色の円形の図形がうっすらと浮き上がっているように見える。
ひょっとして……。
この図式、この魔術方式。
(隠匿魔法だ!)
ローゼルは魔法が大好きだった。
難しい魔術式も、高等魔術だと呼ばれる魔法詠唱も、全部。
何でこんなに難しいのか。
それを一つ一つ調べながら辿ると、必ず解ける。
魔力量は少なくても、魔術詠唱の意味をしっかり頭に入れて誤らなければ、ちゃんと魔法は目の前で実現できる。
魔法は奇跡の力――。
でも、やった分だけちゃんと成果がある。
勉強した分だけ詳しくなれる。
――女が魔法を使うだなんて、はしたない。
小ざかしいと殿方に嫌われるだけよ。
魔女は悪魔と契約を結んで災いをもたらすのよ。
ローゼルの頭の中に、後妻である継母シャルルの冷酷な声が響いた。
体が反射的にびくんと強張った。
継母シャルルは、伝統と格式あるものが好きだ。
それはローゼルにとって、かなり古臭い考え方だと思うけれど、彼女はそれが絶対だと信じている。
その昔、アイルナバロー連合帝国が建国される前、ナバロー王国とこの国が呼ばれていた時代。
魔法を使うこと自体が汚らわしいこととされていた。
それでも、男は国のために魔法を使って闘うのであれば特別に使用を許可された。
逆に、女が魔法を使うのは破廉恥ではしたないこととされ、処刑された歴史すらある。
ローゼルは好奇心旺盛で探求心のあるお子様だったので、当時の文献を読み漁って、何で女が魔法を使うと破廉恥になるのか調べた。
どうやら亡国ナバロー王国の信念としては、魔法を使える女を「魔女」と称し、「魔女」は悪魔と交わるから特別な力を授けられるとされていた。
そのせいか、後妻のシャルルは兄と――特にローゼルを嫌っていた。
兄が留学して以来、このままローゼルだけ魔法を学んでいたら、いつか継母に本物の悪い魔女に仕立て上げられて罰せられてしまうかもしれない――。
そう子ども心に恐怖心を覚え、ローゼルは魔術の先生から直接教えてもらうのは辞めた。
それでも魔術や魔法への好奇心を抑えられない。
魔法使いの祖父がこっそり贈ってくれた最新論文や魔術書を隠れて読んでいた。
その魔法が、いままさにローゼルの目の前で、しかも巨大な高等魔術式で広がっている。
久々に肌で感じる魔法――。
ローゼルは不謹慎にも心が躍った。
だけど、冷静になって考えると、これは異常な状況だ。
どうしてこんなウォークインクローゼットに仕掛けた?
そもそも、ここに何かを隠す隠匿魔法が仕掛けられているのは、かなり怪しい。
(それに、このピリピリした痛い感じ。
すごーくヤバいものが隠されている気がする)
だいたい、こういう時の勘は案外当たるものだ。
ローゼルは心の中にもやもやした割り切れない想いを感じながら、深呼吸して速まる鼓動を落ち着かせた。
とりあえず、隠匿魔法を解こう。
そうしたら、この胸騒ぎの正体が掴めるはず。
でも、できるかな。
ふと不安になる。
ローゼルはぶんぶん首を振った。
弱気になるな、私。
「大丈夫、久しぶりだけど、ちゃんとやれるはず」
そう自分に言い聞かせるように呟いて、天井に自分の魔力を念じて飛ばすイメージを抱く。
雨上がりの水たまり。
渦を描く油のように、重い波——均一の速度で密度で――部屋の空気を重い質量を持った触手で――包み込むように。
パチパチと何かが爆ぜ、火花が散る。
ゆらゆら
やがて陽炎のように天井が波打って立ち込めた。
「見えた」
ローゼルは確信めいて呟き、目で確認できた魔術式を辿って読み解く。
遠い昔に読んだ魔術専門書を思い出す。
「これを……ここが……」
ああ、これ、この国で発明されたものじゃない、言語が違う。
きっと隣国マリュード皇国の特級魔術師が発表した魔法だ。
マリュード皇国は毎年かなり興味深い魔法が発見されている。
魔法狂いの祖父ジル・エグアルムの最新の論文にもこの解除に関する記述があった。
思い出せ、すぐに思い出すんだ。
ローゼルは脳ミソをフル回転させた。
「そう、ええっと、あれは確か……」
基礎魔術式の複合式を使って、あそこを圧縮して解凍して、それから、ここをいじった魔術式の詠唱をすれば……うん、これで相殺される。たぶん。
「とりあえず、モノは試し」
ローゼルは魔術詠唱を文言の誤りがないよう注意深く繰り返して呟いた。
無意識のうちに手を伸ばして、解除するような仕草をしてしまう。
その時、手応えを感じた。
瞬間、まるで薄いガラスが割れたようなパリンという音がした。
(よし、解けた!)
そして、円形の大きな魔法陣が目の前にぬるりと現れた。
すごい。
圧倒された。
身体を震え上がらせるほどの魔力溢れた天井に描かれた大きな魔法陣――。
凄まじい魔力で、皮膚が裂けそうなほどピリピリ感じる。
まるで見えない炎が忍び寄っているような禍々しさ。
なんて立派な魔法陣なんだろう。
父や祖父、教師の魔術師が作った以外の魔法陣をこの目で見たのは初めてだった。
ローゼルは圧巻されるも、魔法陣に描かれている一文をぱっと無意識で解読する。
そして、ローゼルの顔から血の気が引いた。
意味が分かった途端、ゾッとしたのだ。
まさに肌が粟立つ。
「たぶん、これ、ヤバいやつだ」
声が震え、手に汗を握った。
私でも分かる、これは爆発する系の炎の攻撃魔法。
しかも、それだけじゃない、すごく複雑な複合魔術が何個か織り込まれている。
すぐにでもこの魔法陣を解除して破壊しないと王宮が、瞬く間に火の海になっちゃうくらい強力な魔法だ。
しかも、遠隔操作できる魔術式まで組み込まれている。
こんな複雑な高等魔術が幾重にも使えるのは、特級魔法使い……!
どうしよう、どうしよう。
ローゼルは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
こんな高等魔術は、何年も魔法を使っていない私が扱えるような代物ではない。
祖父とか父、兄ならなんとかできたかもしれないけど、私じゃ魔力量が全然足りない。
それでも、私の方がこれを描いた魔法使いより、高等魔術式を解除できる技術力が高かったら?
こういうのは魔力量が多い方がシンプルに勝てるけど、繊細な魔術式を取り扱う者の知識が高ければ解ける可能性もありうる。
解いてみよう。
解ければ、ラッキーだ。
もし、解けないなら解けないで私以上に魔法使いを派遣してもらうようお願いすればいい。
今は、一刻を争う。
(一か八かやってみよう、隠匿魔術だって解けたんだから!
頑張れ、私!)
ローゼルは立ち上がって魔法陣と向き合った。
大丈夫、私の魔法属性は水。
それだけでも火の魔法に打ち勝てる可能性は高いんだから。
血眼になってローゼルは魔術式を読み解き、幾重もの解除の魔法詠唱をする。
時々、ピリッと小さな静電気が起きる。
だが、魔法陣を無効化は全然できていなかった。
「だめだ、これ、絶対私じゃ無理なやつだぁ……」
ローゼルは思わず情けない声を上げた。
チャレンジしてみたけれど、全然歯が立たなかった。
自分の力不足を痛感する。
何か手立てを考えないと。
考えろ、考えるんだ。
とはいえ、もしこの瞬間にも魔法陣が発動したら?
ここの衣類はあっという間に燃え上がる。
そうなったら、たとえローゼルが水魔法の結界を施してもこの魔法陣の圧倒的なパワーに勝てない。
まさに焼け石に水状態になって、蒸発して終わりだ。
この王宮は火の海になってしまう――。
(そうよ。
ここで一人悩んでいても意味がない)
ローゼルは、強い眼差しで会議広間に向かった。




