第12話 王宮に潜む影――女同士の内緒話と、銀髪の不審者
ローゼルは夢を見ながら、思い出す。
運命の分かれ道といってもいいぐらい、人生で最も大活躍した日。
あの日を回顧する。
***
あの皇族会議の日。
ローゼルは皇族会議が開かれる会議広間の巡回にあたっていた。
明るい昼下がり、お天気に恵まれて良かった。
急遽発生した問題も、ついさっき解決出来てすごく気分がいい。
(まったくあのお局にも本当困りものよね)
ローゼルは、肩に手を当てて首を左右に振る。
「ちょっと、マロディオ商会の者がいないわ。本来ならそこが対応すべきなのに。代わりにあなたが代理を見つけなさい」
突如、総務省のお局女官ヨオンナ・ピージャンスがローゼルに居丈高に命じてきた。
――そもそも、これが事の発端だった。
(私の担当は、皇族会議の全参加者の身元を調査するだけ。
……のはずなんだけどなぁ)
ローゼルから、重いため息が漏れた。
総務省が人手不足で困っている。という応援要請が来たため、急遽ローゼルが法務省から総務省宮廷監査室に応援に来て約一カ月が経った頃のこと――。
本来、応援先の総務省宮廷監査室のバーンズリー室長の指示以外受けなくてもいいことになっている。
この会議が終わって最終報告書を作成したら、ようやく法務省に戻れるはずだった。
(それなのに、面倒な人に目を付けられちゃったなぁ)
ローゼルの足取りは鉛のように重い。
本日の大会議だって、大臣たちの緊急案件に備えて特段役目を与えられておらず、用事が発生するまで巡回するだけになっていたはず。
まさにピンチヒッター。
(……ああ、本当、面倒だなぁ)
ピージャンス女官は総務省庶務課所属。
彼女はローゼルを目の敵にしている。
ローゼルが総務省に出入りし出すと、名指しであれやこれや命令ばかりしてきたのだ。
そもそも階級としては、ローゼルの方が上。
ローゼルは正式試験で採用された「正」帝国公務員。
彼女は「准」帝国公務員という上流階級にしか認められない縁故採用だ。
その准帝国公務員の彼女が我が物顔で振舞えるのは、彼女と総務大臣が不倫関係にあるからだ。
なんなら彼女はお仕事よりも、麗しい文官や騎士たちに手作りお菓子を振る舞い、色目を使うのに日々忙しそうだ。
(私、ああいう人に本当〜に関わりたくないんだよね。
かといって、反発すればさらに厄介)
やれやれと肩を落としながら、ローゼルは命じられるまま対応に動いていた。
とりあえず、彼女が「いない」と言っていたマロディオ商会を探す。
彼らがいないのは、一大事であることに変わりはないからだ。
ローゼルは自分で調べた身元調査表の資料を元に、マロディオ商会の人間を探す。
一人ひとりの顔を照らし合わせ、各商会の紋章の入っている首元の刺繍もチェック。
(参ったなぁ。
あの商会にはビンテージもののワインを仕入れ、皇族たちがあとで吟味できるよう依頼してあったんだよね)
皇族たちは、かなり舌が肥えている。
このワインを楽しみにしている御仁もいらっしゃるから、何が何でも欠かせない。
ローゼルは、ひたすら探した。
だが、どこをどう探しても見つからない。
正門まで出向き、城門の衛兵に入門記録を閲覧させてもらう。
うむ、確かに約束の時間通り六名入城している。
(はぁ、もう、なんでいないのかな?)
ローゼルは釈然としないまま、再び皇族会議が開かれる王宮内の一番広い会議広間に戻った。
その瞬間、肌がピリピリして、途端に空気がずしりと重たくなった。
ぞわり。
不気味な気配と魔力――。
何だか落ち着かない。
不意に寒気を覚え、ローゼルは腕をさすりながら気配のする方へ視線を向けた。
空気そのものが肌を焼け付かせるような痛み。
不気味な玉虫色の何か薄い膜が揺れているように見える。
ローゼルはさらに目を細め、傍目には分からないほど低く呼吸をして、意識を集中した。
全身から静かに息を吐き出し、肩から腰、爪先へと全身の力を抜き、自分が大空を飛び交う孤高の鷹をイメージする。
王城を上空から見下ろすように見つめる。
今日は三年に一度、皇族が全員揃う日。
皇族はその血統から皆魔力持ちだ。
いつも以上に至る所に魔力を感じるのは当然。
皇族だけじゃない、警護にあたる魔法騎士たちも桁違いの魔力を放っている。
ローゼルが感じた違和感はそういう人たちと何かが違う。
強く、ヒリヒリする電流のような強い魔力だ。
(ふだん王宮に登城されない、どこぞの御仁の気配かしら――)
であれば、すんなり腹落ちする。
(――うん、きっとそうよ)
それでも、胸騒ぎは収まらない。それどころか、背筋が寒くなる。
大丈夫、問題ないって。
だって、ここは大勢の魔法騎士団や王宮魔術師たちが守る宮殿よ。
警備だっていつも以上に……。
ローゼルは一瞬抱えた考えを打ち消そうとして、首を振った。
無理にざわめく胸騒ぎを押し殺す。
面倒事を嫌うローゼルは、とにかく必死で頭を掠めた考えを「気のせいだ」とそう思い込むことにした。
とにかくマロディオ商会が不在なら、代理で急遽対応できる業者を探すしかない。
「差額の追加料金については、私から財税省の上の方にお話をしておきますので、そのまま請求書に加算して王宮に送付願います」
ようやく代わりに対応できる業者を見つけ、ローゼルが感じのいい笑顔を向けると、業者も笑顔で快諾してくれた。
それでも始終、違和感のある気配だけは消えなくて、心が一向に晴れない。
その矢先。
「すみません。
そこの君、これを運んでもらえないかな?」
廊下ですれ違う銀髪の男性給仕が、女性給仕に声をかけた。
女性給仕は「はいはい、これですね」と男の指示した箱を持って、広間へ入る。
ローゼルは、思わず男の後ろ姿を目で追いかけた。
銀縁眼鏡。キツネのように目が切れ長で、顔が面長。
目尻にはやけに色っぽいホクロのある男。
妙に印象に残る男。
(あの人――どこの人?)
ローゼルは立ち止まり、振り返る。
記憶にない――。
思い出せない。
そして、あの人の魔力。
不思議な威圧感があった。
無機質でどこか人間離れしたような不気味さもある。
(そもそも資料にあんな人、いた?)
冷たい汗が背中に流れた。
ローゼルは、手に持っていた分厚い書類をペラペラめくる。
この書類には本日皇族会議に関係するすべての人物が記載してある。
皇族、官僚、騎士、衛兵、侍女、執事、業者。
だが、銀髪の男の名はどこにもない。
あの男は、どこにも属していない――。
そう自覚した途端、顔が青ざめた。
(これ、すごく危険な事態なのでは……?
彼はつまり、不審者――)
どくんどくんと鼓動が速まる。
ローゼルは不安に押しつぶされそうになりながら、顔馴染みになった総務省の大臣補佐の秘書に確認する。
「あの、すみません。
給仕する方で今日急遽変更があったとか人数を増やしたという話、聞いてませんよね?」
「いいや、人員変更はなにもないはずだよ」
「そう、ですか」
ローゼルは引きつった笑みを浮かべた。
(どうしようどうしよう。
これって上に報告した方がいいのかな)
胸の奥底で何かがざわめく。
けど、私の記憶違いだったら……。
報告すれば混乱を招くし、黙れば危険を見逃す。
どちらに転んでも、罪に問われかねない。
「あなた、ローゼル・イースティリア子爵令嬢よね?」
その時、ローゼルは第2皇女に、王宮内の会議広間前で初めて声をかけられた。
ローゼルと同じくらいの背丈の小柄な可憐な女性。
碧眼は潤み、頬は薔薇色。
同性のローゼルですら目を奪われる可愛さだ。
「はい、ミシェーラ皇女殿下。
わたくしがローゼル・イースティリアでございます」
礼儀に則り膝をつくと、皇女は朗らかに微笑んだ。
「まあ、礼儀正しい方ね。
でもね、そんなにかしこまらなくていいわよ。
さぁ、立ち上がって」
立ち上がったローゼルをミシェーラはまじまじと見つめる。
なんだろう、私の顔に何かついているだろうか?
こんな可愛い方にじっと見つめられるとなんだか面映ゆい。
彼女の澄んだ瞳がきらきらと輝き、思わず頬が赤らむ。
「本当、アルバート・イースティリア令息に面差しが似ているのね」
彼女ははしゃぐように声を上げた。
「え? 兄をご存知なんですか?」
「ええ、そうよ。
あたくしね、この前お姉さまとビファーヘイブン共和国に視察に行ってきたの」
多種多様な人種が行き交う貿易大国ビファーヘイブン共和国。
その国の魔法教育機関に皇太子殿下は留学しており、その学友として兄も在籍している。
「その時にユリウスお兄様にもお会いしてきたんだけど、あなたのお兄様アルバート・イースティリア子息も同席されててね、とても美しい方だと思ったの」
ミシェーラは恍惚としたため息をついた。
「そうしたら、イースティリア子息が、『自分の妹は宮廷で女官として働いてて、しかも顔の造りが自分と似ているから』と鼻高々に語っていたのよ。
うふふ、今日運が良かったらお会いできるかしらと期待していたの」
ミシェーラは兄アルバートの女顔のローゼルに会えて興奮しているのか、ローゼルの両手をそっと握った。
白魚のように綺麗な手だった。
淡く塗ってあるピンクのマニキュアが品よく、彼女の可憐さをさらに演出する。
同じ女として格の違いを見せつけられた感じがして、ローゼルは気後れしつつも、うっとりと羨望した。
(どうやったらこんなに可愛くて美しくなれるのかしら)
その吸い込まれそうな双眸を見つめ返した。
「えっと、あ、兄がお世話になったそうで、あの、ありがとうございました」
ローゼルはなんて言っていいか分からず、必死に言葉を紡ぐ。
なんとも月並み以下な返答だ。
兄のファンという女性は多い。
眉目秀麗、気品溢れる端麗な顔立ち。
ローゼルとは違う母譲りのアッシュ系茶色の髪に、父譲りのダークブルーの瞳。長身で何を着ても似合う。
しかも、天は二物を与えずというが、顔だけでなく、とにかく頭もいい。
まさに見目麗しき貴公子。
ただし、それは黙っていれば、という大前提。
口を開くととんでもない露悪的な毒舌が披露されてしまう。
「あの、兄は見た目に似合わず毒舌で粗野です。
失礼なことを申しませんでしたか?」
ローゼルがおどおどして聞くと、ミシェーラ皇女はくすっと笑った。
「いいえ。確かに歯に衣着せぬ物言いの方だったけれど、あたくしにはそれがすごく率直で誠実に感じたわ。
裏表のない方で好感が持てたの」
「はあ、そうですか。良かったです」
ローゼルはほっと胸を撫で下ろした。
そんなミシェーラ皇女はまじまじと不思議な生き物を見るような目つきをする。
「ふうん、あなたって、やっぱり噂とは全然違うのね」
「え?」
「あまり良くない話を耳にしたことがあったけれど、実際全然違うわね。
うん、やっぱりこういうのって実物と顔を突きあわせなければ、分からないことだらけね。
噂がどれだけ当てにできないか、つくづく思い知らされたわ」
ミシェーラは肩をすくめた。
ローゼルは目を見開いた。
令嬢たちの中では悪評絶えないローゼル。
その悪評を皇族の、しかも皇帝陛下の愛娘であるミシェーラ皇女は否定してくれた、これはすごいことだ。胸が熱くなった。
「あ、ありがとうございます。
そう言っていただけるとは光栄です」
頬を綻ばせるローゼルに、ミシェーラはにこにこ笑った。
「ねえ、今度からローゼルって呼んでもいいかしら?」
「え、あっ、はい。どうぞ」
「ありがとう。
それでね、ローゼル、全然違う話なんだけど、一つ聞いてもいいかしら?」
「はい、私でよければなんなりと!」
畏まってお辞儀をするローゼルにミシェーラ皇女は苦笑した。
「もう、そんなに堅苦しくならないで。
でも、今からあたくしがローゼルに尋ねる内容のことで、緊張を強いることになってしまうかもしれないわ」
ミシェーラ皇女の声音が鋭くなった。
「どういったことでしょう?」
ローゼルは思わず身構えた。
「ローゼル。
あなた、魔力感知が得意って本当?」
「え、はい」
どきりとした。
嫌な汗が背中を這う。
しまった。さっきまで魔力感知能力を作動させ、違和感漂う気配を探っていた。
何か皇族の気に障ったのだろうか?
体の血が凍ってしまったような心地になる。
「一応イースティリア家の中でも一番感度がいいと言われてます」
ローゼルは動揺を押し殺し、恭順な態度で言った。
「そう、それじゃあ、問題なさそうね、ふふ」
ミシェーラ皇女は意味深に微笑んだ。
その顔がまたなんとも可愛らしくて、ローゼルはさっきまでの動揺をすっかり忘れて、思わず胸がときめいてしまう。
不意にミシェーラ皇女がローゼルに一歩近寄り、耳打ちした。
彼女の甘いジャスミンの花の匂いの香水がした。
「あなたを信じて託すわね。
あのね、ローゼルももう感じてるんじゃないかしら?
この王城に何か変なものがある、違和感あるって」
ローゼルは思わず心臓が口から飛び出そうなほど、どきっとした。
ばっとミシェーラ皇女の顔を見た。
ミシェーラは静かに頷いた。
「気のせいじゃないわ」
断言する彼女に、ローゼルはサッと血の気が引いた。
「この城のどこかに不穏な魔力を感じたわよね?」
ミシェーラの蒼い目がローゼルを捕らえて放さず、凛然と言う。
「でも、あたくしが分かったのはここまで。
魔力感知はどうも苦手なの。
あなたみたいに詳細までは残念ながら分からないのよ」
そのとき、ざわざわ人の気配がした。
古参の皇族の大物が現れたらしい。
ゴマをするのに必死な総務大臣の声が聞こえる。
「ああ、それでね、ローゼル。
あたくし、控室に扇を忘れてしまったの」
ミシェーラは、さも何事もなかったように可愛く無邪気にローゼルに向かって言った。
すれ違うお付きの官僚貴族や皇族たちがちらっとこちらを見た。
「すごくお気に入りの扇でこの日のために用意したのよ」
皇女が女官に何気ないことをお願いする素振りで話し、周囲はそう受け取り、ミシェーラとローゼルの横を通過していく。
「申し訳ないんだけど、ローゼル、取りに行っていただける?」
「扇ですか?」
ローゼルはきょとんとした。
さっき話題にしていた魔力と扇がどうつながっているのか、話がつかめず混乱する。
「ええ、確実に信じられるのはアルバート・イースティリア様の妹のあなただけなの」
強い碧眼の双眸。
ローゼルはハッとした。
これは扇を取りに行けば、ローゼルが気付いた魔力の正体がわかると暗に言っている。
「だからお願いね」
きゅるんと可愛くミシェーラ皇女は微笑んだ。
「そうそう、その途中にあたくしがどうしても気になったものが転がっているはずよ。
よろしく、ローゼル。
あなたに託すわ」
「承知しました」
やっぱり、そういうことか。ローゼルは顔を強張らせてお辞儀した。
「あっ、ローゼル、あとね」
さらに皇女は再び耳打ちをした。
「あたくしがこの違和感に気付いていることは誰にも言わないでね。
だって、王宮は魑魅魍魎だらけだもの。あたくしの能力を貴族の前で晒したくはないのよ」
「かしこまりました。もちろんお約束は死守いたします。
えっと、これはつまり皇女様と私ローゼル・イースティリアの女同士の内緒話ってことですよね」
ローゼルがにこっと無邪気に笑うと、ミシェーラ皇女は艶然と微笑んだ。
「ええ、そうよ。ローゼル。
女同士の内緒話。
ふふ、ローゼルはやっぱり賢いわ。
ねえ、ローゼル。
堅苦しく“皇女様”なんて呼ばないで。次に会うときは、“ミシェーラ”って呼んで。
それじゃあね」
ミシェーラは軽く可愛らしく手を振ると、会議広間へ侍女を付き添って入って行った。
ローゼルは去って行くミシェーラに恭しくお辞儀をした。




