第132話 毛布一枚の雨宿りと、昏い眼差しの傭兵
洞窟の奥で、焚火がパチパチと音を立てる。
外では雨が滝のように降りしきり、湿った空気が流れ込む。
な、なんでこんな展開になった……。
ローゼルは焚火に当たりながら、なんとも言い難い微妙な心地に陥っていた。
肩に掛けた毛布の下は、肌着のケミーズ一枚きりだ。
よりによって、ルシアン以外の殿方の前でこんな下着同然の姿になるなんて。
奇妙な巡り合わせとはまさにこのこと――。
穴があったら入りたい。その一方で、この偶然にも感謝をしている。
命を救われた安心感のせいで、やけに頭がボーッとする。
橙色の火花が時折弾けて、宙に散る。
ローゼルは炎の揺らめきを見つめながら、ちらっと、少し離れたところで岩にもたれかかって座る大男――ギルベルト・マルコシアス、彼を見た。
精悍な顔立ちの彼は、さっきから降りしきる外を眺めていた。
片膝を立て、そこに頬杖をつく。
彼も上半身裸で、下半身も薄い下着姿のみ。
引き締まったその肉体美は、ルシアンと遜色ない。
(でもルシ様の方が胸板が厚いし、なによりもルシ様は漆黒の短髪が似合うから素敵なんだよね)
そう思うものの、ついついチラチラ見てしまう。
雨で水浸しになった二人の服は、彼のブーツの靴ひもで岩に縛り付け、洗濯紐のようにして乾かしている。
ローゼルの水魔法で脱水することも可能だったけれど、彼が「こういうとき、魔力はなるべく消耗しない方がいい」と言うので、渋々引き下がった。
彼の持つ鞄はなかなか大容量のアイテムバッグのようで、いろいろと野営グッズが詰まっていた。
ローゼルの肩にある毛布もその一つだ。
洞窟の外は雨。
ザーザーという音が響き渡る。
少し先は漆黒の闇で何も見えない。
だが、体感的にそろそろ夕刻を過ぎ、夜に差し掛かる頃だろう。
(はぁ、本当に本当に……、なんでこんなことになったのかなぁ)
ローゼルはため息をつきながら、手で顔を覆った。
*
遡って数時間前。
森に放り投げ出されたローゼルは、ひたすら森を彷徨っていた。
どこか開けた場所に出れば、なんとかなるかもしれない。
そう思っていたけれど、雨脚は強くなる一方で、靴はすでに泥水を含んでかなり重たい。
怪我をしないために履いていないといけないけれど、気持ち悪くて脱ぎたい衝動に駆られる。
体温もどんどん冷たい雨に奪われ、歯がガチガチ鳴るほど震えていた。
その時、運悪く大蛇と鉢合わせしてしまった。
小柄なローゼルの身長を優に三倍は超えた大きくて太い蛇。
攻撃魔法を使って対抗する。
「——冷たく眠れ、無色の穿弾。
——氷結穿弾」
大蛇に正面から当たった。
喜びも束の間、大蛇は魔物の一種なのか、それともローゼルの攻撃がへなちょこなのか、攻撃が当たってもびくともしない。
何度も攻撃魔法を仕掛けるが、大蛇はむしろ平然と攻撃魔法を正面から飲み込む。
「えぇぇぇ……」
完全に劣勢だ。
ますます大蛇は、ローゼルに迫りくる。
後ろに下がった拍子に尻もちをついてしまい、そのまま腰が抜けてしまったローゼルは、今まさに丸呑みされそうになっていた。
(ひゃぁぁぁ、ば、万事休す……!)
そう思った瞬間、大きな黒い影が、蛇の背後から飛びかかったのが見えた。
最初は鳥か何かなのかと思った。
だけど、それは大柄な人影であり、格好からして冒険者だった。
掲げた剣の刃が、眩いほどの純白の光を帯びて爆ぜる。
光魔法を宿した剣だ。
一気に振り下ろされた刃は、風を置き去りにするほどの速さで軌跡を描いた。
――閃光。
深い森の闇に強烈な一筋の光が走る。
大蛇は自身の巨体が二つに分かれたことに気づく間もなく、音を立てて左右の地面へと沈んでいった。
「なっ……!」
ローゼルは絶句した。
蛇の断面から血飛沫が派手に上がる。
また鮮血だ。
本日はこういう血生臭い光景に遭遇しやすいようだ。
うんざりした思いを抱えながら顔を上げると、冒険者がこちらを見た。
目が合う。
彫刻のように逞しい体躯に美しいブロンドの髪、それを一つにゆるく結っている。
精悍な顔立ち。
冒険者というよりは、貴族の騎士に近い出で立ちだ。
「あっ……」
お互いに声を出した。
その男にローゼルは見覚えがあった。
先日王城の訓練場で見かけたお隣のインリューラーク王国からやって来た元傭兵――来週から魔法騎士団に入団するギルベルト・マルコシアスだ。
「大丈夫ですか?」
ギルベルトがローゼルに近寄り、手を差し伸べた。
「は、はひ。
た、助かりました……」
ローゼルは噛み噛みになりながら、差し伸べられた手を取った。
温かい。
節々がしっかりした大きな手だ。
ルシアンと同じで剣ダコの出来た手。
ギルベルトに立たせてもらったローゼルは、思わず涙腺が緩んだ。
さっきから生い茂る大樹や動物、こんな厄介な魔物としか遭遇していない。
そのせいか、ようやく人と出会えたこと、しかもそれが顔を知っている人間。
ホッとしないわけがない。
「貴女は確か……、王城でお見かけした女官殿ですよね?」
ギルベルトはそっとローゼルの顔を覗き込んだ。
「はい、ローゼル・イースティリアと申します。
あなた様はギルベルト・マルコシアス卿ですよね」
「ええ、そうです」
にっこりと彼は笑った。
その笑顔が想像以上にあどけなくて、ローゼルは一瞬見惚れてしまった。
「それにしても……どうしてイースティリア嬢がここへ?」
ギルベルトが率直に尋ねた。
「えっと……」
ちらっとギルベルトの顔を見た。
話しても問題ないだろうか。
彼は来週から魔法騎士団員だ。
とはいえ、まだ外部の人間。
迂闊に内部情報を話さない方がいいかもしれないし……。
頭の中でいろいろ錯綜しつつも、ここは素直に打ち明けることにした。
「同僚の葬式に参加したんです。
ですが、誘拐されてしまって……」
「誘拐!?
なんて物騒な!
え、で、お怪我は?」
「に、逃げ出すときに転んで擦りむいたぐらいです!
だ、大丈夫です」
「ですが、誘拐ですよね……」
あまりにもギルベルトの表情が深刻になっていくので、逆にローゼルは居たたまれなくなった。
だけど、それも当然だ。
誘拐なんてもはや大事件だ。
しかも、ただの身代金目当てとかの誘拐じゃない。
誘拐された事実をようやくローゼルの中で飲み込み始めたと思ったら、急に誘拐犯たちが仲間割れして目の前で人を殺すし、しまいには白い集団に「生贄様」なんて呼ばれて崇め奉られる始末だ。
まったくとんでもない一日だ。
ローゼル自身でも眩暈がしそうなほどありえない出来事の連続なのに、部外者の彼にすべてを素直に打ち明けられるわけがない。
「とりあえず、この雨脚です。
この様子だともっと雨は強くなります。
俺がさっき見つけた洞窟へ行って、暖を取りましょう。
貴女の手は冷たすぎる」
「ですが……」
その前にさっさとこの森を抜けて、一刻でも早くルシアンたちに無事であることを知らせたい。
ローゼルがそう言おうとすると、ギルベルトは突如「少々お待ちください」と言って、倒した大蛇の元にしゃがみ込んだ。
何をするのだろうと思ったら、詠唱をし出した。
この国では聞かない言語だった。
たぶんインリューラーク言語だ。
彼の話す言葉に訛りはなく、自然に会話ができる。
だからそこまで気にならなかったけれど、やはり彼は異国の人なのだ。
そう思っていたら、彼は魔法で解体作業をし始めた。
(え、え……っ、今から!?)
ローゼルはぎょっとした。
下がりゆく体温に、ぶるっと身を震わせて、自分を抱きしめる。
助けてもらっておいてなんなのだが、さっさと、その洞窟に行きたい。
(ルシ様たちにも連絡を入れる手段だって考えたいし)
非難めいた視線をローゼルは、作業をする彼の背中に注いだ。
彼はそんな視線に気づかない。
淡々と魔石を取り出して、血抜きして、毒腺と牙は毒が含まれているからか触れないように注意しながら、背負っていたカバンから革袋を取り出して、そこへ丁寧にしまう。
それから、短剣を取り出して、手際よく肉を解体する。
数枚の大きな葉を取り出し、蛇の皮、肉、内臓を分けて、それぞれコンパクトに包む。
(わぁ、なんて手際の良いこと。
慣れているなぁ……)
ローゼルは目を瞬きながら、その手元を覗き込む。
「それ、どうするんですか?」
「蛇の肉から魔素を抜けば、今夜の夕飯のスープの具になります。
身体が温まりますよ」
「はあ」
蛇肉のスープ。
一応貴族令嬢の端くれのローゼルには、ちょっとゲテモノ過ぎて、想像ができない。
「魔物というのは、処置さえしっかりすれば、商会ギルドで高く買い取ってくれるんですよ。
こういった魔力の強い大蛇の蛇皮や牙は特に」
彼の口調はどこか生き生きしている。
どうやら、この風貌で冒険者生活にすごく慣れているようだ。
「さぁ、行きましょう」
ギルベルトは手際よく仕舞い終えると、カバンを背負って歩き出した。
ローゼルは水を含んで重たくなったスカートを必死で抱え込み、彼の後を追ったのだった。
*
まあ、そういうことがいろいろあって今に至るわけなんだけど……。
ローゼルは、洞窟の外に視線を投げた。
森の中は二人以外、まったく人気はなかった。
それどころか、外は重い闇がどろりと広がっているだけで何も見えない。
ギルベルトは、やはり旅慣れしていた。
洞窟に不審者や魔物が侵入できないように結界を張り、すぐ焚火を付け、それからカバンから鍋を取り出し、夕食の支度を黙々と始める。
その彼が作った蛇肉のシチューは文句なしに美味しかったし、携帯用の固い黒パンもシチューに浸して食べれば、全然気にならない。
あっという間に空腹を満たし、身体も温まった。
その上、今度は、空になった鍋で雨水を利用してお湯を沸かして、お茶まで振舞ってくれるそうだ。
簡易なポットやお茶缶。
恐ろしく準備万端だ。
そのうち雨音に混じって、ぐつぐつお湯が沸く音が響いた。
洞窟の中の空気がさらに温かくなった気がした。
ギルベルトは立ち上がり、慣れた手つきでお茶を用意してマグカップに注ぐ。
こぽこぽと音が洞窟内に反響した。
ローゼルは、カップから立ちのぼる湯気を見てワクワクした。
(嬉しい。
こんなところでも優雅に温かいお茶が飲めるなんて)
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
ローゼルは手を伸ばして、マグカップを受け取った。
お茶は少しスパイシーな匂いがした。
「ジンジャー茶です。
本当は蜂蜜があると、さらに美味しくなるんですが」
飲んでみると、ピリリと辛みがある。だけど、不思議と身体の芯が温まってくる感じがする。
「いいえ、充分です。
今日は本当に散々でしたけど、ここでこんな素敵なおもてなしを受けれるなんて、私、本当ついてます。
それに、蛇肉シチューがあんなに美味しいと思いませんでしたよ。
まさか、鶏肉と川魚を合わせたような、しっかりとした旨味。
あれはまさに目から鱗でしたね」
ローゼルはシチューの味を思い出しながら、しみじみと呟いた。
「あはは、お気に召していただいたようでなによりです」
ギルベルトは、声を上げて笑った。
そのあどけない姿にローゼルは、ちょっぴりドキッとした。
ルシアンという玲瓏な騎士を毎日見ているローゼルでも見惚れるほどの美形。
しかも、とても紳士的で、見た目に反して過酷な野営を手際よくこなしておもてなしをしてくれる。
(これ、ふつうの女の子だったら、瞬く間に惚れちゃうよね)
ルシアンと出逢ってなければ、彼に淡い恋心を抱いていたかもしれない。
そう思いながら、ローゼルはお茶に口を付けた。
じんわりと飲んだお茶が胃に染み渡るのが分かる。
パチパチと焚火が音を立てた。
こうやってお茶をゆっくり飲みながら、炎を見ていると、なんだか気分が落ち着く。
「今日は本当にお疲れ様でした」
ギルベルトはねぎらうように、ゆっくりお茶を飲みながら言う。
「明日にはたぶん雨が上がるでしょう。
そしたら、森を抜けて王都へ向かいます」
「いろいろお手数をおかけします」
ローゼルはぺこりと頭を下げた。
「なんのこれしき」
ギルベルトは首を振った。
「雨が降っていなければ、飛行魔法で王都まで飛べるんですが。
すみません、伯爵令嬢にこんな野宿をさせてしまって」
「とんでもない!
大蛇から助けてもらっただけでありがたいんです。
ましてや、温かい食事とお茶と毛布。
最高です」
ローゼルはお茶を掲げ、毛布をぎゅっと握った。
「そう言っていただけると救われますよ」
ギルベルトは、はにかみながら親しげな笑みを浮かべた。
「いえいえ、救われたのは、私の方ですよ……。
誘拐された時はどうなることかと肝を冷やしました」
はあ、とローゼルはため息をついた。
「そうでしょうね。
——貴女を誘拐したのは白装束の男たちでしたか?」
ギルベルトがそれとなく質問を投げかけた。
ローゼルはぎくりとして、彼を見る。
「なぜ、それを……」
「実は貴女と会う直前まで、俺は冒険者としてギルドの依頼の魔物討伐をしてたんです」
「冒険者として?
元傭兵なのに?」
「はい。この国の魔法騎士団に採用されるまで、俺は傭兵しながら、手が空いた時は冒険者として生計を立ててました」
「ああ、だから、野営能力が高いんですね」
「ええ、大概、野宿生活でしたからね。
自ずとそういったサバイバル術は身につきます。
そう、それで、今回も依頼があったため、この辺をうろついてたんです」
柔らかな笑みを浮かべながら、ゆっくりとギルベルトは話し出す。
「その道中、森狼の群れを見つけたんです。
しかもやけに数が多い。
ここは魔素が多い地のようですね。
その魔素に当てられた森狼たちは、さらに凶暴になります。
それならば、人の被害が及ぶ前に討伐しようか、そう悩んでいたところに、人の血の匂いを感じたんです」
「血の匂い……」
それは、不良騎士の青年が首を刎ねられた時のものだろう。
この人は、剣術や魔法だけでなく、嗅覚までもかなり優れているようだ。
「森狼にとって、人間の血は大御馳走です。
これは危険な状況だと判断し、森狼の気配を辿ったんです」
ギルベルトの視線は、焚き火に注がれる。
「そうしたら、森の中に屋敷が現れ、そこで白装束の集団が魔物と闘っているのを目撃したんです。
目撃と言っても、かなり怪しい集団でしたので、遠巻きで様子を窺ったというのが正しいんですけどね」
たしかに、みんなが同じ白色のガウンを着て集まっているのは怪しい。
「その時、彼らがしきりに『生贄様が消えた』と騒いでました。
『森の奥へ行ってしまった』とも口々に言ってました。
——生贄様とは貴女のことですか?」
ギルベルトは探る目つきでローゼルを見た。
ローゼルはその視線を真正面から受け止めながらも、動揺していた。
なんて答えればいい?
ここまで状況を把握している彼だから、信用してすべてを話しても問題ないだろうか?
ひょっとしたら、あの白装束の集団と繋がりがある可能性だって否めない。
――彼だけは異色だね。
どうやらこの国に妹の仇が潜伏しているそうで、そいつをこの手で捕まえたいんだってさ
訓練場で彼とルシアンの訓練試合を見た時、第3魔法騎士団長のトーマスがそう言っていた。
彼も随分と他の傭兵よりも買っている感じだったし、社交辞令的な感じであったけどルシアンが「今後の活躍に期待」と言って彼を鼓舞していた。
いくら相手が敵でもルシアンは腕がよければ、素直に称賛する。
信用してもいいのかな。
「――生贄様。
たぶん私のことだと思います」
ローゼルはのろのろと口が動いて、そう答えていた。
跪いて手を合わせ、熱心に祈る白い装束の人々。
不気味に笑っていた御者。
「だけど、なぜあの人たちが私をそう呼ぶのか分かりません。
一見、歓迎されているようでしたけど——所詮、『生贄』です。
その単語の意味が引っ掛かって、素直に喜べませんでした」
「まあ、そうでしょうね」
「むしろ、今すぐにでも捧げものだとかいって、笑ってナイフを振り下ろしてきそうな感じがあって――
だから怖くなって逃げました」
「正解だと思います」
ギルベルトはお茶を飲んだ。
重たい沈黙が流れた。
ローゼルは場がもたなくなって、ごくりとお茶を飲んだ。
喉から胃へ熱いものが通ったのがよく分かった。
外では雨が岩を叩き、その音が絶え間なく響いていた。
炎の揺らめきは壁に影を躍らせる。
焚火のぬくもりとは裏腹に、ローゼルはひんやりとした肌寒さを感じた。
「——あれは、アミラス教信徒です」
含みのある言葉をギルベルトが呟いた。
やけに昏い眼差し。
「アミラス教……」
一瞬、ローゼルはその言葉の意味が理解できなかった。
だが、次の瞬間、身体が凍りついた。




