第127話 子リス女官の強がりと、魔法の使えない密室
知らない馬車に強引に乗せられたローゼル。
馬車は瞬く間に、墓地から走り去る。
驚くローゼルの意志を無視して――
真っ青になりながら、ローゼルは馬車の扉をなんとか開けようとした。
けれど、外側からしっかり錠がかけられているのか全然びくともしない。
どんどん変わりゆく景色にローゼルは、へなへなと力が抜けて床に座り込んだ。
脇にひんやりとした汗が滲み、過ぎ去っていく景色を茫然と見た。
(な、何が起きているの?)
「よぉ、イースティリア女官」
その時、声がした。
振り返ると、進行方向の座席の隅に赤髪の男が頬杖をついて、こちらにぴったり焦点を当て、じっと見つめていた。
誰?
「先日はどうも。あの噂の悪女がこんなに可愛い顔をしているとはね」
彼は意地悪く、にやりと口角を上げた。
だが、ローゼルは目をぱちくりさせる。
赤髪と思いきや、ピンクがかった髪色だ。
小奇麗な青年。
色白の端正な顔立ち。
恰好からいってどこかの中流階級以上の貴族の子息に間違いないだろう。
だけど、見覚えが全然ない。
「……あの、どちら様でしょうか?」
ローゼルは恐る恐る尋ねた。
「はあ? 俺のことを覚えていないのか?」
彼の顔が大きく歪んだ。
「すみません……」
ローゼルは身を縮こまらせた。
(っていうか、本当に誰だっけ?)
ローゼルは必死で頭を回転させて、今まで会った人たちの顔を思い浮かべる。
最近事件やルシアン絡みでいろいろ知人が増えたせいか、特に印象の残らなかった人は、たちまち忘れてしまっている。
(入省したての頃はどれだけでも覚えられたのになぁ……)
だが、こちらの彼はローゼルを知っているようだ。
しかも、「イースティリア女官」なんていう風に呼んだ。
間違いなく、彼も官僚なのだろう。
けど、皆目見当もつかない。
彼は大きくため息をついた。
「あんたがクレインバール卿と一緒に酒を呑んだ夜。
俺の仲間をグーパンでぶん殴っただろ?」
「へ?」
クレインバール卿と一緒に酒を呑んだ夜。俺の仲間、グーパン――
ようやくローゼルの脳内に一人の男の顔が浮かんだ。
「あっ! 花屋の女の子をいじめていた悪い騎士の一人だ!」
ローゼルは手を叩いて声を上げた。
「いじめてたって……」
彼は眉をしかめ、額を押さえた。
「お前、本当にイースティリア女官?」
「はい。そうですけど」
ローゼルはきょとんとする。
「法務省ライアナース卿の懐刀って聞いていたけど、可愛いだけの頭すっからかんのバカ女じゃん」
「失礼な」
ローゼルはむっとする。
「可愛いというお言葉はありがたく頂戴しますが、バカとは失礼ですね。
これでも秀才たちの集まりと言われる法務省で毎日あくせく働く女官ですよ」
「口が達者な女だな。
あぁ、そういえば、この前もいろいろ御託を並べて俺に説教をしていたよな」
彼は辟易とした顔で、ローゼルを冷ややかに見下ろした。
ローゼルも唇を一文字に結び、彼を睨みつけた。
そういえば、彼の仲間を殴った時も、彼はこんなふうに軽蔑を滲ませ、まるで自分こそが正しいと言わんばかりの表情だった。
厚顔無恥な男――
じわじわとあの時の怒りが蘇った。
「説教ではありません。
当然のことを説いたまでです。
そもそもあなた様こそ、無法ものの礼儀のなっていない暴力男じゃないですか。
騎士なんて言葉の風上にも置けない行為ばかりして。
女の子を泣かせたら駄目だってお母様に教えられませんでした?」
「生憎うちの母親は俺に興味ないんでね」
彼は急に不貞腐れたような顔つきをした。
「え? それはどういう意味で……」
ローゼルは一瞬、虚を突かれた。
「まあいいや。
っていうか、あんた、この状況でよく俺に言い返せるな。
怖くないのか?」
「——怖がって欲しいんですか?」
ローゼルは強気で言い返した。
「それ、その発言。
いちいちムカつくんだよ」
彼は苛立ちを隠そうとせず、ふんぞり返って悪態をついた。
「どうぞどうぞ。
ご自由にムカついてください」
ふんと、ローゼルは鼻を鳴らした。
「はあ? おいおい、口のきき方には気を付けろ。
あんたの生殺与奪権は俺が握っているんだぜ」
彼はおもむろに短剣をローゼルに見せた。キラリと光る鋭い刃。
「そんな武器、全然怖くありません」
(フン、手を出そうものなら、また殴ってやる)
あの時、複数の不良騎士に囲まれた花屋の女の子の恐怖を考えれば、全然怖くない。
武器まで持ち出した彼に、ますますローゼルは腹が立った。
「あなた様こそ、また私に殴られたいんですか?
あなたからは全然魔力を感じませんから、また私の圧勝ですよ」
たちまち彼の顔が不愉快そうに歪んだ。
魔力を感じない――。
どうやら、この台詞が彼の気に障る部分だったみたいだ。
だけど、ローゼルは怯まず、追い打ちをかけるよう彼の対面の椅子に座り直した。
わざとらしく握り拳を作って見せる。
もちろん、いつでも武装魔法が使えるよう作った拳に魔力を集中させる準備をしておく。
だが、彼は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「無駄だよ。
この客車、魔法使えないようヴォイドクリスタルを貼ってあるから」
「え、ヴォイドクリスタルって……」
ローゼルは息を呑んだ。
「女官なら知ってるだろ?
触ると魔法を吸収する性質がある鉱石だ」
「ええ、存じてます。
けど、なんであなたがそんな特別製の客車を持ってるんですか?」
ローゼルは訝しげに顔を曇らせた。
「あんたには関係ないだろ。
ほら、これであんたはこの前みたいに武装魔法は使えないぜ。
男の俺にあんたみたいなひ弱な女官が敵うわけないだろ?」
彼はますます不敵に笑った。
ローゼルは試しに拳に魔力を込めてみたが、彼の言った通り、魔力は使えない。逆に力が抜けていく。
これ、間違いなく本物だ。
(ヤバい。
これはちょっと想定外かも。
まさか魔法が使えないなんて……)
ローゼルは胸の奥で心臓が激しく打ち鳴らすのを感じた。
その一方で、冷静に頭は回転していた。
何でヴォイドクリスタルの馬車を彼が持っているの?
魔法騎士団には犯人護送用に何台か用意してある。
だが、それも特例で国が用意したものだ。
そもそもヴォイドクリスタルを使った客車の製造自体が禁止されている。
こんな客車が他にも存在するとしたら、魔法使いは拉致し放題だ。
特に魔法使いは、人間兵器として他国で高値で取引されている――
そのため、一貴族でヴォイドクリスタルを所持することは断じて許されていない。
それに、この鉱石は加工すれば、対魔法使いの武器にもなる。
国有地のどこかに採石所があるのだが、国が悪用されないよう極秘に管理しているほどだ。
(どうしよう、どうしよう。
どこへ連れて行かれるのかしら)
そのまま国境を越えて、二度と戻れない場所へ拉致られでもしたら——
そう思ったら、ゾッと背筋が凍った。
青ざめたローゼルを満足そうに見た彼は口角を上げた。
「ようやく誰に従うべきか分かったか?」
「……恐喝ですか?」
恐怖心をぐっと堪え、ローゼルは彼をねめつけた。
「はっ、もはや恐喝とかそういう次元じゃないだろ」
彼は鼻で嘲笑う。
「お前、誘拐されてるんだぜ。
つーか、本当にイースティリア女官なんだよな?
あのクレインバール卿が夢中になっているっていう……」
じろじろと彼は自分の顎に手をあて、ローゼルを頭の先から爪先まで品定めするように見る。
「ナディア・グロウディーナ公爵令嬢を振ってまで、あの男が選んだ女だろ?
それにしてはちんちくりんだよな。
だけど、まあ、子リス女官なんて上官騎士たちが言っていたから、あながちチビでも偽物でもないか。
胸もそこそこでかいし、肌艶もいい。
ふうん……」
男の視線が獣のような鋭いものに変わる。
その目つきが一瞬劣情を帯びたように見えて、ローゼルは肩を震わせた。
逃れられない密室。
鍵のかかった扉。
魔法も使えない。
まずい。
相手は一応騎士だ。私よりも断然体力もあるし、体格も大きい。
押し倒されたら終わりだ。
まさに絶望的。
だからといって、ここで弱気になったところで相手の思う壺。
負けてなるものか。
「あのう、あなた様は脱走したんですか?」
「あ?」
「だったら、脱走兵ですよね?
処罰は重たくなりますよ」
「失礼な女だな。
ちゃんと保釈金を父親が支払って釈放されたんだよ。
脱走兵なんかじゃねぇよ」
「えっ、釈放?
ありえません」
軍部には魔法騎士団が遵守しなくてはいけない厳格なルールがある。
それが魔法騎士団戒律書だ。
あの戒律書に保釈金なんて記述はなかったはずだ――
ふと、さっき葬式で見かけたオークレー次官の笑みがローゼルの脳裡を横切った。
「あなたを釈放したのは、オークレー次官ですね」
ローゼルが確信めいて言うと、一瞬彼の表情が硬くなった。
やっぱり。
オークレー次官は、元々あったこの国の伝統的ルールを無視し、自分の祖国がそうだったからこの国もそうするべきだ、そう言って規則も法律も自分の都合のいいように解釈することで有名だ。
(まさか、厳格な魔法騎士団戒律書まで破るなんて……)
でも、さっきのオークレー次官のあの不気味な笑顔。
彼を釈放したのがオークレー次官だというなら、彼が私を拉致したのは頷ける。
実行犯は、目の前の彼で、計画や準備はオークレー次官。
オークレー次官なら、祖国とかどこかの伝手でこのヴォイドクリスタル製の客車を手配し、軍部次官という地位で国境の検閲を却下させることもできる。
そして、彼に恨みを晴らす機会を与えることだってできる。
だけど、何のために?
この特別製の馬車を入手するのも一朝一夕でできるものじゃない。
彼に恨みを晴らす機会を与えるためだけに、禁止されているこの馬車を法を犯してまで用意するメリットがオークレー次官にまったくない。
じゃあ、この誘拐自体に別の意味があるとしたら?
(もしかしてグロウディーナ公爵とさらに懇意になるために、末娘ナディア嬢の恋敵の私を誘拐したとか?)
昨日、ナディアを論破して追っ払ったのが災いしたのかな?
ローゼルは腕を組み、悩み始めた。
(う~ん、なくもない話だけど、ちょっとそれにしては大胆すぎるんだよね)
誘拐現場の墓地には大勢の官僚がいて、ましてや法を順守する法務省の面々が大勢いた。今頃ライアナース卿たちが大騒ぎしているはずだし、女官を誘拐するなら王城外の、そう、例えば一人で王都を歩いているときに襲撃した方が事は簡単に済むはずだ。
この誘拐にナディア嬢が絡むとしたら、余計リスクが高すぎる行為だし、下手したら、グロウディーナ公爵家は犯罪者として検挙される。
「おいおい、勘違いするなよ」
彼は深く考え込むローゼルに、慌てた様子で声を掛ける。
「釈放してくれたのは確かにオークレー次官だ。
もちろん、彼には幾ばくかの金額を渡した。
けどな、これはあくまでも自分のために動いているんだ」
「自分の?」
「ああ、そうだ」
彼は身を乗り出す。
その口元には不気味な笑みが浮かんでいる。
ローゼルは嫌な予感がした。
「あんたは俺の取引材料だ。
あんたが欲しいって連中がいるんだよ」
「私を?」
どきっとして、ローゼルは聞き返した。
「そうだ」
彼は舌なめずりをする。
「奴らに引き渡せば、俺は奴らの懇意にしている国で大貴族としてのし上がれるんだ」
異様にギラギラした目。
鋭く不気味な目。
なぜか、目を離せなかった。
「ねえ、どうして私が欲しいの?
私を手に入れるメリットは?
魔法使いだから?」
気づくと、ローゼルは矢継ぎ早に質問を浴びせた。
彼は少し面倒そうな顔つきになって、眉をひそめる。
「それは知らん。
けど、魔法使いが欲しいなら、もっとすごい魔法使いを捕まえた方がいいに決まっているだろ」
「あ、そっか」
魔法が目当てではない。
「じゃあ、奴らの懇意にしている国。
それは一体どこ?」
じわじわと背中を恐怖が這い上ってくるのを感じながらも、もう一度ローゼルは尋ねてみた。
その声は、少し震えていた。
「……さあね」
彼は、しばらく間を空けてから不敵な笑みを浮かべ、窓に視線を投げた。
沈黙。
馬車の揺れが一層強く感じられ、冷たい革張りの座席が軋む音さえ不気味に聞こえた。
しばらくカタカタと馬車は走り続ける。
景色はどんどん鬱蒼と茂る森の奥へと移り変わる。
なんとなくルシアンの笑顔と、騎士団長らしい頼もしい声が、ローゼルの頭の中に蘇る。
無意識のうちに頭の後ろを触ってしまう。
いつも結んでいるルシアンがくれたリボンがない。
(そっか、お葬式だから不相応と思って屋敷に置いて来てしまったんだっけ)
窓の外の鉛色の空を見つめながら、今さらになって猛烈に後悔する。
ますます息が詰まりそうだった。
魔法使いとしてじゃなくて、それ以外の理由で私が欲しい人たちがいる——
不気味に思いながらもローゼルは、必死で思案する。
なんとなく思い当たる理由は、ルシアン絡みだ。
他国では“魔王の生まれ変わり”や“鬼騎士”と畏怖されているルシアンだ。
確かにルシアンの女であれば、価値はあるだろう。
ということは、取引相手はここ帝国が仮想敵国として見ている国か。
困ったなぁ。
このままでは、ルシアンの足を引っ張る結果になるのは目に見えている。
何か手を打たないと。
(今、私にできること……)
ローゼルは目の前の彼を上目遣いで見た。
この彼から少しでも情報を得るのが先決だ。
生憎、彼はなかなか口が軽いようだ。
うまくいけば、何か聞き出せるかもしれない。
「あの……せっかく釈放されたのにまた悪事に手を染めるんですか?」
ローゼルはおずおずと尋ねた。
「フン、あんたに何が分かる」
彼は腕を組み、ふんぞり返る。
「俺は貴族の息子だ。
だが、この国は俺にとって不遇なんだ」
「どうしてですか?
貴族である時点でラッキーだと思いますけど」
「ラッキーなもんか。
五男だから、家は継ぐことはできないし、武官になるしかなかったんだ」
彼は不服そうに腕を組んで、口を尖らせた。
「武官になれるってことは、それだけでも名誉なのでは?
剣術がある程度できないと、入団試験に受かりませんよ。
いくら貴族でも運動音痴じゃあ、武官になれませんから」
「……まあ、そうだな。
確かに俺は剣術は得意だ」
彼は少し誇らしげな表情を浮かべた。
「ほら」
「だけど、それだけじゃあ、意味がない。
結局、魔法騎士団に入団できても魔力が少ないと冷遇される。
オークレー次官が上流貴族の出身だからと引き上げてくれたけど、結局、魔力増強のエネルギー薬を注入するしかないんだ」
恨めしそうに、彼は眉根をきつく寄せた。
魔力増強のエネルギー薬を注入――
彼らのポケットから出てきた違法薬物のことかしら。
でも、あれは摂取してもその場しのぎで、追々魔力が枯れていくクスリだ。
であれば、別の薬の可能性もある。
「細かいことは分からないですけど、その薬があれば、ご活躍できるんじゃないですか?」
彼の顔色を窺いながら、ローゼルはそっと尋ねた。
「だめだめ。
単調な取調べや地味すぎる捜査しかやらせてくれないんだよ」
彼はゆるゆると首を振った。
「そもそも捜査って、そういう下調べが肝心なんじゃないでしょうか?」
「分かってないな。
この国は身分階級があるくせに、実力主義すぎるんだよ。
せっかく貴族として生まれたのに、何も旨味がない。
だったら、この先楽しく遊び歩ける他所の国の貴族として高待遇で迎えてもらえた方が幸せってもんだろ?」
手を広げて、勝ち誇ったように笑った。
要は彼はズルをして、自分だけ幸せになろうとしているということか。
ローゼルの怒りがまたふつふつと湧き出る。
「だからって私を巻き込むのはやめてください……。
迷惑です」
つい愚痴が出た。
「しかたないだろ、あっちがあんたをご所望なんだ。
まあ、でもあのクレインバール卿の大事な女だから、ちょっとした意趣返しできるっていう醍醐味はあるな。くっくっ」
彼は肩を揺らして笑った。
(ふうん、意趣返し。
この言い方からすると、ルシ様との仲は彼にとって付属品にすぎないって感じかな)
私を引き渡す真の目的。
それは、別にある。
そんな気がする。
どうせなら、彼がどれほど私に重きを置いているのか、その価値を推し量ってみよう。
ローゼルは彼を睨みつけ、さらに罠を張ることにした。
「何も義務を果たしていない甘ちゃんのくせに、なに権利ばっか主張してるのよ。
カッコ悪い」
ローゼルは、わざと非難めいて呟いた。
「あ?」
彼は不愉快そうに眉をひそめた。
「だって、してほしいことがあるなら、まずは義務を果たしてから文句を言いなさいよ。
あなたのは単なる子どもの癇癪にすぎないでしょ」
「お前さぁ、いい気になるなよ」
彼の目に怒りが滲んだ。だけど、ローゼルは引かない。むしろ、順調だ。
「いい気になってないわ。
今の時代、貴族の出でもあなたのように魔法は使えなくても、剣の腕に覚えのある貴族令息は冒険者としても活躍しているのに。
罪に手を染める前に、そういう方向転換も視野に入れるべきでしょ」
お説教じみた台詞。
「あのさぁ、何でそんな苦労するようなことを貴族が考えないといけないんだ。
だいたい貴族出身の俺が平民の中に紛れて冒険者になるなんて意味が分からない。
さすが子爵位の娘だな。
考え方が貧相だ」
彼はローゼルを嘲笑った。
彼は身分至上主義者だ。
なるほど、オークレー次官が目をかけるだけある。
「元子爵位よ、失礼ね。
あなたが捕まっている間にお父様の爵位が上がったの。
だいたいね、目先の利益ばかり優先してるから、そういう事細かなところまで目がいかないのよ」
「減らない口だなぁ」
彼はちっと舌打ちをし、覆いかぶさるように馬車の中で立ち上がる。
「お前、俺に一発殴られないと気が済まないようだな」
「あら、殴ったら私の価値が下がるかもよ?
傷モノでも先方は問題ないって言ったの?」
ローゼルはさらに煽って、余裕のある笑みを浮かべた。
継母シャルルから暴力を日常的に受けていたせいか、力技の暴力には多少免疫がある。
さすがに一発殴られたら、歯が折れるかもしれないけど、ここで黙って、よく分からない異国へ連れて行かれるなら、少々価値が下がった方がスッキリする。
ローゼルはぎゅっと自分の両こぶしを握りしめた。
彼の顔がますます歪んだ。
彼は、苛立ちを露わにしながらも、深呼吸をした。
それから椅子にどかっと座り直し、しばらくローゼルを無言で睨みつけた。
「ねえ、私を引き渡す人たちって、どんな悪人なの?」
思い切ってローゼルは単刀直入に尋ねた。
だが、もちろん彼は答えない。
無言で窓の外に視線を投げ、そのまま黙り込んだ。
奇妙な沈黙が流れた。
その間にも景色は変わっていく。
(ルシ様を悲しませたいなら、少しぐらい痛めた方が効果的なはずなんだけどなぁ)
この反応から「ルシアンの女」というのはあくまでも付属品。
傷をつけたら彼の報酬に響くとなると、ますます彼に誘拐を依頼した黒幕の目的が分からない。
(結局、何も分からなかったなぁ――)
ローゼルの中で、焦燥感と漠然とした不安が渦巻く。
ついに降り出した冷たい雨が、馬車の屋根を激しく叩き始めた。
さらに暗雲が立ち込め、ローゼルの心に漂う嫌な予感を濃くしていった。




