第120話 王城に蔓延する甘い毒と、四年前の影
取調室で事情聴取後、ノーランがネイトとローゼルを手招きした。
ノーランはローゼルとネイトを前に、手元にあった分厚いファイルを開く。
そこには、茶色の封筒があった。
封筒は膨らんでいて、ノーランはそこから白い包み紙のキャンディーを取り出した。
「飴?」
ネイトが首を傾げた。
「ただの飴じゃない」
その包み紙をノーランは開けて二人に見せた。
白と緑が混ぜ合わさったマーブリング柄の豆粒ほどのコロコロ転がる塊。
甘く煮詰めたミルクの香りと、薬草の強い匂い。
「これ、王城内で見たことある?
誰かが食べていたとかの目撃談でもいい」
それをトーマスが摘み上げ、ローゼルとネイトは塊にじっと見入る。
どこかでこの包み紙を見たような――。
どこだっけ?
「あっ、あの子の私物」
ふと思い出してローゼルは呟いた。
「あの子?」
訝しげにネイトが眉をひそめた。
「うん。法務省の資料室の受付の『外部人材』の子」
「あぁ、午前中、捕縛された子か」
「うん」
「ミレイユ・カーネルだな」
ノーランが言った。
「はい。そうです」
「んじゃあ、その彼女以外、王城で誰かが持っているとか、そういうのは見たことある?」
トーマスが尋ねた。
ローゼルとネイトは顔を見合わせ、首を振った。
「そうか、知らないか」
トーマスもノーランもほっと胸を撫でおろした。
小さくノーランが呟く。
「この世代はまだ問題なさそうだな」
「だな」
「何ですか、これ?」
ネイトはトーマスからそれを受け取って、不審そうに眺めた。
「これね――極甘な元気が出るというのが売りのキャンディー。
なんと、舐めればたちまち元気になって頭の中がスッキリするっていうお薬なんだ」
トーマスが言い切るも、ネイトは訝しげに表情を曇らす。
「薬……ですか?
それ。怪しすぎますよ」
「あはは。さすがファーヴァ書記官。
正解。
これ超絶やばいクスリ」
「違法薬物、通称ホップラブソングだ。
聞いたことないか?」
ノーランが付け加えた。
「名前だけなら。
スッキリする薬とかで、数年前にも流行った薬ですよね」
ネイトが答えた。
「そうそう、それ。
最初は風邪薬やポーションなどの栄養剤の一種かと思って、一時期みんな服用していたら、とんでもないクスリでしたっていうオチね」
トーマスは、冷たくなったティーカップに手を伸ばす。
「多用すると、魔法使いはあっという間に魔力が枯渇するんでしたよね。
それって、俺たちの官吏登用試験のときも流行って、受験者の中に中毒者がいたってもっぱらの噂でしたよ」
ネイトは肩をすくめた。
「君たちの入省したて……。
あぁ、四年前か」
ふいにトーマスの目が遠くなった。
「はい、そうです」
「そうか、四年前かぁ」
独り言のようにノーランは意味深に呟いた。
「ホップラブソングって……」
ローゼルは思い出したように口を開く。
「その通り名のとおり、唄いたくなるほど気分がかなり良くなるクスリとかで、どんな違法薬物よりも効果絶大。
だけど、その分、反動も大きいことでも有名ですよね」
神妙な顔つきでローゼルは、ネイトが摘まむ飴玉に扮したホップラブソングを見た。
違法薬物の飴玉。
こうして見ると、本当に何の変哲もないキャンディーだ。
何も知らなかったら、危うく口にいれてしまいそうになる。
「たしか、元は港街エステアーダ領で十年近く前に蔓延した薬ですよね?
魔法使い人口が激減した原因になって、死者も多く出て社会問題化したっていう」
「さすが法務省。
歴史もよく把握しているね。
そう、そういったことも相まって今現在、通称ホップラブソングは、周辺諸国も危険性を鑑みて材料になる植物の栽培自体を禁止している」
トーマスはお茶をくいっと飲み干して、奇妙な笑みを浮かべた。
「そうですよね。
国境の検問は農作物の種子まで目を光らせているはずです」
ローゼルの頭の中で、持ち込み禁止の植物がいくつか思い浮かんだ。
「そ、種子自体はほぼ絶滅危惧種。
けど、それって逆をいえば稀少ってことだろ?
だからね、なぜか富裕層の若者にはすごくウケて売れているらしいんだよ。
皮肉な結果だよなぁ」
「いや、ウケているんじゃない。
狙って売られてるんだ」
ノーランが即、反論した。
「ネギを背負った鴨っていうんだっけ?
東方の方だと」
「ああ、まさにそれだ。
最近の若い奴らはあの副作用の恐ろしさを知らないんだ。
危機管理能力の薄い奴らめ」
小さく鼻を鳴らして、ノーランはお茶をぐびっと飲み干した。
「なんでまた王都でこんな物騒なクスリが出回り始めたんですか?
確か、四年前に売人や闇組織を大々的に取り締まって、薬害もほぼなくなったはずですよね」
ネイトはホップラブソングを机に戻した。
「一時的にはな。
だが結局、闇組織っていうのは蛆虫みたいに湧いて出るんだよ。
撲滅というのは難しい」
ノーランはなにやら引っかかるような言い方をする。
「あの時、取り締まれたのは、上澄み部分にすぎない。
闇組織は俺たちが思っているより根深いんだ。
すべてを殲滅するのは不可能だ」
「じゃあ、またその蛆虫が湧いたってことですか」
「残念ながらな」
誰からともなく顔を見合わせ、不気味な沈黙が降りた。
今度はトーマスが指でホップラブソングを摘まむ。
「実は、これ。
イースティリア女官がボコった騎士三人が所持していたものなんだ」
(そういえば……)
殴った拍子で誰かのポケットから小粒のものがポロポロ落ちていた。
あれが、これだったのか。
すっかりそのことを忘れていた。
「え? 騎士なのに薬物中毒者ってことですか?
騎士の皆さんは定期的に魔力検査をしますよね?」
混乱したようにネイトが質問を飛ばした。
「ああ、そうだ。
服用していれば、魔力に自ずと反応が出る。
だが、ここ最近、都合が悪ければ受けずに済む奴らがいる。
ファーヴァ書記官は忘れたか?」
ギロリとノーランが睨むようにネイトに視線を投げた。
ハッとしてネイトが声を上げる。
「あっ、あの例の御仁の腰巾着たち。
そうか、アイツらを昇格させたのもあの人でしたね」
「そういうことだ」
ノーランは小さく舌打ちをした。
「本当に参っちゃうよなぁ。
俺たちみたいな真面目騎士がこういう奴らのせいで割を食うんだよ」
トーマスは、やれやれと首を振った。
「悪いな、イースティリア女官。
内輪話をしてしまい」
ノーランが苦笑を浮かべ、ローゼルを見た。
「いいえ。
その問題の御仁っていうのは、その——オークレー次官ですよね?」
小声でそっとローゼルが囁くと、三人はますます複雑な顔をした。
「そ。俺たちが悪く言っていたこと、内緒ね。
まあ、うん、そういうことなんだな」
煮えきらない言い草で、トーマスはひらひらと手を振った。
「ただ今回問題なのが、このクスリが流行っているのは、王都じゃない。
ここ、王城だ」
ノーランの低い声が部屋に響いた。
ローゼルとネイトは息を呑んだ。
王城で違法薬物が流行っている――
サーサーという強くなる雨の音が、不穏に反響した。
「あの、もしかして、売人が王城にいるんですか?
だから、王城で流行る。
そういうことでしょうか?」
ローゼルの質問に、ネイトが驚いて顔を上げた。
「あぁあ、本当に勘が鋭いね、君は」
ぽりぽりとトーマスは後頭部を掻いた。
「そのとおりだよ。
売人が何食わぬ顔で王城に出入りしている」
「それって、一時的に『外部人材』が衛兵を務めていたせいですか?
だから、不審者がいても怪しまれなかった」
ローゼルの声に不安の色が覗いた。
「それもあるだろうね。
警備の穴、売人側も売る人間を選んでいるっていうのもあるけど、俺たちがなかなか尻尾をつかめないのは、王城内の誰かが手引きしているからだと思うよ」
皮肉めいた声でトーマスが言った。
「誰かが手引き?」
ローゼルは目を瞬いた。
「同感です。閉鎖空間かつ最高セキュリティなのがここ王城だったのに、一時的に治安が悪化。
とはいえ、王城内は貴族、官僚、騎士、使用人たちが常に歩き回っている状態です。
要は互いを監視し合っています。
見慣れない顔や、特定の身分なのに不自然な場所にいる人物は、それだけで目立ちます。
ここまで魔法騎士団の目を盗んで悪さをするなんて、協力者がいるとしか考えられませんね」
冷静にネイトは分析した。
「いやはや、そのとおり。
やっぱ粒揃い、優秀世代は、一味違うね」
背もたれに腕を掛けて、トーマスは脚を組んだ。
「どうやらこの薬はね、特に仕事に追われていて、体力の回復もままならない若い官僚たちがターゲットになっているらしいんだよね。
『頭がスッキリして、一日中仕事が捗るクスリ。いらない?』とか言ってね」
「それ、ますます怪しさ満点ですね」
ネイトは嫌悪感を滲ませて呟いた。
「だろ?
どんな売人なのかって、違法薬物所持でしょっぴいた官僚たちに訊くと、全員口を揃えて言うんだよ。
『官僚の制服を着た年齢不詳で、不思議と特徴のない顔の男』だってね」
トーマスはため息をつき、首を回した。
記憶に残らない顔。
ザラリと危険なものを隠し持っている、それまで見たことのない男。
ぼんやりとローゼルの頭の中で、顔のない男がぽっかりと浮かんだ。
「顔の認識を阻害する魔法か何かを施しているんですかね?」
ローゼルは尋ねた。
「十中八九ね」
トーマスは、砂でも噛んだような顔つきになった。
「王都でも時折その売人は現れるらしい」
腕を組んでノーランが、忌々しげに呟く。
「街中で、ラリっていたりして動きが不審な身なりのいい者は、大抵、このクスリの愛用者だったりする。
しかも貴族や、労働階級でも人気の魔道具師とか、商売繁盛している金回りのいい商人たちだ」
「おかしいですね。
ふつう、こういう手合いの薬害汚染は、わりと低所得者の方が広まりやすい特性があります」
ネイトが口を挟んだ。
「ああ。
今回は金持ちばかりが標的になっている」
「無作為に薬を売っていない、ってことですか?」
ローゼルの質問にノーランが神妙な顔つきで頷いた。
「そうだ。
あらかじめターゲット層を絞り込んでいる感じだ。
押収したクスリも今回品質がかなりいい。
薄めて製造している感じがない」
「じゃあ、それが四年前とは違う点ですね」
そう何気なく口にするも、ローゼルはなぜだか全身にかすかな鳥肌が立つのを感じた。
「四年前と違う、う〜ん……」
トーマスが、腕を組んで天を仰いだ。
「そうだなぁ、似ていないようで実は似ていたりする。
なにせ共通点があるからね」
「共通点?」
ローゼルとネイトの声が揃った。
「うん。
ひょっとすると、イースティリア女官はルシアン様から聞いているかもしれないけど、先日まで起きていたという王城強姦魔事件があってね」
トーマスはローゼルがその被害者であることは知らない口ぶりで続ける。
「あれの犯人ブルーノ・アヴェーヌもこの薬を愛用していたんだよね。
しかも、ノエル・ディアス嬢の身分を騙って潜入していた『外部人材』の女——結局マリュード皇国の女工作員だったんだけど、その女が『秘密結社 黒の杖』を通して与えていたんだよ」
どきっとした。
そうだった、あの男も薬物依存者だった。
爛々《らんらん》と不気味に輝く眼。
理性的とは言い難い狂気がたっぷりと含まれた奇妙な笑み。
ゾッとした。
思い出すだけで、吐き気がする。
「ローゼル、大丈夫か?」
ふいに、心配な顔つきでネイトがローゼルの顔を覗き込んだ。
トーマスとノーランもローゼルの異変に気づいたのか、そっと覗き込む。
「う、うん……。
だ、大丈夫。
王城で強姦魔なんて、怖いよねって思って……」
ローゼルは我に返って、必死に表情を取り繕い、笑顔を浮かべた。
「そうだな。
いやぁ、マジで怖いですね。
そんな異常者までクスリを使っていたなんて」
ネイトが腕を組み、眉をひそめた。
「まったくだ。
性的犯罪者に与えていいクスリじゃない」
ノーランは憤慨した。
「だよねぇ。
しかも、ブルーノ・アヴェーヌが所持していたクスリと、午前中に捕縛したミレイユ・カーネル。
イースティリア女官がワンパンノックアウトさせた騎士たち。
それから、王城で薬物所持で押収したクスリ。
これ全部、クスリの材料も品質も純度も同一。
製造過程も同じクスリなんだよね」
テーブルに頬杖をついたトーマスが指先でとんとんテーブルを叩いた。
——奴らは違法薬物を与え、正常な判断ができなくなるほど飼いならした。
ふと、レイノルドの声が蘇った。
そう、自分たちの目的を達成する駒として、女工作員と「秘密結社 黒の杖」はクスリを与えていた。
「それから、四年前に貴族たちの間で流行ったクスリ。
あれとも一致した。
いやだねぇ、ここで繋がるなんてさ」
辟易としたトーマスの声にどこか不気味な響きを感じ、ローゼルは、恐る恐る尋ねる。
「四年前のって、大摘発した時のですか?」
「そうだよ。
あの時、王都にクスリを売りさばいたのは異国の貿易商だったんだ。
な、ノーラン」
トーマスがノーランに目配せをした。
「ワルト・チェッカレッチ。
その貿易商の——売人の名前だ」
急にノーランの顔つきが険しくなった。
「ワルト・チェッカレッチ……」
ネイトがその名前に反応した。
「知っているの?」
ローゼルがネイトを見上げると、その表情は複雑そうだった。
「一時期、若手貴族が集まるサロンに出入りしていた奴だよ。
しかも、アイツ、マリュード皇国の工作員だったんだよ」
「マリュード皇国の!?」
まさか、そこでもマリュード皇国が暗躍していただなんて。今回だけではなかったのか。
「——あの当時、奴ら工作員は『秘密結社 黒の杖』と共謀してこの国に反乱を起こそうとしていたんだ」
ノーランは低く呟いた。
彼の表情が、だんだん酷薄なものになっていき、ローゼルはなんだか空恐ろしくなって胸を押さえた。
信じられない。
四年前も彼らは手を組んで、内側からこの国の衰退を狙っていたなんて。
自分が思っている以上に、あの国から見えない攻撃を受け続けているようだ。
知らなかっただけでは、もう済まされない……。
「あの、『秘密結社 黒の杖』って、呪術を主とする邪教アミラス教の新興宗教団体ですよね。
今回のエルド男爵殺人もその人たちが関わっていたって教えてもらいました」
彼の目玉をくり抜いたのは彼らだ、そうミレイユは白状していた。
心臓の音がどくどくと鳴り響く。
「そうなんだよ、まったく物騒な連中だよね。
しかも、今回のエルド男爵での事件は、『秘密結社 黒の杖』だけでなく、異国のアミラス教徒まで絡んでいたんだろ?
まさか国を跨ぐ規模になるとは思ってもみなかったよ」
うんざりしたような様子でトーマスは頬杖をついた。
「あの宗派の連中は厄介ですからね。
帝国民なら禁教と分かっているから、まだ大人しく隠れてますけど、異国の民となると、もともとここがアミラス教徒の国だったから、平然と犯罪を引き起こしますからね」
ネイトの表情も渋くなった。
「そうそう。『教義に則った儀式だから』とか、『本来これは許されていたのに、お前たちがこの土地を穢した』とか喚いてくるもんな。
反省の色なし」
「そのとおりだ。
今回の異国の連中もそういう感じだ。
エルド男爵を殺害したことに対して、何も反省していない。
むしろ、取り調べでも自分たちの行う儀式の前準備で必然だったとほざいていやがる」
ノーランの声に苛立ちが含まれていた。
「恐ろしい人たちですね……」
そう呟くローゼルは、声が震えているのに気がついた。
なんだか気味が悪い人たちだ。
法よりも教義が大事。
教義のため儀式のため、自分たちの目的のためならば、殺害も厭わない。
——あたし、知っているんだからね。
アイツらがあんたを生贄にしようとしていることを!
突如、ミレイユの声が頭の中で鳴り響いた。
ぎょっとするほど鮮明だった。
ローゼルは茫然とした。
(ひょっとして、あの子が言った生贄って……)
まさかね。
そう思うのに、なんだかゾッとした。
全身から血が引いていくのが分かるくらい、体温が下がっていく。
「まあ、今回の売人も四年前同様、『秘密結社 黒の杖』と繋がっている。
その上、最近捕縛した連中の大半は、マリュード皇国のあの女工作員からクスリを与えられていたんだ」
トーマスはそっと窓に視線を投げた。
昼間だというのに、外は悪天候のせいか灰色一色だ。
「これだけで済むわけがないんだ。
あの連中、まだ何かやらかすぞ」
冷ややかなトーマスの声は、強くなっていく雨音と重なった。




