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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第115話 恩人の裏切りと、崩れた仮面

「エルド男爵を殺したのは貴殿だな?」


 ルシアンの質問に、ミレイユは胸を突かれた。

 不安と恐怖が胸の内で揺れる。


「な、何を突然……」


 ミレイユは絞り出すように声を出すも、喉に張り付いてしまったように上手く喋れない。


 何もないがらんとした部屋。

 そのくせ、徐々に緊張が高まってくる。


 ルシアンの鋭い視線が、頭上から容赦なく降って来る。


「エルド男爵は、スラム街で遺棄されていた。

 目玉をくり抜かれていてね」


 どきんとした。


 ミレイユの瞳孔が大きく見開き、心臓の音が大きく鳴り響く。


「エルド男爵邸に昨晩魔法騎士団が踏み込むと、そこは異国からやって来た邪教アミラス教のアジトと化していたよ。

 無論、奴らが十八番《おはこ》の自害をする前にすべて供述させた。

 皆、口々に君が王城に関する情報元だったと言っていた」


「あ、あたしが?」


 ミレイユは顔を歪め、暗い表情でルシアンを睨みつけた。


「――君の命令指示者は、ノエル・ディアス嬢だ」


 ルシアンはじっとミレイユを見据えた。


 ミレイユはサッと視線を落とした。


 駄目、見てはいけない。


 ルシアンからねっとりとした視線が注がれているけれど、ミレイユはじっと自分の靴のつま先を見つめた。


 顔を上げられない。

 だって、目が合ったら、きっと殺されてしまうから。

 そう思えるほどの殺意をヒシヒシと感じていた。


「知っているだろ? 

 ノエル・ディアス嬢だ」


「だ、誰ですか? 

 そ、そんな人、し、知りませんが」


 ミレイユは低い声で、なんとか返した。だけど、冷や汗を掻いていた。


「ほう。この期に及んで白を切るつもりか。

 大した根性だ」


 どこか面白がるような冷ややかなルシアンの眼差し。


「あの女は先日まで総務省で働いていた『外部人材』だ」


「へ、へえ」


「だが、その素性は『秘密結社 黒の杖』の協力者でマリュード皇国の工作員」


「え? マリュード皇国?」


 驚愕してミレイユは顔を上げた。

 なにそれ。

 初耳だ。


 ミレイユは恐怖でたじろいだ。


「ほう。工作員だとは知らなかったようだな。

 では、あの女が亡くなった令嬢の身分を乗っ取り、アストレイア皇女殿下に危害を加えようとしたことは?」


 ミレイユは顔から血の気が引くのを感じた。

 何度も首を振った。


「し、知らない!」


「なおかつ、王都婦女連続殺人事件の誘拐犯であることは?」


「連続事件の……!?」


 ミレイユは絶句した。


 そんな、ありえない。

 あの彼女がそんな大罪を犯していたなんて。


 確かに、彼女の仲間たちが異国人で、どこか不気味なものを崇拝しているのは薄々勘付いていた。

 だけど、そんなものを直視する必要はない。


 お城の情報をあげれば、彼らは喜ぶし、お金をたくさんくれる。


(だから、あたしは知らない。

 見てない、聞いてない、何も知らない!)


 ミレイユは拳をぎゅっと握りしめ、唇を一文字に結んだ。


 不穏な沈黙が流れた。


「黙秘か。

 そうか——」


 ルシアンが小さく笑う。


「あの女と君の関係も調べはついているよ。

 君が王都に初めて来た時、暴漢に遭いそうになったんだってね。

 そこを彼女に助けてもらったとか」


 ミレイユは、背中に冷たいものを感じた。

 

 このまま黙秘するのも手だろうけど、間違いなく汚い牢獄に閉じ込められる。

 それだけなら、まだいい。

 ましてや、彼女が敵国のマリュード皇国の工作員であれば、共謀犯として片棒を担いだ女として処刑される。


 ここは少し情報を小出しして、情状酌量を求め、罪を軽減するのがベストだ。


「ええ、そうです。

 あたしはただ恩人の彼女に報いようとしただけ。

 彼女のお陰でこうやって職にありつけて、王都で生活できているんです」


 ようやく出たミレイユの声は掠れていた。


「そうか。なるほど」


 どことなくルシアンの口元にやんわりと微笑んでいるように見えて、ミレイユは少しだけ明るい気分になった。


(そう、あたしは彼女に救われたから、恩義を返したに過ぎないの。

 あたしは可愛いから、男の人は同情して許してくれるはずなの)


「――だが、それすら演技だったら?」


 醒めたルシアンの声。


「え?」


「あの女は手練れの敵国の工作員だ」


 ルシアンがミレイユを見つめていた。

 暗い鏡のような、何も読み取らせない、瑠璃色以上に深い漆黒の闇。


「君の前では好意的だったかもしれないが、相手は目的のためなら手段を選ばない国賊だ」


「そんなことない。

 彼女はいろいろ親身になんてくれたもの」


 知らない土地。

 知らない人々。


 右も左も分からない状態で、彼女は襲われかかったあたしに手を差し伸べてくれた。

 あの手の温かさは忘れられない。


「その暴漢も違法薬物欲しさに、彼女の指示に従っていた貴族の一人なんだよ」


 麗しい男の口から出た冷酷な台詞。


「……うそっ」


 ミレイユは息を呑んだ。

 その瞬間、何かが足元で崩れる無機質な音がした気がした。


 しかし、ルシアンは淡々と続ける。


「日中しか働いていない君は知らないだろうが、先日ここ王城で何人もの女官を襲って捕縛された男がいる。

 そいつ――ブルーノ・アヴェーヌが供述したんだ。

 あの女の指示で何人もの田舎娘を襲う演技をしたと」


「そ、そんなことは」


 ミレイユは口ごもった。


「最初から仕組まれていたんだ」


 レイノルドが静かに呟く。


「あの女工作員は、貴殿のような王都から出て来た右も左も分からないような令嬢を手懐けるために、あえて暴漢に襲わせたんだよ」


 ぐらりと視界が揺れたような気がした。

 胸を一突きされたような衝撃。


 まさか。

 そんなことない。


 そう心の中で呟くも、何かが強く渦巻いていた。


「うそよ、そんなの、嘘に決まっているわ!」


 堪らずミレイユは叫んだ。


「嘘じゃない。

 ブルーノ・アヴェーヌは地元領地でも問題の性的犯罪者だったんだ。

 どうやら、アヴェーヌ家が前ビアード伯爵に多額の賄賂を渡して、彼を縁故採用で准帝国公務員にした。

 そこを工作員の女と『秘密結社 黒の杖』の連中が目を付けたんだろう」


 レイノルドの鋭い灰色の目が迫りくる。


「奴らは違法薬物を与え、正常な判断ができなくなるほど飼いならした」


 ミレイユは身震いした。


「ありえない。

 そんな……あたしの信頼を得るために、犯罪者を使うだなんて」


「安心しろとは言えないが、利用されたのは君だけじゃない」


 ルシアンは小さく鼻を鳴らした。


「え?」


「ここ最近、罪に手を染める『外部人材』の令嬢たちが多くてね。

 官僚の名簿盗難に、王城の内部地図作成、王宮内歴史資料室の書物に放火未遂などなど。

 彼女たちは全員君と同じ手口で、王都でブルーノ・アヴェーヌに襲われ、ノエル・ディアス嬢扮する女に助けられていた。

 要は自分たちの目的を達成する駒として、君らを潜入させたんだ」


「信じられない……」


 ミレイユは衝撃を受けた。


 走馬灯のように彼女と出逢ったときのことが、ミレイユの頭の中で駆け巡る。


 襲われ、抵抗し、傷だらけになったところに現れた救世主のような存在。

 血の滲むミレイユの手を優しく手当してくれた彼女。


「あの女の狡猾な一面が分かったところで、貴殿に『魔法陣符号学』を学ばせたのも彼女の指示か?」


 レイノルドがミレイユに質問を飛ばす。


 どうしてそれを。

 ミレイユは面食らう。


「な、なんのことだか……。

 ミレイユ、分からないです」


 咄嗟に出た台詞がそれだった。


「今更嘘をついても無駄だよ」


 ホキアンの瞳が鋭く見咎めた。


「君の履歴の資格欄に『魔法陣符号学修練課程修了』とあったからね。

 君は魔法陣を描けるよね?」


 逃げ場を与えないように、言葉よりも強く追い詰める目。


「あっ……えっと……」


 ミレイユは視線を泳がし、必死で頭を回転させる。


 だって、正直に話したら、国賊の彼女の手助けをしたと認めるようなもの。

 彼女の思惑を見破れなかった自分が恨めしい。


 不意にローブを羽織るエレナが目の前に現れ、自然にミレイユと手を繋いだ。


「え?」


 口元しか見えない彼女の笑顔。

 ぞぞっと肌が粟立つ。


 そんな彼女が小さく何かを詠唱する。


 たちまち握った手からエネルギーを吸い取られるような不思議な感覚が襲う。

 痛みはないものの見えない不意を突かれたことの方が衝撃で、頭の中に閃光が走ったような気がした。


 反射的にびくんとなり、腕を引っ込めようとしていたが、思いのほか手を繋ぐ力は強い。

 一瞬、パニックに陥った。


 やだ、今度こそ殺される!


 しかし、身体は動けなかった。


 そのうち何かが頭の中で流れ込んでくる。

 ピンクの花びらが舞い散り、きらきらと輝く。


 なに、これ。


 ミレイユが驚いていると、パッとエレナは手を離して、ローブのポケットから羊皮紙を取り出して違う魔法を発動させる。


 羊皮紙に光る文字や図画があっという間に描かれ、やがてそんな光りも収まり、一枚の鑑定書となった。


 ミレイユが初めて見る魔法に目を瞬いていると、エレナは羊皮紙をルシアンに手渡す。


「はい、これ。

 彼女の魔力残滓《まりょくざんし》です」


「ありがとう。

 ふうん、便利なものだな。

 魔法を相手が使わなくても、手を繋ぐだけで魔力残滓を記録に残せるというのは」


 ルシアンが感心した。


 魔力残滓。


 聞いたことがある。

 魔法使いは魔法を使うと必ず痕跡が残る——それが魔力残滓だ。


「結構魔力を消耗しますけどね」


 エレナは肩をすくめた。


「それから、ルシアン様。

 ローゼルが今持っているインク。

 そのインクと契約書の裏にあったインクは一致しました」


 レイノルドがローゼルの手元に視線を投げて、今度は木箱からもう一枚の羊皮紙を手渡す。


「こちらが第2魔法騎士団のマッシュ・モラレス副団長が鑑定した魔法陣の魔力残滓の結果です。

 預かってきました」


 「これで契約書の裏側の魔法陣、あれに込められた魔力が誰のものか判明します」


「そうだな」


 ルシアンは受け取った羊皮紙を広げ、隅々に目を走らせた。


「で、出ないわよ。

 出るわけない!」


 声を荒げた。


「だってあたし、一切魔法を使えないんだから。

 今のだってきっとインチキに違いないわ!」


「ええ、あなたが魔法使えないなんてことは知っているよ」


 エレナは小さく肩をすくめ、こちらの心を見透かすような眼差しでじっと見つめてくる。


「けどね、それは魔法を体現するほどの魔力がないだけで、実際は特殊な体質の人以外はちゃんと持っているんだよ。

 だから、鑑定書にあなたの魔力が記載されたの」


「なっ……! 

 そんなわけがないわよ」


 あの人は――あの人は決してあたしの魔力は検出されないから安全だって言っていたのに。


 決して誰も面と向かって何かを言うわけではないけれど、冷え冷えとする醒めきった軽蔑が混じった感情の漣《さざなみ》が、空気を伝わって全身に沁みてくる。


 気まずい沈黙が流れた。


「ほう、二枚とも同じ結果だな」


 ルシアンの声が響いた。

 彼の目がギラリと光ったような気がして、ミレイユは唇を噛みしめた。


「マッシュの鑑定、ヴァービナス女官の鑑定。

 この羊皮紙同士、念のため魔力残滓一致確認鑑定をしておこう。

 だが結果は歴然だ」


 ルシアンは二枚の羊皮紙をくるくる丸めながら、若い騎士に渡す。


「マッシュに魔力残滓一致確認鑑定を」


 彼は「はっ」と短く返事をし、部屋を出た。


「ありえない、そんなの捏造よ。

 デタラメに決まっているわ」


 ミレイユは大声を張り上げて、いやいやと首を振った。


「あなたはこのインクで契約書の裏表紙に魔法陣を描いた。

 あの魔法陣を一つ描くのに、三十分もかからないはずだよ。

 慣れてしまえば、十分程度で描けちゃう」


 ローゼルがルシアンの背後からひょこっと顔を出した。


「この資料室は一日に三人訪れれば多い方だし、来訪者がゼロのときもある。

 そういう誰もいない時間帯にコツコツと人目を避けてそれだけ時間があれば大半の魔法陣を描くことも可能。

 そう、あなたが勤め始めて半年、ほとんどの契約書に魔法陣を書き終えた。

 そうだよね?」


 そう言い放つローゼルの手には例のインク瓶がある。


「ちなみに、このインクは乾くと消え、強い光があれば反応する性質なんだけど、一度付着するとなかなか取れないの。

 指先を専用の魔法光で照らせば、あなたの爪の間に入ったりしたインクが光るはずだよ」


 ローゼルはミレイユの顔を正面から見た。


「そうだね、あれだけの量の魔法陣を描いたんだもの。

 絶対にインクの染みは間違いなくある」


 今度はエレナが、青白い光を放つペンのような細長いものをポケットから出した。


「認めないなら、この魔法光で確認してみよう」


 エレナが一歩近づく。

 ミレイユは不気味に思って一歩下がる。

 けれど、騎士たちが背後に立ち塞がった。


 しまった、これ以上後ろに下がれない。


 ミレイユはたちまち頭に血が昇るのを感じた。


 悔しい。

 どうしてこんなふうに追い込まれないといけないの?

 許せない。


「黙れ」


 ミレイユは低く呟く。


「男の影に隠れないと何もできない女が」


「何言ってるの? 

 ローゼルは男の影に隠れていない。

 むしろ、それはあなたのでしょ?」


 エレナが怒りを滲ませて口を開いた。


「は?」


「妻子持ちの男の人たちを次々と誘惑して、簡単に身体の関係を結んで。

 あなたの魔力には、いろんな男から注がれた魔力が透けて見えるわ。

 貴族令嬢として淑女の嗜みというものはあなたにないみたいね。

 いい加減、いちゃもんつけていないで、潔くあなたが描いた魔法陣だって認めたらどう?」


「不気味なローブ着ている女は黙ってて!」


 ミレイユは声を荒げる。

 あぁ、腹立たしい。


 ただ、あの人に言われたとおり倣った魔法陣を全部の契約書に記載しただけなのよ。


 彼女は気高く、美しい。

 だから、期待に応えたかった。


 それに彼女は親身にアドバイスをしてくれたの。

 

 実家に帰れないなら、いつか玉の輿婚をするためにタイプの男と次々と深い関係になればいいって。


 高位貴族で未婚の男の方が身持ちが固いけど、妻子持ちの方が簡単。

 そして、彼らのうちの誰かが正妻と離縁して結婚してくれるはずよ。


 あたしは何も悪くない。

 良い男に出逢う運がなさすぎただけ。


 こんな気持ち悪い女たちに批判される覚えもなければ、こいつらよりも幸せになる権利は間違いなくある。


「不気味とは聞き捨てならないな」


 ドスの利いた低く重たい声がレイノルドから漏れた。


「貴殿の方が不気味だ」


「はい?」


 何言ってるの、この男。


「外務省勤めのランスの妻の座を狙って、エレナの嫌がらせを散々していたのを棚に上げるのか。

 何度も貴殿そっくりの女が魔法省から不審者として通報されている」


「不審者ぁ!? 

 この可愛いミレイユを!?」


 ミレイユは声を荒げた。


 いくら公爵の息子だからって、こんなにも可愛いあたしを不気味に言うなんて、もはや頭がおかしいとしか思えない。


「ふうん。

 珍しく熱くなっているな、レイノルド」


 その時、もう一人、騎士が現れた。

 ルシアンとは雲泥の差、いかつい顔つきの怖そうな男だった。


 ルシアンが声を掛けた。


「ああ、ノーランか。

 どうだった?」


「はい」


 ノーランと呼ばれた騎士は、ミレイユに鋭い眼差しを向けた。

 その視線にミレイユは思わずたじろいだ。


 不服だ。

 どうして初対面なのに、そんな目をするの?


 ノーランは静かにミレイユの前に立ち、冷ややかに見下ろした。


「あんた、エルド男爵に懇意になろうと積極的に近づいたそうだね」


 ミレイユは一瞬ぎくりとした。


「だが、エルド男爵は社交界でも有名な愛妻家だ。

 まったく靡かなかったそうだな」


「だから、なによ」


「そこで奥の手を使ったんだ。

 違法薬物、それも性犯罪であるブルーノ・アヴェーヌと同一の薬を盛った」


「一致したか」


 ルシアンが口を挟んだ。


「はい。エルド男爵邸で発見した薬は、奴の持つ違法薬物と同じ製法、同じ材質で作られてました。

 あれには、性欲を旺盛にするかなり強い淫薬が含まれております。

 そこに通称ホップラブソングも服用すれば、相乗効果絶大です」


「確か、彼女の引き出しの中に飴玉がありましたね。

 あれ、たぶんクスリです」


 レイノルドが呟き、ホキアンは自分の足元にある箱に視線を投げた。


「ほう……」


 ノーランが目を細めた。

 ホキアンは箱から飴玉を取り出して、ノーランに「はい、これですよね」と手渡した。


 その飴玉をじろじろと見たノーランは、袋を開けて匂いを嗅いだ。


「ああ、間違いない」


「違法薬物所持も追加ですね」


 レイノルドが補足した。


「おい、これもマッシュのところへ持っていけ。

 鑑定に回すんだ」


 ルシアンがそう言って顎をしゃくると、騎士の一人が箱を受け取り、部屋を出た。


「話を戻しましょう」


 ノーランは淡々と続ける。


「あんたはエルド男爵に一服盛り、体調を崩したという体《てい》で男爵を連れて『黒の杖』の連中と異国のアミラス教徒集団と男爵邸に押しかけた」


「あれがアミラス教……」


 ぼんやりとミレイユは呟いた。

 白いガウンを羽織った気持ちが悪い集団。


「妻子を人質にして、奴らが最も欲しがった機密の契約書の秘密を探った。

 だが、彼は口を割らなかったし、あんたの色仕掛けも断固拒否した。

 そうだろ?」


 ノーランの問いかけにミレイユは答えない。無言を貫いた。


「機密の契約書……。

 ああ、あれか。

 魔法陣の魔法に反応しなかった本棚の――」


 小声でホキアンがローゼルに確認する。ローゼルは頷く。


「うん、そこ。

 あそこの情報は絶対に内緒なの」


 あそこの情報――国家機密の資源を扱っている契約書の内容だ。

 彼女たちはそこを一番欲しがっていた。


 そうだった。

 どれだけミレイユが法務省の官僚を誘惑しても、どれだけベッドで奉仕しても、あそこだけは誰も触らせてくれなかったし、内容も深く教えてくれなかった。


 ――駄目だよ、あそこは。

 いくら可愛いミレイユのお願いでも、あの棚だけは触っただけで記録に残ってしまうんだ。

 赤ファイルは見せてあげられるけど、それ以上は駄目だ。


 ――あの契約書の内容は国家の重要機密だからね。

 誰が閲覧したのか逐一室長クラスがチェックしてるんだよ。

 その時に説明責任が果たせないと懲戒免職だ。


 みんな、意気地なしだ。


(どれだけミレイユに癒されたのか、全然分かっていない)


 彼女の声が脳裏に蘇る。


 ――いい? ミレイユ。

 この際だからあなたがあの契約書に魔法陣を描かなくてもいいわ。

 どうやったら、あれを閲覧できるのか、その条件を探って。

 それから、赤ファイルの中身。

 あそこに契約書の概要みたいなものが書いてあるんでしょ? 

 すべて写してきて。


「口を割らない男爵にあんたはしびれを切らした」


 ノーランがぎろりとミレイユを見た。

 角刈りの、一際いかめしい雰囲気。


「屋敷の寝室には思考を酩酊させるお香が焚いてあった。

 かなり強力な性欲剤を使った痕跡もあったことから、あんたは懐柔するためにエルド男爵を誘惑するどころか、襲った。

 だが、彼は靡くことはなかったし、最後まで抵抗した」


「違うわ」


 間髪入れず、ミレイユは否定した。


「あの男はデブ専なのよ。

 こんなに可愛いミレイユが迫っても全然駄目だったのはそういうことよ」


 エルド男爵は一番下っ端で一番みんなに馬鹿にされている。

 ミレイユみたいに可愛い若い女の子が声を掛ければイチコロだ、そうタカを括っていた。


 でも、実際は手こずった。


 甘ったるい媚薬入りのお香を焚いて、あの男に淫薬を盛ってまでして関係を持った。

 男なんて一発やってしまえば、あとはベッドの上で勝手にしゃべり出す。


 そのはずだった。


 あの男はよりにもよって……。

 その時の怒りが生々しく蘇り、ミレイユは怒りに震えた。


「あの男、このあたしのことを不細工な奥さんの名前で呼んで腰を振るのよ。

 小太りでまるで白豚の女の名を!」


 ミレイユは叫んだ。


 許せなかった、あの男

 可愛いあたしをあんなメス豚と間違えるだなんて!


「だから、首を絞めて殺したのか。

 情報が手に入らないからじゃなくて――」


 ひんやりとした声でノーランが呟いた。

 ローゼルたちから息を呑む音が聞こえた。


 ニヤリとミレイユの口角が上がった。


 みんなが奇妙なものを見る目つきでミレイユを眺めた。

 ミレイユは開き直ったかのように話し出す。


「ええ、そのとおり。行為の最中の無防備なときにね。

 でも、彼女が欲しかった情報は、赤ファイルの棚の中身以外は全部手に入れたからいいの」


 ふふ、と不気味にミレイユは笑った。

 その笑いが部屋の空気を凍りつかせた――

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