第114話 引き裂かれた仮面と、崩れ落ちる言い訳
あたしがクビになったのは、全部この女のせいだ……!
ミレイユがローゼルに手を挙げた瞬間、その手首は誰かに強くつかまれた。
「おっと、これは暴行罪も追加かな」
よく通る声が響いた。
ミレイユは驚愕した。
それは憧れの御仁の声。
強い輪郭を持っているくせに、冷たい夜の空のような涼やかな双眸。決して陰気とか暗いとかではなく、静かで澄み切った冴え冴えとした空のよう。
(麗しのルシアン・クレインバールがあたしの手首を握っている……!)
だが、ミレイユはさっと手を引っ込めた。
「あ、あの……」
なんとか言い訳をして、この場はあの女が悪いことにしなくっちゃ。
それで仲良くなるきっかけを作って……。
必死に頭を巡らせる。
この人に存在を認めてもらえる女になりたい——。
その時、バラバラと数人の騎士たちが部屋に入って来た。
瞬く間にミレイユは屈強な騎士たちに囲まれた。
まずい。
逃げ道を塞がれた。
そう悟った瞬間、背中に冷たい汗が走った。
その間にも、ルシアンがあの女に声を掛ける。
「ローゼ、怪我はないか?」
優しい声だった。
ミレイユは目を丸くする。
(は? どういうこと?)
「はい、ルシ様。大丈夫です」
彼女は愛おしそうに愛称で呼ぶ。
ルシアンは安堵を見せながら、柔らかく微笑んだ。
ミレイユの胸の奥をぐさりと刺した。
玲瓏な騎士、だけど、令嬢にはどこか冷ややかで一線を引いている。
そんな彼が見たこともないくらい甘い表情を浮かべている。
どうして、どうしてあんたが彼を愛称で呼んでいるの?
どうして、どうしてあんたが彼から優しい笑顔を向けられているの?
呆然とするミレイユを尻目に、小さな女官の彼女はフンと鼻を鳴らす。
「でも、この際ですから頬を叩かれた方がよかったかもですよ?」
あっけらかんと答える彼女に、みんながぎょっとした。
ルシアンは苦笑して彼女に尋ねる。
「ひょっとして官僚暴行罪を彼女に適用するためにか?」
「はい。この子、反省する気配がありません」
ルシアンにローゼなんて呼ばれた女は、ゆっくりとミレイユを見た。
ミレイユを責めるような目。
ぎくっとした。
彼女の目は真剣だった。
さっきまでの可憐な瞳だったのに、今は怖いくらいに鋭い。
「このまま居直るつもりですし、この瞬間もどうやって逃げようか必死で考えてますから。
そうじゃないですか?
ミレイユ・カーネル男爵令嬢」
今度は強い優越感を滲ませ、その口元も僅かに上がっていた。
腹立つ……!
ミレイユに途方もない怒りと苦い屈辱感が襲い、悔し涙が滲んできた。
ぎりぎりと歯軋りをした。
「もう、ローゼル。
その考え方、絶対に駄目。
ローゼルに何かあったら、わたしと小次郎は確実に哀しむよ」
エレナがむすっとして口を挟んだ。
「あはは。そっか」
「そうだよ、ローゼル。
縁起でもない。
それを見るこっちの身になってよ」
眉をひそめるホキアンの隣でレイノルドが同意するように頷いた。
ローゼル――あ、この女の名前を思い出した。
ローゼル・イースティリアだ。
ミレイユはそもそも女官には興味はない。
同じ女性なんて所詮単なる邪魔者だ。
女の敵は女。
だから名前なんて覚える気はさらさらなかった。
だけど、彼女の名前だけは何度も耳にしたことがある。
だって、婚約者がいるくせに、見目麗しいルシアン・クレインバールに求婚をされた女なのだから。
(まさかあの子がマクィーン卿と同期で法務省ライアナース大臣の懐刀の……。
なんてことなの!)
そう言えば、シシィ子爵も言っていた。
――彼女は外部の噂と違って案外王城内には厄介な味方が多いんだよ。
特に軍部上層部と懇意にしてるからね。
だけど、心配しないでおくれ。
僕がちゃんとお灸を据えておくから。
なぁにが「お灸を据えておくよ」。
全然じゃない。
しかも、この女の策略なのかシシィ子爵自身が処罰までされたなんて、ふざけるにも大概にして欲しい。
(あぁ、悔しい、こんな女に負けるなんて。
あたしの方が断然可愛いのに、あたしの方が男の人を悦ばせるのが上手いのに!)
ミレイユは心の中で地団駄を踏み、毒づいた。
「さて、帝国規第十六条まで話は済んだんだっけ?」
ルシアンがその場を仕切り出し、レイノルドを見た。
「はい。まだ十三条については話してません」
レイノルドが返事をし、ちらっとホキアンに視線を送った。
ホキアンはハッとして、その場に屈みこんだ。
持っていた木箱を床に置き、蓋を開ける。
次々とモノを床の上に置いていく。
銀食器に蝋燭、文房具。
それらにはすべて見覚えがあった。
ミレイユの顔は徐々に強張っていく。
まずい。このままでは——
「これ、全部君のだよね?」
穏やかな口調でホキアンが尋ねた。
ミレイユは、ハッとした。
「はい。そうですけどぉ、これ全部、あたしの所有物ですよね?」
「へえ、君のなんだ。
それは知らなかったよ」
やんわりとホキアンは微笑んだ。
「もう、ひどいですぅ。
そうですよ、あたしの持ち物です。
女の子の物を許可なく触るのは、官僚としてどうなんですか?
礼儀がなってないんじゃありませんか?」
きゅるんっと目を潤ませてミレイユは首をわざと傾けた。
一瞬場の空気が固まる。
ホキアンが大きくため息をついて、床に出したモノをすべて裏返す。
「これらはすべて王城の備品だよ。
ほら、ここに魔法でラベリングされている」
ホキアンの指差すところに、うっすらと数字が見える。
「それから、皇族のエンブレムも彫られているだろ?」
「え? なんですか? それ」
ミレイユは開き直って、さらに可愛く首をコテンと傾げ、素知らぬ振りをした。
「皇族のエンブレム入りのものは、闇市場でプレミアムがついて高く売れるらしいな」
レイノルドが低い声を出して、ミレイユをじっと見つめた。
「へえ、知りませんでしたぁ。
ハウルデュース公爵令息はよくご存知なんですね」
うふふ、と可憐に微笑んで見せた。
ひんやりとするその場の空気。
注がれる視線は、相変わらず鋭い。
「君、盗んだんだね」
断言するホキアンの低い声が響いた。
ミレイユは思わず心臓が止まりそうになって固まった。
「ついでに言えば『外部人材』の君は私物の持ち込みも禁止されているよ」
ホキアンが冷静に言葉を紡ぐ。
箱からはさらにアクセサリーや化粧品、お菓子がどんどん出て来た。
「ち、違いますぅ、持ち込んでいません。
これらは全部貰ったんですぅ」
ミレイユはブンブン首を振る。
「あたしのじゃないですぅ。
みんなが勝手にミレイユに貢いでくるから困ってたんですよぉ」
素知らぬ顔をしながら、ミレイユは内心焦っていた。
最悪だ。
引き出しにしまってあった物をすべて押収されてしまった。
ということは例のあれも――
全身にどっと冷や汗が噴き出してくる。
「じゃあ、これも、だよね?」
にこっとローゼルが笑って、インク瓶を出す。
「これ、特別な鉱石を含んだインクなんだって。
しかも、とある錬金術師が試作で作ったもので数量限定品」
「まさかここでも彼の作品が見つかるなんてなぁ」
ルシアンがもったいぶった言い方で便乗した。
「本当ですね。
こんなものまで作っていたなんて、驚きでした」
うんざりしたようにローゼルは呟いた。
「彼の試作品なんだろうが、今後どこに出回っているか調べた方が良いな」
ルシアンは含蓄ある眼差しを騎士たちに向け、騎士たちは無言で頷いた。
(え? 錬金術の試作品?)
ミレイユは会話についていけず、混乱した。
その一方でホキアンがローゼルにくしゃくしゃの白い布を手渡す。
ローゼルは布の両サイドを摘まむように持った。
それは一枚の官僚の制服のシャツだった。
「このシャツ。
エルド男爵の名前が刺繍されていたよ。
どうしてあなたの私物と一緒に引き出しに入っていたのか——ちゃんと説明してもらえる?」
ミレイユは頭の中が真っ白になった。
「だから、知らないって……」
力なく首を振った。
ありえない、うまく隠してあったはずなのに。何で分かったのよ?
狼狽しているのを必死で押し隠した。
「ふうん。しらばっくれるのね。
まあいいっか。
じゃあ、アクセサリーとかそういう贈り物。
誰にもらったのか一人一人名前を教えてくれる?
後で魔法騎士団が直々に本人に確認しに行くそうだから」
ローゼルはミレイユの目の前にずらりと名前の載った受付帳簿を突き出した。
「指差すだけでいいよ」
身動きをしないミレイユの顔をローゼルは覗き込んだ。
思わず、ミレイユはローゼルの透明感にたじろいだ。
蜂蜜色の綺麗な双眸。
透き通るような白い肌。
どうしてだろう、途方もない敗北感が身体を駆け巡る。
胸のどこかがもやもやするのは、嫌な気分になったからではなく、妬んでいるからだ。
ローゼルのすぐ後ろに控える麗しき騎士クレインバール卿。
さらにミレイユから一切目を離さず、一挙一動を見逃さないという強い意思を持った三人の官僚。
特に、エレナからとんでもない気迫を感じ、恐怖心すら覚える。
(大丈夫よ、ミレイユ。
可愛いミレイユがいつもどおり可愛く言えば、みんなが信じてくれる。
今までだってみんなが味方だったじゃない。
ミレイユは悪くないよって)
この女みたいに、麗しの騎士が愛称で呼んでくれて、仲のいい官僚が庇ってくれるに決まってる。
「ミ、ミレイユはおバカだから名前なんて覚えてないですぅ」
ミレイユは、なんとか平静を装い、知らんぷりをする。
だが、しんと沈黙が降りた。
その場にいる者たちが一斉に呆れ返るのが分かった。
ミレイユは呆然とした。
そして、ようやく気づく。
ここには、ミレイユの味方になってくれる人はいない——
「そもそも、君。
斡旋された商会のルールも違反していることには気づいている?」
ホキアンが乾いた声で言った。
「え? 違反?」
ミレイユはぽかんとした。
「そう。商会と君が交わした契約書によると、こういった高級なアクセサリーとかを官僚から貰った場合、斡旋されたギルドや商会に連絡しないといけない。
君を斡旋した商会は、コンソーシアム派交易組合だよね?
組合に確認をしてみたところ、そのような報告はなかったって担当者は言っていたよ」
「そ、それは……」
そんなルールはとっくに形骸化している。
他の外部人材の子たちはちゃっかりこれよりもいい宝石をもらったり、それどころか求婚されるところまで発展していたりする。
(あたしだけじゃない。
皆がやっている。
なのに、どうしてあたしだけが責められるの?
不公平よ)
ミレイユは怒りにも似た苛立ちを覚えた。
「コンソーシアム派交易組合とのルール違反をした外部人材については、もう守る義理はない。
契約は打ち切りだと今朝連絡が入ったよ」
ホキアンの声がミレイユの胸を突く。
「ありえない、そんな……」
知らない、何も。
何も聞いていない。
ゆるゆると、何度もミレイユは首を振って、一歩後ろに下がった。
「昨日の深夜づけだっけ?
彼女と組合の契約が終了したのは?」
ローゼルがさり気なくホキアンに訊き返した。
「そう。契約違反でね。
でも、彼女にはまだ組合も通達していないよ。
組合と彼女を接触させるわけにはいかないからね」
「どういう意味、それ?」
ミレイユは驚いて、身を乗り出した。
ホキアンがルシアンに視線を投げた。
冷淡にルシアンは口を開く。
「君の犯した罪は大きくてね」
今度はルシアンがジロリとミレイユを睨みつけた。
ミレイユはびくっと肩を大きく震わせた。
「今回の君の罪は、組合も一枚噛んでいると軍部は睨んでいるんだよ。
要は重要容疑者だ」
さらに重くルシアンの声がミレイユに降りかかった。
凍りつくような沈黙。
「……つ、罪?
あたしが何をしたっていうんですか」
ミレイユはたじろぎ、思わず声が裏返った。
「王城のものを私物化していたじゃない」
ぼそっとエレナが呟いた。
「過剰ですよ。ちょこっと王城の物を失敬しただけで、最初から返却する予定だったんです」
なんとか必死で答えるもミレイユは自分の声が震えていることに気づいた。
「返却?
どの口が言うのか」
レイノルドが鼻で嘲笑い、畳みかけるように続ける。
「王都の骨董品店の数々で、これらの銀食器を売りに来た貴殿らしき女が目撃されている。
そもそも王城の盗品を転売することは禁止されているし、売買する店側にも営業停止と多額の罰金が課せられるルール。
それを知らないで、買い取ってもらえない貴殿はかなり悪態をついて、闇市で売りさばいていたとか」
「闇市。それはさらに質が悪いね。
ふつうの貴族令嬢は、そんな恐ろしい場所を知らないはずだよね」
ローゼルが言った。
「間違いないね。
逆に闇市の開催場所を知っているということは、闇組織とも繋がっている証拠になっちゃうよね」
エレナも追随した。
「うちの法務省官僚も闇市に出入りするような女の子だって知っていたら、誰も相手にしなかったって言っていたらしいよ」
「だよね。
自分の将来の出世に響くし、下手したら犯罪に巻き込まれちゃうもんね」
非難めいた眼差しをエレナとローゼルはミレイユに向けた。
ホキアンとレイノルドからは、軽蔑が滲む視線が注がれる。
そこに、ローゼルが追い打ちをかけるようにして、ミレイユにもう一度受付帳簿を突き出した。
「ということで、これらを誰に貰ったの?
答えてくれないかな?
特にインク瓶。
あとシャツ。
どうやって手に入れたの?」
その声は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
ミレイユは顔を伏せ、ぴくりとも動かない。
全身が屈辱と怒りで熱くなった。
なんで、どうしてあたしがこんな目に遭わなきゃいけないの。
あたしは悪くない。
あたしは言われたとおりにやっただけ。
あたしはただ幸せになりたくて、あたしだけの王子様を探していたに過ぎないの。
こんな顔がちょっと可愛いだけの女官に、とやかく言われたくない。
ミレイユはキッとローゼルを睨んだ。
何よ、偉そうに。
この女があの部署に来てからおかしくなった。
この女さえいなければ――!
「あたし、知っているんだからね。
アイツらがあんたを生贄にしようとしていることを」
ミレイユは呻くように呟いた。
ローゼルはハッとして目を見開く。
そう、あんたはいずれ食われるんだ。
骨の髄までアイツらにむしゃむしゃと食いつくされる運命――
その時、スッとミレイユとローゼルの間にルシアンが入った。
まるで彼女を庇うように。
たちまちミレイユの身体に電流のような嫉妬心が走った。
思わずミレイユが反射的に顔をぱっと上げると、そこには恐ろしく冷たい顔があった。
ゾッとした。
威圧的かつ、息が詰まるほどの魔力。
魔力なんて感じないミレイユにも手に取るように分かった。
暴力的な魔力が彼から漂っているようで戦慄した。
まるで見えない重力そのものに押し潰されるような、圧倒的な威圧感。
ルシアンから放たれる凄まじい魔力が、すべて自分へと向けられていた。
殺される!
これまで感じたことのない恐怖が全身を包み込んだ。
あたしはとんでもないバケモノと対峙しているのかもしれない――
ガタガタと身体が震え始めた。
「さて、ミレイユ・カーネル男爵令嬢」
射るような目でルシアンは見下ろす。
地響きするほどの低い声。
「このままでは埒が明かないようだ。
単刀直入に聞く。
エルド男爵を殺したのは貴殿だな?」




