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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第112話 隠し棚の告白と、扉の外の足音

 ローゼルとレイノルドは顔を見合わせて控室に向かう。


 控室を覗き込むと、ホキアンがしゃがみこんでいた。

 キャビネットの引き出しをいろいろ開けて中身を確認している。


 この辺りのキャビネットには、文具などの備品の在庫、契約書作成作業に使う簡単な補修道具がある。

 だけど、ホキアンの探る引き出しは一番奥の目立たない場所。


 そんな端っこの引き出し、何も入れていないはずだけど?


「何か見つかったの?」


 ローゼルが尋ねると、ホキアンは手を止めずに大きく頷いた。


「やっぱり、あの子、クビにすべきだよ」


 いつも温厚なホキアンの声には、珍しく怒りが含まれていた。


「どうしたんだ?」


 レイノルドはホキアンの側まで行き、その手元を覗き込んだ。


「これはすごいな……」


 息を呑む声が聞こえた。

 ローゼルも後ろから見てみると、明らかに私物らしき物がたくさん出てきた。


 化粧品に、ちょっとしたアクセサリー、綺麗な形をしたインクの瓶、お菓子。

 それだけじゃない、食堂の銀食器や王城御用達の蝋燭、高級備品の羽ペンなどの文房具まで。


「すごい量だね……」


 まだ出てくる出てくる、王城の高級備品の数々。

 

「あの令嬢、思った以上に厄介だね。

 盗み癖がある子みたいだ。

 これは懲戒解雇ものだよ」


 ホキアンは呆れ果てる。

 ようやく引き出しの中身をすべて出し切って、ホキアンはその場にぺたんと座り込んだ。

 

「……道理で。

『外部人材』増えてから、急激に王城の備品の減りが早いわけだよ」


「この量からして裏ルートで転売するつもりだったんじゃないのかな?」


 ローゼルは、しゃがんでホキアンが取り出した品々を手にとって、まじまじと見た。


 随分と目利きな子だ。

 市井なら間違いなく高額で転売できそうな質の高い備品ばかり盗んでいる。


(でも、備品には皇族のエンブレムが彫られているから、転売できても足がつきそうだけど……)


「軍部としても、王城のものは転売できないように取り締まりを強めているぞ。

 王城の衛兵にも毎回城を出る『外部人材』の持ち物検査は義務付けてあるはずだ」


 レイノルドが口を挟んだ。


「そうだね。

 ——だけど、持ち物検査をするようになったのはここ数日だよ。

 総務省管轄の時は、そこまでやっていなかったからね」


 険しい顔でホキアンは、ため息をついた。


「きっと急に外に持ち出せなくなって、慌ててここに隠した。

 そんな感じだな」


 レイノルドが小さく肩をすくめた。


「かなり焦っただろうね」


 冷ややかにローゼルは呟いた。


 ある日突然、帰りがけの王城門で持ち物検査が行われ、あの子——ミレイユは冷や汗をかいたはずだ。

 なんとなく彼女が急いでここに隠した様子が目に浮かぶ。


 ローゼルは何気にインク瓶を手に持つ。


 ランタンの灯りの角度によっては、インクがキラキラと小さく光る。


 なんだろう。


 違和感を覚えて、ローゼルはインクを持ち上げて底を見た。


 黒い液体の底に光を反射する微細な粒。

 それが沈んで、僅かだけれど魔力を感じた。


「このインクの瓶って――」


 小さく呟いた。


「ん?」


「どうしたの?」


 レイノルドとホキアンが一緒になってインクの底を覗き込む。


「これ……」

 

 ここから漂う魔力。

 まさか、このインクは――


 どくんと心臓が跳ね上がって、ローゼルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 ホキアンも同じことを考えたのだろう。

 ハッとして、ローゼルの顔を見る。

 その顔はどことなく青ざめ、狼狽していた。


「ひょっとしてホキアンも同じことを思った?」


 ローゼルはホキアンをちらっと見た。


「うん」


「何のことだ? 

 盗難以外にも何かやらかしているのか、その『外部人材』は」


 レイノルドが話に割り込む。


「やらかしている……。

 そんな言葉で済まないかもしれない」


 顔を歪めたホキアンの声に、慎重さが滲んだ。


 殺気が漂う空気が流れた。


 ローゼルがインク瓶をレイノルドに手渡すと、レイノルドは慎重に瓶をゆっくり回してみたり、底を覗いたりしながら、舐め回すようにじっくりと眺めた。


「なるほど。

 魔力を感じるインクか……」


 レイノルドの低い声が響いた。


「うん。

 これ、契約書の裏表紙に描かれていた魔力にすごく似ているんだ」


 ローゼルは今更ながらそのインクから禍々しさを感じ、ぶるっと震えた。 


「――あのさ、僕、思い出したんだけど」


 恐る恐るホキアンが声を出した。

 ローゼルとレイノルドが注目する。


「一時期、『外部人材』の子たちの履歴の資格欄に『魔法陣符号学修練課程修了』っていうのが書いてあることが多かったんだ」


「魔法陣符号学って——。

 魔法陣をどこまで正確に書けるのかっていう資格よね。

 魔法使いじゃなくても受講はできて気軽に取得できるって有名なやつ」


 ローゼルが言うと、ホキアンは頷いた。


「うん、それ」


「ああ、それなら俺も持っている。

 だが、あれは魔法使いなら誰しもが取得しているものだ。

 ローゼルも取得しているだろ?」


 レイノルドが尋ねた。


「うん。

 魔力がある子はみんな取得するよ、魔法の基本中の基本だから。

『外部人材』がわざわざ取得しているということは、採用に有利になるからなのかな」


「ううん、そんなことないよ。

 別に王城側として、その資格保持者を探していたわけじゃない。

 だけど、今思えば前ビアード伯爵がやけにその資格に固執していたんだよね」


 ホキアンは首をひねりながら穏やかに話すけれど、ローゼルは喉の奥がキュッと締め付けられたようになった。

 ざわざわと心の奥で黒く波立つ。


「なぜ前伯爵はそれを求めたのか……。

 少々怪しいな」


 レイノルドは眉をひそめた。


「ねえ、契約書の裏側にあった魔法陣。

 このインクで描いているとしたら、ここに書き手がいたってことよね? 

 それはあの子——ミレイユ・カーネル男爵令嬢かな?」


「う~ん、状況的にそんな感じがするね。

 本当に彼女が魔法陣を描けるのかどうか、一度履歴書を確認しないといけないね。

 一度事務所に戻ってから調べておくよ」


 ホキアンは顎を撫でた。


「うん、お願いね。

 もし、あの子が資格保持者で魔法陣を描ける場合、次に問題なのは、このインクをどこで手に入れたのかだよね。

 エレナに教えてもらったエクリプスストーンという鉱石がインクに含まれているとしたら、かなり特殊なものになるよ。

 非魔法使いの男爵令嬢じゃあ、なかなか手に入れれない逸品物だし」


「だよね……。

 僕も初めて聞いた鉱石入りの珍しいインクだなと思ったからね。

 入手ルートも特殊なはずだ」


「でしょ? 

 実際手に入れようとすれば、お値段もかなり高額になるよ」


「まあ、とりあえず、軍部《こっち》でインクを分析しておくな。

 本当にエクリプスストーンが含まれているのか否か、鑑定しておく必要はある」


 レイノルドはそう言うと、手に持っていたインク瓶をポケットにしまい込んだ。


「そうだね」


「可能であれば、契約書の裏表紙——魔法陣が描かれているものを借用したいんだが、それは可能だろうか?」


 レイノルドがローゼルに視線を投げた。


「インクの魔力と一致するか確認するんだね。

 でも、ごめん。

 持ち出しは基本禁止なの。

 こればかりは、私が責任を持てない範疇だから、軍部から直接ライアナース卿と相談して欲しいかな」


「……そうだよな。

 何かあったら大事《おおごと》だもんな」


 ローゼルがやんわりと断ると、レイノルドは渋い顔で頷いた。


「ごめんね」


「いや、それが真っ当な返答だ」


 ゆるゆるとレイノルドは首を振った。


「でも――もし、私たちの予測通りなら、とんでもない『外部人材』の子がいたことになるね」


 一気に疲労感が押し寄せ、ローゼルは気が重たくなった。


「そうだね。

『外部人材』でも真面目な子もいるんだけどね。

 この件が明るみになったら、真面目で本当に仕事ができる子たちも一斉解雇される。

 結局、割を食うのはいつもそういう子ばっかりなんだよね」


 同情めいた声でホキアンは肩をすくめた。


 その時、ローゼルは開けっ放しになっている引き出しの奥に急に目が留まった。


「ん?」


 何かが不自然だ。直感的にそう思った。


 でも、何が?


 違和感を覚えたローゼルは、引き出しを覗き込んだ。


(そっか、この引き出し。

 見た目にそぐわず、かなり浅いんだ)


 引き出しは、もっと底が深いはずなのに。

 ローゼルが、底に指を滑らした。


 レイノルドとホキアンが何事かと、ローゼルの後ろから一緒に引き出しを覗き込んだ。


 ローゼルは撫でるように底を触る。


 あれ?


 奥にやけに不自然な隙間がある。


 なにこれ。


 ローゼルは底板に力をぐっと入れて押した。


 カチリ


 小さな音がして底板がわずかに持ち上がった。

 板をさらに押し上げると、隠し棚が静かに姿を現した。


 レイノルドとホキアンから息を詰まらせる音が聞こえた。


 隠し棚の薄い板を取り出すと、その底には、ぐしゃぐしゃになった男性用のシャツがあった。


「これ、文官用のシャツだよね? 

 なんで女の子がこんなものを――」


 ホキアンが怪訝そうな顔をした。


「隠してあるなんて明らかに怪しいな」


 腕を組んだレイノルドの顔が曇る。

 ローゼルはシャツを取り出して、広げる。


「誰のだろう? 

 法務省の人なら裾口に刺繍があるはずなんだけど」


 そう言いながらシャツの袖口をランタンの光に翳しながら、名前の刺繍がないか確認をする。

 案の定、刺繍が施されてあった。


 ――エルド


「え? エルド男爵の? 

 どうして? 

 かれこれ半年近く体調不良でお休みされているのに」


 レイノルドとホキアンが顔を見合わせた。


「これはひょっとすると……」


 唸るようなレイノルドの声。


「だね。

 う~ん……あまり考えたくないけど、ありきたりな展開かも」


 ホキアンがのんびりと言った。


「ありきたり?」


「そう。

 男女の関係。

 これは万が一の着替え用とか」


「えっ、エルド男爵は妻子持ちだよ。

 ホキアンだって知っているでしょ? 

 あそこの夫妻はおしどり夫婦として有名って」


 即答するローゼルに、ホキアンは気の毒そうな表情を浮かべる。


「まあ、そうだけど。

 でも、ローゼルだって分かっているだろ? 

 不倫関係になる『外部人材』の若い子は多いって。

 実際そういう下心を持つ官僚も多いし。

 下流貴族の若い子とちょっとした火遊びができる、困ったら金にモノを言わせればいいってワンチャン狙う貴族がいるって」


「そうだけど……」


 なんだか嫌な気分になった。


 法務省は各省庁の中でも不倫の少ないクリーンな職場ということで有名だ。

 これもローゼルの上官のライアナース卿のお陰だとみんなが言っている。


 でも、シシィ子爵と口論になった時、慌てた妻子持ちの同僚たちの顔。

 彼らのことをやけに強く思い出す。


 リースト女官の登場でますます青ざめていた様子から、ミレイユとはそういう関係性にあったのは明らかだ。


 ローゼルの前ではみんな優しくて、いい人だった。

 なんだか余計やるせない。


 ましてやエルド男爵はローゼルに匹敵する残業時間の多い官僚だ。

 一生懸命に仕事に励んでいる印象が強いし、ローゼルは勝手にエルド男爵に社畜同士のような堅い絆を感じていた。


 もし、本当にミレイユとそういう関係だったら——ローゼルは落胆して、しょんぼりした。


「半年近くの休みか」


 ぼそっとレイノルドが呟いた。


「うん。風邪をこじらせてしまったんだって」


 ローゼルはシャツを綺麗に畳み直した。


「風邪を……。

 そうか、うむ」


 やけに奥歯に物が挟まったような言い方だ。

 ローゼルとホキアンは訝しげに首を傾げて、レイノルドの顔を見た。


 奇妙な沈黙が流れた。


「なあ、その男爵の屋敷に誰か直接お見舞いとかに行ったことはあるか?」


 レイノルドが改まった声で尋ねた。


「ううん。

 うつる病だからお見舞いはいらないって、ご本人がお見舞いを辞退されたの」


「そうか……」


 レイノルドは暗い表情で考え込み出した。


「ねえ、まだこの引き出し、奥に何かあるよ」


 引き出しを覗き込むホキアンから声が上がり、彼はさらに引き出しの奥に腕を伸ばす。

 彼が取り出したのは小さな瓶だった。


 水らしきものの中に何かが入っている。

 白い、小さなもの。


「なんだ、これ」


「瓶詰?」


 三人は小瓶を顔の前に持ってきて、じっと目を凝らした。


 その時、控室の向こう側、絨毯のある場所が青白く光った。

 三人は顔を見合わせた。


「なにごと!?」


  ローゼル、レイノルド、ホキアンは控室を出た。


 三人は息を呑んだ。

 

 絨毯の魔法陣が青白く光り、天井にそれが反射していた。

 静かに柔らかな風が巻き起こる。


 三人の髪の毛が、制服が風でゆらゆら揺れる。


「え、魔法陣が発動しているの!?」


「エレナは!?」


 レイノルドがハッとした。


「あっ、あそこに」


 ホキアンが指差した。


 エレナと小次郎は、魔法陣が描かれていない絨毯の端に佇んでいた。

 詠唱し、両手を魔法陣に翳している。


 エレナのローブのフードが陣から放たれる風で揺らぎ、外れる。

 エレナの美しい容姿が露わになり、亜麻色の髪がキラキラと輝いて揺らめいた。


 そのうち、絨毯の魔法陣から発する光に反応して、本棚に格納されている契約書の魔法陣が共鳴するように青白く輝き出し、幻想的な光景となる。


 思わず「キレイ」なんて呟きそうになるけれど、ローゼルは首を振った。


 悠長に感動している場合じゃない。

 ほぼすべての契約書が不気味に呼応し、光っている。


 やはり何か術が施されているのは明白だ。


 どうしよう、発動してしまった。

 契約書に傷でもつけたら、自分の責任問題に発展してしまう。


 真っ青になってあたふたとするローゼルに、レイノルドがぽんと肩を叩いた。


「大丈夫、エレナが意図的に魔法陣を発動させているだけだ」


「え? そうなの?」


 ローゼルは、強張っていた全身の力がふっと抜けた。


「ああ。隠匿魔法の下に何重にも魔法が張ってあったんだろう?」


「うん」


「この魔法陣を描いた者の残滓回収を含めて、どんな魔法が隠されているのかすべてを調べるためにあえて行っていることだ」


「すべて……」


「なるほど、そういうことか。

 いっそのこと、魔法を発動した方が隠された魔法の正体が分かるってことだね。

 賢いね」


 ホキアンが手をぽんと叩いた。


 レイノルドが「そうだ」と柔らかく微笑んだ。


「きっとエレナのことだ。これが終われば、すぐに封印処置を施す。

 あの絨毯も今晩中に軍部が回収し、すぐにでも鑑定する手筈になっているんだ。

 あぁ、さっき魔法が確認されたカーテンも回収して鑑定しないといけないな」


 レイノルドはカーテンに視線を飛ばした。


「鑑定ということは、第2魔法騎士団の副団長マッシュ・モラレス卿が来てくれるの?」


 ローゼルは尋ねた。


 彼は魔法騎士団随一の鑑定魔法の使い手だ。


「うん。後から顔を出してくれるのもモラレス卿だ」


「そっか。

 専門家が来てくれるなら安心だね」


 ローゼルが安堵の表情を浮かべるも、武官に苦手意識を持つホキアンの顔は強張った。


「大丈夫だよ、ホキアン。

 ホキアンは宰相に命じられた応援団員だよ。

 堂々としていればいいんだから」


 こそっとローゼルは囁いた。


「まあ、そうなんだけどね……。

 反射的にね」


 ホキアンは苦笑した。


「なあ、ローゼル」


 レイノルドが部屋の奥の何も光っていない本棚を指さす。


「あそこには何が格納されているんだ? 

 反応していないということは契約書じゃないのか?」


「ああ、あそこね。

 あそこも契約書棚だよ。

 でもね、超〜国家機密契約書の専用の棚なの。

 通称、赤ファイルの棚。

 あそこの契約書に触れたくても結界が張られているから、法務省のごく一部の官僚だけしか触れられないんだよ」


「ほう、結界。

 どういう仕組みで触れられるようになるんだ?」


「それはねぇ」


 ローゼルはそこで言葉を切った。


「それは?」


 レイノルドだけでなくホキアンが、好奇心を覗かせながら、ローゼルを注視した。


「内緒」


 ふふ、とローゼルは笑った。


「えー、ここまで来て内緒なの?」


 期待に胸を膨らませていたのか、ホキアンががっくり肩を落とした。


「じゃあ、ヒント」


 ローゼルは頬に指を当て、自分の瞳を見開いて強調した。


「虹彩か」


 間髪入れず、レイノルドが呟いた。


「そう。さすが軍部書記官。

 すぐ答えが分かっちゃったね」


「あらかじめ登録した虹彩の持ち主しか触れないわけか」


「へえ、珍しいねぇ。

 指紋とか登録が多いのに」


 ホキアンが口を挟んだ。


「でしょ? 

 なんでも指紋はその人の指や手首を切り取ってしまえば突破されちゃうらしくって、より厳密にするために瞳を利用することにしたみたい。

 この魔法の仕組み、マインラート・ソシュール様が開発したんだって」


「へえ。あの元王宮魔術師筆頭が。

 天才結界師なら確実だね」


「ね。素晴らしい御方だよね」


 ローゼルとホキアンは無邪気に微笑み合った。

 その瞬間、レイノルドが急に顔を上げて険しい顔つきで控室に戻る。


「レイノルド?」


 ローゼルとホキアンはぽかんとしつつも、その後を追う。


 控室でレイノルドがもう一度隠されていた小瓶を見ていた。


「どうしたの? レイノルド」


「……ローゼル」


 レイノルドが硬い声を出す。


「話は戻るが、エルド男爵と最近連絡を取った方法はなんだ? 

 手紙? 

 それとも直接本人から?」


「え? お手紙って聞いたけど」


「じゃあ、彼を誰も見ていないんだな」


 レイノルドが振り返って、ローゼルを見据えた。

 あまりにも真剣な眼差し。


「う、うん。そうだね」


 ローゼルはレイノルドの気迫に気圧された。


「手紙の文字は本人か?」


「たぶん……」


「誰かが筆跡を真似した可能性もありうるのか?」


「え?」


 矢継ぎ早に飛んでくるレイノルドの質問。

 ローゼルはだんだん身体が冷たくなるのを感じた。


「まさか、レイノルド。

 エルド男爵の身に何かあったというの?」


 ローゼルは険悪な雰囲気を感じ取り、震える声で質問を投げかけた。


 レイノルドの顔に動揺が走る。


 思わずローゼルはゴクリと唾を飲み込んでいた。


 淡く光る魔法陣。

 陣から起きる風で揺れる髪の毛。

 魔法陣に反応する黒ファイルの契約書と、何も起きない赤ファイルの契約書。


 不穏な沈黙。


 レイノルドがしばらく逡巡して、重々しい口を開く。


「――実は、数か月前に目玉がくり抜かれた身元不明の男性の遺体がスラム街で発見された」


「え?」


「身なりが良く、恰幅のいい三十代。

 おそらく裕福な家の男だ。

 けれど、身体の至る所に拷問を受けたような傷跡が見受けられた」


 そんな。

 あり得ない。


「レイノルド、まさかその遺体がエルド男爵だなんて言わないよね?」


 慎重な声でホキアンが尋ねた。


「分からない。ただ……」


 首を振るレイノルドに、ローゼルは嫌な予感しかしなかった。


「一度、魔法騎士団にエルド男爵邸に伺わせるよう手配しておく」


「ねえ、エルド男爵の身に危険が及んでいるっていうの?」


 ローゼルは声を荒げた。

 いつも沈着冷静なレイノルドに当惑が浮かんでいる。


「――さっきここで見つけた小瓶。

 あそこに入っていたのは、二つの眼球だった」


「眼球?」


 ローゼルは絶句した。


 さっき見つけた瓶詰。

 水らしきものの中に何かが入っている。

 白い、小さなもの。


「ローゼル」


 心配そうにホキアンがローゼルの顔を覗き込んだ。

 ふらりとローゼルを眩暈が襲う。視界が歪んで、バランスを崩しそうになった。


「おい、大丈夫か?」


 レイノルドとホキアンが同時にローゼルを支える。


「――う、うん……。

 ありがとう」


 そう力なく呟くも、滑稽なほど動揺している自分に、ローゼルは愕然とした。


 不意に廊下から物音が聞こえた。


 レイノルドがいち早く気づき、エレナの近くにいた小次郎が彼女のローブを齧って引っ張る。


 誰かがやって来た。


 その時、宰相の声がローゼルの脳裏を横切った。


 ――結果はどうであれ、君たちが資料室に入って一時間後、魔法騎士団の団長か副団長あたりを巡回に行かせよう。

 そこで事の次第を彼らに報告してくれ


 宰相が手配してくれた騎士団たち。


「団長たちかな?」


「いや、違う。

 これ、団長たちの魔力じゃない」


 レイノルドの声が低く唸り、顔が青ざめた。


 再び、ローゼルの頭の中で宰相の言葉が反芻される。


 ――ただし、団長、副団長がいない魔法騎士団には決して詳細を話さないこと


「隠れよう」


 ホキアンがふらつくローゼルの手を引っ張る。


「だが、エレナが……!」



***



 その軍服を着た人物は、法務省の資料室に踏み込もうとする。

 だが、扉は鍵が閉まっていて開かない。


 スペアキーは持ち出せなかった。


 何度もガチャガチャしてなんとか開けようとするが、何者かが開けないように抑え込んでいるように、人為的な力を感じた。


 押し開けることができない。


 ちっと舌打ちをする。


 ここは面倒な法務省管轄だ。


 乱暴に開ければ、きっとあの大臣のことだ、法的手段で徹底的に調べ上げるだろう。


 第2魔法騎士団のマッシュ・モラレスがこの資料室を調査するという情報を耳にしたのだが――


 この様子だと、いくら魔法騎士団とはいえ、正当な理由がなければ、この時間帯に開けてもらうことは難しいだろう。


 ここには我々の秘密の魔法が隠されている。

 そして、この帝国の弱点とも言える秘密の契約が――


 だからこそ、彼らに探りを入れられては困る。


 ただでさえ、勘のいい女官が我々の周囲をうろついているんだ。

 奴らの間で『子リス女官』なんて呼ばれている小さな女。


 人影は静かに扉のノブから手を離した。


 静まり返った広い廊下。


 これ以上ここにいては目立ってしまう。


 人影はその場から静かに立ち去る――

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