第107話 風紀の乱れと、暴かれる法務省の暗部
ローゼルはちらちらと周囲の人たちを見回した。
今度は全員サッと視線を逸らした。
どうやらシシィ子爵が致命的なミスをしたことに、みんなは気づいたようだ。
しんと静まり返る室内で、子爵は声高らかに同僚たちの同意を求める。
「ほら、みんなだってそうだろ?
ミレイユにたくさん助けられたんだ。
みんなでこの非人道的な行いをする悪女女官を追い出そうではないか!」
さも、ローゼル一人が悪いかのように必死で訴えた。
(悪女女官ねえ、もう好きに言えばいいよ。
本当に、自分がどれだけヤバいところへ足を突っ込んでるか分かっていないんだよね)
余計気まずい空気が流れた。
みんな、シシィ子爵と目を合わせなくなる。
黙って業務を再開する同僚たち。
不審がるシシィ子爵。
「どうしたんだ、みんな!
いつもあの子は天使だと連呼しているじゃないか!
資料室の面倒な仕事を手伝ってくれて助かるって」
シシィ子爵はますます声を荒げた。
そして、温厚な次長のハービス伯爵が徐々に怒り顔になっていく。
ローゼルはその様子を静かに見て、怜悧に言い切る。
「つまり、それは――本来触れることすら禁止されている契約書業務を『外部人材』に任せていた。
そういう自白でよろしいですよね?」
シシィ子爵の動きが固まり、空気が一瞬で凍りついた。
彼の顔は完全に色を失っていた。
重苦しい沈黙が降りた。
けれど、シシィ子爵は負けまいと言い返す。
「君は知らないんだ、ここの雑務がどれだけ多いのか。
雑務担当だったエルド男爵が長期不在の今、大混乱だったことを」
「はい、そうだと思いますよ。
だから、私がここにお手伝い要員で大臣命令で来たんです。
でも、私、『外部人材』の方の力を借りずにたまっていた業務、残業して、約一日ちょっとで片づけましたが何か?」
ローゼルは首を傾げる。
ますますみんなが気まずそうに身をよじった。
そう、ここの仕事はそこまで難しいものじゃない。簡単な雑務の量が多すぎるだけだ。
メイン業務ばかりに目がいって、そういった細やかな書類仕事を後回しにしていれば、瞬く間にそういう仕事は増えるに決まっている。
むしろ割を食ったのは一番爵位の低いエルド男爵だったのだろう。
彼の真面目でキッチリした性格も相まって、自分のメイン業務の傍ら全員のすべての雑務等をこなしていた——
(っていうか、これくらいの雑務なら頭のいい人たちですもの。
さっさと終わらせれそうなのに、何でルール違反してまで『外部人材』に手伝ってもらっていたのかしら)
逆にそっちが気になる。
今思えば、ミレイユもなぜそこまで熱心にお手伝いをしたがったのか。
単純に婿探しのため?
でも、彼女と関わっていただろう官僚はシシィ子爵を除いて、妻子持ちばかり。
あの子の性格上、婿探し兼自分の待遇を良くするために手伝っていたんだろうけど、いくら仕事をサポートしても『外部人材』の給料は変わらないし、上がることもない。
(なんか引っ掛かるんだよね……)
「シシィ子爵」
ハービス伯爵が地響きがしそうなほど低い声で名を呼んだ。
びくっとシシィ子爵の身体が震えた。
「貴殿は禁止行為をしていたんだよ。
その自覚はあるのかな?」
顔を微笑んでいるが、目の奥が完全に怒りに染まっていた。
「そ、それは……」
たちまちシシィ子爵は目を泳がせた。
ようやく自分の間違いに気づいたようだ。
「いいか。
契約書はどんな理由であれ、王城で身元を確認がとれていない者に触れさせるわけにはいかないんだ。
法務省たる者、みんなの共通認識だろ?」
冷ややかにハービス伯爵は詰め寄った。
「ですが、ミレイユはこの国のれっきとした男爵令嬢でして……」
じりじりと後ろに下がるシシィ子爵に、ハービス伯爵はその両肩を持ち、目線を合わせる。
「彼女は『外部人材』だ。
そこを誤るな!」
ハービス伯爵が一喝した。
部屋の空気がピリッと張り詰めた。
「……っ!」
シシィ子爵は息を呑んだ。
「君は根本的な勘違いをしている。
イースティリア女官は、君も受けた難易度の高い官僚試験を突破した王城が直接雇用している者だ。
だが、あちらの令嬢は商会やギルドに斡旋された者にすぎない。
要は、余所者だ」
シシィ子爵の顔が真っ赤になっていった。
だが、それはどんどん強張り、やがて青ざめていく。
彼がうなだれた瞬間。
コホン
咳払いが聞こえて、全員がびくっとした。
扉がいつの間にか開いていて、その向こう側にはライアナース卿、契約審査室長、それから宰相のデメトリオ公爵がいた。
そして、王城官僚全体の風紀を取り締まる中年の上級職リースト女官までその場にいた。
部屋にいた全員が血の気が引いた。
(うわわわ、タイミング悪っ。
リースト女官までいらっしゃるなんて)
官僚の大半が頭が上がらない上級女官だ。
彼女は元皇族で、陛下とハトコに当たる。
曲がったことが大嫌いで、ローゼルも彼女の前では何も悪いことをしていないのに戦々恐々と縮こまってしまう。
それほどの圧倒的存在を誇る女官だ。
廊下にいる面々の視線は冷たい。みんな、真顔。
無表情だからこそ、余計後ろめたい者たちは恐怖心を煽られていただろう。
いまにも泡を吹きそうなほど真っ白になっている官僚も現れ始めた。
宰相がひんやりとした表情でライアナースを見た。
「さて、ここでも大幅な人事改革が必要なようだね。
ライアナース大臣、さっきまでは問題ないの一点張りだったようだが」
皮肉めいた宰相の声にライアナースは大きくため息をついた。
「そうですね。
残念ながら、うちの一部の省でも改革が必要みたいです」
「ま、ま、ま、誠に申し訳ございません……」
室長が身体を小さくすくませて、謝罪した。
「さっきの会話からだと、ここも総務省のように恋愛沙汰で違反行為が何かと横行していそうだね。
お相手は、全員特定の『外部人材』の令嬢なのかな?」
宰相がシシィ子爵をやんわりとたしなめるように見た。
シシィ子爵は、身体を縮める。
「デメトリオ公爵」
リースト女官が一歩前に出た。
「この先は風紀第三者委員会の委員長として私、リーストがこの場にいる男性全員から聴取を取りますわ。
異存はございませんよね?」
リーストは鋭い視線を向けた。
彼女は元皇族なだけあって物凄い美人なのだが、まさに硬質的な美。
研ぎ澄まされた刃のような切れ長の目。
ひと睨みされただけで、心臓が一突きで貫かれそうなほど凄まじい美貌を持っている。
それも相まって、どこかこちらからの介入を拒むようなところがあって、近寄り難い。
「もちろん、異論はないよ」
宰相はそんな彼女に慣れているのか、にっこりと笑った。
「では、失礼します」
一歩、リーストは部屋に入った。
「ついさっきの会話、シシィ子爵でしたっけ。
あと、イースティリア女官」
リーストに指を指され、ローゼルは「はい!」と反射的に声を上げた。
「廊下から二人の話を聞かせていただきました」
「はい。一部始終ですか?」
「そうですね、シシィ子爵がミレイユでしたか?
『外部人材』の彼女を親しげに呼び、天使と湛え始めた時点ですね」
硬い声でリーストは言った。
(え、それってほぼ全部じゃない……)
サーッと音を立てるように、シシィ子爵の血の気が引いた。
「なぜ、私がここにいるのかと申しますと」
彼女のよく通る声が部屋に響く。
「実は前々から法務省資料室を訪れた官僚たちから、受付にいる『外部人材』の女性についてクレームを多数もらっておりました」
彼女は『多数』と言う単語を強調する。
「そして、本日十五名目の方からのクレームです。
『外部人材』において雇用取りまとめをしている総務省、いわば身内から、苦言があったのですよ。
彼は相当お困りだったようでしてね」
含みのある言い方。
総務省からのクレーム。
しかも、本日。
(ひょっとしたら、気配り上手なホキアンがクレームを入れてくれたのかも)
シシィ子爵みたいな官僚にローゼルが非難されないよう、ホキアンが先手を打っておいてくれた、そんな気がした。
「そうそう。
それで何件か、こちらの官僚のご夫人たちからクレームも届いているんですよ」
静かに抑えた怒りを滲ませるように、ぐるりとリーストは官僚たちの顔を見廻し、各執務机の間をゆっくりと歩きながら続ける。
「その『外部人材』は平気で妻のいる官僚を誘惑して、夜な夜な食事に連れて行ってもらっているんだそうです。
しかも、夜会やサロン、大勢が集まるところではなく、二人きりで食事ができる特別なレストランばかり」
何人かの官僚がぐっと詰まった表情をした。
ガタガタと震え出し、顔色が優れない。
「ご夫人やお子様を差し置いて、ましてや個室のあるところに行くなんてね。
穏便なご夫人でも腸が煮えくり返るのは致し方ありませんよね?」
リーストは不意にピタッと足を止め、一人の官僚の顔を覗き込んだ。
反射的に、その官僚はびくっとした。
「先程のイースティリア女官とシシィ子爵とのやりとり。
それも婚約者のいる殿方との食事会のセッティングを頼み込もうとしていた、と証言しておられましたが、今回のクレームを寄せられた方も、同じことをおっしゃってみえました。
なので、イースティリア女官の言い分に相違はありません」
「そうですか」
ローゼルは安堵の表情を浮かべた。
やっぱりホキアンがクレームを入れてくれたんだ。
彼はなんて気の利く男なんだろう!
「さて、シシィ子爵。
あなたにはさらに個別にお伺いしたいことがあります」
改まった声のリースト女官に、シシィ子爵はさらに顔を青ざめた。
「今回のイースティリア女官のように彼女に注意を促した者たちが過去にもいたそうです。
ですが、今のようにシシィ子爵がいきなり職場に怒鳴り込んできたとか。
業務が延滞し、大変迷惑を被った。
そういった苦情もございます」
みんなが冷ややかな眼差しでシシィ子爵を見た。
まさか、他所の部署にまで乗り込んでいたとは……。
呆れて物が言えない。
沈黙。
当の本人、シシィ子爵は、口をぱくぱくとさせるばかり。
「それでは、このままでは埒が明きませんので——さっそく室長とシシィ子爵は別室で私とお話をいたしましょうか」
廊下に控えていた真面目そうな官僚たちが、ぞろぞろと部屋の中に一斉に入って来た。
みんな、ぎょっとした。
彼らはリースト女官率いる風紀第三者委員会のメンバーだ。
画一的な服装と髪型。
軍部とはまた違う意味で統率された殺伐とした空気が漂う。
「この場にいるイースティリア女官を除く全員。
後ほど話を聞きますので、退席されませんよう。では」
リーストは、有無を言わさぬひんやりとした口調で言い切ると、テキパキとその場を仕切り始めた。
しだいに部屋が騒がしくなる。
「イースティリア女官。
ちょっと良いかな」
ライアナースがすっとローゼルの横に来て手招きをした。
「はい」
見ると、宰相がにっこり微笑んですぐさま廊下に出た。
ローゼルはライアナースから目配せされ、騒然とする部屋を後にした。




