第104話 照れ隠しの訪問者と、重なる懸念
エレナが扉を開けると、大きな男が立っていた。
淡いグレーの立襟シャツ、黒の細身ズボン。
裾はきっちり磨かれた革靴に収まり、胸元の銀の徽章。
それは彼がただの書記官ではなく軍部専属であると示している。
同期のレイノルド・ハウルデュースだ。
「え? レイノルド?」
部屋の奥から覗き込んだローゼルは、思わず声を上げた。
頬が緩んでいたレイノルドの表情がたちまち狼狽したものに変わる。
「ロ、ローゼル? ど、どうして……」
いつも毅然としているレイノルドが、やけに慌て始めているではないか。
(ふふん、さては、仕事をサボって片想いのエレナに会いにやって来たんだね)
「いたら悪い?」
ローゼルはわざとむすっとして尋ねた。
「いや、そうじゃないが……。
珍しいなと思って……」
レイノルドの語尾が徐々に小さくなって、視線を泳がせた。
「そうなの。
珍しいお客さんでしょ?」
エレナは嬉しそうに笑って、「さっ、入って」とレイノルドを部屋の中に促す。
レイノルドは、コホンと咳払いをして中に入り、扉を閉めた。
「あのね、ついさっきまでローゼルの相談事に乗っていたんだよ」
エレナがそっとレイノルドの顔を見上げた。
「ローゼルの相談?」
レイノルドは訝しげに眉をひそめた。
「なに? 私がエレナに相談しに来たら駄目なの?」
ローゼルは口を尖らせた。
「いや、そうじゃないけど……」
レイノルドは気まずそうに後頭部を掻く。
「ルシアン様が朝からやけに上機嫌だから、二人はてっきり幸せ絶好期なはずだよなぁって思って。
それなのに相談事って……。
順調なんだよな? 二人は?」
レイノルドが改めて問いかけてきた。
そんな明け透けに聞かれたら、どう答えるべきなのか。
ローゼルの頬が赤く染まって、もじもじする。
「そりゃあ……」
「絶好調に間違いないよ。
ホカホカを越えて熱々だよ」
エレナがわざと横から、興奮した声を上げた。
「もう、エレナ!
余計なこと言わないでよ」
「いいじゃない。
クレインバール卿もウキウキなんでしょ?
本当、相思相愛、ご馳走様で~す」
ローゼルはますます血が上るのを感じた。
「エレナったら、冷やかさないで」
拗ねた表情でローゼルが返すと、エレナはケラケラ笑う。
「アハハ。ごめん。
ついローゼルが可愛くてね」
「だからって揶揄いすぎ」
「ごめんってば。
あっ、レイノルド、レイノルドはコーヒーでいい?」
エレナがレイノルドに視線を投げると、彼はたちまち純朴な恋する青年に変わる。
僅かにはにかんだ笑みを見せた。
「ああ、ありがとう」
彼は部屋に来慣れた様子で、小次郎の頭を撫でてから迷わず奥の応接席セットのところまで来て、ローゼルの隣の椅子に座った。
「よくここに来るの?」
ローゼルは小声で、レイノルドに尋ねた。
「よくってことはない。
仕事の打ち合わせで足を運ぶことは多い」
レイノルドは顔を強張らせて言った。
「ふうん、仕事ねえ」
「今日だって仕事だ。
先日の打ち合わせの議事録を持って来たんだ」
そう言うと、レイノルドは手に持っていた机の上に書類の束を置いた。
『来週入団予定の傭兵について』
議事録のアジェンダがローゼルの目に飛び込んだ。
傭兵?
何で傭兵が魔法騎士団に入団するのかしら。
ローゼルは首を捻った。
「エレナ、今朝決まった例の人事報告の件。
議事録、ここに置いておくから」
レイノルドはコーヒーを淹れるエレナに声を掛けた。
「うん、ありがとう」
返事をしながらコーヒーを淹れる準備をするエレナに、レイノルドは柔らかな視線を向けた。
「ねえねえ、ランスはこのこと知ってるの?
何度もここに来ているって」
堪らずローゼルは、こそっと質問をした。
「特段その話に触れたことはないが、軍部と魔法省が連携して事件を片付けるのは知っているから、たぶん知っていると思う」
「ふうん」
「なんだ?」
レイノルドは意味ありげな相槌を打つローゼルを訝しんだ。
「ううん、横恋慕するつもりだったら、ダメだよって説教するつもりだたんだけどね」
「なっ……!
し、心外だな」
ギョッとしたレイノルドが少し身を引く。
「同期を裏切るようなことはしないぞ、俺は」
レイノルドは硬い声で言い繕った。
だが、彼が入省当時からエレナに惚れこんでいるのは、同期の間では有名だ。
もはや片想いを通り越して、崇拝しているぐらい大好き。
今も僅かに目尻を赤くしている。
あわよくば的な雰囲気が見え隠れしている。
「はいはい。分かってます」
ローゼルは無造作に言って、ティーカップに手を伸ばす。
(ふふ、美人な親友はモテモテね)
ローゼルは、レイノルドのコーヒーを用意するエレナをちらっと盗み見た。
エレナはいつも黒のローブを羽織っていて、王城内では滅多に顔を見せない。
けど、その素顔は同性のローゼルから見ても、魅力的な妖艶美女なのだ。
きめ細かい白い肌、吸い込まれそうな大きなアメジストの瞳に、銀縁の細フレームの眼鏡。
そして口元に色っぽいホクロ。
亜麻色の長い髪。
ローゼルが同世代の男の子だったら、エレナが髪をかきあげて、この色っぽい目でちらりと見られたら、舞い上がってしまうだろう。
レイノルドの場合、エレナがランスと婚約してからは、その淡い恋心を絶対に認めないけど、同期メンバーには透けて見える。
「ほら、小次郎」
レイノルドは懐から小さな紙袋を取り出した。
「お前の好物を持ってきたぞ」
袋から木苺を出すと、小次郎の目が輝いた。
さっきまで夢中になっていた胡桃をあっさり手放し、ぴょんとレイノルドの座る椅子の手摺に飛び乗る。
それから後足で立ち、前足をめいいっぱい伸ばして、木苺を欲しがる。
「はい」
レイノルドが木苺を小次郎に与えると、抱え込むようにして小次郎はむしゃぶりついた。
みずみずしい咀嚼音が響いた。
「それ、どうしたの?」
ローゼルは袋の中を覗き込んだ。
「うちの庭になっているのを持って来た。
リスってベリー系の果物が好きだろ?」
「へえ、そうなんだぁ、初めて知った。
小次郎はフルーツも食べるんだね」
「そう、リスって案外グルメなんだよ。
うさぎもそうだし、小動物って意外と味覚がしっかりしているんだ」
「詳しいね、レイノルド」
「まあな。
一応官僚になる前、獣医を目指していたから」
「そうなんだ!
ルシ様がレイノルドは魔獣使いだって言っていたことがあったけど、なるほどね、動物のお医者さんね」
ローゼルは手を叩いて頷いた。
「……すごいな」
「え?」
レイノルドの灰色の瞳がローゼルを見据え、口角を上げた。
「あれだけ令嬢嫌いのルシアン様をすでに愛称呼びとは。
さすが子リス女官だ」
今度はローゼルがギョッとした。
まさか真面目朴念仁のレイノルドからも揶揄われるなんて!
顔がカッと熱くなった。
「あとは一刻でも早くウルーム伯爵の行方が判明するといいな。
あんな浮気男とはさっさと婚約破棄した方が良い」
「そ、そこまで知っているの?」
「まあな。ウルーム伯爵は長年軍部が追っている人物だから、その息子もマークしていた。
今回の伯爵行方不明については、早く探し出さなくてはと憂慮している」
「そ、そうなんだね」
ローゼルは苦笑を浮かべるも、気まずくなってきた。
ローゼルとレイノルドはなんとなく黙り込んで、苺を食べる小次郎をじっと見つめた。
木苺に夢中な小次郎の咀嚼音が響く。
ローゼルはちらっとレイノルドを見た。
「可愛いね」
「ああ」
レイノルドが優しく微笑んだ。
元獣医を目指していたのは初耳だけど、なんとなく分かる気がする。
レイノルドが動物好きなのはこの様子からみれば明らかだし、彼の素朴で歳の割に純粋。
そんなところは動物に伝わるのだろう。
動物からも好かれている感じだ。
小次郎はあっという間に苺を平らげ、二個目をレイノルドに求め出して、彼の膝の上に飛び乗った。
「もう一つ食べるか?」
言葉が分かるのか、小次郎はキラキラした真っ黒な瞳でコクコクと頷いた。
「あっ、もう。
レイノルド、これ以上小次郎に水分の多いおやつをあげたらダメ。
最近食べすぎなんだから!」
コーヒーを持ってきたエレナに、レイノルドは咎められ、なんとなくバツの悪い表情を浮かべた。
「キキィキキッキ!」
小次郎が鳴いて何かをエレナに訴えた。
「ダメなものはダメ。
あまり水分の多いものを食べ過ぎるとお腹壊すよ」
エレナは怒った口調で小次郎に言い返しながら、レイノルドにコーヒーを手渡した。
「ありがとう」
小次郎は「くれないなら、もういいや」とでも言うかのように天井の梁の上に移動した。
食べ残した胡桃はそのまま放置。
渋々エレナはその残骸を拾った。
「すまない。
そこまで小次郎の栄養管理面に目が行き届かなくて」
レイノルドはエレナの顔色を窺うようにして謝った。
「いいよ、あげたくなる気持ちは分かるから」
エレナはローゼルの隣に座った。
胡桃の残骸はテーブルの端に置く。
たぶん、そのうちお腹が減ったら小次郎が再び食べにくるのだろう。
「木苺、たくさん採れたから、明日のおやつとしてあげてくれ」
紙袋をレイノルドはテーブルに置いた。
「うん、ありがとう。助かる。
そうね、せっかくだから水分抜いてドライフルーツにするよ。
そうすれば、少しくらい食べ過ぎても問題ないからね。
それにしても、レイノルド。
ちょうどいいところに来てくれたね」
含みのあるエレナからの視線。
「え?」
レイノルドはきょとんとした。
エレナはチラッとローゼルを見て含蓄ある笑みを浮かべた。
「ローゼル、さっきの話、レイノルドにしていい?」
「ダメダメ。あまり事実確認ハッキリしてないのに、これ以上他部署の人を巻き込むのはちょっと……。
ライアナース卿にも何も知らせてないし」
ローゼルは首を振った。
「んー、そうね。
現段階、未確定要素は多いよね。
でも、私はローゼルの魔力感知能力はかなりレベル高いと思っているし、現にそのお陰で先日の皇族会議のテロも未然に防げたって言うじゃない」
「まあね」
ローゼルは小さく肩をすくめた。
「今回の件も先に軍部に耳に入れておいた方がいい気がするよ。
もしローゼルの推測があっていたら重大な情報漏洩事件に繋がるんだよ。
下手したら国の存亡にも関わるかも」
ハッキリとした声で、笑みを消したエレナが言い切った。
重大な情報漏洩。
突然、ローゼルは悪寒にも似た感覚が湧き起こった。
そうだ、もし契約書の情報が外部に、それも敵国や反政府組織に渡っていたらどうなる?
内容によっては、とんでもないことになってしまう。
――前ディウースリィ伯爵同様、国家機密に関わる領主たちが狙われている。あの魔物に襲われた全員、国家機密級の稀少な資源採掘関係で、軍事とも深く関わる鉱山資源を持つ領主ばかりだ。
ルシアンの声が頭の中で蘇る。
実際、襲われている貴族だっている。
ウルーム伯爵が知っていた時点で、もうすでに敵国の手に渡っていると言ってもあながち間違いじゃないかも。
そういえば、ルシアンがローゼルが強姦魔に襲われた時に、上官のライアナース卿がローゼルに命じた匿名の内容を彼に打ち明けたと話していた。
それなら、レイノルドに話しても問題はないか——
「なんだ?
あまり明るい楽しい話題ではなさそうだな」
レイノルドは手摺に頬杖をついて、ローゼルを見た。
「そうだね。
レイノルドにも話しておくよ」
ローゼルは真面目な表情で、レイノルドに向き合った。




