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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第103話 エクリプスストーンの謎と、暴かれた魔力の秘密

 魔法省を訪れたローゼルの目の前に飛んできた黒いもの。

 それはローゼルの頭に乗った。


 え?


 慌てて、ローゼルがそれを手でつかむと、柔らかい毛並みの塊だった。

 目の前までそれを持ってくると、それはつぶらな瞳の黒リス。


「こ、小次郎?」


 エレナの飼いリス、小次郎だ。


 小次郎は手足をばたつかせた。

 ローゼルが「ごめん、ごめん」と手を離すと床にひらりと着地して、扉の前に立った。


「キィキキィキィ」


 ローゼルをまるで「ようこそ」と歓迎するかのようにお行儀よくちょこんと座って鳴いた。


 その時、扉が開いた。


「やっぱり、ローゼルだ」


 部屋の主、黒のローブを羽織ったエレナが出迎えた。


「お疲れ、エレナ。

 ごめん、今いい?」


「うん、もちろん。

 っていうか、魔力がちょっと違うから最初誰か分からなかったよ」


「え? 魔力違う?」


 ローゼルはきょとんとした。


「うん。さぁ、どうぞ入って」


 ローゼルの疑問をさらりと受け流して、エレナはにっこりと微笑む。

 そのエレナの肩に小次郎が飛び乗った。


 ローゼルは部屋に入ると、コーヒーの匂いが鼻をくすぐった。


(この匂い、結構好きなんだよね。

 苦くて飲めないけど)


 ここは研究室とは思えないほど広く、木目の梁と床が温かみのある部屋を漂わせている。

 天井近くの窓から柔らかな光が差し込み、小次郎がその天井の梁にするすると移動した。


「奥へどうぞ。

 あっ、ローゼルはコーヒーよりお茶がいい?」


「そんなことお構いなく。

 急な訪問だったし。

 ごめん。忙しかったよね?」


「気にしないで。

 ちょうどホッと一息入れるところだったから。

 それよりも珍しいね。ローゼルが研究室に来てくれるなんて。

 何かあったの?」


 エレナは最新式の魔道具の湯沸かし器でお茶の準備をし始める。

 ローゼルは部屋の奥まったところの応接セットの一人掛けの椅子に座った。


「うん。ちょっと知らない魔法があって、そのことを教えてもらおうと思ったの」


「ローゼルが知らない魔法。

 へえ、ますます珍しい。

 世界各国の論文を読んでいるローゼルでも知らない魔法があるんだ」


「もう、変にハードル上げないでよ。

 論文はおじい様の選り好みで送られてくるもの限定だよ。

 知らない魔法はまだまだたくさんあるんだから」


「ふふ、ごめん。

 いつもローゼルの知識量の多さに驚かされているからね」


 コーヒー豆を挽くミルのカリカリと小気味よい音が響く。


「そんなことないよ、私はまだまだ未熟。

 この前ようやく水魔法の魔術書を新たに購入したんだけど、いまだに攻撃魔法とかには疎いし」


 濃厚なコーヒーの香りがふわりと立ちのぼった。


「――それで、エレナは魔法陣にも詳しいよね?」


「まあ、それなりには」


 コポコポとお湯が沸く音が聞こえた。


「あのね、相談したいことというのはね――」


 ローゼルは法務省の資料室で見かけた絨毯の刺繍の魔法陣、それから契約書の裏表紙に書かれた魔法陣の話をした。


 エレナは真顔になって、何かを考え始めた。

 そのうちぎゅうぎゅうに本が詰まっている本棚に向かい、目的の本を無言で探し始める。


 エレナの部屋はちょっとした図書館みたいだ。

 本が棚に入りきらず、山積みになっているものもある。


 目的の本を片手に、エレナは器用に魔法を操って、湯沸かし魔道具からお湯をポットに淹れる。

 次に挽いたばかりの豆が入ったサイフォンにお湯を注ぐ。


 そのうちエレナは、また違う本に次々と手を伸ばして、ページをめくった。


 沈黙が流れる中、ポタリ、ポタリとお湯が滴る音がやけに大きく聞こえた。


「お待たせ」


 エレナは分厚い本をテーブルに置き、魔法でローゼルにお茶を淹れてティーカップを差し出した。


「ありがとう」


 それからエレナは、本を脇に挟んで、自分用に入れたマグカップを持ってローゼルの対面に座った。


「――それにしても、興味深い話だね。

 実物を見てみないと断言できないけど」


 エレナは本をテーブルに広げた。

 ローゼルは本を覗き込んだ。


「このエクリプスストーンっていう鉱石。

 これが関係してるかなぁって思った」


 エレナが指差すそこには、鉱石がいくつか色付きの絵柄で記載してあった。


「エクリプス……? 

 初めて聞く」


 鉱物は、黒い石だった。

 その奥に赤と青の筋が交錯している一風変わった鉱石だ。


「えっと、なになに。

『日蝕の瞬間を閉じ込めた特別製の漆黒の鉱石』で『普段は沈黙しているが、光や魔力の刺激でのみ反応する』」


 ローゼルは本を読み上げた。


「たぶん、この鉱石の粉末を砕いて作ったインクで、契約書の裏側に魔法陣を描いたんだと思う」


「なるほど。

 だから、日の当たらない部屋では分からなかったんだ」


「そう。

 たぶん、太陽の光だけじゃなくて、特定の魔法の光にも反応するようになっているんだよ」


「魔法の光?」


「たとえば、魔法陣が発動する時って、陣の文字が光るでしょ? 

 それに反応するようインクに加工を施しているとか……」


 エレナは、指を折り曲げて顎に当てた。


「ああ、それ。

 であれば、契約書の裏表紙に魔法陣が描かれてあるものは、魔法陣が発動した時、何らかの術式が発動する。

 そういうこと?」


「うん、たぶんね。

 魔法陣に隠匿魔法が施されているってことは、その下に別の魔法陣も隠されていると思う」


「やっぱり……。

 二重に魔法陣が被さっているってことよね?」


「だね。

 もしかしたら、二重どころか三つ四つ被さっているかも。

 それが契約書に記載された魔法陣の謎を解くカギになるよ」


「それね……。

 そこまでは私じゃあ、分からなかったんだよね」


 ローゼルは腕を組んで眉をひそめた。


 隠匿魔法を解除するのも手だと思った。

 けど、契約書の収納棚である本棚が、問題の絨毯の上に載っている。


 そんな状態で、絨毯の隠匿魔法を解除しても問題ないのか。


 契約書は重要機密書類の一種だ。

 解除した途端に隠れていた魔法陣が発動して、契約書を傷つけることになっても困る。


「まあまあ、まずはお茶でも飲んで、落ち着こうか」


 気を取り直したようにエレナがお茶を勧めた。


「そうだね」


 ローゼルはティーカップに手を伸ばした。

 湯気から紅茶のいい匂いがした。


「アールグレイのいい香りがする」


「うん。お気に入りの産地で摘んだ茶葉だよ。

 ——それにしても、魔法陣を王城でまた見つけるなんてね。

 ローゼルは引きが強いね」


「引きっていうか……、本当びっくりしたよ」


「しかも、皇族会議と同じ感じがしたって言っていたよね?」


 エレナの視線が一瞬鋭く光った。

 いつになく鋭い眼差し。反射的にローゼルはびくっとしてたじろいだ。


 でも、それだけ城内に誰も感知していない魔法陣が隠されているというのは危険なこと。


「うん。まさか、とは思ったし、あの魔法陣を描いたのって——」


 ローゼルは言葉を切った。

 エレナは、正面から真剣な眼差しでこちらを見た。


「皇族会議にローゼルが見つけた魔法陣を描いた人物と同一だと思う」


 エレナがきっぱりと断言した。

 部屋の空気がピンっと張り詰めた。

 

 あぁ、やっぱり。

 あの時の狐顔の銀髪男。法務省の資料室にまで仕掛けをしていただなんて。


 彼から放たれる不気味な魔力は、決して忘れられない。

 

 無機質でどこか人間離れした不気味さ。

 不思議な威圧感。


 心をひんやりとした指が撫でていく。


 ローゼルはぶるっと震えた。


「ここに最初、相談に来て正解だよ」


 エレナはコーヒーを飲んだ。


「そう思う?」


「うん」


「最初はどうしていいか悩んだよ。

 下手したら、これ、法務省の責任問題になっちゃうし」


「分かるよ。

 上官に報告するにしても、ある程度根拠を示したいよね」


「そうなの。

 特に資料室の受付の子。

 あの子、口が軽そうでね。

 いろいろと私が調べ始めたら、根も葉もない噂を無闇に広げそうなんだよね」


 ローゼルはミレイユの顔を思い浮かべて、大きなため息をついた。


「ああ、いるいる、そういう暇な子。

 ちなみに、法務省の資料室の受付の子って『外部人材』?」


「そう! そうなのよ……。

 あっ、思い出した!」


 ローゼルの頭の中で、ふいにホキアンとミレイユの会話が横切った。

 資料室で感じたムカムカとした感情がひしひしと蘇って、声を荒げる。


「もうね、とんでもない子なんだよ。

 よりによって、ホキアンに頼んで、私たち同期男子の食事会を開催させようとしていたのよ」


「ホキアンに?」


 エレナはぽかんとする。何がとんでもないのか、と首を傾げた。


「最初はね、私もあの子はホキアン狙いなのかな、って思ってたんだ。

 けど、あの子の狙いは、なんと、ランスだったんだよ!」


 ローゼルが勢いづいて言い切ると、エレナの反応はいまいちだった。


 しばらく間があった。


「……はぁ、またか」


 エレナはおもむろにため息をついた。


「またか、って。

 ……え、よくあることなの?」


「うん、割とね」


 さらりとエレナは言った。


「割と……」


 冷静に受け止めるエレナをローゼルは不思議に思った。


(焦燥感とか嫉妬心とか、怒りみたいなものは湧かないのかなぁ)


「ほら、ランスってあの通りだもん、とにかくモテるのよ。

 ここの受付も、最初は総務省がごり押しした『外部人材』の女の子に任せていたんだけどね」


 困ったようにエレナは笑って、カップをテーブルに置く。


「——当初は、魔法省には二人の『外部人材』の受付がいたのよ」


「二人も?」


「うん。魔法省って広いでしょ。

 要領の悪い子一人だと回しきれなくて」


「ああ、なるほど……。

『外部人材』は当たり外れが大きいっていうよね」


「そう。能力差が大きいっていうか」


「しかも婿探しで、大半がやる気ない子ばかり」


「そうそう、本当にね。

 それに尽きる」


 エレナの表情が曇る。


「その受付の一人がまさに婿探しで働きにきていたの。

 で、あの頃のわたしとランスって、正式に婚約する直前だったし、わたし自身が出張続きで、屋敷でゆっくり話し合えなくてね」


「うん、そうだったね」


 ローゼルは何度も頷いた。


「それで、しょっちゅうランスにここまで来てもらったんだ。

 そうしたら、受付の子に目を付けられちゃったのね。

 ただでさえ、外交官の妻っていうのに憧れている感じだったし」


「うわぁ、うちの資料室の子もそうだよ。

 本当にそんな感じ。

 私、めちゃくちゃ腹が立ったから、しっかり威嚇しといたよ」


「あはは、威嚇って」


「威嚇は威嚇だよ。

 愛し合う二人の仲を引き裂くなって、ってね」


「頼もしいなあ、ローゼルは。

 そうだね、今思えば、魔法省の問題の女の子にも、それくらいきつく言えばよかったのかもしれない」


「エレナが言う前に、ランスが丁重に断ってそうだけど?」


 紅茶をゆっくりローゼルは飲んだ。


「うん。『迷惑だ』とまで言ってくれたらしいの。

 だけどねぇ」


 エレナはまた大きなため息をついた。


「それでもしつこかったの?」


「うん。

 まさにストーカー級。

 帰りとか外務省の部屋の前でずっと待っているとかね」


「熱烈! 

 っていうか、そこまで行くとランスには恐怖だよね。

 私もゴルマン卿の毎日の日課には随分と悩まされたよ」


 ――ローゼルちゃん、愛しているよ。

 どうか俺の愛を受け取ってくれ!


 ローゼルは、当時のことを思い出して悄然とした。


 今でも、公開処刑並みの求婚をされた塔の前に行くと、時々エヴァン・ゴルマンのあの声が聞こえてきそうで、戦々恐々とする。


「そうだったね。

 ゴルマン卿もなかなかのものだったけど」


 エレナはクスクス笑う。

 けれどすぐに、ふと目が遠くなる。


「――実はその子、わたしの研究資料を盗もうとしたりしてきたんだ」


「はあ? なにそれ。

 エレナの研究って、国家機密級よ?」


「本当にね。さすがに魔法省リックランス大臣たちもカンカンよ。

 ランスのところの外務省大臣のグロウディーナ公爵も、ランスたち独身外交官に付き纏う彼女たち『外部人材』がうっとおしかったんでしょうね。

 珍しく共闘して、『総務省の「外部人材」の子は信用できない』って前総務省大臣のビアード伯爵に突き返したんだって」


「へえ」


 意外だ。


 リックランス大臣とグロウディーナ大臣は犬猿の仲で有名。

 混ぜたら危険な二人が協力するなんて、まさに青天の霹靂だ。


「そういえば、今の魔法省の受付は直雇用なんだよね。

 すごいしっかりした方で私、感動しちゃった」


 ローゼルは明るい声で言った。


「あはは、感動って」


 エレナは笑った。


「あの子は大臣とかと面談して採用になった子?」


 ローゼルはティーカップを置いて、身を乗り出した。


「うん。

 もとは『外部人材』として来ていたんだけどね、あの子は特にしっかりとした子だから『女官見習い』として正式採用したんだ」


「そういうことね」


 ローゼルは納得してぽんと手を叩く。


「道理で。

 なんか、洗練された所作っていうの?

 優秀な匂いがプンプンしたよ」


「あはは、プンプン。

 小次郎みたい」


「でも、そんな感じしない?」


「まあね」


「やっぱ『外部人材』の子って、もうちょっと採用する時、斡旋する商会やギルドの方でも慎重になって欲しいよね」


「まったくだよ。

 だいたい、ああいう子たちって商会やギルドに都合のいい子たちばかりが採用されるらしいしね」


「だよねぇ。

 まさに腐敗の温床」


 はあ、と二人は同時にため息をついた。


「でも、ローゼルだって大変でしょ? 

 クレインバールに憧れている令嬢は多いよ」


 エレナの何気ない言葉に、思わずローゼルの動きが止まった。


「特にナディア・グロウディーナには気を付けてね。

 あの子、見た目に反してやることは陰湿だし、執着心も人一倍強いから」


 エレナが真顔で忠告した。


「うん、そうね」


 すでにグロウディーナ公爵に扮した彼女から『我が家の侍女になれ』なんて命令書が偽造だけど届いているけど。


「ってことで、話は戻るけど、一度その絨毯に仕込まれた魔法陣を見に行きたい。

 その子は何時に帰るの?」


 エレナが話を戻した。

 

「え? 直接見てくれるの?」


 ローゼルは身体を前屈みにしてエレナの顔を覗き込んだ。


「もちろん。

 そんな変な魔法、王城内にあるなんて聞いたこともないし、基本的に違反よ。

 それに物騒。

 この目で安全性を確認して危険なら排除しないと」


「あの、相談に乗ってもらってなんだけど……魔法省の特別補佐官が確認しに来てくれるなんて……。

 なんだか申し訳ない」


「何よ、いまさら。

 ここまで話を聞いたら逆に引き下がれないよ」


「じゃあ、ライアナース卿に頼んで、そちらのリックランス大臣にご許可を貰っておくね」


「いいよ、そんなの。

 時間が逆にかかっちゃう」


 エレナは手をヒラヒラとさせた。


 エレナは同期だからこうやって気さくに話しているけど、実際は格上の侯爵令嬢だ。

 その上、魔法省の中でも上位階層にいる女官で、本来なら気安くこんなお願いはできない。


「本当にいいのかな?」


「もう、ローゼルは真面目だなぁ。

 じゃあ、わたしから大臣に話を通しておくよ。

 ちょうど一時間後、大臣との打ち合わせもあるからさ」


 エレナが心配そうに眉をひそめるローゼルに、にっこりと笑顔を浮かべた。


「いいの? 

 ありがとう。すごく助かる」


「気にしないで」


 エレナは再びカップを持ってコーヒーを飲む。


「キキィ!」


 その時、小次郎が天井の梁から伝って降りてきた。


「あぁ、小次郎。

 胡桃(くるみ)、ここにあるよ」


 エレナはポケットから胡桃を一つ取り出す。


 小次郎は嬉々として尻尾を振って、テーブルに物凄い早さでよじ登って来た。


「はい」


 エレナが胡桃を差し出すと、小次郎は勢いよくかぶりついた。

 そのまま奪い取るように胡桃をくわえて、エレナの座るその隣でカリカリと齧り始めた。


「ふふ、やっぱり、リスは木の実が好きなのね」


 ローゼルは小次郎の食べる姿に思わず笑みが零れた。


「みたいだね。

 でもね小次郎によると、ローゼルがいつも常備しているクリモナの実。

 あれ、大好物なんだって。

 クリモナの木は王城に植えてないからね」


「へえ、そうなんだ。

 じゃあ、今度実家から持ってくるよ」


「ありがとう。

 ――それで、何時にその受付の子、業務終了する?」


「えっと、確か定時の一時間前。資料室自体も締めちゃうから。

 あっ、もちろん定時後も私がいれば部屋には入れるからね」


「了解。

 じゃあ、定時になったら法務省の資料室で待ち合わせしようか」


「うん。

 エレナの『定時後入室申請』は私が出しておくね」


 資料室は、定時後、無断で入室すると入室権限魔法で不法侵入でアラームが鳴るようになっている。


「そうすれば自ずとライアナース卿にも話が通じるだろうしね」


「さすが、ローゼルは段取りがいい。

 法務省側から仁義を切ってもらえると助かる」


「そんなことないよ。

 手伝ってもらうんだもん。

 これくらいはしておかないと」


「やっぱり、ローゼルは優秀よね。

 そういう痒い所に手が届くような気配りがいいのよ」


「嬉しいなあ、もっと褒めて褒めて。

 ふだん褒めてもらえないから、モチベーションが上がるよお」


 ローゼルは再びティーカップに手を伸ばした。


「そう? 

 みんなローゼルをべた褒めだけど、特にクレインバール卿。

 完全にローゼルにぞっこんだもの」


 エレナはさらりと言った。

 お茶を飲もうとしたローゼルは、吹き出しそうになって慌てて飲むのをやめた。


「ぞ、ぞっこんって……!」


 エレナが突如、にやっと笑ってテーブルに両肘をつく。


「ふふ。

 ねえねえ、教えて」


「なに?」


 なんだかこの笑顔、嫌な予感がする。


 彼――いつぞやの古書店まで付き合ってくれた王宮魔術師クロフォード・ノーエランドの意地悪な笑顔に似た微笑みだ。


「どうして、ローゼルの魔力にクレインバール卿の魔力が交わってるの?」


 不意打ちの質問。

 ローゼルは虚を突かれ、一瞬言葉を失った。


「っていうか、二人、いつの間にそんな深い間柄になったの? 

 すごいよ。クレインバール卿の強い魔力がローゼルの体内に漲《みなぎ》っているよ」


「え、え、……そうなの?」


 ローゼルはたちまち顔が赤くなった。


「うん。さっき部屋に入って来るときも言ったでしょ? 

 魔力がちょっと違うから最初誰か分からなかったって」


「そ、そうだったね」


「もうやだなぁ、深い間柄になるの、早すぎだよお。

 展開についていけな~い。

 身も心もばっちり愛されちゃって」


 エレナはあからさまにローゼルをからかった。


 かぁぁぁと顔が火照ったローゼルは視線を泳がせる。


 深い間柄。魔法使い同士で男女の睦み合いをすると、互いの魔力が体内に混ざり合う。

 うわぁ、エレナにばっちりルシアンと肉体関係を結んだというのが、バレている。


(でも、冷静に考えてみればそうだよね。

 エレナは私以上に魔力感知に優れているんだから)


 ローゼルもそれでウルーム伯爵と継母シャルルの不倫を見抜いたのだ。

 とはいえ、まさか数日間の睦み合いだけで、エレナにここまではっきりと追及されるとは思いもしなかった。


「でも、いいんじゃないかな。

 ローゼルの場合、持病もあるからね。

 クレインバール卿の魔力が注がれた方が治癒も速まるし」


 エレナは悠然と足を組んで、ローゼルを見た。


「そういうもの? 初耳」


「うん。

 もともとローゼルの持病が悪化せずにいられたのは、ローゼルの持ち前の魔力の多さだと思うんだ」


「ん? 私、そこまで魔力、多くないよ?」


 ローゼルは首を捻った。


「ううん、それは持病があったから。

 たぶん、目に見えないだけで、元々はローゼルも多かったのよ。

 持病がローゼルの魔力を巣食ってたんだから当然といえば当然だね」


「つまり、私の魔力を病気が食べていたってこと?」


「端的に言えばそうだね。

 魔力があったから、あの厄介な持病を持っていても、女官というハードワークにも堪えられたんだと思う」


「じゃあ、この前、急性魔力欠乏症で倒れたのは、本当に危険だったのかな?」


「そうだね。

 でも、あれは不幸中の幸いだったよ。

 だって、あの病が発症していることに気づけたんだもの。

 もって二年。本当に余命いくばくもない状況だったと思う」


 ローゼルは黙り込んだ。


 衝撃的だった。

 まさか余命二年って。


 そこまで自分がこの病に蝕まれようとしていたとは——。


 改めて自分がいかに危険な状態の身体だったのかと痛感した。

 急に、ざわざわと落ち着かない気分になった。


(お父様がやけにこの病に罹ったことを気にされていたけど、そういうことだったのね)


 自分が思っている以上に、深刻化していたらしい。

 背筋がヒンヤリとした。


「わたしもね、ナイトマーケットでローゼルからその話を聞いて、本当、息が止まりそうなほどびっくりしたもん」


 エレナのアメジストの瞳に複雑なものが浮かんで消える。

 痛ましさと憐憫、懸念、危惧。


「……そうだよね。

 私も今エレナから余命を聞いて、すごい衝撃を受けている」


 ローゼルはティーカップの水面を見た。

 不安と恐怖が滲む自分の顔。


「分かる。でも……」


 エレナはまじまじとローゼルを見て、悪戯っぽく笑う。


「すごいよ、クレインバール卿は」


「え?」


「自分の魔力をローゼルの身体の中に直接注ぐことで、病を抑え込もうとしてるんだもの。

 荒治療っていうか……。

 でも、効果あるみたいね。

 生気がみなぎっている感じで、キラキラしている」


「そ、そんなに? 

 そんなに、ルシ様……クレインバール卿が?」


 ローゼルは昨晩抱きしめ合った熱を思い出した。

 やけに鼓動が加速し出すので、落ち着くためにも胸元を押さえた。


「ふふ。やだぁ、もう愛称呼びなの? 

 見せつけてくれるなぁ」


 エレナはニヤニヤして笑った。


「そ、そんなことないよ」


 ローゼルは両手を振って否定した。


「私こそ、まだ婚約者がいる身なのにルシ様と深い仲になっちゃって……。

 順序が逆っていうか。

 情けないよね。

 ルシ様にご迷惑にならないように注意しないといけないのに」


「いいんじゃない? 

 あの人、相当ローゼルのこと、好きだよ」


 エレナは、眩しそうに目を細めた。


「そ、そうかな」


「うん。それに多少迷惑をかけた方が喜ぶタイプだよ。

 だって、クレインバール卿って騎士たちの間では兄貴分タイプじゃない? 

 ちょっと世話のかかる子の方が愛着を持ちそうだもん」


「えー。でもさぁ」


 ローゼルは両指をこねくり回す。


「それって妹キャラ確定ってことよね?」


「え、そんなの別に気にすることないんじゃない? 

 だって、わたしたちが入省して四年。

 全然あの方にそんな雰囲気なかったのに、いつの間にか急接近でしょ。

 このままうまく婚約破棄さえできれば、ローゼルの方が先にクレインバール卿と結婚しちゃいそう」


 エレナは楽しそうにはしゃいだ声を出した。

 ローゼルは恥ずかしくなって、なんとなくもじもじして身をよじった。


「キキィッ、チィチィ」


 突如、小次郎が鳴いた。

 エレナに何かを知らせようと、胡桃を脇において、彼女のローブを前足でカリカリ引っ掻いていた。


「あら、もう一人お客さんだ」


 エレナはそう言って立ち上がった。

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