第102話 資料室で緊迫と、飛来する黒い影
法務省資料室の受付を担当するミレイユ・カーネル男爵令嬢。
お給金が安い『外部人材』として王城で働く理由。
それはお婿さん探しだ。
どうやら、彼女はローゼルの同期エレナ・ヴァービナスの婚約者である外交官ランス・マクィーンの妻の座を狙っているみたい。
(許せない、ランスはすごくエレナを大切にしているし、エレナだって……)
ローゼルが目を三角にしていると、受付カウンターで困り果てていたホキアンと目がバチッと合った。
「ローゼル!」
ぱっとホキアンの顔が明るくなった。
ミレイユがぐいぐい差し迫ってくることに逃げ腰だったホキアンは、嬉々としてローゼルの元に駆け寄った。
それに気づいたミレイユは顔を露骨に歪めた。
「ローゼルもここで調べ物かい?」
穏やかな声音で話し掛けるホキアンだが、その目にはあからさまな安堵があった。
「ごきげんよう、ホキアン。
今、ちょっと契約書関係の部署にお手伝いに来ているの」
「そうなんだね。
契約書かぁ、ローゼルはどこの部署に行っても働ける貴重な人材だね。
すごいなぁ、僕なんて自分の部署でいっぱいいっぱいなのに」
「そんなことないよ。
法律一本の私の業務に比べれば、ホキアンのお仕事はいろいろな案件を抱えているじゃない。
タスクまみれっていうか」
「うん、本当。
毎日やることに溢れているよ」
ホキアンは疲れたように苦笑いをした。
「ホキアンがここに来たのもその一環?」
「まあね。
これもそのやるべきことタスクのひとつさ」
「へえ。
それでも、総務省が法務省の契約書保管室に来るなんて珍しいよね。
初めてじゃない?」
ホキアンは周囲を見渡し、声をひそめる。
「実はさ、前ビアード伯爵が導入した制度について、近々廃案することになって、その資料集めを命じられちゃったんだよね」
「それは大変だね」
廃案する制度。
ひょっとして、外部人材システムのことだろうか。
そう思いつつも、ローゼルは素知らぬ顔で話す。
「廃案となると、いろんな部署に事前に根回ししないといけないから、これからきっともっともーっと忙しくなるね」
「ああ、まったくだよ。
早々に廃止にしたいらしいからって、本日中にその契約について詳細をまとめてくれだって。
しかも宰相からの催促。
本当、今うちの部署はてんやわんやだよ」
ホキアンはうんざりしたような表情を浮かべた。
それでも、ミレイユから逃れたのはよっぽど安心したのか、頬が心なしか緩んでいる。
ちらっとローゼルが受付のミレイユに視線を投げると、彼女はとても居心地が悪そうにし、こちらにじっと睨みつけていた。
その目には嫉妬と苛立ちが滲み、殺意すら感じるほどだ。
どうやらローゼルがホキアンと仲がいいことが、相当面白くないようだ。
(フン。睨むなり、怒るなり、ご自由にどうぞ。
別にあなたにどう思われようが、痛くもかゆくもないんだからね)
ローゼルは心の中であっかんべーをした。
もはやこういう視線には慣れっこだ。
エヴァン・ゴルマンに公開求婚劇を繰り広げられるようになって以来、ローゼルの意思に反して騎士に憧れる女の子たちから憎悪と羨望、嫉妬に満ちた感情を向けられるようになった。
特に総務省の厄介なお局女官ヨオンナ・ピージャンス。
確かに最初こそ、ちくっと胸が痛んだ。
「好き」ってまったく興味のない相手から告白されて、最初は正直ちょっと舞い上がったし、嬉しかった。
でも、こっちは婚約者のいる身。
告白されるたびに毎回毎回丁重にお断りしているのに、彼女たちの嫉妬心は膨らむばかり。
何でこんな目に遭わないといかないのか。
その理不尽さには、本当に腹が立った。
(だって、よくよく考えてみても、全然私は悪くないんだよね)
私は仕事に来ているんだけ。
やるべきお仕事をちゃんとやって、ちゃんとお給金さえ貰えていればいい。
仕事に支障が出なければ、何も問題ないのでは?
そう開き直ったら、そんな視線はまったく怖くなくなった。
だいたい入省前から「今世紀最大の悪女」なんて身に覚えのない噂で、散々陰口を叩かれている。
(こっちからしてみたら、こんな恨みがましい視線もちょっとやそっとの悪口も、日常茶飯事なんだよね)
原因が分かっただけまだいい。
美味しいお酒とちょっとしたおつまみがあれば、もう十分幸せだった。
(けど、今はルシ様と両思いになったってだけで、もはや私のメンタルも体調も絶好調!)
ローゼルは、ふふん、と勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
そんなローゼルに、ミレイユは大きく肩を震わせて、可愛い顔が台無しになるほど、忌々しく歪ませた。
(全然怖くないもんねー)
ローゼルとホキアンは、ゆっくりと契約書の本棚の奥へ向かって並んで歩く。
「それにしても、びっくりしたなぁ。
やけに受付の子と仲いいんだね」
ローゼルは平然とした顔で、揶揄いを込めて言ってみた。
「えっ、ちょっと待ってくれ。
誤解しないで。
勝手にあっちが親近感湧いたみたいで近づいてきたんだよ……。
正直困っててね」
慌てた様子でホキアンは小さい声で唸るように言った。
やがて、大きなため息をつく。
「……ほら、僕、ああいう妹キャラっていうの?
年下の子、苦手なんだよね」
「あら。私もエレナもホキアンより年下だけど?」
「二人は別」
「別ねぇ」
ローゼルが肩をすくめると、ホキアンはローゼルの気に障ったのかと勘違いをして言い訳がましく言う。
「悪い意味じゃないよ。
なんていうのかなぁ、二人は女の子女の子していないっていうか、もうすでに世界がちゃんと成立しているというのかな。
そう、自立している。
男に変に頼ってこない感じが僕には安心できるんだ」
「ふうん……。
自立。いい響きだね」
ローゼルがニッ笑うと、ホキアンは安堵の笑みを向ける。
「でしょ?
令嬢によっては男性に守られてナンボって子が多いけど、僕はちゃんと自分を持っている子が好きなんだ。
どうも、おんぶに抱っこっていう子は無理」
ローゼルは意外に思って、目を見開いた。
要は、初めから裕福な伯爵夫人の座を狙って迫られても安心できない。
むしろ、財産目当てで恐怖を覚える、ということかしら。
わりと、男性というのは庇護欲をそそるタイプを好むものだと思っていたけれど。
「なんか新鮮。
初めてホキアンから好みの女の子の話、聞いたかも」
「そうかな。
あー、でも、そうだね。
女の子と込み入ってそういう話ってあまりしないからね」
「とかいって、本当は普段猫と大好きな本があれば満足だから、あまり考えてないんでしょ。
同期飲み会でもネイトやランスの恋愛論にいつも口を挟まなかったし」
「あははっ。バレていたか。
本当、正解。
ぶっちゃけ全然興味ない。
貴族の結婚なんて所詮政略結婚ばかりだし。
まあ、ローゼルやエレナは少々事情が違うようだけど」
含みを持った視線をホキアンはローゼルに投げた。
「えっと、まあ……。
大半はそうよね、恋愛感情なんて不要。
私とレオーネもそんな感じだし」
誤魔化すようにローゼルは言い繕った。
「う〜ん、レオーネはちょっと事情が違うと思うよ。
なんだかんだ彼はローゼルのこと、気に入っていると思うよ」
「そう?」
ローゼルは眉をひそめた。
「うん。まあ、その辺はちゃんと本人から聞いた方がいいよ」
ますます含みのある言い方に、ローゼルは首を傾げた。
「話を戻すと、結局僕も……たぶん、最近親戚一同うるさいから、この頃そういうのをちょっと真剣に興味持って考えるようにしているんだ」
「さすが嫡男。
腹を決めたね」
「そうなんだよね、気乗りはしないけど……。
でも、僕はいずれ伯爵家を継がないと。
だからかな、夫人として迎える子はこんな僕をちゃんと支えてくれる子がいいって思ってる」
「なるほどねぇ。
ごめんね、さっきは揶揄いすぎたよ」
「いいよ、全然」
ホキアンはコソッと耳打ちをする。
「むしろ、あの子から引き離してくれて助かったよ」
ホキアンにとって、よっぽどミレイユみたいなタイプの女の子は苦手のようだ。
ローゼルは、クスッと笑う。
「じゃあ、ランスを女の子たちが集まるところに連れて行かないよね?」
「もちろん。
っていうか、ランスはエレナ一筋だよ。逆に僕が叱られてしまうよ。
『俺を変な所へ連れて行くな』ってね」
ホキアンがランスの声真似をしながら言った。
これが全然似てないんだけど、ローゼルはなんとなく面白くてクスクス笑う。
「確かに。
ランスはそういう人だね」
だからエレナは彼の一途な想いに惹かれ、婚約したんだ。
クロフォード・ノーエランドではなく――。
そこでローゼルはふと絨毯の刺繍が目に入り、思い出す。
エレナのところにさっきの魔法陣のこと、聞かないと。
「それじゃあ、ホキアン。
私は用が済んだから戻るね」
ローゼルは足を止め、出入り口に身体を翻した。
「ああ。本当にありがとうね、ローゼル。
またランチタイムにみんなと官僚食堂で会おう」
「うん。またね」
ローゼルはホキアンに手を振って資料室を出る。
その手前で、ミレイユが恨めしそうにローゼルを上目遣いで見ていたのが目に入る。
ローゼルはミレイユの目の前で足を止めた。
ミレイユが、ねっとりとした視線でこちらを見た。
ローゼルは真顔で言う。
「先程のような業務中の官吏を邪魔する行為、以後見かけたら通報しますから。
帝国公務員法に抵触していますって」
「え? 抵触?」
ミレイユは大きな目をさらに大きく見開く。
「あれ? ご存知ない?」
ゆっくりとミレイユにローゼルは視線を投げる。
「帝国公務員は、皇族以外に不当な命令や指示、不要な重圧をかけてはならない。
その鉄板ルールがあるんですよ。
先程のバーンズリー卿とあなたとのやり取り、聞く人が聞けば、『食事会開催の強要』とみなされても致し方ありません」
「まさか、そんな大袈裟ですよ」
ミレイユは引き攣ったような笑みを浮かべた。
「じゃあ、試しに通報してみましょうか?
そうすれば、あなたが正しいのか、私が正しいのか。はっきり白黒つけられますよ」
にっこりとローゼルは笑い返した。
びくっとミレイユは肩を震わせて、顔が青ざめた。ブンブン首を振って拒絶した。
ローゼルの視界の端でホキアンが本棚の隙間から顔を出す。
「ローゼル、よく言ってくれた!」と言わんばかりにガッツポーズをしている。
本当に、本当~に彼女には困っていたようだ。
「それでは今回は初犯ということで、特別に内緒にしておきますね。
『外部人材』のミレイユ・カーネル令嬢。ごきげんよう」
わざと『外部人材』という言葉に力を込めて、ローゼルは柔らかく微笑む。
表情が強張るミレイユを尻目に、ローゼルは資料室を後にした。
*
法務省の資料室などがある執務塔を出て、回廊に出た。
ローゼルは王城庭園を横切る形で王城の北東にある魔法省へ向かった。
(あの様子だと、あの子、全然反省していないよね)
資料室を出る瞬間、悔しげにミレイユの顔が歪んだのをローゼルは見逃さなかった。
下手したら懇意にしている官僚に泣きつくかもしれない。
もしそうなったら面倒だ。
とはいえ、あれは仕事を真面目にやろうとしている官吏には迷惑甚だしい行為。
万が一、あの子が私を訴えた場合、こっちはホキアンに証人になってもらって、ライアナース卿にすべてを話そう。
だって、『外部人材』のあの子があんなにも手伝うって言っていたのは、本来触れることを禁じられている契約書に手を出すことだ。
どっちがルール違反をしているのか。
まさにどこの馬の骨か分からない『外部人材』、つまり、官僚試験を突破していない帝国公務員でない者が、正式文書の契約書に携わるのを厳格なライアナース卿は嫌がる。
普段温厚なライアナース卿だが、公平、中正を重んじる家系の長だからこそ、厳正な処分を下してくれるだろう。
特に先日の王城連続強姦魔事件に関しても、ライアナース卿はかなりご立腹だとルシアンは言っていた。
部下のローゼルが巻き込まれたことはもちろんのこと、王城の外部人材システムに一部だけの貴族の利権が絡んでいることは、やはり見逃せない。
そうこう考えているうちに、魔法省のある塔へ辿り着いた。
魔法省は多岐にわたる部署を抱え、軍部の次に規模が大きい。
四つの重厚な石造りの建屋が渡り廊下で繋がっている。
(えっと、エレナがいるのは西塔だっけ)
西塔は、まるで根を下ろしたかのように大きな樹が塔のど真ん中に生えている。
幹と枝葉が石造りの壁を貫いて、苔むした外壁はまるで古き神殿を思わせるほど荘厳。
西塔の入り口に受付カウンターがある。
そこにはミレイユとは雰囲気が全く異なる女性が姿勢を正して座っていた。
凛然とした美。
まさにその言葉がぴったりの受付嬢。
着ている制服が『外部人材』のものとは異なり、淡いグレーのストライプのシャツに紺色のスカート。
王城直属雇用の女官見習いの制服だ。
これを支給されるってことは、近々帝国公務員の登用試験を受ける予定の子なのかしら。
「ごきげんよう、魔法総括調査研究室のエレナ・ヴァービナス女官に会いたいのですが」
ローゼルが声を掛けると、彼女は小さくお辞儀をした。
その所作がとても美しくてローゼルは息を呑んだ。
「ごきげんよう。
エレナ・ヴァービナス女官ですね。
ヴァービナス女官でしたら、現在ご自身の研究室に在室しております」
よく通る声。
ハキハキと話す口調。
(これよ、これ。
こういう毅然とした受付を私は求めていたの!)
ローゼルは思わず頬を綻ばせて、心の中で興奮していた。
「ありがとうございます。
研究室は二階でしたよね?」
「その通りでございます。
大樹の裏手に回っていただきますと螺旋階段がございますので、そちらをご利用ください。
そこから三番目のお部屋がヴァービナス女官のお部屋でございます」
「はい、ご親切にありがとうございます」
ローゼルはぺこりとお辞儀をした。
受付の彼女の案内どおり、ローゼルは大樹の方へ回る。大樹自体が大きな本棚のようになっていて、ローゼルは興味深く本の背表紙を見ながら、螺旋階段まで辿り着いた。
途中、魔法省の研究員たちがちらちらとローゼルを見る。
他部署のローゼルがここに足を運ぶのが珍しいのか、視線が無遠慮に突き刺さる。
相変わらず好奇心旺盛な人たちだ。
魔法省は他の省庁とは少々人事構成が異なり、身分関係なく実力主義部署だ。
実力があるとみなされた者は、エレナのように特別補佐官という特殊な地位を与えられ、個室の研究室まで用意される。
けれど、それ以外は一般研究員として大広間で作業に近い研究をしている。
今でこそ不動の地位を築き上げているエレナだが、新人の頃、才能溢れるエレナはこの一般研究員たちから結構な嫌がらせをされたと聞いた。
出る杭は打たれる。
才ある者ほど妬まれる。
(まさに弱肉強食の世界だよね。
法律一本で勝負できる法務省とは雰囲気が違いすぎだよ)
二階に上がって、階段から三番目の部屋。
そこがエレナの研究室だと受付の彼女は言っていた。
ここを訪れるのは数年ぶりだ。
ローゼルは部屋をノックした。
その瞬間、どこからともなく黒いものがローゼル目掛けて飛んできた。
「……っ!」
ローゼルは声にならぬ叫び声を上げた。




