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カァーム・ビュラクラト ―社畜女官ローゼルの婚約破棄奮闘録― 私は何も望まない  作者: 兎丸 蓮


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第100話 健康自慢の朝と、暴かれた資料室の影

 空気は湿っていて、どこか雨の予感を含んでいた。


 それでも、ローゼルは軽い足取りで今日も廊下を歩く。

 クレインバール邸でのおもてなしは、朝から最高だったからだ。


 ローゼルの不足している栄養に特化したバランスの取れた食事。


 美しくメイクアップされた顔は、ケイトを始めとした侍女たちがナチュラルに健康的に整えてくれた。

 朝から爪まで整えて貰えるとは思わなかった。


 それに、きめ細やかなのは、ハンカチやストッキングなどの日常の身の回りの品々が、選りすぐりの最高級品が用意されていた。


 さすが、この国の辺境伯次期嫡男の屋敷。


 ひとつに髪を結ったリボン——ルシアンから贈られたそれを、ローゼルはご機嫌な笑みを浮かべながら、そっと指先で撫でた。


 湿気を含んだ髪はいつも爆発的に膨らむ。


 それなのに、品質のいいシャンプーやヘアオイルを使ったからなのか、髪質がやけにしっとり馴染んでいい感じに仕上がっている。


(ふふん、つまり、私はとても健康なの!)


 朝、役付き官吏ルシアンは出勤時刻が遅い。


 だけど、ローゼルは逆に朝早く行きたい派。

 早く行って溜まった仕事を終わらせたい。


(別々に出勤することにルシ様は寂しがってみえたけど、しかたないよね)


 捨てられた子犬のような瞳を向けるルシアンの姿を思い出し、ローゼルはついつい頬が緩んでしまいそうになった。


 いけない、気を引き締めないと。


 一応、身も心もルシアンに捧げたけど、世間ではまだローゼルはレオーネの婚約者だ。

 こんな邪道な関係、決してバレてはいけない。


(でも、一部の身内にはバレバレだけどね)


 ローゼルは契約書が保管されている資料室へ入った。


 ――法務省管轄 資料室


 静寂な空気の中に、長年積み重なった年月を感じる匂いがする。


 ここに入るのは二回目だ。

 出入り口のカウンターには、受付の若い令嬢が一人座っていた。


 丸く大きな灰青色の瞳。

 濃い赤茶の髪は、ふんわりウェーブのかかっている小柄な子。

 ローゼルと同じくらいの身長。


 年齢はローゼルよりも少し若い。


 白い首の詰まったフリルのシャツに、グレーのIラインのロングスカート。

 外部人材用の女性の制服だ。


 彼女もどこかの商会からこのお仕事を紹介されてやってきたのだろう。


「ごきげんよう。

 ご予約はされてますか?」


 彼女は、人懐っこい笑顔を向けた。


「ごきげんよう。

 いいえ、予約はしてないです」


 ローゼルは首を振った。


「ではぁ、資料室ご利用は初めてですか?」


「あっ、えっと、ごめんなさい。

 私、法務省ライアナース大臣の補佐官なんですが、今、急遽契約審査室の応援メンバーとして働いているんです。

 それで、新規の契約書を保管しに参りました」


「あぁ、そういうことですね。

 あなたがエルド男爵代理の方! 

 なるほどぉ〜」


 彼女は、納得したようにパンと手を叩いた。


「そうです。

 早速なんですが、作業に取り掛かってもいいですか?」


「もちろんですぅ」


 弾けんばかりの笑顔を彼女は浮かべた。


(わ、若い! その笑顔が眩しいっ)


 ローゼルは、彼女の曇りのない笑顔に気恥ずかしさを覚えた。


 こういう瞬間に、自分も確実に年を取っているのだなと感じさせられる。

 懐かしいような、なんとも物寂しいような。


(私も入省当時はあんな感じだったんだよなぁ)


 何とも言い難い複雑な感情を抱えながらローゼルは、受付のさらに奥の控室に入った。


「お手伝いしましょうかぁ?」


 ひょっこりと受付の彼女が控室に顔を出して、ローゼルに声を掛けた。


「ありがとうございます。

 でも大丈夫です」


 ローゼルはやんわりと断った。


 彼女は一瞬目を見開き、口をすぼめる。


「そうですかぁ。

 何かあれば言ってくださいね。

 こう見えても、あたし、結構皆さんのお役に立ててるんですよぉ」


 勝気に宣言する彼女の口調にチクチクとした棘を感じながら、ローゼルは柔らかな笑みを、そう見える笑顔を浮かべた。


「ありがとう。

 お気持ちだけ、受け取っておきますね」


「分かりましたぁ。

 何かあれば遠慮なくおっしゃってくださいね。

 ミレイユ、待ってますから」


 手をヒラヒラさせて受付席に戻って行った。


「はぁ。どうも」


 ローゼルはさっと手元の契約書に視線を落とした。


(何あれ、あの間延びした喋り方。

 あれが可愛いと思っているのかな)


 むしろ、しっかり喋りなさいよ!って説教したいほど舌たらずだ。


 それに「ミレイユ」というのは、彼女の名前だろうか。


 自分の名前を自分で呼ぶ。

 頭の中で、自分自身のことを「ローゼルは……」なんて言っている姿を想像したら、なんだか吐き気がしてきた。


(最近の若い子のノリについていけない……)


 大きくため息をついた。


 あの調子だと他の官僚たちは、あの笑顔に負けて彼女に仕事を手伝ってもらっているんだろう。

 とはいえ、契約書は機密だ。

 この資料室の受付とはいえ、おいそれと触らせるわけにはいかない。


 実際、契約外の受付以外の仕事をさせたら違反になる。


 ローゼルはカリカリ首筋を掻いた。


 深く考えるのはよそう。

 あの子のせいで自分のペースを乱されるのは嫌だし、なによりもガチガチにルールに固めても、逆にこっちがしんどくなる。


 そもそも契約書の内容が外部に漏れているといっても、整理整頓程度では内容をガッツリ覚えることなんて到底できないはずだ。


 ウルーム伯爵が契約書の機密内容を知るとしたら、効率化を常に考える守銭奴の彼だ。

 別の、もっとスマートな方法を用いたに違いない。


 気を取り直してローゼルは、たくさん作業室にあるうちの、上官たちから教えてもらった秘密のキャビネットの扉に手を翳す。

 制服の裾の刺繍から淡い光が溢れ、やがてキャビネットの扉も共鳴するように輝き出す。


 カチッ


 奥で鍵の開いた音がした。

 やがてキャビネットの扉が開く。


 官僚の制服の刺繍は、そこの所属部署でしか取り扱えないモノの保管庫を開ける鍵の役割を担っている場合がある。

 このキャビネットも同様。


 キャビネットの中には、数々の契約の機密事項に関するファイルがしまってある。

 赤、黒のファイル。

 どちらとも歴代の契約書の名前の一覧リストが保管されている。


 ローゼルは、端にある作業机に移動して、今回保管庫にしまう契約書を片手に、リストの名前が全部あるか確認をする。


 この一覧リストは特殊な用紙でできているせいか、すべすべした手触りだ。

 それに、魔法が仕込んである特別紙。


 その時、契約書の余白に淡い光が走って、正式な契約書名が浮かび上がった。

 

「あっ、また追加された……」


 上官すべての承認が揃うと、契約書の正式名称が自動的にリストに記載されるという魔法が働いている。


 同時に、資料室内の本棚が、契約書を収めるために自動で空きスペースを作る仕組みになっていて、リストに契約書名が載ってから三日以内に契約書をしまわないと、契約審査室に催促リストが届く仕組みだ。


「えっと、黒のファイルが通常の契約書名のリスト一覧よね」


 それから赤が、今回ネックになっている皇族と直契約をした国家機密事項が絡んだ契約書リストだ。


 今回は例のディウースリィ伯爵の修正した契約書をファイリングするので、赤のファイルも触ることができた。これはそう滅多にない機会だ。


 ここには皇族と直契約を結んだ者たちの名前が載っている――。


 そう思ったら、胸がどきんとした。


 一応、ライアナース卿から、特別に赤のファイルの内容に目を通す許可は貰っているとはいえ、極秘中の極秘契約書ばかり並ぶファイル。


 できれば、そんな機密に触れることなく平穏な日々を過ごしたかった。


 きっと私はこのファイルの中に知っている名前が記されていたら、その人を見る目が変わってしまうだろう。


 知らないということは、何事も偏見なく物事を見れるということでもある。

 自分の世界が一気に変わってしまう――そんな不穏な予感がしたのだ。


 なんとなく緊張してしまう。

 ページをめくる指先がやけに震えた。 

 

「やっぱりぃ、手伝いましょうかぁ?」


 後ろから急にミレイユに声を掛けられ、ローゼルは肩を弾けるように震わせた。


「び、びっくりしたぁ……」


 ローゼルは後ろを振り返る。

 ドキドキと鼓動が加速し、瞳孔が開いていた。


「あっ、ごめんなさい」


 そう口では謝りつつも、ミレイユはローゼルの手元を見ようと覗き込む。

 ローゼルはさり気なくファイルを閉じる。


「お手伝いは大丈夫です。

 必要なら私から声を掛けますので」


 ローゼルは引き攣る顔で必死に笑顔を作ろうとした。


「そうですかぁ。

 わっかりましたぁ」


 ミレイユは軽口を叩きながら、名残惜しそうにローゼルの手元をチラチラ見ながら引き下がった。


 彼女が去ってから、ローゼルはその場にへなへなとしゃがみ込んだ。

 

(あぁ〜、本当驚かせないでよぉ。

 まったく、あの子、何なの。

 そもそも契約書を『外部人材』が触ってはいけないって知らないのかしら)


 イライラしながらローゼルは立ち上がり、再び机に向き合う。


「いざ」


 ローゼルは唇を舐めた。


 閉じたファイルをもう一度開き直し、ゆっくりと今回保管する契約書名が記載されているか確認をする。

 同時にどんな貴族が皇族と契約をしているのかリストに目を通す。


 ――前ディウースリィ伯爵同様、国家機密に関わる領主たちが狙われている。

 あの魔物に襲われた全員、国家機密級の稀少な資源採掘関係で、軍事とも深く関わる鉱山資源を持つ領主ばかりだ。


 ルシアンの声が頭の中で反芻される。


 リストの更新日を見る。


 確かに、ディウースリィ伯爵家以外にも四つの契約書が新しく更新されている。

 しかも、変更内容は爵位譲渡。


 ということは、ディウースリィ伯爵家含め、領主が少なくとも五人、あの魔物――ローゼルを襲った魔物に殺されている。そういうことだ。


 どくん。


 五人もの貴族が亡くなっている。

 しかも、弱小貴族ではない。

 名前を見る限り、ローゼルでも知っているほど、かなり有名な大貴族ばかりだ。


 心臓がやけに大きな音を立てた。


 冷たい汗が背筋を伝う。


 大貴族の領地へ帰還の際、強靭な護衛がつく。

 それでも殺されてしまった——


 あの魔物に遭遇したときの恐怖がローゼルの中で蘇った。


(私、本当に運が良かったのね……)


 ふと、ひとつの名前が飛び込んできて、さらに心臓の音が大きくなった。



 契約者 ナージュ・ウルーム伯爵

『契約名:熔岩晶鉄《ようがんしょうてつ》武具製作協定』



 武具製作。

 これは父と共同事業の魔剣製作のことを指しているのだろう。

 じゃあ、ウルーム伯爵領地で採掘できる鉄鉱石は、稀少な鉱物になるのか。


 それは、次期ウルーム伯爵夫人として教育を受けてきたけど、初めて知る事実。

 愕然とした。


(知らなかった……)


 ローゼルはしばらく絶句してしまった。


 あの時も感じた違和感。

 

——最近金も採掘できたとか。

 ちなみに……これ、あなたの錬金術で作った模造品なんてことありませんよね? 

 あの周辺領地から偽造金貨の報告もちらほら出ているんですよ。


 ルシアンたちが押しかけるようにやってきた王宮サロンで、彼がウルーム伯爵に突きつけた新たな罪。

 錬金術で金を無断で生成するのは、経済秩序を乱す行為として罰せられる。


 あれもローゼルにとって寝耳に水だった。


 ローゼルを襲った、あんなおぞましい魔物を生み出した技術にウルーム伯爵が絡んでいる—— 


(私はまだあの家について、領地についてまだまだ何も知らされていなかったんだ……)


 あれだけ一生懸命、何年もかけて覚えた次期ウルーム伯爵夫人としての知識と教養。

 それ以上に大切な次期領主妻としてのことは、何一つ知らない。 

 

 ルシアンに見初められることなく、レオーネの妻になっていたら——


 ゾッとした。


(もう、早くウルーム伯爵、戻って来て魔法騎士団にすべて話しちゃってよ)


 ローゼルは複雑な感情を押し殺しながら、手際よく元に位置に赤と黒のファイルをしまった。

 契約書を指定の棚にしまおうとして、作業室を出る。


 部屋の奥、契約書を保管する棚が並ぶ広間へと進んだ。


 途中、すれ違いざまに受付カウンターに目をやると、受付の彼女——ミレイユはうたた寝をしていた。


「……」


 呆れた。こんなところで寝るなんて。

 一応、この子だって貴族令嬢でしょ。


 つい先日強姦魔に襲われたローゼルとしては、ちょっと信じがたい光景だ。


 それ以前に、いくら資料室を訪れる人が少ないからって、業務中に居眠りをするなんて言語道断だ。

 しかも、ここに座っているだけでお給料が発生している。


 ローゼルは小さなため息をついた。


 なんか不条理だ。


 真面目にあくせく働いている自分と、居眠りしてもそこにいるだけでお給金が発生する彼女。


『外部人材』の彼女と『正』帝国公務員のローゼル。


 当然立場が違うし、そもそもの契約形態も違う。

 比べても仕方がない。

 そう思うのに、腑に落ちない。


 ローゼルは黙々と契約書を指定の棚にしまっていく。

 

 静かだ。


 床の絨毯が音を吸収するからかローゼルの作業音しかしない。

 それと時折聞こえるいびき。


 受付で気持ちよく眠るミレイユに、ローゼルは呆れた。


(爆睡しすぎでしょ……)

 

 あの子は要注意だ。


 さっきも私の資料を不用意に覗き込もうとしたり、無邪気に「手伝う」と言いつつ、思い切り覗き込もうとする不自然な素振りがあった。


 悪意はないにしても、彼女から「一言私に言えば手伝ってあげるのに」という目に見えない傲慢さが透けて見えて、それがやけに気に障った。


 ローゼルは彼女の性格を分析する。


 たぶん、あの子はわりと勝気で天真爛漫。

 見た目も可愛いからこそ、その魅力を十分承知している女の子だ。


 これは女の勘と言えばいいのかしら、ああいう子にありがちな打算が働き、男に媚を売る。


 それに、あの子は間違いなく口が軽いステレオタイプだと思う。


 ここだけの話だよ。と内緒話を打ち明けても平然とその話を他人に面白おかしく軽々しくしゃべっちゃう、そんな感じがプンプン臭う。


 情報が漏洩しているかもしれない疑惑——『外部人材』の彼女には、知られない方がいい。

 ここでの出来事は彼女を斡旋した商会に筒抜けの可能性だってある。


 ローゼルは次の契約書を手に取った。


(えっと、これは赤ファイルにリスト名があったものだからあっちの特別棚よね)


 一番部屋の奥まった棚に向かう。


 ここは法務省でも極限られた人物しか触れられない棚だ。

 だけど、ローゼルはその一人として登録されているから問題ない。


 ふと、背中が凍りつくのを感じた。


 何かが蠢《うごめ》いている。

 そっと後ろを振り返る。


 しんとしていた。


 もちろん誰もいない。

 居眠りをしている受付の彼女だけ。


 窓の外は初夏の爽やかな風で葉が揺れ、光がきらめく。

 太陽が雲から顔を出したようだ。


 見られているなんて、気のせいよね。


 ローゼルは部屋の中に視線を戻す。

 とはいえ、なんとなく肌寒さを感じた。


 窓の外とは別世界のように薄暗く、どこか重苦しい空気が漂う。


 静寂。


 それなのに、何か見られているような気配がする。


 なんとも言いようのない緊張感が込み上げる。

 急に、ざわざわと落ち着かない気分になった。 


 ローゼルは急いで作業に戻った。


 その途端に、強く、ヒリヒリする電流のようなものが走った。


 この感覚。


 まるで、あの時に似ている皇族会議で、隠匿魔法を見つけた時に似ている――ローゼルはぶるりと身体を震わせた。


 ねっとりとする空気。

 ものすごく嫌な感じがする。


 その時、ローゼルの頭の中で、何かが確実にカチッと噛み合う。


 なんだっけ。


(そうよ、あれに瓜二つだ)


 あの状況、そのものだ。


 この部屋のどこかにあの時の隠匿魔法が仕掛けられている――


 まさかね。


 背中に冷たい汗が流れる。


 うん、ありえない。

 ここにそんな魔法が仕掛けられていたとしたら、それはそれで王宮魔術師や魔法省あたりが大騒ぎしているはずだ。


 ローゼルは困惑する気持ちをぐっと抑え、ふとそっと受付の彼女を見た。

 未だに無防備に眠っている。


 緊張感がない子だなぁ。

 あの子、この奇妙な感じを何も感じていないのかしら。


 でも、よくよく観察すると、彼女の魔力をほぼ感じない。

 十中八九、魔法が使えない令嬢だ。


 だからだろうか。

 この異常な状況をあの子に知られてはいけない。

 

 そんな直感がローゼルにはあった。


(とりあえず、私はやることだけ先にやっちゃおう。

 考えるのはあと)


 ローゼルはテキパキと新しい契約書をしまい終えた。

 次に、期間満了になった契約書も回収しなくてはならない。


 一冊の契約書を手に取る。


「あっ」


 ひらりと、契約書を床に落としてしまった。


 ローゼルは慌てて、拾う。

 その時、絨毯に指先だけ触れた。


 瞬間、ビリビリした何か見えない微弱な刺激が指先にあたった。


 ローゼルは驚いて、パッと手を離した。


「なに? いまの……」


 ローゼルは自分の手をまじまじと見た。

 何が起きた?


 けれど、この奇怪な感触。


 私、知ってる。


 だけど、どうしてここでそれを感じるの?


 ——まさか。

 そんなわけないよね?


 ローゼルは自分の閃いた考えを打ち消すために、もう一度絨毯を撫でるように触った。

 だって、ありえないもの。


 ざわっ。


 軽い刺激が再び走ると同時に鳥肌が立った。

 気味の悪い不可解なものに触れた時の不快感が残る。


 ローゼルは必死で周囲に視線を走らせた。

 

 もし、そうなら、あの時みたいに目を凝らせば見えるかもしれない。


 どこに仕掛けられている?

 

 そう思ったら、自然と足元に目が吸い寄せられた。


 美しく一針一針縫われた刺繍。

 それはどこか文字にも見える。


 まるで木目や壁のシミが人の顔に見えて怖くてたまらない——そんな幼い時の記憶。


 まじまじと眺めているうちに、何かが張り巡らされている感覚が走った。

 ハッキリと見えるわけではないけれど、魔力の流れが歪んでいるのを僅かに感じた。


 ローゼルは、ハッとして絨毯から離れた。


 自分の推測が違うことを願いながら、間違いであると打ち消すために、ローゼルは椅子の上に乗って立ち上がった。


 お行儀が悪いけれど、この際誰も見ていないからいいよね?


 そう自分に言い訳をする。


 これで少しだけ部屋全体が見渡せる。

 胸の鼓動がどんどん加速する。


 そして、俯瞰するように床に張り巡らされた一枚の絨毯を遠くから眺めた。


「嘘でしょ……」


 思わず声が出た。

 資料室全体の絨毯の刺繍――模様だと思っていたそれは、巨大な魔法陣だった。


 これ、見覚えがある。

 まさに皇族会議で見つけた魔法陣と同じだ。



 隠匿魔法――。

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