第10話 子リス女官と、老婆心の大臣
「よかったんですか?
子リス女官をエヴァン・ゴルマン伯爵のところに向かわせて」
ローゼルがユーモネア領地に出発したころ、ローゼルの教育係のイーサン・モーデッリアがライアナースの執務室に現れた。
「子リス……。
ああ、イースティリア女官のことか」
ライアナースは一瞬だけ視線を投げ、すぐに手元の書類へ目を戻す。
「はい。大臣もご存じでしょう?
本人は一向に気づいていませんが、王宮内では騎士たちから密かにそう呼ばれているって」
「まあな」
小柄で華奢。甘く整った容姿と、蕩けそうな蜂蜜色のぱっちりした瞳。
明るめの栗色のウェーブ髪を高い位置で結い、執務塔を駆け巡る姿は小動物のように愛らしい。
特に結い上げた髪はリスの尻尾のように見えると騎士たちから揶揄されている。
彼女は、いつの間にか“子リス女官”と親しまれるようになっていた。
華やかさ、きらびやかさ。
そこは少々欠ける彼女だが、騎士が妻として求める条件の堅実で実直、貞淑さ。
安定感のある令嬢だ。
「まさに、時折見せるあの子の愛嬌ある笑顔は、騎士たちの庇護欲をそそりますからね」
モーデッリアは肩をすくめた。
「だろうな」
ライアナースは呟きながら、羽ペンを動かした。
「あの子は、筋骨隆々の騎士たちを虜にしている、そう言っても過言ではありませんよ」
コツコツと靴音をたてて、モーデッリアはライアナースに近寄る。
その一方で、彼女は官僚の間でも、不屈の粘り強さと思慮深い観察力で一目置かれている実力者。
このライアナース卿のお気に入りでもある。
「そういえば、エヴァン・ゴルマン伯爵はつい最近まで魔法騎士団の一人でしたよね」
モーデッリアはもったいぶった口調で話し掛ける。
「ああ、そうだったな」
「確か、彼は昨年起きた皇族会議の爆発未遂騒動でイースティリア女官と共に爆弾魔法陣を破壊した騎士だったと思うんですが」
「そうだったかな?」
煮え切らない態度のライアナースに、モーデッリアは苛立ちを抑え、眼鏡の縁をくいっと上げた。
(さては、この御仁。
意図的にローゼル・イースティリアをユーモネア領地に向かわせたな)
「ライアナース卿。
わざと彼女に行くよう命じましたよね?」
率直に尋ねるモーデッリアに、ライアナースはちらりと見上げた。
それから椅子にもたれかけて笑った。
「はは、気付いたか。
さすがイースティリア女官の教育係だな。
エヴァン・ゴルマン伯爵のこと、ちゃんと憶えていたか」
「そりゃあね。
あれだけ派手にほぼ毎日求婚し続ければ……」
モーデッリアは苦笑する。
「あれは盲目的に恋した男の目でしたね。
婚約者がいても構わず、彼女になんとか取り入ろうと必死だったというか……」
彼のあの熱量に押され、ローゼルは気の毒なほど辟易していた。
「あの子が押され気味で困り果てていたのは気づいているよ」
ライアナースは苦笑を浮かべながら、頭の後ろで両手を組んだ。
「じゃあ何で行かせたんですか?」
モーデッリアの口調に怒りが滲んだ。
「そう、イライラするな。
私はただあの子の自尊心を取り戻させたいだけだよ」
「自尊心?」
「そうだ。
先日の王城での夜会、婚約者ウルーム伯爵子息の醜聞は聞いてるよな?」
「はい、もちろんです」
レオーネ・ウルームが婦女暴行疑惑で騎士団に連行されたのは、記憶に新しい。
「まったく、最低な野郎だよ。
イースティリア子爵もさすがに婚約続行は渋っているらしいが、ウルーム伯爵は金銭援助をちらつかせて婚約破棄を避けようとしているらしい。
ならば、この際、イースティリア女官を大切にしてくれる男が一人くらい現れて、この婚約を破棄する突破口を作ってくれてもいいんじゃないか、と思ってね」
ライアナースは頬杖をつく。
「で、そのままその男が彼女の強力な後ろ盾になってくれたら最高だ。
まあ、いらぬ老婆心かもしれんがね」
「なんだか父親より父親らしい発言ですね」
モーデッリアは苦笑した。
「そりゃあ手塩にかけた部下だからな」
「だったら、もっといい男がいたでしょ?」
皮肉めいたモーデッリアに、ライアナースは笑い飛ばした。
「はっはっは!
まあまあ。案外ああいう熱血漢と一緒になった方が幸せになれるかもしれんぞ。
あの子は婚約者があんなんだから、変に自己犠牲することに慣れすぎている」
「それは同感です。
見てくれだけ麗しく、だが中身が腐った玉子みたいな男です。
あの男に彼女はもったいない」
「おお。珍しい。
随分と毒を吐くな」
ライアナースは手を叩いて、身を乗り出した。
「そりゃあ、先輩として、散々愚痴を聞かされましたからね。
正直、なぜ真面目なイースティリア子爵が評判の悪いウルーム伯爵と縁を結んだのか不思議です」
モーデッリアは眉をひそめた。
「実は私もその点、ずっと疑問だったんだ。
いくら共同事業をしているとはいえ、いささかアンバランスすぎる」
神妙な顔つきでライアナースが言う。
イースティリア子爵家は決して高位貴族ではないが、建国以来皇族に忠誠を誓う由緒ある家門だ。
度々、陞爵の話もあったが、上流階級の社交を嫌い、常に中立の立場で王宮執務に励んできた。
「あの子の父親メイット・イースティリア子爵は、生真面目だからな」
「まさにイースティリア女官の生真面目さは、父親譲りなんでしょうね。
それに彼の中性的な美貌も」
「そうだな。
だが、婚約者の父ナージュ・ウルーム伯爵は魔法は使えないが、魔道具や錬金術の天才。
とはいえ、銭ゲバで過激派思想」
「ええ。軍部からも危険視されてます」
「とはいえ、グロウディーナ公爵の後ろ盾があり、社交界では表沙汰になることはない」
ライアナースの言葉に、モーデッリアは大きく頷いた。
「まあ、今回ウルーム伯爵令息の不祥事、婚約破棄するには絶好のチャンスだ。
ここらで、あの子の自尊心を高めてよりいい男を捕まえてもらわないとなあ」
「ですが、それがゴルマン伯爵ですか?」
モーデッリアは不服そうに顔を歪ませた。
「なんだ、先輩として納得いかないか?
俺は案外あの熱量が、あの子を変えるキッカケになると思ったんだがなぁ」
「私としては、いま専ら宮中で噂になっているのは、ゴルマン伯爵の元上官であるルシアン・クレインバール卿です。
あの子には、なんとなくクレインバール卿の方がお似合いな気がします」
「ああ、そういやあ、そんな噂があったなぁ」
ライアナースは顎を撫でる。
「だが、あの噂はどうも嘘くさい。
だいたい前々からイースティリア女官に懸想だなんて美談すぎると思わないか?
実際、奴が本当にイースティリア女官に想いを寄せていたのか疑わしい」
「そうですか?
先日の夜会でイースティリア女官とクレインバール軍師閣下が躍っている姿、僕は見ましたよ。なかなかのお似合いでしたけど。
ライアナース卿だって御覧になってたでしょ?」
「ああ、まあな。私だって見た。
確かに、あの鬼軍師がやけにイースティリア女官に親切だったよな。
けど、年齢がなぁ、八つも離れてるだろう?」
「世間では、父親の年齢以上の貴族男の後妻に嫁ぐ令嬢もいるぐらいです。
それに比べれば全然マシだと思いますが?」
「だがなぁ……」
ライアナースは声を潜める。
「ちょっと小耳に挟んだんだが」
「え?」
「どうやら奴は城下町の情報を貰うためだとか言って、娼婦に通っている下半身暴走男らしいんだ」
モーデッリアも思わず音量を落とす。
「ああ、なるほど。
そっちを気にしてるんですね」
「そうだ。あの子にはちゃんとした殿方の元に嫁いでもらいたいからな」
「ますます父親ですね」
クスクスとモーデッリアは笑う。
「とはいえ、魔力の多い若い魔法騎士は血気盛んだと聞きますよ。
だいたい、それもどこまで本当かどうか疑わしい話です」
「いいや、あれは絶対定期的に通ってる。
顔で騙されてはならない」
ライアナースは強い口調で言った。
「ほう、随分と言い切りますね」
モーデッリアは意外そうな顔をした。
ライアナースはやけに自信のある表情で言い切る。
「あの顔で女性経験がないなんてあり得ない。
イースティリア女官には品行方正で健全な男の方がお似合いだ」
「浮気して他の女のところに通う男より、分かりやすく娼婦館で発散してる男の方が幾分かマシだと思いますけど」
「いやいや、だめだ。
あれは相当食わせ物だ。
先日話してみてよく分かった」
ライアナースは、頭をカリカリ掻いた。
「先日?」
「ああ、この前の皇族会議のテロ未遂事件の最終調書でここに来たんだ」
「へえ、クレインバール卿直々に? 珍しい」
「私もそう思ったよ。
てっきり彼奴の腹心、第2騎士団団長か近衛隊長の第1騎士が来ると思ってたんだがな。
多分、あれはウルーム伯爵令息の婚約者のイースティリア女官の最終身元確認だ。
あの男、彼女のことばかり聞いてきたぞ」
「それって……まさに噂通り、イースティリア女官自身に興味があったからじゃなくて?」
「いやいや、あれは……うーん……」
ライアナースは否定しようとするが、言い淀む。
束の間、逡巡してから呟く。
「言われてみれば……あの子の好みのお菓子を聞かれた」
「おぉ、ほら。
やっぱり噂通り、イースティリア女官に夢中なのかもしれませんよ」
「いや。仮に、だ。
もし奴とイースティリア女官が結婚したとするぞ、いずれはあの子は死地と呼ばれるクレインバール領土へ妻として行かねばならなくなる。
あれだけ優秀な子をあの地に行かせるには抵抗がある」
「なるほど。
それで王都近くで、穏やかな気候と豊かな土壌を持つ領土の領主、エヴァン・ゴルマン伯爵を推したわけですね」
「……まあ、そういうことだ。
彼は誠実だぞ。
婚約者を放って浮気を繰り返す不誠実な男より、熱量のある暑苦しい男の方が断然マシだ。
クレインバール卿よりも彼の方がイースティリア女官と年齢も近い。
絶対話が合うはずだ」
ライアナースは断言した。
「すごい言い切りですね。
ですが……、僕はやっぱり無理があると思いますけどね。
どこか醒めているイースティリア女官とゴルマン伯爵。
かなり温度差がありすぎますよ。
追い詰められた子リスはいつも怯えてましたし」
モーデッリアは探るような目つきで見た。
「なに、お膳立てはした。
あとは本人同士の問題さ。
何かあればこのライアナース伯爵が一肌脱ぐつもりだ」
ライアナースは羽ペンを持ち、再び書類に視線を落とす。
そのとき、ドアをノックする音が響いた。
ライアナースが「はい」と返事をする。
「し、失礼します!」
騎士の軍服を着た若い男が息を切らして入ってきた。
「お忙しいところ恐れ入ります。
先触れもなき突然押し入る非礼、お許しください」
深々と若い騎士はお辞儀をした。
ライアナースは一瞬眉をひそめた。
だが、騎士のただならぬ様子に緊急性を感じ、手元の書類を置いた。
「どうした?
騎士殿が直接ここにお越しになるなんて珍しい」
「あのっ、本日我が省の女官が一人、ユーモネア領地に出張予定だったかと思いますが、それは間違いないですか?」
「ああ、申請はすでにしてあるから問題なく外出できるはずだが?」
「実は、先程ユーモネア地方周辺の街道にて魔物出没の知らせがあり、急遽中止をお願いに参りました!」
「は⁉ 街道に魔物⁉」
ライアナースは立ち上がった。モーデッリアは目を見開く。
背中にひんやりとした汗が走った。
「我々騎士団も先程知らせを受け、ただいま魔法騎士団が討伐に向かうところです」
「まずい。
すでに一時間前にイースティリア女官は出発している」
ライアナースは焦った表情で呻くように呟いた。
タイミングが悪ければ、ローゼルは魔物と遭遇してしまう。
執務室の空気は一変した。
ユーモネア領地へ向かったローゼルの安否が二人の胸を締め付けていた――。




