第90話ー嵐の前の夕食ー
ご無沙汰してます。
不穏な匂いが渦巻く福州ですが、ひと時の安らぎもあります。
また次回をお楽しみに!
凪の風亭は、福州の港湾区にほど近い高台に建っていた。白壁に濃紺の瓦屋根。雨上がりの石畳が月光を反射して、宿全体が静かに光って見える。
入口には、従魔用の厩舎と、大型従魔用の専用スペースまで備えられていた。
「おぉ、ここなら白曜様たちも安心して休めそうだな。」
とヤオが感心した声を漏らす。
白曜は、
「狭苦しい檻ではないのは評価できます。」
と鼻を鳴らし、黒曜も、
「潮風も悪くありませんね。」
と満足げに尻尾を揺らした。
宿の中へ入ると、暖かな灯りと、魚介を煮込む香りが一行を包み込む。
港町らしく、どこか塩気を含んだ空気だった。
受付にいた恰幅の良い女性店主が、縁たちを見るなり目を丸くした。
「随分若いお客さんだね……って、従魔付きかい!?」
そして視線は自然と縁へ向く。
「まさか冒険者様かい?随分と若いね。うちは割と高いけれど大丈夫かい?」
縁は軽く冒険者カードを見せながら、
「私と弟子3人と従魔2体。数日世話になる。」
と告げた。
店主は全員の冒険者カードを見た瞬間、一瞬だけ息を呑んだ。だが流石は高級宿の主人、すぐに営業用の笑みに戻る。
「なるほど。ただもんじゃないと思っていたよ。ぜひ、最上階に泊まってください。港が見える静かな部屋です。」
と手際よく鍵を取り出した。
部屋へ向かう途中。
福州の夜景が廊下の大窓から見えた。
遠くには巨大な港。
無数の帆船。
揺れる灯火。
微かな潮風。
そして――街の北側だけ、異様に暗い。
ユエがその方角を見つめながら、
「……あそこがスラム街?」
と小さく呟く。
縁は歩みを止めず、
「あぁ。臭いの中心地だろうな。」
と低く答えた。
ヤンガは不安そうに窓の外を見つめる。
「なんだか……あそこだけ、街が泣いてるみたいですね。」
その言葉に、縁は少しだけ目を細めた。
「部屋を確認して、荷物を置いたら食堂に行って待っててくれ。先に食べていてもいいぞ。」
そう皆に伝えると、縁は部屋に入った。
ーさすが高級な宿だ。鏡のあるデスクに、マットレスのベッド。ゆっくり休むにはちょうどいい。ここまでは、あの匂いは来ないからな…。ー
部屋を見渡し、デスクに今必要ない荷物を置く。そして窓から見える景色をじーっと見つめる。
ー街が泣いているみたい…か。ー
縁はヤンガの、心を痛めたような表情を思い出しながら、過去を思い出していた。
縁の、過去。
あの魔術的処理を施された阿片は、何度も嗅がされた。そして体が阿片に反応しなくなるまで、それは続いた。縁の記憶には、ブレブレになる思考と、耐性がついて思考がクリアになっていく過程だけが残っていた。
ー阿片やコカイン、戦争が起こる前に度々でてくる薬…。まさかここで出会うとは。この港湾都市に魔術的処理の阿片…きな臭いな。後ろで操っている奴らがいる…。ー
僅かに差し込む月の光に照らされる、腕組みした縁。それは冷ややかな彫像のように、微動だにしない。
「師匠?ししょう!みんなで待ってたんですけど、どうしました??」
ヤオの心配そうな声とともに、扉をノックする音がする。
縁はハッと我に返った。そして扉を開き、
「すまんすまん!少し考え事をしていたんだ。もうなんか頼んだか?」
と顔を出した。ヤオは、
「海の魚はさっぱりなんで、師匠に見てもらおうとメニュー見てました。」
と無邪気に笑った。縁はなんだか胸が温かくなり、
「おう!任せろ。美味しい魚介類を選んでやるよ。」
と微笑んだ。
食堂に行くと、ユエとヤンガがソワソワした様子で待っていた。
「師匠!お腹ぺったんこですよ!海の食材は全くわからないんで、お願いします!」
とユエがメニューを差し出す。縁は苦笑いをしながらメニューを開く。
そこには色とりどりな海鮮料理が並んでいた。
「うーん。なかなか充実したラインナップだ。私は清蒸魚がおすすめだな。魚が選べるのか〜。そうだな、お前たちが食べたことがない、深い海にいる金目鯛の清蒸魚とかどうだ?蒸し上がるのを待っている間に、海鮮チャーハンとか頼もう!」
縁は腹ぺこの若い弟子たちのために、さささっと注文を済ました。弟子たちは聞きなれない料理名と、具材に興味津々だ。縁は料理を待つ間に、白曜と黒曜にモンスターの肉を与えてきた。
先に来たのは4皿の大盛り海鮮チャーハンだった。エビ、イカ、アサリが入った海の香りが濃厚なチャーハンだ。更にニンニク香る空芯菜の炒め物と、トマトと卵の炒め物が大皿で届いた。
「香りの暴力〜!!!」
とヤンガが目を輝かせる。ヤオとユエも同様だ。縁は、
「クックックッ」
と思わず笑ってしまう。
「さぁ早く食べよう!メインディッシュはまだだぞ!」
縁は小皿にそれぞれ取り分けて言った。
海鮮チャーハンが半分をきった頃、
「金目鯛の清蒸魚だよ〜。ネギ油をかけるから、ちょっとどいてね。」
白い料理服を着た柔和なおじさんが、笑って言った。身を乗り出していた4人はちゃんと体を反らせる。料理人は、ふっくら蒸しあがり脂がてらてらと光る金目鯛に、ネギ油をかけた。
「ジュワッ!ジューーー!!!」
油の跳ねる音が耳に心地よい。
「はい!完成だよ!暑いうちに食べて食べて!火傷しないようにね!」
と料理人はどこか得意げに言った。
縁は添えられたトングを手に、弟子たちに取り分ける。ネギ油と熱せられた香味野菜が渾然一体となり、金目鯛をより美味しく際立たせる。ヤンガは一言、
「美味しそうなんですけど、この魚すごい色ですね。こんなに赤くて他の魚に食べられないんですかね?」
と好奇心を覗かせる。縁は、
「食べながら説明してやるから、早く食べよう。」
と苦笑した。弟子たちは恐る恐る金目鯛を口に運ぶ。そして、
「うっま!!!!」
「んんんんんー!!!」
「あっちちち!」
三人三様なリアクションをした。縁は金目鯛ならではの、上品な甘みのある味に舌づつみをうっている。
3人の興奮が少し覚めた頃、
「上手いだろ?金目鯛。」
と縁は微笑んだ。
「脂が上品でしつこくないのに、魚自身の味がしっかりしますね!」
とヤオ。
「ネギ油と香ばしく焦げた金目鯛の皮が、ほっぺた落ちそう!」
とユエ。
「金目鯛の生態も気になりますが、海の魚は魚ごとに風味が違っていいですね〜。」
とヤンガ。
縁は素直な弟子たちのリアクションに、
ーほんとに、可愛げがあるなぁ。ー
と思いながら、ヤンガの質問に答えてやった。
楽しい夕ご飯の時間も、長くは続かない。縁たちは夕方の暗い話を忘れるくらい、この時間を楽しんだ。
明日は…人の闇に踏み込むことになる。それを知っているのは、縁だけだった。




