八話 あの時の死体
二人の語る前の住民――
『ハル』が死んで肉塊となり、この床でバラバラになった事を知っているのは僕だけだ。
僕は、さっきからギョロギョロと目玉を動かして杏奈や翔太を見る黒いモヤに視線を向けた。
「なんでハルの荷物がこのままになってるんだ?」
「あっ……それはそういう契約だったんです」
三葉はこの部屋に入居した経緯を二人に語った。
養護施設出身で、金銭的に厳しかった三葉。
彼女が知り合いから内密にと勧められたのがこの物件だった。前の入居者が『夜逃げ』して荷物がそのままになっているという事で、通常よりも安く入居したという。
荷物どころか、殺されてバラバラになった被害者の霊と、名もなき地縛霊が二体もセットで憑いているけどな。
そう心の中で毒づいた。
「三葉ちゃんって見かけによらず図太いんだね……逞しいっていうか」
「荷物も全然入れ替えてないでしょ。だって前ハルの家に来た時と、殆ど変わってないもん」
ハルの服を『オーバーサイズだ』とそのまま着たりしている普段の三葉を知っている身としては、大いに同感だった。
三葉はそんな二人に対して「勝手に捨てていいのか分からなくて、そのままなんです」と苦笑いを浮かべる。
「お二人は……ハルさんの部屋によく遊びに来ていたんですか?」
「ううん。私は来た事ないよ。翔太だけ」
杏奈は首を振って、伺うように翔太を見た。
「いなくなった時も、家を知っていた翔太が休みの日に様子を見に行ってくれたんだよね」
「ああ、チャイムを押しても返事はなかったけどな」
翔太はため息を吐き、視線を床に落とした。
そんな重たい空気を蹴散らすように、キッチンからトレイを持った海斗が現れる。
「ほーら! キッチン担当海斗様の特製おかゆができたぞ。三葉ちゃん食べられる?」
「あ……はい。ありがとうございます」
「美味しさは保証するよ。それで、なんの話?」
海斗が三葉の前に丁寧にトレイを置き、スプーンを差し出した。杏奈は海斗を睨みつけながら「あんたが知らない、前にいたバイト仲間の話だよ」と雑にあしらう。
「この部屋、去年失踪したバイト仲間の部屋なんだ。家具も私物も残したままで、今は神崎さんが借りてるんだって」
「マジで? あー確かに、家具がイメージと合ってないもんね。三葉ちゃんはもっと可愛い部屋が似合うと思うもん」
論点はそこじゃないだろ。この金髪頭。
三葉は海斗から受け取ったスプーンを握ったまま苦笑いを浮かべた。
海斗は前の住民の話題なんて自分には関係ないというように「そんなことよりも食べてみて」と三葉を急かす。
促された三葉は、おかゆを掬って慎重に口に運んだ。
「美味しい……」
「惚れちゃいそうだろ?」
「海斗はまだキッチンに入って三ヶ月でしょ。って……そうだ! 忘れる所だった」
誇らしげな顔をする海斗を一蹴した杏奈は、持ってきた鞄から銀色の包みを取り出した。
テーブルの上で丁寧に包みを開くと、中からプラスチック容器に入ったプリンが現れる。
「これ、居酒屋から貰ってきたんだ。よかったら食後に食べて?」
「あっ、それって泥棒だ。店長にチクっちゃおうかなぁ」
「廃棄寸前のやつだから大丈夫ですぅ! それに店長からちゃんと許可も貰ったもん。文句ある?」
杏奈と海斗の軽いやり取りに、三葉から笑いが漏れた。
「たくさんありがとうございます。迷惑かけちゃったのに……」
「全然いいって! はい、これ……」
「杏奈、『写真』は撮らなくていいの?」
プリンを手渡そうとする杏奈に声を掛けたのは翔太だ。杏奈は「あっ」と声を上げ、手を引っ込める。
「忘れてた! 三葉ちゃん。一枚だけ、写真撮っていい?」
杏奈は三葉に断りを入れてスマホを取り出した。テーブルの上にプリンを置き、周囲の物を端に寄せる。次にカメラアプリを起動した彼女は、色彩を丁寧に調整しプリンだけの写真を撮った。
「えっと……バイト仲間のお見舞い……早く良くなって……」
画面の上を、高速で動く杏奈の指。
何をしているのかと覗くと、どうやらプリンの写真をSNSに投稿しているようだ。他の三人は杏奈の行動に慣れているのか、ただその様子を見守っている。
「よし、投稿できた! 撮らせてくれてありがと。早く良くなって戻ってきてね。三葉ちゃんがいないと、私寂しくてさ」
「俺の方が寂しいけどね」
笑顔のまま再びバチバチと火花を散らし合う杏奈と海斗。
その二人の間に割って入ったのは翔太だった。眼鏡の奥に威圧的な笑みを浮かべて二人を黙らせる。
「ほら、二人とも。そろそろ帰るぞ。神崎さん休めないだろ」
「う……そうだね。また来るよ」
「俺はこのまま一晩中看病するよ。まだ辛そうだし、食材も沢山買ってきてるからさ……って、痛ったぁ!」
翔太は、海斗の頭に容赦なく拳骨を落とし、引きずるように外へと連れ出した。その後ろで、杏奈が「また居酒屋でね!」と軽やかに手を振る。
「ありがとうございました! お気をつけて……!」
見送る三葉の前で、静かに扉が閉まった。
三葉は緊張から解放されたように小さく息を吐き、鍵を閉める。
「ふぅ……みんなに心配かけちゃったね。ユーレイ君も、静かにしていてくれてありがとう」
振り返った三葉は、虚空を見上げながら僕に話しかけた。気にするなと伝えたくて、僕はコツンと壁を小さく鳴らす。
……嵐のような連中だったな。
病人の部屋なんだから、もう少し手短に済ませろよ。
三葉は居間に戻って、ゆっくりとおかゆの続きを食べ始めた。完食した後は、嬉しそうに杏奈の持ってきたプリンに手を伸ばす。
「店長の特製プリン美味しいの。嬉しいな……」
顔を綻ばせながら食べる彼女を静かに見守りながら、僕は部屋の隅にいる黒いモヤに視線を向けた。
お前の名前、ハルっていうのか?
話しかけても、やはり返事はない。
黒いモヤの目玉は僕に一瞥をくれることもなく、三葉だけを捉えていた。
「ちょっとシャワー浴びてくるね」
食べ終わった三葉は食器をシンクに片付け、着替えを持って浴室に向かう。
全部食べられたみたいで良かった。
行ってらっしゃいと彼女を見送って、僕は黒いモヤと改めて向き合った。
お前さ。
どうしたい、とかないの?
犯人を見つけたいとか。
まぁ、部屋からも出られない僕に出来ることなんてないけどさ。
しつこく問いかけると、黒いモヤが僅かに膨らんだ。一塊になっていたモヤは、火の粉を散らすように黒い粒子を宙に舞わせる。
こいつと出会ってから、初めて見る反応だ。
話したい事があるのか……?
再び問いかけるが返事はない。黒い粒子を散らしながら、ただギョロギョロと目玉を動かすだけ。
言葉を理解している訳じゃないのか?
僕はため息をついて、三葉が出てくるのを待った。しばらくして、脱衣所のカーテンが開く音がする。
「どうしよう……すごく……眠たい」
現れた三葉は、ふらつきながら居間に入ってきた。髪は濡れたまま雫を垂らし、目も明らかに虚ろで様子がおかしい。
三葉、どうした!?
また熱!?
手助けをしようと手を差し出しかけて、踏みとどまった。彼女に触れると、またあの温もりに包まれてしまう。
直感でわかる。
アレは、生者にとって良くない行いだと。
僕はせめてベッドまで頑張れと、必死に掛け布団を叩いた。バンバンという乾いた音に導かれるように、三葉はベッドに倒れ込む。
「ごめん、ちょっと……急に眠たく……なっちゃって」
消え入りそうな言葉を最後に、三葉は寝息を立て始めた。
顔色は昨日の最悪な状態に比べたら決して悪くない。薬も飲んだし、食欲もあった。
それなのに、こんなにも突然の眠気に襲われるなんてことあるか?
振り向くと、黒いモヤはうぞうぞとその場で小さく蠢いている。喜んでいるようにも、焦れているようにも見える不気味な動きをしていた。
何かがおかしい――
嫌な胸騒ぎがする。
僕はひとまず電気を消して、三葉の様子を伺った。何もできないことは分かっているけれど、気が気じゃない。
それから――数時間ほど経っただろうか。
不意に、扉の外で人の気配を感じた。
深夜だから足音を響かせないように、なんて気遣いをする住人は、この古いアパートでは三葉くらいだ。
不審に思い、玄関ドアに近づいた。
その瞬間、金属製のドアノブが音を立てて揺れる。
ガチャガチャ。
鍵がかかっていることを確かめるような一瞬の動き。揺れたドアノブは、すぐに何事もなかったかのように沈黙した。
慌ててドアスコープを覗いてみるが、扉の前にはすでに誰もいない。階段の方へと踵を返す微かな足音だけが、静まり返った廊下に冷たく響いている。
ドアを……開けようとした?
階段へと戻ったんだから、アパートの住民が部屋を間違えたという訳でもないだろう。
一体、誰が――?
なぜ――?
その時、僕の脳裏に浮かんだのは、ハルの死体とそれを解体する犯人の後ろ姿だった。
未解決の殺人事件まで現状有姿しちゃいました。




